023 第3章 アゼート・クーム プロローグ
俺はナオ・クランク。聖ブライスト学園の特進クラスの担任教師だ。
特進クラスはこれから国家の中枢を担うエリートを育成するためのクラスだ。
というのは名ばかり。実は問題児たちを集めたクラスであって、男色疑惑を掛けられている俺を辞めさせるための窓際ポジションだった。
所属する生徒は3名。
リクセリア・ラインバート
アゼート・クーム
メル・ドワド
この三名の女子生徒が俺の担当である。
メルはクラスメイトの虐めから逃れるために特進クラスを希望した生徒だ。学費の問題もありデリケートな対応が求められたが、住む場所も決まって生活が安定したことできちんと授業に出席してくれるようになった。
リクセリアは授業には興味がない生徒で、授業に出てきたとしても常にいる取り巻きのせいで授業に支障がでるため教員たちから忌避されていた。取り巻きはまだ存在するものの、特進クラスまで連れてくることはなく、最近は一人で授業を受けに来てくれる。
と、二人の生徒の問題を解決してきちんと授業を受けさせることができているわけだが、残る一人、アゼート・クームについては解決の糸口が見つかっていない。
「……い。先生。せんせーっ!」
うぉあ!
「な、なんだドワド君?」
急に大声を出さないで欲しい。心臓に悪いから。
「これはどこに置いておいたらいいですか、って聞いてるのに上の空だから。
先生、きちんと寝てます? 目にクマできてますよ?」
「わかった、わかった、あっち! あの机に置いておいて」
箱を持ちながら俺の方に近づいてきて、クマの存在を証明しようとしたメル。近づかれると俺の貢ぎ範囲に入ってしまうので、なんとか遠ざけることに成功する。
メルの言う通り、疲れているのは間違いない。
聖ブライスト学園では授業は科目ごとに担当の教師が受け持っている。作法なら作法の教師が、武芸なら武芸の教師がというふうにだ。
だが、この特進クラスはそうではなく、俺がすべての授業を受け持っている。クラスの人数が少ないとはいえ、準備やら何やらがとても大変なのだ。
そこで、次の授業の準備をメルに手伝ってもらっている。もちろん有償で俺のポケットマネーから賃金を出している。
メルはメルで空いた時間は全てアルバイトに費やしているため、始業前や放課後はそちらに行ってしまうから、手伝ってもらうのは日中だけだ。
正直なところ、おれのスキル【貢ぐ者】の事を考えると一人で準備するほうがいいのだが、メルの懐事情も考えて手伝ってもらっている。
「あら、あなた。またやっているの?」
「はい、リクセリア様。もう少しで準備ができますからお待ちくださいね」
「ふーん」
メルとリクセリアの声が聞こえる。
どうやらリクセリアが教室に戻ってきたようだな、と教室とは別の授業道具が置いてある部屋にいる俺は察する。
次の授業の準備はもう終わりそうだ。
さて、と、と頭を未だ授業に出席してくれないアゼート・クームの事に戻す。
彼女は学園きっての秀才。俺たち教師の授業内容はすでに習得しているため出席する必要が無いと言って、ずっと図書館で勉強しているらしい。
らしい、というのは俺自身が確かめたわけではないからだ。
もしかしたらアゼートに会えるかもしれないと思い学園見学会で図書館を訪れたが、結果としては見つけるどころではなかった。
図書館は広すぎて闇雲に探しても見つからない。その上、俺も毎時の間授業があるため、長時間の図書館探索を行うことができないのだ。
そんな彼女だが、一度だけ俺を訪ねてきてくれたことがある。
その時はこんなやり取りをした。
「……先生……これ……」
放課後の事だ。明日の準備をしていた俺の元にアゼートがやってきたのだ。
学園指定のものではない足首まである長く黒いローブを着て、ローブのフードを深くかぶっている。それだけでもう顔は見えにくくなるのだが、とどめのようにマスクをして口元を完全に覆っているのだから表情も分からない。唯一出ている目の片方には片眼鏡であるモノクルを付けていて、もはや完全防備と言ってもいい。
そんな彼女が、折りたたんだ紙を俺に差し出してくる。
その手には皮手袋がはめられており、素肌を露出する場所なんか無いくらいだ。
これだけ完全防備なら俺の方も気が楽で、普通の距離でも【貢ぐ者】は発動しづらいようなのだ。
「……読んで……」
ただの折りたたまれた紙。もしかしてラブレターか?
などと思うほど俺の頭はお花畑でもない。
彼女の手から紙を受け取ると、カサカサと折り目を開いていく。
「これは……」
折りたたまれた紙にはびっしりと数字と文字が書き込まれていた。
「……先生……解けますか?……」
これは学生レベルの問題じゃないぞ。マル・カルタカス理論の応用問題、だと思う……。
だと思う、というのは、それがマル・カルタカス理論の応用なのかどうかも俺には判断がつかないからだ。専門の研究者が10年ほど勉強してたどり着くレベルの問題のはずだ。
「こ、この問題が解らないのか?」
「……分からないわけでは、ありません……。今日解くつもりなので……試しに、と思って……」
「試し?」
「……はい。……特進クラスの教員が、私を指導するに値するのかどうか……。……それで……解けます、か?……」
「……」
俺は即答できなかった。
つまりは解けないという回答と同義だった。
「……やはり解けませんか……」
そう言うと、俺の手の中の紙を回収し。俺から視線を外した。
「……特進クラスといっても……この程度ですね……」
くるりと向きを変えるアゼート。
「どこへ行くんだ?」
「……これまでどおり図書館で、自主学習します。……そのほうがよっぽど役に立ちますから……」
――それがアゼート・クームを最後に見た姿だ。
そんな事を考えながら今日の授業を進めていった。
「あれ? ラインバート君、どうしたんだ?」
次の授業の準備をしようと思ったところ、メルの姿はなく、代わりにいつもなら姿をくらましているリクセリアの姿があった。
「メルさんが都合が悪いらしくて、代わりにこのわたくしがあなたの手伝いをしてあげますわよ」
なんだかすごく恩着せがましい。
「聞けばあなた、メルさんを奴隷のようにこき使っているらしいじゃないの」
「いや、それには事情があって……」
生徒の秘密を俺の口から漏らすわけにはいかない。
「……事情ねぇ。まあいいわ。これからはわたくしが手伝ってあげますから、破廉恥なことをできるとは思わないことね」
「いえ、結構です……」
「なぜですの!? このグロリア王国の至宝と呼ばれるわたくしが手伝うと言っているのよ? むせび泣いてしかるべきじゃないかしら」
「そうは言われても……」
根本問題は俺の【貢ぐ者】であるが、そもそもこのお嬢様に手伝いが務まるとは思えない。
いや……そういえばこの子は、自分でできることは自分でする派のお嬢様だったな。もしかして、できないことはない? のか?
いやいやいや、できたとしても問題は【貢ぐ者】だ。メルとはオーラの出方が違うから、必然的に取らなくてはいけない距離が長くなる。
「これを運べばいいんでしょ。ほら簡単よ。あっ……」
「おわーっ! な、何してるんだ!」
さっきの授業で使った魔法器具の先端部分を折ってしまった。
「ちょ、ちょっとしたミスよ。ほら、あなたがきちんと教えないから」
「あああああ」
完全にもげてる。
ここのパーツは替えがきかないっていうのに。
「なによ、大げさね。必要ならもっと高価なやつを持ってこさせるわよ」
ほら、次はどれ? とか言いながら獲物を物色していくリクセリア。
「もういい! いいから! 俺一人でやるから。次の授業までゆっくりしておいてくれ」
完全に一人でやったほうが効率的で速い展開だ。
あ……。しまった、言い過ぎたか……。
わなわなと震えるリクセリア。その綺麗な青い目には涙がうっすらと溜っていて――
「このリクセリア・ラインバートに向かってその言いぐさ! あんたが忙しそうだから手伝ってあげようと思っただけなのに! またメルさんに手伝ってもらうといいわ。今度はわたくしが払った金額の三倍を要求するって言ってましたけどね!」
そう言うとリクセリアは教室から出て行ってしまった。
完ぺきに怒らせてしまった。
力任せに閉められた扉の放った大きな音が、まだ耳に残っている。
どうやら本当に好意で手伝ってくれてただけだったようだ。失敗した。
その後――
「また私に手伝いをやって欲しい? そうですねぇ、リクセリア様に無理やり変わらされたわけでして、私としては収入が減るんですよね。だからもうその時間のすきまバイトを入れてしまってまして。すきまバイトの違約金も含めて前の5倍、と言いたいところですが、先生と私の関係なので3倍の金額でいいですよ。そうそう、オプションとしてリクセリア様との仲直りの橋渡しも出来ます。その場合は前の金額の6倍になりますが、どうします?」
メルからはそんな返答が帰ってきて……6倍の要求金額を支払って……授業の準備は元通り。
リクセリアも不満な顔をしているものの、再び授業に出て来てくれるようになったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
第3章の開始です。ターゲットはアゼート・クーム。果たしてどんな女の子なのでしょうか。
次回をお楽しみに!




