11月24日(土):14.2
放課後の図書室は、蛍光灯がチカチカと点滅し、微かな唸り音が静寂に響いている。セミロングの柔らかな栗毛を二つ結びにまとめた少女が、机に埋もれるようにノートを広げていた。ブレザーの袖を軽く引っ張って整え、その華奢な体躯は椅子に座ると足が少し浮いている。
窓の外はすでに藍色に染まり、冷たい風がガラスを叩いて微かな音を立てる。机には国語の教科書が置かれ、裏表紙には小さな字で「笹山芙美」と記されている。ノートには細やかで丁寧な字が並び、冬の詩の感想を書き進めていた。「夜は静かで、でも寂しい」――シャーペンを手に持つ指が冷え、暖房の効きが悪い空気が頬を撫でる。窓の外は空が薄く曇り、遠くの校庭で木々が風に軋む音が微かに響いてくる。
詩のページに「冬の夜の静寂は、まるで心の奥に響くようだ」と書き加え、ふと目を上げると、壁の時計が18時50分を指している。
「もうこんな時間……」
慌てて鞄を手に取り、机の端に置いた赤いマフラーをつかむ。母の手編みで、毛糸の温もりが微かに感じられるものだ。鈴付きの携帯を開くと、母からの「夕飯できてるよ」のメールが点滅する。画面のバックライトが暗い部屋で頼りなく光り、返信する余裕もなく鞄を肩に掛ける。
本棚の隙間からは埃の匂いが漂い、窓の外では霧が漂い始める。鞄を肩に掛け、ブレザーの襟を直して図書室を出る。廊下に出ると、蛍光灯が足音に合わせて微かに震え、天井の古びたパネルが軋み音を立てる。
窓の外を見れば、校庭の木々が風に揺れ、霧が影を滲ませている。階段を降りて教室のロッカーに辿り着き、辞書を仕舞う。芙美は小さく息をつく。教室の床には誰かが忘れたルーズリーフが散らばり、学校らしい雑然さが残っている。隣のロッカーから漏れるボールペンのインクの匂いが微かに漂う。
校門に辿り着き、赤いマフラーを巻き直す。膝丈スカートと紺ソックスの隙間から冷気が忍び込み、商店街の遠くの灯りが頼りなく見える。商店街のイルミネーションは素朴で、冬の夜に温かみを添えている。
路地に入ると、舗装されていない地面が冷たく湿り、足音が微かに響く。霧に誰かの足跡が一瞬だけ見えて、風に消えていく。遠くで犬の遠吠えが聞こえ、風がマフラーの端を揺らす。
「何?」
と振り返ろうとした瞬間、首筋に鋭い痛みが走る。
「痛っ……何?」
と叫び、熱と冷たさが混じり合って視界が揺れる。鉄の匂いが鼻をつき、口の中がカラカラに乾く。足が自分のものではないかのように崩れ、可憐な顔が恐怖に歪む。雨粒が頬に触れ、冷たさが意識を遠ざけていく。襲撃者の気配が近くに漂い、黒い影が一瞬だけ霧に映る。
その影の奥で、赤い目が静かに光り、けれど気配が一瞬だけ躊躇うように立ち止まる。目に何か見覚えがあり、光は冷たくもあり、温かくもあるように錯覚する。それを疑問に思う間もなく、首筋から熱が広がり、血がブレザーの襟に滲む。遠くの街灯が一瞬強く光り、意識が暗闇に呑まれていく。霧が地面を覆い、静寂が全てを包んだ。
どれだけ時間が経ったのか、わからない。目が覚めると、見知らぬ少女が立っている。ショートヘアの明るい髪が風に揺れ、黒い手袋の手が星型のキーホルダーを強く握りしめている。女性としては長身な体格が妙に威圧的で、手袋の革が微かに軋む音を立てる。ブレザーを着崩し、スカートを短めにしているその姿は、どこか不良っぽいのに冷たい美しさが漂う。空は晴れ、月が地面を照らしている。
「動くな。お前――噛まれたな」
声は低く、冷たい目が芙美を射抜く。月の光が彼女の顔を照らし、一瞬だけ悲しみが鋭い目つきを柔らかく染めた。首筋を押さえると熱が残り、指先に血が滲み、
「何……?」
と呟く芙美に、少女は首に軽く手をやりながら淡々と続ける。
「1ヶ月後の満月までにそいつを殺さないと、吸血鬼になるよ」
言葉が重く響き、芙美の瞳が揺れる。その手が一瞬だけ震えたように見えて、少女はキーホルダーを弄びながら、
「一ノ瀬のぞみ。また、月曜日に」
と名乗る。踵を返し、足音が夜に響く。のぞみの背中が遠ざかり、影が小さくなる。
芙美は震えながら立ち上がり、携帯を握り潰すように持つ。母からの「早く帰りなさい」のメールが点滅し続け、首の傷を隠してマフラーを巻き直す。月が道を照らし、心臓が激しく鳴る。遠くの商店街からイルミネーションの光が微かに届き、冬の夜が現実に戻していく。
足元が冷たく、膝が震えるが、なんとか歩き出す。路地の端で振り返ると、誰もいない道が広がり、静寂が重くのしかかる。家に着くまで、首筋の疼きと血の匂いが頭から離れない。部屋に戻り、携帯を机に置き、マフラーを外す。鏡に映る傷跡を見つめ、
「……何が起きたの?」
と呟く声が部屋に響く。窓の外で月の光が鋭く揺らぎ、冷たい夜が重く沈む。