001 君には男色の疑惑がある その1
「ちゆちゆってさ、あんまり凄くないね」
少女の声が聞こえる。
まるで楽器の鉄琴が奏でるような高くて振動するような声。
「カッコいいかなって思ってたけど、勘違いだったみたい。あ、セロル君が呼んでる。じゃあね、ちゆちゆ。これからはセロル君と二人で遊ぶから、もう近寄ってこないでね」
そう言うと少女はクルリと背を向けて俺の目の前から去って行ってしまう。
俺は少女に手を伸ばすが、それが届くことは無い。
俺はその事を理解してしまっている。
なぜならこれは何度も見た光景。
俺が小さいころに経験したトラウマ。それを再現している夢だからだ――
「……」
おぼろげな記憶が急激に消失していき、代わりに意識が鮮明になっていく。
目覚めだ。
開いた目は、まだ薄暗い部屋の様子を捉えている。
「夢か……」
しんと静まり返った部屋の中、沈黙に耐えきれずに声を出した。
夢なのは分かっている。俺は今22歳。あれからもう15年も経っているのだから。
どっぷりと暗黒に沈んだことで心にヘドロが纏わりついている感覚。いつもこの夢を見た後はこうだ。
俺はのそりのそりと体を動かしてベッドから降り、洗面台へと向かう。
蛇口を回し勢いよく出る水に手を伸ばして掬い取り、人には見せられないような表情を浮かべている顔にぶち当てる。顔から冷たさが無くなればもう一度水をくんで、顔の熱を冷ます。何度も何度も繰り返し、心にまとわりついた黒く濁ったヘドロを洗い落としていく。
そうやって身支度を整えると、俺は自室を出る。
まだ朝も明けやらぬ早朝。この職員寮で動いているのは俺だけだろう。周りを起こさないようにと静かに職員寮を後にする。
「月が綺麗だな……」
ふと空を見上げる。優し気に光る大きな月とその横に付き従うように淡く光る小さな月。
いつもと変わらない光景に心が落ち着いていくのが分かる。
いつまでも月を見ていても仕方がない。
俺は足を進め学園内を進む。目的地は校舎と校舎に挟まれた中庭。
誰もいない廊下は寂しくもあるが、今の俺にはその方がいい。
好みの静けさを感じながら、中庭にたどり着くと、俺は体を動かし始める。
「今日のうちに【回転烈蹴脚】を覚えておきたいな。欲を言えばもう一つくらい欲しいところだ」
口に出すという事は言霊でもある。独り言を言う寂しい奴だとも思われるかもしれないが、死なない確率を上げるためなので仕方がない。
そして俺は新たなスキルを取得するために、皆が起きてくるまで訓練を続けるのであった。
◆◆◆
「クランク先生おはよう!」
「あぁカインか、おはよう!」
廊下を歩く俺の背に男子生徒の挨拶がかけられる。振り返るとにこやかな笑顔があった。
そんな笑顔に元気をもらった俺も笑顔で挨拶を返す。
それじゃ、と手を振って教室に向かって駆けていくカイン。
廊下は走るなといつも言ってるだろ、と背に向けて投げかけると、はーいという言葉と共に、大きく振られた手が返事として返ってきた。
その後も、おはよう、おはようと次々に声をかけてくれる男子生徒たち。
彼らは俺、ナオ・クランクの指導するクラスの生徒たちだ。着任してまだ2か月の新人の俺によく懐いてくれている。
そんな彼らだからこそ、俺もまた、腐らずに教師になってよかったな、と思えるのだ。
俺はクラス担任であると同時に、武芸の授業を受け持っている。
この聖ブライスト学園は王都にある由緒正しい学校だ。名門であることと立地の良さから多くの貴族の子供たちが学んでいる。そういった事情から男子クラスでは武芸の授業の人気は高い。騎士の家系の子たちはもちろんのこと、そうでない子たちもいざと言うときのために武芸を学ぶ必要があるからだ。
「それじゃあ、今日も【基礎緊急加速】を覚えるための授業をするぞ。前に教えたとおり、【基礎緊急加速】を覚えるためには、反復横跳び50回2セットを10日間、20mダッシュ100本を3日間行わなくてはならない。お前ら、宿題はやってるだろうな? 授業だけでは反復横跳びの日数を補えないからちゃんと自習しておけよ。次の授業でスキルを覚えられなかったら補習だからな」
えー、という声が上がる。
だがこれはお約束のようなものだ。実際彼らはきちんと自習をして宿題をこなしている。次回の授業ではみんな【基礎緊急加速】を覚えることができるだろう。
「先生、あれ見せてくれよ、【天空跳躍】! 先生が編み出したオリジナルスキル!」
「おいおい、授業中だぞ。放課後なら見せてやるよ」
「今見たいんだ! な、みんなもそう思うだろ? 赤毛のスキル開拓者、ナオ・クランクの生スキルだぜ?」
見たい―、と焚きつけてくる生徒たち。
クラスの一体感が良い意味で形成されている。
まあ減るもんじゃないし、モチベーションが上がってくれるならいいか。
「仕方ないな。いいか、よく見とけよ」
俺は足に力を込め、スキル【天空跳躍】の発動を意識する。体内に流れる生命力が右足に集中していく感覚が分かる。
十分に力が溜ったのならそれを解放し、体全体にも生命力を巡らせて、そして頭上へとジャンプする。
視界の端にある木々の高さが瞬時に下がって行き……その勢いが無くなり停止した瞬間――
「【天空跳躍】!」
俺は空中の何もない空間を左足で蹴り、さらに上空へと飛翔した。
眼下で、すげーだの、さすが先生だ、だのの賞賛が飛び交う中、俺は常人には届き得ない高さからふわりと着地する。
もちろんスキルを使って衝撃を殺しているので骨折などしない。素人の方は真似してはいけないぞ。
「そら、希望は聞いたぞ。お前たちも腕を磨けばできるようになる。精一杯励むように。じゃあまずは反復横跳びからだ。間隔をあけて一列にならべ」
俺の【天空跳躍】の実演でモチベーションが上がったのか、その後も生徒たちは意欲的に授業に取り組んでくれた。
お久しぶりの方も初めての方も、作者のセレンUKです。よろしくお願いいたします。
連載開始の初日は8話分を投稿いたします。
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