035 命の分岐点 後編
回復限界に達したのなら治癒スキルもポーションも効果が無い。それはつまり、俺がここで応急処置をすることも出来ないし、応急処置を施したとしてもその後の本治療がそもそも効果が無いということだ。
「そんな……」
そんなのは嘘だ!
「【中級治療術】! 【ホワイトヒール】! 【手当】っ!」
嘘だ、嘘だ嘘だ!
「……もう、いい……。……やめて、……せんせい……」
「そんなことできるか! 絶対に助けてやる!」
「……むり、だよ……。……よのなかには……むりなことも……ある……ほら……」
そう言うとアゼートは左腕を弱弱しく上げた。いつもなら黒い手袋をしているが、先ほどのクマの爪で破れ落ちていて、白い指があらわになっている。
「……指が……」
その指は4本しかなかった。
一番外側にあるはずの小指は無く、切断された傷跡があった。
先日、アゼートの手を掴んだ時に感じた違和感はこれだったのだ。
いったいこれは、と考える前にアゼートが口を開いた。
「……わたしが……きった。……ちりょうの、れんしゅうの……ために……」
「なっ!? ばかな! 完全に失ったら治療のしようもない! なんでそんなことを!」
「……なおす、ひつようが……あったの……。……おとうさんの、ために……。……おとうさんの……てあしを……なおして、あげる……ために……」
手足? もしかして、失った手足を治すために、そのために自分の指を落として実験台にしたっていうのか?
「……もう、いたみも……かんじない……。せんせい……めいわくをかけて、……すみません……。……ごめんね、おとうさん……。……なおして、……あげられなく、て……」
「おい、アゼート! アゼート! ばかやろう! あきらめるな! 迷惑なんかじゃない! 聞いてるのか! 生徒が先生を頼るのは迷惑んかじゃない! なに諦めてるんだ!」
意識を手放そうとしたアゼート。俺はそんな彼女に罵声ともとれる言葉を浴びせる。
それはアゼートよりも先に諦めていた俺自身への叱咤でもあった。
ああそうだ。諦めるか! 諦めてたまるか! 回復限界がなんだ。治癒ができない?
そんなことは知ったことか! おれは教師なんだ! 目の前で泣いている教え子がいれば何があっても救って見せる!
「うおぉぉぉぉ! 【中級治療術】っっ!」
気合を入れてスキルを発動してみるが、先ほどと同じで効果は現れず、ドクドクと流れ続けている血は止まらない。
治癒がなんだ、おれは昔、ちゆちゆって呼ばれれた男だぞ!
「うおぉぉぉぉぉ! 【二重発動】っ!」
複数のスキルを同時に発動できるスキル、【二重発動】を使って【中級治療術】を二つ同時にかけてみるが、やはり効果は出ない。このままでは出血が酷くて死んでしまう。
無理やりにでも血を止めなくてはいけないが、仮に何かで皮膚の表面の傷を埋めても、中で血管が千切れている限り中で血が出続けてしまう。
糸で縫う方法は物理的に縫合して傷を塞ぐ方法だが、その後は本人の回復力に依存する事になるので、回復限界が来ているアゼートにはそぐわない。
焼いて傷口を塞ぐ方法は荒療治中の荒療治。無理やりくっつけるから本人の治癒力に関係ないとはいえ、これだけの大きな傷を焼き付けるのは不可能だ。
アゼート側で対処ができないなら――
「俺の力で!」
俺は自分の心臓の近くを指で押す。スキル【経絡(鼓動超過)】で物理的に命を燃やして生命力を上げる。
次に【魔力燃焼】を使い、体内を巡る魔力を原資に生命力を無理やり増加させる。
他にも【体重増加】【細胞複製】【健康の秘訣】【植物になろう】など、関係ありそうなスキルで俺の体力や代謝を上げておく。
「アゼート、先に謝っておく! すまん!」
アゼート側で対処できないのなら、俺の力で対処する。
俺の生命力をアゼートに無理やり突っ込んで、その力で傷をなおすという試みだ!
俺はアゼートの顔を隠しているマスクをずらす。すでに大量に流血しており顔が青ざめている。
この方法は俺の生命力を俺の口を介してアゼートの体内に注入する。
先に謝ったのはそのためだ。非常時とはいえ、無理やりすることになるのだから。
俺はアゼートの顔へと自分の口を近づける。
すまん、アゼート!
そして、その整った鼻を口に含むと、自分の体内で暴れ出るほどになった生命力を吹き入れる。
俺の口から生命力が吹き出しているわけではない。れっきとしたスキル【生命力譲渡】の効果で鼻から体内へと注入しているのだ。
注入した生命力がアゼートの口から洩れないように手を当てて口を塞ぎ、どんどんと自分の体内の生命力を分け与え続けていると……急にガクッと体から力が抜けていくのが分かった。
スキルで練り上げた生命力が尽きて、ここからは俺の命を分け与えることになるのだが、そんなことは関係ない。
受け取れ、アゼート!!
魂を絞り出してアゼートに注入し、最後の最後で、ぷはっと、鼻から口を離す。
体の動きが悪い。
俺の体に残った命の割合が低いのだ。
「だけどっ!」
【二重発動】を使う。
「【中級治療術】、【自己再生】!」
血が溢れ出す傷へと手を触れて二つの治療スキルを施す。【自己再生】は本来自らの体を癒すスキルだ。だけど今、アゼートの体内には俺の生命力がながれている。だから効果はあるはず!
まだ足りない! これだけじゃ足りない! もっとだ。もっと必要なんだ!
やれるか、俺! いや、やって見せろ! 二つだけじゃない。
たった三つ程度、使って見せろよ! 赤毛のスキル開拓者っ!!
「うおぉぉぉ【生命力譲渡】っっっっ!!!!」
再びアゼートの鼻を口に含むと、気合を入れた。
俺の全精力をつぎ込む様に、あらゆる細胞を活発化させて力を振るわせる様に。
で、できてる!!
俺は目を見開いた。確かに【生命力譲渡】が発動していて、俺の命が減っていく感覚がある。それはつまり、【中級治療術】と【自己再生】と【生命力譲渡】を同時に仕えていることで、【二重発動】の上の【三重発動】が使えたことに他ならない。
「……んっ……」
アゼートが反応した。この角度からは良く見えないが、傷は徐々に塞がっているようだ。
俺の生命力がアゼートの体に満ちて、回復限界をリセットしたのだ。
よかった……。
ぼんやりと目を開くアゼート。
「ふもっふぉふぉもん」
もう大丈夫だ、と言いたかったのだが、口で鼻を加えているため言葉にならなかった。
「……せんせいに、キス、されてる……」
「ち、違う! ほら、鼻だ! ここだっただろ」
俺はバッと体を起こして言い訳をした後、もう一度口ではないことを実演してみせる。
「……キスの定義は、口だけにとどまらない。頬も、おでこも、鼻も入る……。……初めて、だったのに……」
「す、すまん。緊急事態だったから……」
「……緊急時だったら、しちゃうんですね。……そうですね、キスだけじゃなくて……おなかとか、ベタベタ触っても……怒られませんからね……。……胸とか、もんでみますか?……」
「ばっ! ばかやろう、冗談はそこまでにしろ」
からかわれていると気づいた俺は、教員らしく振舞う。
照れ隠しの意味も込めてアゼートの傷の具合を確かめるが、うん、大丈夫そうだ。
おなかの傷は塞がっており、出血も無い。他は……
「こ、これは!」
俺は驚きのあまり、アゼートの左手を手に取った。
「……まさか……」
そこには先ほどまで失われていた小指があったのだ。
何がどうなっているのかは分からない。おれの生命力で彼女の再生限界は上書きされたのは間違いない。だが、勢い余って指まで再生してしまったんだろうか。
「どうやったんですか! 先生! 教えてください! どうやったら!」
「ば、ばか! 動くな! 今は絶対安静なんだぞ!」
「でも! 指が! 高位治癒職でも治せない欠損が!」
あのアゼートが聞き分けのない子供のような態度をとる。
「すまん、後でな」
俺は【催眠】を発動する。ゆるい幻惑スキルで対象を眠りにいざなうものだ。普通なら効く可能性は低いが、今のアゼートは傷を負って体力も低下しているから問題ない。
「……せ、ん、せい……」
恨みがましい目をしていたが、じきにスキルに耐えられなくなって目を閉じた。
すぅすぅと寝息を立て始めるアゼート。
血まみれでボロボロになった服の隙間からは彼女の傷だらけの肌が見えている。
「このまま帰るわけにはいかないな……」
俺は自分の上着を脱ぐとアゼートの体の上へかけ、傷に響かないようにゆっくりと彼女の体を持ち上げると、帰路へと就く。
「……おとうさん……」
その途中、アゼートが小さく呟いた。
俺に言ってるわけじゃない、とは思いつつ、俺はおとうさんっていうほど年を取ってないんだが、と思うのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ナオの健闘によって何とかピンチを脱したアゼート。
その結果、ナオからもらったお土産はアゼートに新たな風を吹き込む。
次回、第3章エピローグ。お楽しみに。




