11月26日(月):16.2
月曜の朝、教室は冬休み前のざわつきに満ちていた。笹山芙美はブレザーを着たまま席に座り、緩んだ二つ結びを整え直した。机に置いた鞄から赤いマフラーの端が覗き、廉也が窓際でイヤホンを手に持つ姿が目に入る。黒板にはチョークで「12月10日提出」と書かれた課題の締め切りが残り、隣の席の男子がイヤホンで音楽を聴きながら友達と笑っていた。
「週末、寒かったね」「風強かったよ」と他愛ない会話が飛び交う。
窓の外では校庭の木々が風に揺れ、空が薄く曇っている。芙美は鞄からノートを取り出し、「夜が私を見ていた」と書き加えて消す。首筋の傷を隠すようにシャツの襟を立て、熱が走った。土曜日の夜の出来事が頭から離れず、傷口が微かに疼く。鏡で見ると赤みが残り、触れると熱がまだ感じられる。週末の恐怖が蘇り、手が震えてシャーペンを落としそうになった。
窓の外を見ると、校庭の端に立つ古い校舎が朝陽に染まり、冬らしい静けさが漂っていた。教室の喧騒が遠く感じられ、芙美はノートに何かを書こうとして手を止めた。担任がドアを開け、「おはよう。今日は転校生を紹介します」と言うと、教室が一瞬静まり返った。生徒たちが顔を見合わせ、「転校生って誰?」「こんな時期に?」と囁く声が聞こえた。
ドアの向こうから一ノ瀬のぞみが現れた。明るめのショートヘアが少し乱れ、ブレザーはスカートを短めに着崩している。すらりとした長身が目立ち、端正な顔が凛々しい。教室の窓から差し込む朝陽が彼女の腕に当たり、肌が赤く染まるのが一瞬見えた。彼女は無言で袖を軽く引っ張る。教室中がざわつくが、そんなことは気にも留めず冷たい目で教室を一瞥し、誰かの笑い声を曇らせた。
「一ノ瀬のぞみ、よろしく」
声は低く、感情がほとんど感じられない。彼女は指定された席に歩き、机に鞄を置いて腰を下ろした。
「なんか怖いね」と後ろの席の女子が小さく囁き、「でも可愛いじゃん」と隣の男子が返す声が聞こえた。芙美はのぞみをちらりと見つめ、二つ結びが揺れるのを感じた。彼女の目が一瞬芙美に止まり、胸が締め付けられるような感覚がした。
のぞみのブレザーのポケットから星型のキーホルダーが覗き、微かに揺れている。芙美はその姿にあの夜のことを思い出し、心臓がドクンと跳ねた。休み時間、チャイムが鳴ると生徒たちが一斉に立ち上がり、教室が再びにぎやかになる。芙美は鞄を整理し、教科書を仕舞おうとすると、のぞみが近づいてきた。手袋は外しており、細い指が芙美の首筋を軽く触った。
「傷、見せて」
冷たい感触に芙美が縮こまると、のぞみは目を細めて傷口を見つめた。
「吸血鬼は夜に強く、血に反応する。時間はないよ」
淡々とした声が教室の喧騒を切り裂き、芙美の耳に重く響いた。周囲の笑い声や足音が遠く感じられ、芙美は小さく呟いた。
「何で私を……?」
のぞみは一瞬目を逸らし、一瞬、唇が震えたように見えた。
「ハンターだから」
その言葉に重みが宿り、芙美の瞳が揺れる。
のぞみは席に戻り、鞄を開いて携帯を取り出した。画面には制服姿の少女が映り、のぞみが隣で笑っている写真が一瞬見えた。彼女の指が写真を握り潰すように携帯を持ち、すぐに鞄に仕舞う。星型のキーホルダーが鞄の縁に引っかかり、光を反射した。芙美は胸がざわつき、ノートに「のぞみ」と書きかけたが、すぐに消しゴムで消した。
「転校生、変な感じだね」とクラスメイトが話し合う声が聞こえ、「クールでかっこいいじゃん」と誰かが笑う。誰かが近づこうとしてやめた。首筋の傷が疼き、心が重くなる。のぞみの冷たい目と「時間はない」が頭から離れず、昼休みのチャイムが鳴るまで、一人静かに座っていた。携帯を手に持つが、誰にもメールを打てず、ただ画面を見つめるしかなかった。
昼休みが終わり、午後の授業が始まると、のぞみは窓際の席で外を見ていた。ショートヘアが風に揺れ、遠い目が窓の外を眺める。芙美はその横顔を見つめ、あの夜の言葉を思い出す。
「吸血鬼になるよ」
その重みが胸にのしかかり、授業の内容が頭に入らない。先生が黒板に数学の問題を書き、チョークの音が教室に響くが、芙美はノートに「月が私を追う」と書いて消す。目が固定されたまま動かなかった。
「転校生、ずっと外見てるな」「何か用事でもあるのかな」と隣の席の男子が囁く。芙美はのぞみの背中に視線を向け、星型のキーホルダーが鞄の縁で揺れる。あの写真の少女が頭に浮かび、「ハンターだから」が重く響く。
放課後の教室は、窓から差し込む薄い光に染まり、静けさが漂っていた。芙美はブレザーを着たまま席に座りぼんやりと物思いにふけっていた。窓の外では冷たい風が木々を揺らし、校庭が薄く曇る。黒板にはチョークの跡が残り、クラスメイトの喧騒が遠ざかる。芙美はノートを開き、シャーペンを手に持つが、首筋に痛みが刺さり、集中できない。あの夜の襲撃が頭をよぎり、赤い目と鉄の匂いが鮮やかに浮かぶ。教室の隅から微かな足音が近づき、芙美が顔を上げると、小笠原廉也がそこに立っていた。少し長めの前髪が揺れ、静かにこちらを見つめる。
「芙美、大丈夫?」
柔和な笑みを湛えた整った顔がそっと近づく。すらりとした姿がブレザーに映え、イヤホンが首から垂れる。
「……うん、ちょっと疲れてるだけ」
芙美は小さく笑い、首筋の傷を隠すように髪をそっと触る。疼きがざわつきを増し、心が微かに波立つ。
「遅くまで残ってたの?」
廉也が柔らかく尋ねると、芙美は目を伏せて首を振る。
「ううん、課題がね……」
机に置いたノートには書きかけの詩が残り、「冬の夜は寂しい」と走り書きされている。窓の外で風が強まり、教室の空気が冷たく沈む。
「一緒に帰ろうか?」
芙美が「……うん」と小さく頷き、二人は校庭へ出る。芙美は赤いマフラーを巻き直し、息が白く曇る。薄く曇った空が校庭を覆い、廉也は紺コートを羽織る。
「風、冷えるね」
廉也の笑顔に夕陽が映り、芙美の胸が微かに締まる。
「……うん、冬の感じがする」
「マフラー巻いてても寒そうだな。手、冷たいだろ?」
彼がそっと手を差し出す。芙美は一瞬迷い、おずおずと指先で触れると、暖かさが静かに伝わる。
「……暖かい」
心が少し軽くなり、傷の疼きが遠のく。廉也の目が一瞬光った気がした。
商店街を歩く。イルミネーションが道に映り、素朴な光が道を照らす。「みかん安いよ」と青果店の店主が呼び込む。冷たい風が人影を揺らし、二人の影が夕陽に滲む。イルミネーションが揺れ、心に微かな安心が灯る。
「じゃあ、また明日」
商店街の角で立ち止まり、廉也が小さく手を振る。
「気を付けて帰ってね」
背中が遠ざかり、紺コートの裾が薄暮に滲む。芙美は一人歩き、心に微かな疼きが戻る。家に着き、部屋に戻り、ブレザーを脱いで机に座る。ノートを開き、傷に触れると痛みが刺す。あの夜の赤い目が頭をよぎり、「何だったんだろう……」と呟く。窓の外を見つめ、冷たい風が木々を揺らし、月が雲に隠れる。心がざわつく。