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010 リクセリア・ラインバート その4

 今この部屋から出るなんて出来ない。同じようにベニヤ板の裏でやり過ごさなくては!


 ――ガチャリ


「いっちばーん!」

「何子供っぽいこと言ってるのさ」

「メイ子はいつまでもその天真爛漫さを忘れないでいて欲しい……」


 俺は路傍の石。生きてもいないし、呼吸もしていない。心臓も動いていない。石のように静かに、そして固くなれ。


 きゃいきゃいと騒ぐ女子学生たち。耳を塞げ、俺は何も聞いていない。ただ光合成をする植物。


「ちょっと汗かいちゃった」

「どれどれ?」

「や、やめてよ、なんで鼻を近づけるのよ!」

「うん。大丈夫。健康的な匂いだよ」


 に、匂い!? だめだ、乙女の香りを隠れて嗅ぐなんて教師のすることじゃない!

 俺は【無呼吸】を発動させて、呼吸を止める。 1、2、3、4、……。


「やっぱり匂うんだ! うわーん」

「メイ子の匂い、私好きだから」

「あたしの匂い!? やっぱり匂うんじゃん!」

「よしよし、メイ子は可愛いな」

「もーっ! えいっ!」

「ひゃっ! ちょっとメイ子、指なんて舐めないでよ」

「しかえしだーい。ちょっとしょっぱいね」

「なっ! こ、これは私のじゃなくてメイ子の汗だし?」


 うぐぐ【無呼吸】の残り時間が無くなってしまった。だ、だめだ、息を止めているのにも限界が……


「大丈夫、そんなキミたちに心強い味方だ」


 ここまでか……。一瞬だけ、一瞬だけ……息継ぎを……。

 ふぐっ……! 香水の匂い! 爽やかな森の様なフレグランス! 決して体臭を強い匂いでごまかそうとするようなきつい香りではなく、若さと自信があふれる香り!


「ありがとうキーちゃん! ねね、メイ子大人の女子になったかな?」

「うんうん。そうだねメイ子。おっ、メイ子、ちょっと胸大きくなった? どれ触らせてみなよ」

「うーん、自分ではわからないかなぁ。ちょっと触ってみて」

「ほうほう、これはまた。うん、大きくなってる。多分」

「じゃあ、私もみっちゃんの胸をふにふにさせてもらうね!」

「えっ? なんで私?」

「だって、この中では一番大きいからね。目標の確認ってやつ?」

「そうだそうだ。私もご相伴にあずかるかな」

「あ、ちょっと、あんっ、そんなに揉まないで……」


 何も聞こえない。俺は今天界と通信している。あーあー、神様、感度はいかがですか?

 なになに、神の目はごまかせない? そこを何とか!


 きゃいきゃいという声と気配。女子しかいない花園。友人たちしかいないと安心しきった天使たち。

 これはだめだ。もうだめだ。鼓膜を破ろう。鼻も潰そう。聴覚と嗅覚を断って残りの人生を過ごそう……。


 混乱に混乱を重ねて、さあ実施しよう、と思った所で――


 ――リンゴーン、リンゴーン


 と次の授業開始の鐘が鳴り響き、着替えの集団は女子更衣室から出て行ったのだった。


 誰もいない部屋に無言で立ち尽くす俺。


「匂いと声だけだったとしても罪の意識が半端ない……。どうせならスキルを貢いで罪滅ぼしをしたかった……」


 不幸中の幸いなのか、俺の【貢ぐ者】は対象をしっかりと認識していないと発動しない。今のように誰かわからない状態では好きという感情に至らないのだと思う。


「今のうちに脱出するか……」


 突っ立っていたら先ほどの二の舞になる。それこそ罪の上塗りをしてしまうだろう。

 罪の意識を胸に秘め、思考を無理やりに元へと戻す。

 

 すぐさまドアノブを回して部屋の外へと出る。


 ……なぜ俺は周囲を確認してそーっと部屋の外に出ることをしなかったのか。

 次の瞬間、その後悔の念が押し寄せてきた。


「リクセリア・ラインバート……」


 女子更衣室を出た俺が目にしたのは、俺が探し求めていた人物であり、今、この瞬間、最も会いたくない人物であった。


 幼さを残した顔。その中にある切れ長の目が鋭く俺の事を睨んでいる。

 そして、芸術品のように整った小さな唇が……動く。


「アナタ……今、どこから出てきましたの?」


 疑問形の言葉を投げかけられるが、もちろん言い逃れできる状況ではない。

 俺は今まで女子更衣室にいて、さらに言えば女子が着替えている中で潜伏していて、今出てきた。そしてこの少女、リクセリアに見つかった。


 何人もの取り巻きがいれば人の気配で気が付いただろう。だが今彼女は一人。たった一人で俺の目の前にいる。


 俺は、とん、とん、と後ずさる。


「犯罪者が逃げるんですの?」


 逃げるのだと受け止められても仕方がない。

 俺は今、彼女から反射的に距離を取った。だがその理由は彼女が近すぎるからだ!


 近すぎると言っても人それぞれパーソナルスペースの広さに違いがあるから分かりにくいだろうが、俺にすると近すぎる。

 約3mほどの距離。手を伸ばしても届かないし、小声で話すと聞こえない距離だ。

 だが、俺には近すぎる。【貢ぐ者】が発動するには十分すぎる距離なのだ。


 この距離でも、彼女の様子が手に取るように分かる。

 たった一言発するだけで俺の人生を終わらせることのできる瑞々しさのある唇。流れるようなサラサラの金色の髪の毛を後ろで束ねている赤いリボン。

 服装だってそうだ。赤く光沢を放つレッドミスリルの細い鎖。両肩から斜めにかけられていて胸の所で十字に交差している。まるで胸の谷間を強調しているかのようで――あっ!


 ――ピロン


 『リクセリア・ラインバートにスキル【糸通し】を貢ぎました』


 しまった……。あれだけ気を付けていたつもりなのに、グロリア王国の至宝に目を奪われてしまっていたなんて。


「その口は飾りですの?」


 そんな不審者の俺に対して鋭い言葉が投げかけられる。

 とげのある口調。明らかに不快感をあらわにしている。


 何か言わなければ。

 生半可な言葉じゃだめだ。一発で彼女の不快感を取り除いて、それでいて彼女の要求を満たす言葉を!


 やれるはずだ。俺は曲がりなりにも教師。言葉をもって生徒たちを導く存在!

 さあ、これでどうだ!


「俺を脅すのか?」


「はぁ?」


 リクセリアが眉をぴくっと動かした。


「君の見たとおりだ。君は俺の弱みを握った。それを黙っていることを交換条件に、授業に出なくても卒業させるように要求するんだろ?」


 言い逃れはできない。俺が女子更衣室にいたことは事実だからだ。

 それを知った彼女がどうするのか。きっと俺に交換条件を持ちかけてくるはずだ。彼女は授業に出ない。だけど卒業する必要がある。それを同時に満たすためには担任である俺をどうにかすればいい。


「思いつきませんでしたが、それは面白いお話ね」


 食いついてきたか。貴族界隈では当たり前のことだ。弱みを見られたら貶められる。

 常に戦いなのだ。勝ち残るため、一族が繁栄するため、他者を打ちのめし、虐げるのは。


「だが、断る!」


 俺は腹に溜めた空気を一気に吐き出す勢いでそう言った。


「はぁ?」


 あきれを含んだ声が返ってくる。

 だからもう一度言う。


「断ると言ったんだ。そんな事をしても君のためにならない。そして俺は教え子に何も教えずに卒業させようとも思わない。そんなことは教師としてあるまじきことだ!」


 間違いない。これは俺の思い。新米教師ではあるが、熱い思いは持っているつもりだ。


「ぷっ……あはははは! あなた、どこを見てそんな事を言ってるのかしら。そんな恥ずかしいセリフを吐くなら、目を見て言いなさい」


「ぐっ……」


 正論だ。今俺はスキルを貢がないようにするためにリクセリアから視線を逸らしているのだ。


「でも、そうね。せっかく弱みを握ったのだから利用させてもらおうかしら」


「授業に出席せずに卒業させるのは駄目だ。それを要求するのであれば……このことをバラせばいい」


「ふぅん。じゃあそうさせてもらうわ」


 リクセリアはくるりと背中を向けた。

 金色のポニーテールがふわりと揺れる。


 しまった! 選択肢を間違えた!

 これで俺の教師ライフどころか、人生までフィニッシュだ!


「と、言うとでも思った?」


 ふわりと再び振り返ったリクセリア。

 そして、にかっと小悪魔的な笑みを浮かべたのだ。


 ――ピロン


 『リクセリア・ラインバートにスキル【初級星読み】を貢ぎました』


 不覚にも魅入られてしまった……。


「わたくしが要求するのは、学園見学会よ!」


「学園見学会?」


 彼女は普通に会話を続けているつもりだろうが、俺にとってはそうではない。

 スキルを貢いでしまったことにショックを受けながらも、予想外の単語に対して頭をフルに動かしているので、オウム返しとなってしまった。


「そうよ、学園見学会。卒業なんて言うくだらないことよりも大切なのだから!」


 腰に両手を当てて、さもそれが当然だという風に……リクセリアはそう言い放った。

お読みいただきありがとうございます。

高飛車令嬢リクセリア・ラインバートの言う学園見学会とはいったい!

名前の通りだと思うけど、一体なんなのか!

次回をお楽しみに!

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