002 君には男色の疑惑がある その2
「あ、いたいた、クランク先生。さっき事務の女の人から先生に伝えるように言われたんだけど、すぐに学園長室に来てくれってさ」
授業を終えた後の廊下。そこで男子生徒から伝言を預かった。
ありがとうと礼を言い、伝言の意味を考える。
学園長室。名前のとおり、この聖ブライスト学園の長である学園長がいる部屋だ。俺たち教師はよっぽどのことが無い限りそこには近づかない。逆に言うと、よっぽどのことが起こった、という事になる。
まさか、クビだろうか。俺は採用されてまだ2か月。王国法には試用期間なるものがあって、今はまだ試用期間中。使えないと判断されたらそれもあり得る。
だけど解雇されるようなヘマはしてない。生徒たちとの関係も良好で、授業も順調。成績も伸びている手ごたえはある。
じゃあ一体……。
足早に学園長室へと向かいながら、答えの出ない問答を繰り返していた俺。
考えても仕方ない、と思うことにしたところで……校舎の奥まった場所にある学園長室の前にたどり着いた。
教室とは違い重厚感のある扉。木製ではあるが、まるで金属が放つ光沢のような重みを感じる。これが学園長室の圧なのか。
俺はごくりと唾を飲み込み、装飾が施されたその扉をノックする。
「ナオ・クランクです」
緊張のためか若干声が裏返ったが、来訪者を告げる言葉には問題ないだろう。
一呼吸おいて――
「入りたまえ」
という声が聞こえた。
扉を開き中へと入る。
目の前には立派な机に鎮座している学園長の姿。
部屋の様子がどうだとか、立派なトロフィーが飾られているだとか、そんなふうに視線を逸らすことはできない。なぜならこちらを見定めるかのようにじっと睨みつけられているのだから。
「お、お呼びと聞きましたが、どういったご用件でしょうか」
相手は百戦錬磨の学園長。対する俺は先日まで引きこもり生活を続けていた落伍者。圧倒的な圧に抗えようはずもない。
学園長は白髪をはやした老人ではなく40代後半くらいの男性。だけど発する圧は遜色なく凄まじい。
この年齢で学園を束ねる才能があるのだから只者ではないのは言うまでもない。
そんな学園長が一体俺に何を……。
「クランク君。率直に言おう。君には男色の疑惑がある」
「だ、男色!?」
男色って、あれだろ、男性同士の同性愛。男が男を好きだっていうやつ!? 俺が!? 男色!? なんで!?
「そうだ。君が男色であるなら、男子クラスを任せることはできない」
「ち、違います! 俺は男色ではありません!」
「口では何とでも言える。だが状況は君が男色であることを物語っているのだ。
一つ、キミはクラス編成時に頑なに男子クラスを受け持ちたがったこと。
一つ、女子生徒を含め、女性教員や女子職員を敵視し、会話すらせずに距離を置くこと」
「そ、それは……」
「思い当たる節があるようだな」
た、確かに学園長が言うことは事実ではある。
この一つを除いて。
「お、俺は女性を敵視しているわけではありません!」
「だから口では何とでも言えると言っている。事実か事実ではないか、それは重要ではない。その話が円卓の耳に入った時点で、君に男子クラスを任せるわけにはいかんのだ」
円卓。それはこの聖ブライスト学園に出資する13人の有力貴族の集まり。学園長よりも偉く、この学園の実質的な支配者でもある。
「男子クラスには円卓の方の子弟もおられる。成長するまで悪い虫がつかないように男子クラスに入れたのに、男子クラスで狙われるなど言語道断。そういうご意見があったのだ」
「それじゃあ……」
「ああ、君はもう男子クラスを受け持つことはできない」
「……クビ、ですか?」
「私の立場としては学園に悪評が立つ前にそうしたかったのだが、クランク家、いや、円卓の方の意向で君を採用した手前、そういうわけにもいかない」
そうだ。そもそも俺の両親が無理やりこの学園の教師に着かせたのだ。
貴族の集まりである社交界に出ず、女性を遠ざけ、一人屋敷に引きこもっている俺を案じて。
そんな経緯だったが、教師になれたのは感謝している。教師になってまだ2か月しか経っていないが、これが天職だという思いはある。そしてこの教師という職業になることは、幼いころから淡く思い描いていた望みでもあった。
だから、教師を続けられるというのはありがたい。
「そこで、だ、クランク君。君には新設される特進クラス、ヴァルキュリアの担任をしてもらう」
「ヴァル、キュリア……?」
「そうだ。この度、学園のエリートを集めた特進クラスを新設することにした。重要な役目だ。なんせ、この国の行方を左右するほどの人材が特進クラスには集まるのだ。赤毛のスキル開拓者と呼ばれる君ならば必ずやり遂げることができると信じている」
学園長は立ち上がり、靴音を響かせながらこちらへと向かってくる。そして俺の横に来て、ぽんと肩を叩き、小声でこう言った。
「特進クラスの運用が失敗すること。それはこの学園にとって大きな損失を意味する。円卓の方の子弟と言えど、さすがにそれはかばいきれない。そのことを忘れないように」
ツツーと額から汗が流れる。
心臓が高鳴っているのか、止まりそうなほど鼓動が遅くなっているのか、どちらなのかが分からない。
「これは資料だ。君には今日、今から特進クラスの指導に当たってもらう」
「今日からですか!?」
「そうだ。すでに君の宿舎の荷物は移動させている。今日から教室に併設された部屋で寝泊まりしてもらう。そして金輪際、男子校舎に近づくことは許さない。さあ行きたまえ。特進クラスの生徒はすでに待たせている」
「ちょ、ちょっとま――」
「異論は受け付けん。これは円卓の……学園としての決定だ。退室したまえ」
有無を言わさない態度で学園長室から追い出されてしまった。
生徒をすでに待たせていると言っていた。男子校舎に戻って事実確認をしたいが、あの言い方からしてもう近づくことはできないのだろう。そして俺の宿舎の荷物も引き払われているに違いない。
進むしかない。
残された道はそれだけ。それだけなのだ。
「教室は、と……」
進むべき道……渡された資料の表紙を見た俺は目を疑った。
教室の場所は『J-1-801』と書かれている。
目を擦ってからもう一度確認しても変わらない。
「まさか、女子校舎!? 嘘だろ!?」
いや……なぜ俺はそれを予想していなかったのか。
男色疑惑で男子校舎を追い出されたのだ。行きつく先は女子校舎。そしてそれを意味するところは一つ。
特進クラスとは女子クラスだということだ。
「む、無理だ……。死んでしまう……」
視界が暗転し、目の前が真っ暗になってしまう。
学園長が言っていた男色疑惑。あれはほぼ間違ってはいない。
俺はクラス担任を決めるときに無理を言って男子クラスを担当させてもらった。そして女子生徒、女子教職員からは可能な限り距離を取ってきた。
学園長からの伝言の伝わり方がその結果ともいえる。俺が女子職員と距離を置くことを知ってるから男子生徒経由で連絡事項を伝えてきたのだ。
俺がどうして男色だと疑われるようなことをしてきたのか。
それはひとえに俺の体質……いや、スキルに原因がある。
声を出して言うことはできない。なぜならこれは両親にすら秘密にしていること。
俺は女性を好きになると、自分が持っているスキルを貢いでしまうからだ!
スキル。それは己の持つ技量の集大成ともいえるものだ。速く走れたり高く飛べたり、計算が早かったり。それらは全てスキルの恩恵を受けたものだ。
スキルだけで人生が決まるわけではないとはいえ、その有無で大きく異なってくるのは間違いない。
もう一度言うと、俺は女性を好きになると身に着けたスキルを貢いでしまう。
苦労して習得したスキルを、瞬時にだ。
それだけでも大問題なのだが、百歩譲ってスキルを貢ぐだけならいい。
実はそれだけではない。百聞は一見にしかず。このスキルの説明を見てもらおう。
【貢ぐ者】:好意を抱いた異性に自身のスキルを貢いでしまう。自身の所持スキルが【貢ぐ者】のみの場合は自身が死ぬ。
お分かりいただけただろうか。スキルを貢ぐだけではなく、貢ぐスキルが無くなった場合、俺は死ぬ。
記憶を失うとか、二度とスキルを取得できないとかではない。死ぬ。つまり、人生が終わるということだ。
俺の人生を脅かしている根源たるスキル【貢ぐ者】。
こいつの存在に気づいてからずっと、死を回避するためにスキルを取得しまくって、平素から女性と関わらないように過ごしてきたのだ。
「こうなったら今からでも退職願を――」
『あー、あー。クランク先生、特進クラス担任のクランク先生、生徒が待っている。廊下にしゃがみこんでいないでさっさと教室に向かうように』
校内放送! って、監視されてるのか!?
『クランク先生、キョロキョロしてないで進みたまえ。繰り返す。クランク先生は速やかに教室に向かいたまえ。部屋が分からないのなら近くの生徒を向かわせる』
近くの生徒!? 言わずもがな、女子生徒だろ!? それこそ命を散らしてしまう!
命の危機を回避するためにダッシュでその場を離れた俺。
そして目の前には指定の教室がある。
ごくりと唾を飲み込む。もう引き返せない。
お読みいただきありがとうございます。
引き続きお楽しみください。