合コンに行ったら初恋の幼馴染と再会した話
「あれっ? もしかして蒼大じゃない!?」
「……! まさか、美月か……?」
大学二年生の夏休み。
友人にしつこく誘われ、人数合わせで参加した合コン。
前川蒼大は、目の前で息を呑む飛び抜けた美女に硬直した。
ミルクティーベージュのロングヘアに、長い睫毛に覆われた大きな琥珀色の瞳。整った鼻梁に形の良い桜色の唇。
夏でも日焼けを知らない肌は透明感に溢れ、一点の曇りもなかった。さらにスタイル抜群で手足がすらりと長く、アイドルのような華がある。
子どもの頃から親しかったものの、とあるきっかけで仲をこじらせ、疎遠になってしまった幼馴染。
美月との出会いは、十年前に遡る――――
「はじめまして! 白瀬美月です。今日からよろしくね♡」
小学五年生の夏休み。同じマンションの隣の部屋に引っ越してきた美月と出会った瞬間、一目で恋に落ちた。
彼女は近寄り難いほど綺麗な顔立ちをしているのに、笑顔はとても愛らしく、笑うと向日葵が咲いたようだった。
誇張でなく、美月は誰もが振り向くとびきりの美少女だった。
本人もそれを自覚していてあざとい一面があったが、明るく活発で、男女問わず分け隔てなく接する人懐っこい性格だった。
無愛想な蒼大が素っ気ない態度を取っても全然気にせず、気軽に声を掛けてくる彼女と親しくなるのに時間はかからなかった。
夏休みが明けて美月が転校してくると、『最上級に可愛い美少女が来た!』と瞬く間に噂が広まった。美月に屈託のない笑顔を向けられた男子達は漏れなくノックアウトされ、本人非公認のファンクラブが作成されるほどだった。
だからこそ――取り立てて目立つ要素のない蒼大と美月が頻繁に交流している姿は、自然と注目された。
特に中学に進学してからは反応が顕著で、美月の話題を振られない日はなかった。
「蒼大ってさ、自分から女子と関わらないのに、白瀬さんとだけは仲良いよな。白瀬さんって人当たりいいけど意外にガード堅いじゃん? どうやって距離縮めたん??」
美月に関心を寄せる同性の友人たちに囲まれ、内緒話をする体で肩を組まれることは珍しくなかった。
「普通に接してるだけだけど。下心丸出して近付くから警戒されるんじゃない?」
「ぐはっ! 辛辣! 抉ってくるねぇ~っ」
「美月が嫌がるし、間取り持ってほしいとかそういう話なら無理だから。仲良くなりたいなら自分で頑張って」
「無慈悲っ!! お前それでも友達かっ!? 俺とお前の仲だろ!?」
「同じクラスになって三カ月の仲だな」
花に蜜蜂が吸い寄せられるように、美月は常に男子達の注目の的だった。
誰それに告白された、振ったとかいう噂は当日中に校内を駆け巡った。彼女の前で膝から崩れ落ち、失恋に涙した男たちのエピソードには枚挙に暇がない。
だからあの日――当時中三だった美月の放った何気ない一言に度肝を抜かれた。
「あ~、私も彼氏ほしいなぁ~」
いつものように、蒼大の部屋で図々しくも寛いでいた美月は、一番上等で座り心地の良いクッションを独占し胸に抱き込んでいた。
大きめのビーズクッションの感触を手で楽しみつつ、顎をのせてむむっと唇を引き結ぶ彼女に呆れ、思わず皮肉を言った。
「美月ならいつでも彼氏できるだろ。いないのは理想が高過ぎるんじゃないか?」
「ちょっと! 勝手に決めつけないでくーだーさーいー。告白を断ってるのは、好きな人がいるからです~!」
予想外の返答に面食らった。美月に好きな男がいたこともそうだし、どう考えても恋愛強者の立場にある彼女が想いを告げずに隠していること自体が信じがたかった。
「そんなに好きなら告白すれば。十中八九いけるだろ」
「1%でも振られる可能性があるから怖くて言えないんだよ~。でも奥手な蒼大には複雑な乙女心なんて理解できないよね~♡」
あからさまな挑発にイラっとした。普段なら黙殺して受け流す場面だったが、この時は珍しく反論した。
「そっちこそ勝手に決めつけるなよ。俺だって好きな女くらいいる」
「……え?」
(しまった。失言した)
好奇心で目を輝かせ、絶対にからかってくるだろう。そう身構えたのに、美月は意外にも動揺を見せた。けれどそれは一瞬のことで、ぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「そうなんだ~! へえ~、そっかそっか。ちなみにどんな子?」
「そこまで話すつもりはない」
「え~~~~!? いいじゃんちょっとくらい教えてよ! 可愛い幼馴染のお願いが聞けないのっ?」
「自分で可愛いとか言い始めたら終わりだな」
「客観的事実じゃん! で、実際どうなの? 素直に白状しちゃいなよっ!」
「絶対嫌。この話はもう終わり」
取り付く島も与えず、本棚から本を取り出して座り込み、わざと背を向ける。強制的に会話を中断された美月は、振り向くまでもなくむくれていた。
(機嫌悪くしたな。このまま帰るか?)
触らぬ神に祟りなし、不機嫌な美月に関わることなしだ。彼女が諦めて部屋を出て行くのを待っていたが、次の瞬間、息を呑んだ。
「――まだ話終わってないんだけど。寂しいから無視しないでよ」
「!?」
いつのまにか四つん這いで背後に迫っていた美月に、本を奪われた。彼女はさらに距離を詰め、顔を覗き込んでくる。
「……さっき言ってた好きな子ってさ。実はもう付き合ってたりする?」
「分かってて聞くなよ」
突然の至近距離に動揺したが、どうにか平静を装った。
蒼大は慎重な性格で、恋愛に関してはかなり奥手な部類だ。美月への想いを自覚したところで伝えるつもりはなかったし、今後もその予定はない。
幸いポーカーフェイスは得意な方だ。平然とした顔で冷ややかに告げると、なぜか美月はほっと胸を撫で下ろした。
「よかった~~~~。それならまだチャンスあるよね?」
「なんの」
彼女の発言の意図が読めずに眉根を寄せる。すると、いつになく真剣な表情で彼女がその場に正座する。
「私、好きな人がいるんだよね」
「それはもう聞いた」
「誰だと思う?」
「知らないよ。俺の知り合いなわけ?」
「違うけど」
「じゃあ話振るなよ。相談されてもどうもしてやれないだろ」
「相談なんかするつもりないよ! っていうか蒼大にだけは絶対しない。ていうかできない」
「そうかよ。頼りない幼馴染で悪かったな」
悪態を吐いて立ち上がる。だが、急に手を掴まれて困惑した。
「なあ。今日なんか変だぞ?」
眉根を寄せて見下ろすと、気まずそうに俯き、黙り込む美月。珍しくしおらしい態度に驚いた。何かあったのかと心配になり、彼女の傍らにそっと片膝をついた。
「――美月。悩みがあるならちゃんと聞く。誰にも言わない。だから、一人で抱え込むなよ」
真摯な面持ちで告げ、彼女の肩に掌をのせる。安心させるように優しく力を込めると、美月が顔を上げた。
「……そういうとこだよ」
何かを囁かれたが、あまりに小さな声で聞き漏らしてしまった。もう一度確かめるように眼差しで問いかけると、美月は躊躇いの末、唇を開いた。
「ねえ。……誰だったら嬉しい?」
「ん?」
「だから。私の好きな人!」
勢いに圧されて言葉に詰まる。こちらをじっと見つめる美月の眼差しは熱く、表情も余裕がない。
何も言えずに目を丸くしていると、美月は気を取り直してコホンと咳払いした。
「明日の放課後、三角公園で待ってるから。来るまで待ってるから。絶対来てね? ――その時、私の好きな人教えてあげる」
「!!」
頬を赤く染めた美月はきゅっと唇を結び、勢いよく立ち上がった。そのまま荷物を引っ掴んでバタバタと部屋を出て行き、ほどなくして玄関の閉まる派手な音が響いた。
(は? 今の何? まさか……美月の好きな人って……)
とある可能性に思い至り、痛いほど心臓が脈打った。顔に熱が集まってありえないほど呼吸が浅くなり、その日は夕飯も喉を通らなかった。部屋の灯りを消してベッドに横になってからも、なかなか寝付けなかった。
そして翌日――
朝からそわそわと落ち着きがなかった蒼大は放課後、柄にもなくトイレの姿見で身嗜みをチェックした。
普段と様子の違う蒼大を見た友人たちにつっこまれて詮索されたが、絶対に口を割る気はなかった。適当に煙に巻き、しらっとかわして約束の場所へ向かった。
夕方、公園のベンチに腰掛ける美月の姿を認めた時、緊張が最高潮に達した。
高鳴る胸を押さえ、乾いた喉を唾液で潤してゆっくり彼女に近付く。美月はこちらに気付くと、安堵の色を浮かべた。
「ごめん、待たせた」
「っううん。呼び出したのは私だし。ちゃんと来てくれてよかった」
「約束したんだから当然だろ」
なんでもないやり取り。なのに、彼女はくすっと花が綻ぶような笑みを零した。
「蒼大のそういうとこ、変わらないよね」
「何の話だ?」
「私が引っ越してきたばっかりの時。新しい環境に慣れなくて困っていた私を、何かと気に掛けてくれたでしょ?」
「近所に住んでるし、そんなの普通だろ」
「蒼大にはそうだよね。でも、私には当たり前じゃなかった。本当に心強くて、嬉しかったんだよ」
一旦言葉を切った美月が、明るく笑う。
「いつも無愛想で素っ気ないけど、こっちが困ってる時はすごく優しいの。落ち込んでる時は笑っていてもすぐに見抜いて、心に寄り添ってくれた。口に出さなかったけど、今まで数えきれないくらい蒼大に元気をもらってきたんだよ」
美月は立ち上がり、腹の前で手を重ねるとぴしっと爪先を揃えた。まっすぐにこちらを見据え、意を決したように口を開く。
「あのね。私、ずっと前から――」
「あれ? 美月? こんなところで何してるの」
美月の言葉を掻き消したのは、彼女の女友達だった。ちょうど帰宅途中だった彼女はゆったりした足取りでこちらに歩み寄ってくる。けれど、急にぴたっと足を止めた。
「ああ、美月はもうすぐ転校しちゃうんだもんね。幼馴染くんとは仲良しだったみたいだし、別れが名残惜しいか。邪魔してごめん。残りの時間、たくさん良い思い出作ってね!」
美月の友人が朗らかな笑顔で手を振り、去って行く。蒼大はそれを呆然と見送った。先ほどまでの熱っぽく親密な空気は霧散し、二人の間に重い沈黙が落ちる。
「……美月、転校するのか?」
「っ!」
図星を突かれた美月が、苦しそうに表情を歪ませる。当たり前に隣にいた彼女がもうすぐいなくなる――それが事実であると突きつけられ、胸にとてつもない寂寥感が込み上げた。
(なんでそんな大事なこと黙ってたんだよ……)
半ば無意識に拳を握り締めた。それでも悔しさを顔には出さず、あえて軽い調子で言った。
「言えよ。そういうことはさ。引っ越しの見送りにも行けないだろ?」
「っ違うの。隠してたわけじゃないの! ただ、なかなか言い出せなくて――」
「友達には普通に言えることを、幼馴染の俺には言えなかったわけだ」
乾いた笑みが漏れる。思わず皮肉めいた言い方になり、胸が痛んだ。美月を悲しませたくない。困らせたくなんてないのに、心にもない言葉が口をついて出た。
「ごめん。嫌な言い方した。わざわざ最後の思い出作りのために呼び出してくれたんだろ? 忙しい中、時間作らせて悪かったな。あんまり長く引き留めるのも悪いし、話聞くわ。昨日の件だっけ」
いつもに増して素っ気ない態度を取る蒼大を前に、美月は一瞬、泣きそうな顔で唇を震わせる。けれどすぐに柔らかい笑顔を浮かべ、後ろに手を組んだ。
「……ううん! やっぱりいいや。なんか私の気のせいだったみたい。ごめんね? 大した話じゃなかったからもう忘れて」
「……そうか」
ホッとしたような、残念なような。複雑な気持ちが胸中で混ざり合い、わだかまる。気まずくて、すぐにでもこの場を立ち去りたい衝動を抑えていると、美月がぽつりと呟く。
「でもさ。ひとつだけ教えてよ」
「何?」
「蒼大の好きな人。それって――私の知ってる人?」
真剣な眼差しで問われ、返答に窮する。期待と不安の入り交ざった琥珀色の瞳に射抜かれ、彼女の求める答えが――正解が何か分からず、ひどく戸惑った。
(仮に美月が好きだと言っても、どうにもならない。美月は転校するし、会えなくなればいずれ疎遠になっていく。もし美月の好きな相手が俺の想像通りだったとして、彼女は結局言わなかった。それが答えじゃないのか?)
人を故意に傷付ける言葉を発するのは、途方もない勇気がいる。それが初恋の幼なじみで、密かに守りたいと願い続けてきた相手となれば非常に苦しい選択だった。
(だけど――中途半端な返事で振り回すより、いっそ嫌われても、想いを残さない方がいい)
「美月の知らない人だよ」
穏やかに微笑みながら、残酷な言葉を放った。彼女は瞳を見開き、息を呑んで俯いた。
「そっか。うん、そっかそっか! よーく分かったよっ。正直に答えてくれてありがとう。これで心残りなく転校できそう」
「うん。美月なら新しい学校でもすぐに友達ができるよ」
言外に「俺のことなんてすぐ忘れるだろ」と追い打ちをかけた。殴られる覚悟での発言だったが、顔を上げた美月は瞳を潤ませて気丈に微笑む。
「ありがとう。蒼大と幼馴染になれてほんとによかった。私がいなくなっても元気でいてね!」
最後にとびきりの笑顔を浮かべ、彼女は走り去っていった。口の中に苦いものが広がり、気付けば痛いほど拳を握り締めていた。美月の気持ちから目を背け、踏みにじった罪悪感に押し潰されそうだった。
そして美月と疎遠になり、五年後――――
偶然の再会を果たした二人は、互いの顔を穴が空くほど見つめ合い、無言で相手の出方を待っていた。
(……どうする。この場合、俺から話振っていいのか? それとも関わらない方がいいのか?)
ひどい別れ方をした思い出は消えない罪悪感とともに胸にこびりついている。美月への後ろめたさでまともに顔を見ることができず視線を逸らすと、彼女はふっと笑みを零した。
「え~~~~!! すごい久しぶりだねぇ! 元気だった?」
「……!」
まるであの日のことがなかったかのように、親しかった頃の態度で接する美月に衝撃を受けた。参加者の二人が知人と分かると、同席していた派手な男が興味津々で話に入ってくる。
「え? 嘘、まさかそこ二人知り合い!? ちなみに何つながり?」
「小学生の頃からの幼馴染だよ~! といっても、私が中三の時に引越しちゃったんだけどね。だから実質五年ぶりの再会?」
「まじかー! 美月ちゃんみたいな超絶可愛い子と幼馴染になれるなんて、どんだけ前世で徳積んだんだよ! 蒼大くんて異世界救った元勇者?」
軽いノリで盛り上がった男が、水を得た魚のように話を振ってくる。
「なぁ、もしかして初恋相手、美月ちゃんだったりする?」
「――ごめん。俺、用事思い出したから帰るわ」
「えっ?」
「先に支払い済ませておくから。後はみんなで楽しんで」
淡々と告げて席を立ち、荷物を手に踵を返した。呆気に取られた男が目を丸くし、他の参加者は戸惑った様子で互いを見遣る。
空気を読まずにいきなり抜けたことを申し訳なく思ったが、酒の肴にされるのはごめんだった。
「ありがとぅございましたぁーっ!」
元気な居酒屋店員に見送られ、店を出る。雑居ビルの地下にある店から地上へつながる階段を駆け足で登ると、背後からたたたっと走ってくる音がした。急ぎかと思い邪魔にならないよう端に寄ったが、なぜか足音がぴたっと止まる。
不思議に思って振り向き、呼吸を忘れた。追いかけてきたのは、なんと美月だった。
「捕まえた。蒼大、相変わらず逃げ足はっやっ!」
屈託のない笑顔を向けられ、胸がぎゅっと締め付けられた。何も言えずに黙っていると、あっという間に距離を詰めてきた美月に服の袖を掴まれる。
「あのねぇ。お化けじゃないんだから、顔見た途端逃げ出さなくたってよくない? 美月ちゃん、傷付いちゃったぞ~?」
あざとくこてんと首を傾げて拗ねた空気を出してくる美月。けれど本気で怒っていないことが伝わってきて、少しだけ肩の力が抜けた。
「俺の顔見たくないのは美月の方だろ」
「なんで? 私は、蒼大の顔見たくないなんて思ったこと一度もないよ」
思いのほか優しい声で言われ、ドキッとする。最後にあれほどひどく突き放したというのに、まるで遺恨を感じさせない様子に肩の荷が下りる。
同時に、彼女にとっては完全に過去の出来事で、取るに足りない思い出だったのかと身勝手な寂しさを覚えた。
「何か話したいことでもあるのか?」
「そりゃたくっさんあるよ! あれから五年経つんだよ? 転校先の中学のこととか、高校行ってからの話とか、色々聞いてもらいたいよ。だからよかったら、これから飲み直さない?」
「俺と二人で?」
「他に誰がいるの~。いいじゃんたまには。幼馴染同士、水入らずで話そうよ。こうして再会できたのも、きっと何かのご縁だと思うんだよね♡」
軽い調子で言葉を紡ぐ彼女に小さなため息を吐く。けれど、何気なく視線を落として驚いた。ショルダーバッグの肩紐を握る彼女の華奢な手が、微かに震えていた。
(――……こんなに勇気出して声掛けてくれたのか)
彼女の強さといじらしさに打たれ、気付けば頷いていた。
「いいよ。割り勘でよければ付き合う」
「ふはっ! 元々そのつもりだから全然いいけど。普通こういう時は『俺が出すよ』キラーン! とか言って格好良く決めるところじゃないの?」
「悪いな。親の仕送りを抑えるために節約してるから万年金欠だ」
「ふ~ん? なのに合コンに来ちゃうんだ?」
「皮肉か。別に出会いを求めて来たわけじゃないから」
「うん。どうせ友達にしつこく頼まれて仕方なく参加したんでしょ?」
「なんで知ってんだ」
「――分かるよ。何年一緒にいたと思ってるの」
突然、真剣な面持ちでこちらを見つめる美月。熱っぽい眼差しを注がれてたじろぐと、彼女はにまーっと笑って口元に指を当てた。
「ふふ。ドキッとした?」
「性質の悪い遊びはやめてくれ。心臓に悪い」
「ごめんごめん。蒼大の顔見ると、つい悪戯したくなっちゃうんだよね~♡」
悪戯っぽく笑う美月が若干憎らしく、じとっと白い目を向けた。そのまま二人連れ立って地上に出る。
無数の商業ビルに面している夜の歩道は街灯に照らされ、色とりどりの光に包まれている。
それを受けてほんのり彩られる美月の横顔はとても綺麗で、すれ違う男たちから憧憬の眼差しを集めていた。
(幼馴染でなければ絶対、隣を歩くことなんてなかっただろうな)
妙な感慨に耽りながら適当に飲み直す店を探していると、腕に温もりが触れた。いつのまにか美月が身を寄せてきて、するっと腕に手を絡めていた。
「何のつもり」
「虫除け♡ 一人だとめちゃくちゃ声掛けられるから面倒なんだよね。その点、蒼大がいてくれたらみんな遠慮してくれるから楽で助かるわ~」
「人間ブルドーザーか俺は」
半眼で見下ろしつつ、深いため息を吐く。それでも彼女を振り払うことはせず、望むままにさせてやると、ご機嫌な様子で見上げてきた。
「ふふふ。とびきりの美女と一緒に歩く気分はどう? 優越感感じちゃう?」
「自分でそういうこと言う女だと分かってるから何とも」
「え~!? 何それ可愛げない!!」
「俺に何を求めてるんだ」
ぶーぶー文句を言って抗議する美月を前に、ふっと笑みが零れる。まるで過去にタイムリープしたような気の置けないやり取りが懐かしくて、ただ、それが嬉しかった。
「あっ! 蒼大が笑った! すごいレアじゃんっ」
「は? 幻覚だろ」
「はい~~~!? 今しっかりこの目で見ましたけどー!?」
キャットファイトモードに突入した美月がポカポカと腕を叩いてくる。
その時――
猛スピードで歩道を走る自転車が接近しているのが目に入り、咄嗟に彼女の肩を抱き寄せた。
「っぶないな」
横を掠めて走り去って行く自転車に悪態を吐く。けれど、先ほどまであれほど騒がしかった美月が、猫を借りたように大人しくなっていて首を傾げた。
「腹でも痛いのか? ぐふっ!」
「ほんっとデリカシーないな! そういうことは思っても口に出さないの!」
不意打ちで腹パンを食らわされて手でさすると、美月はいたく憤慨した様子で両腕を組み、顔を背けた。
「余計な一言でせっかくの余韻が台無し!」
「余韻? 何の?」
はっとした美月がこちらを見て頬を染める。どこか躊躇う様子を見せ、ボソッと呟く。
「……だって、昔よりずっと背伸びてるし。歩いてる時の歩幅も変わったし。でも当たり前に歩くペース合わせてくれるとことか、咄嗟に守ってくれるとことか、全然変わってない」
「結局何が言いたいわけ」
「変わった部分にドキッとさせて、変わらない部分にホッとさせる。緩急つけてくるのずるくない? ときめくじゃん」
「!!」
「ふふ。秘儀ときめき返し♡」
「またこのパターンか。もう慣れてきた」
「耐性つくの早すぎじゃない? あーあつまんないなー。もっとときめいてほしかったのにな~」
本気か冗談か分からない態度で笑いながら、通りかかった居酒屋の前で足を止める美月。
「あ! この店よさげじゃない? 飲み放題にしては安いよ!」
「ほんとだな。じゃ、ここにするか。でもあんまり飲み過ぎるなよ」
「大丈夫! お酒には強い方だからさ。もし蒼大が酔っちゃったら私が介助してあげるよ。ふふん。任せなさい!」
仁王立ちでどーん! と胸を張った彼女が鼻歌交じりに店に入って行く。ステップを踏むような足取りの彼女を追い、二人だけの飲み会を楽しんだ――のだが。
帰りにとんでもない展開が待っていた。
「おいっ、マジで起きろ……っ!」
「むにゃむにゃ。生ビール追加でお願いしま~す♡」
「俺は店員じゃない。あーもう、なんでこんなことに……!」
遡ること十分前――
酒に強いと豪語していた美月が、蒼大の制止を振り切って酒を煽り続けた結果、酔って完全に寝落ちするという最悪の事態に陥った。
(今の家なんて知らないし、勝手に荷物を漁るのは抵抗がある。だからってこのまま一人で置いていけない。詰んでるだろ)
美月は蒼大の背中で呑気に寝言を零しつつ、首にぎゅっと巻き付いて離れない。彼女をおんぶして歩いていると、道行く人たちから生温かい目で見守られる。目立つのが苦手な蒼大の羞恥は、今にも限界に達しようとしていた。
(いっそ美月だけホテルに泊まらせるか? でも朝起きた時、見知らぬ場所に一人はビビるよな? 状況説明したいけどもう連絡先知らないから難しいし、メモ残すにしてもホテルの部屋に二人きりはさすがに……)
頭を悩ませた末、苦渋の決断で自宅に連れ帰ることにした。女性を背負った状態で公共交通機関を利用するのは現実的でなく、仕方なく大通りでタクシーを拾う。運転手に確認したところ支払いにクレジットカードが使えたので、あまり現金の手持ちがなかった蒼大はホッとした。
「お客さん、着きましたよ~!」
「ありがとうございました」
おしゃべり好きで人のよさそうな男性運転手に礼を告げ、脱力した美月をどうにか抱え上げる。
自宅のあるアパートのエントランスで近所の住人とすれ違い、訝しげな視線を向けられたがどうしようもなかった。
パンツのポケットを探ってキーケースを取り出し、何とか鍵を開ける。玄関に入って扉を閉めると、どっと疲れが噴き出た。
美月の靴を脱がせ、ベッドに運ぶ。そっと横たえると、彼女は幸せそうな寝顔のまま仰向けで寝息を立て始めた。
(相手が幼馴染とはいえ、五年も会ってなかったんだぞ? いくらなんでも無防備過ぎるだろ)
起きたら説教する気満々で内心悪態を吐く。
今日の美月は、ワンショルダーのぴったりしたサマーニットトップスに、ハイウエストのフレアスカートを纏っている。
昔より女性らしい体つきになった美月の胸が、呼吸に合わせてゆっくり上下する。短いスカートから伸びる生足が艶めかしく目に毒で、すぐに夏用のブランケットで覆い隠した。
とてつもない疲労感を覚えながら手洗いうがいを済ませ、スウェットに着替える。
一人暮らし用のシングルベッドは美月が占領しているため、クッションを座布団代わりにして腰を下ろした。そのままベッドに背をもたれ、足を楽にして片膝を立てる。
(来客があっても泊まりはしないから、予備の寝具はないんだよな。かといって床で寝るのは体が痛くなるし、一晩だけだからこのまま休もう)
膝に腕をのせて枕にし、瞼を閉じる。体の力を抜いて呼吸を深くし、眠る体勢に入った。けれど、真夜中を過ぎても目が冴えて眠れなかった。
(家の中に美月がいる。それだけでこんなに落ち着かない気持ちになる……)
眠っている彼女にどうこうしたいとか、邪な下心はない。ただ、すぐ側で手を伸ばせば触れられる距離に存在していることが不思議で、まだ現実味がなかった。
(もういっそ無理に寝ないで起きとくか)
傍らに置いたスマホを手に取り、画面の明るさを調整する。その時、布擦れの音がしてビクッとした。美月が寝返りを打ったのかと思ったが、長い睫毛をふるふると震わせ、色素の薄い瞳が天井を見上げる。
「あれ……? ここどこ……?」
「やっと目が覚めたか。ここは俺の家だ」
「えっ蒼大……!? なんで? まさか私のことお持ち帰りしちゃった?」
「くだらない冗談を言う元気があるなら今すぐタクシーで帰れ」
「わわわわっ、嘘! 嘘嘘! ほんっとごめん! 店で飲み始めてからの記憶が曖昧だけど、たぶん私がやらかしちゃったんだよね??」
焦った美月が慌ててベッドから飛び降り、床に正座して謝罪する。
「再会早々、迷惑かけてすみませんでしたっ!!」
三つ指をついて深々頭を下げる彼女に、溜飲を下げた。本気で反省しているのが伝わってきて、責める気が削がれる。
「……まあ大変だったけど、迷惑とは思ってないから」
「へっ?」
「でも二度とああいう無茶な飲み方するなよ。他の男が相手だったら無体を働かれてもおかしくない状況だったんだ。自衛のためにちゃんと酒量を弁えろ」
「うん。ほんとにごめん。心配してくれてありがと」
しゅんと肩を落とす美月は明らかに落ち込んでいた。これ以上咎めるのは可哀そうになり、早々に説教モードを終了する。
「……分かればいい。それより喉乾いたろ。水飲むか?」
「! いただきますっ。立たせるの悪いし自分で取りに行ってもいい? 冷蔵庫かな?」
「いい。俺が持ってくるから座ってて」
蒼大は重い腰を上げてリモコンに手を伸ばし、部屋の電気をつけた。キッチンの冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、戻って美月に手渡す。礼を告げた美月はすぐに蓋を開け、水を口に含んだ。
適度に距離を空けて隣に座り、様子を窺っていると、視線に気付いた美月が蠱惑的に微笑む。
「もしかして見惚れちゃった?」
「残念ながらただの健康観察だ。相当飲んでたし具合悪くなってないかの確認」
「あー、はいはい。分かってましたよそういうオチですよね~」
美月は不服げなオーラをまき散らし、不貞腐れたように唇を尖らせる。けれどすぐに表情を和らげ、眉を下げた。
「今日はほんとに迷惑かけちゃってごめんね。信じてもらえるか分からないけど、こんな無茶な飲み方普段は絶対しないから。今日はどうしても――お酒の力を借りても伝えたいことがあったんだ」
「何?」
「中三の時さ。好きな人の話したことがあったの、覚えてる?」
突然核心を突かれドキッとした。無言で頷き肯定すると、美月が胸を撫で下ろす。
「よかった。覚えててくれたんだね」
「うん」
「結局あの時はタイミング悪く話の腰が折れちゃって、言わなかったでしょ? でも蒼大と別れてからそのことをずっと後悔してて。もし再会できたら絶対伝えようって心に決めてたの」
ペットボトルを足元に置き、姿勢を正した美月が神妙な面持ちでこちらを見据える。
「たぶん察してただろうけど、あの日、私は蒼大に告白するつもりだった。蒼大ももしかしたら同じ気持ちでいてくれてるんじゃないかって自惚れてた。でも友達から私が転校する話を聞いた時、蒼大の私を見る目がすごく冷たくなって――突き放されたと感じて、勇気出し切れなくなっちゃった」
美月の言葉が胸を抉る。彼女に合わせる顔がなくて俯くと、美月はそっと頬に手を添えてきた。
「誤解しないでね? 別に責めるつもりはないんだよ。転校の話を先にしなかったのは、遠恋になるって知ったら渋られるかもしれないっていう身勝手な打算があったからで。結果的に蒼大の信頼を裏切ることになって、本当に申し訳なかったと思ってる。悲しい思いさせてごめんね」
驚いて顔を上げた。彼女は何も悪いことをしていない。むしろ怒って詰られてもおかしくないことをした自覚がある。それなのに――
(なんで、そんな優しい目で俺を見れんの)
喉に熱いものがせり上がって言葉に詰まる。美月は微笑んで手を下ろし、柔らかく言った。
「話聞いてくれてありがとう。なんか色々気遣わせちゃって申し訳ない。もう二度と信頼を損なうような真似しないから、仲直りしてくれる? やっぱり蒼大は特別大切な人だからさ。縁が切れちゃうのはすごく寂しいよ」
改まって目の前に手を差し出し、握手を求めてくる美月。彼女の度量の大きさと情の深さに心動かされ、胸に隠していた気持ちを打ち明けた。
「ごめん。謝るのは俺の方だ」
「え?」
「あの時――美月が遠くへ行ってしまうと聞いて冷静でいられなかった。友達に話していることを自分だけ知らされていなかったこともショックで、美月の気持ちを素直に受け取ることができなかった」
あれからずっと罪悪感に囚われて、今も思い出す度に胸が痛む。美月には過去の出来事でも、蒼大にはまだ昨日のことのように感じてつらかった。
「心にもないことをたくさん言って傷付けてごめん。相当気まずかっただろうに、勇気を出して声を掛けてくれてありがとう。こうしてまた美月と会えて、笑い合えて――本当に嬉しい。俺の方こそ仲直りを頼みたい」
自分からも手を差し出し、美月の手を握った。華奢な手は温かく、愛おしさが胸に広がる。
(今ここで伝えなかったら、きっと一生言えない)
蒼大は腹を括り、美月をまっすぐ見つめた。
「実はもうひとつ白状することがある。俺は美月に嘘を吐いた」
「え? 嘘? どんな??」
「俺の好きな人の話。美月の知らない人だって言ったけど、本当は……」
極度の緊張で鼓動が逸るのを感じつつ、勇気を振り絞って言葉の続きを紡ぐ。
「初めて会った時からずっと、美月のことが好きだった」
「!! 嘘……じゃあ私達、両想いだったってこと……?」
「そうなるな」
美月が息を呑み、感極まった様子で口元を手で覆う。
「でも……それならどうしてあの時嘘を吐いたの?」
「それは――」
情けない本音を曝け出すのが怖くて、言い淀む。けれど彼女に対して誠実でありたいと願うから、再び勇気を振り絞って本音を吐露する。
「……美月は誰が見ても魅力的だから。転校先で新しい出会いがあれば、だんだん俺に興味を失って疎遠になっていくのが怖くて言えなかった。……意気地なしでごめん」
あまりに恥ずかしくてまともに目を合わせていられず、視線を落とした。情けないと呆れられるのを覚悟したが、彼女は自然に頷いた。
「そっか。うん、そうだったんだ。なんか色々腑に落ちたよ。言いにくいこと正直に教えてくれてありがとう」
美月に失望されなかったことに、自分でも驚くほど安堵した。肩の力を抜いて楽にすると、美月が躊躇いがちに口を開く。
「あのさ……蒼大は今、付き合ってる人いる?」
「いたら家に上げてない」
「だよね。ちなみに私も浮気してないよ?」
「え?」
「蒼大以外の人、好きになってないよ。って意味。今日の合コンも客寄せパンダ目的で参加を頼まれただけで、すぐに帰るつもりだった」
熱い視線を注がれ、心臓が跳ねる。この先の展開に期待が募り、眼差しで続きを促した。
「漫画みたいに過去はやり直せないけど……未来は変えられるよね。だから今、蒼大の彼女に立候補してもいい? 迷惑じゃなければ、手をぎゅっと握り返してほしい」
一途な眼差しを向けてくる美月。
美月は蒼大との縁を再び繋ぐために勇気を出して声を掛けた。過去の過ちを責めずに許し、変わらぬ想いを伝えてくれる。自分にはない彼女のひたむきさが眩しくて、どうしようもなく心が震えた。
叶ってほしいと願うことさえ烏滸がましくて諦めていた初恋が、時を超えて動き出す。
「……ほんとに俺でいいのか? 美月の記憶が美化されてないか心配だ」
「ふふっ。何言ってるの。蒼大のいいところも悪いところも、ぜ~んぶまとめて好きになったんだから今更だよ♡」
「それに私、諦め悪いから」と美月が続ける。
「1%でも可能性があるなら、一回や二回振られてもしつこくつきまとってまた好きになってもらえるよう頑張っちゃうよ! あ、だめ? これストーカーになっちゃう??」
あわわと焦って手を引っ込めようとする美月に、思わず笑ってしまった。蒼大は美月の手を決して離さず、優しくぎゅっと力をこめた。
「大丈夫。俺も好きだからストーカーにはならないよ」
「えっ?」
「ちゃんと聞こえただろ。何度も言わない」
顔が熱くなり、ひどく照れ臭かった。黙って美月の様子を伺うと、返事を噛み締めていた彼女は突然、ぶわっと涙を溢れさす。
「美月!?」
さすがに動揺し、急いでハンカチを取り出そうとする。しかしスウェットに着替えたことに思い至り、咄嗟に袖で涙を拭った。すると美月が微かに笑って、涙声で言う。
「いいの? お化粧で汚れちゃうよ?」
「いいよ。ていうか泣かせてごめん」
「ん? これ嬉し涙だから大丈夫だよ」
「え?」
「あのねぇ。私がどれだけ長い間片思いしてきたと思ってるの!? 輝かしい青春時代を独り身で過ごした分、責任取ってこれからたっぷり甘やかしてもらうから。覚悟してよね?」
美月が腰を浮かせて距離を詰め、肩にもたれかかってくる。さらに甘えるように上目遣いで見つめられ、心臓が高く跳ねた。必死で平静を装っていると、彼女が期待を込めて言う。
「ねえ。頭撫でで? 優しくお願い♡」
「……分かった」
注文が多いなと思いつつ、言われた通りに彼女の欲求を満たす。しばらく続けると満足したのか、むふーっと息を吐き、美月は体を離した。
「じゃ、まだ夜中だし一緒に寝よっか♡」
「!?」
すっと立ち上がった美月がベッドに乗り上げ、体を横たえる。ちょっと壁際に寄ってポンポンと隣を手で叩き、にっこり笑顔を向けてくる。
まさかの展開だった。
想定外のお誘いに硬直して言葉を失うと、蒼大の思考を察した美月が片眉を吊り上げた。
「あのね。言っとくけど、今のそういう意味じゃないからね?? ちゃんと横にならないと体休まらないから誘ったの!」
「っ分かってるよ」
「ほんと? あやし~なぁ~」
じとっと白い目を向けられ、居たたまれずに視線を逸らした。すると、さらに追い打ちをかけてくる。
「勘違いしないでよ?」
「何度も釘さすなよ。心配しなくても手出さないからさっさと寝ろ」
「そうじゃなくて。……別に、嫌なわけじゃないから」
「え?」
「その、今日再会したばっかりでしょ? 会えなかった時間が長かったし、蒼大との新しい関係を大切に深めていきたいと思ってる」
「……うん」
「まぁ結論としては待ってほしいってことになるんだけどね! そう長くは待たせないから。絶対浮気しないでね?」
「はい」
「ふふ。なんで急にかしこまるの。殊勝過ぎておかし~」
美月が楽しそうに笑って、ほっとした。微妙にむず痒い空気がなくなり、優しい眼差しで彼女を見つめると、琥珀色の双眸がキラキラっと期待で輝いた。
「ということで、今夜は添い寝してくれる?」
「どういう理屈でそうなるか分からないけど、隣で寝ることを添い寝というなら断る」
「も~。なんでそう素っ気ないの! 女の子にモテないよ?」
「モテていいのか?」
「っ、それは困るけど……ちょっと。笑わないでよっもう!」
ベッドから身を乗り出してきた美月にべしっと肩を叩かれ、笑いを噛み殺した。けれど、ベッドに寄りかかった蒼大の首に両腕を回した美月が、非常にあざとい表情で熱っぽく言う。
「せっかく長年の片思いが叶ったのに、別々に寝るのは寂しいなぁ。やっぱり、どうしても……だめ?」
「……っ!!」
どうすれば自分が魅力的に見えるか完璧に把握している美月のことだ。こちらを折れさせるため、故意にやっていることは分かり切っていた。それでも――
(美月のささやかな願いを叶えてやりたい)
長いため息を吐いて理性をフル装備した蒼大は、今夜眠れなくなる覚悟で頷いた。
「じゃ電気消すぞ」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
リモコンを操作して消灯し、ベッドに腰を下ろす。蒼大が体を横たえると、二人分の体重を受け止めたベッドが軋む。仰向けでは美月の肩に触れてしまうため、体を横にしてできるだけベッドの端に寄った。そのまま寝る体勢に入った時、美月が囁いた。
「ねえ。そんなに端っこにいたら落ちちゃうよ。もっとこっちおいでよ」
「いい。幸い寝相は悪くない方だ」
断固お断りして瞼を閉じる。背後から不服げな気配が漂ってきたが、気付かないふりをした。
しかし――
「!?」
突然背中にぴたっと密着してきた美月が、あろうことか腹に手を回してぎゅっと抱き着いてくる。背中に触れる柔らかい感触と甘い香りにビクッとし、かなり焦った。
「何のつもりだ」
「びっくりした? 罰ゲームだよ♡」
「は? 何も悪いことしてないだろ?」
抗議を込めて説明を求めると、悪戯が成功した子どもみたいに笑う美月。
「しました~。可愛い彼女にさみしい思いさせたじゃん。だから罰ゲーム。せいぜい生殺しのまま一晩悶々としたらいいよ♡」
「数年会わないうちにずいぶんいい性格になったな」
「これでも色々あったからね。ガッカリした?」
「別に。そういう美月も新鮮でいいんじゃない?」
「ちょっと。いきなり素直にならないでよ。照れるじゃん……」
さらに腕に力を込めた美月が、肩甲骨の辺りに顔を埋めてくる。
「いい匂い。お日様みたいな優しい香りがする♡」
「!?」
「言ってなかったけどさ。実は私、蒼大の匂いも大好きなんだよね。昔上着借りた時も、蒼大がいない時にこっそり嗅いでたし」
「!?!?」
「ん? ああ、焦った? 大丈夫~♡ ちょっと汗の匂いが混ざってたこともあるけど、全然臭くなかったよ? むしろフェロモン的な魅力が――」
「分かったから。この話題には二度と触れないでほしい」
「え~。しょうがないなぁ」
有無を言わさぬオーラを発すると、美月はくすくす笑ってから口を閉じた。自然と会話が途切れて眠る雰囲気になったが、美月に抱き込まれた状態では到底眠れそうになかった。
翌朝――――
カーテンの隙間から眩い光が差し込む。蒼大をがっちり抱き枕にしていた美月は、とても心地よさそうに口角を上げ、「ん……」と掠れた声を漏らす。
結局完徹した蒼大は、今がチャンスとばかりに彼女の腕から逃れた。同じ姿勢を取り続けていたため、体中が凝っている。できるだけ振動が伝わらないようベッドから下り、傍らに座り込む。
これまで見たことのない美月のあどけない寝顔をしばらく眺めていると、長い睫毛が震え、ゆっくりと瞼が開かれた。
「……おはよう。朝チュンしちゃったね♡」
小悪魔っぽく微笑み、寝起きにきつい冗談を吹っ掛けてくる美月にため息を零す。寝不足と疲労で反論する気力が湧かずに黙殺すると、彼女はにまーっと訳知り顔で口元に指を当てた。
「その様子だと眠れなかったんだ? ふふふ。ご愁傷様♡」
「そう言う美月も目の下に隈できてるけど?」
「!! わ、私だって好きな人と同じベッドに寝て熟睡できるほどメンタルタフネスじゃないよっ!」
思わぬ反撃に遭った美月がぴゃっと起き上がって憤慨する。けれどすぐに眉を下げ、両腕を組んでうるうると瞳を潤ませた。
「ていうかそういうことは気付いても言わないで? ……蒼大の意地悪」
拗ねた声色で責められ、内心焦った。腰を上げて美月の側に座り、機嫌を取りにかかる。
「ごめん。俺が悪かった。どうすれば許す?」
「ん~じゃあまずはこのあと一緒に二度寝しよ。そのあと一旦帰るけど、また待ち合わせしてデートしない? そしたら許す」
「分かった。じゃあ何か美味しいもの奢るわ」
殊勝な態度に驚いたのか、美月は大きな瞳をこれでもかと見開き、前に手をついて詰め寄ってきた。
「金欠なのにいいの?」
「情緒。居酒屋に置き忘れてるぞ」
「だってさぁ。気持ちは嬉しいけど、蒼大に無理して欲しくないよ」
「いいから。バイトしてるし、彼女との初デート代くらいは出せる。柄じゃないのは分かってるけど、少しくらい格好つけさせてよ」
「……! うん。うんうん、分かった!」
嬉しそうにぎゅっと抱き着いてきた美月を両腕で受け止める。背中に手を回して慈しむように撫でると、胸に頬を寄せてきた美月がひょこっと顔を上げた。
「ねえねえ。蒼大もぎゅーってして?」
またも超絶あざと可愛くお願いされ、ぐっと押し黙る。結局美月の頼みに抗えず、言われるまま彼女の細い体を抱き締めた。柔らかそうな髪に顔を寄せると、シャンプーなのか甘い花のような香りがする。
(まさかこんな日が来るなんて思わなかったな)
ひとり感慨に耽っていると、美月が再び顔を上げた。
「蒼大」
「何」
「察してると思うけど。だいだいだ――――い好きだよっ♡♡♡」
「うん、知ってる。俺も美月のこと、すごい好き」
美月の頬に手を添え、額にキスを贈る。突然の彼氏らしい行動に驚き、みるみる赤くなる美月。彼女の珍しい反応にふっと笑みが零れた。
「なんで照れるの。美月の方がよっぽど恥ずかしいことしてるだろ」
「!! わ、私から甘えるのはいいのっ! でも蒼大が自分から触れてくるのには慣れてないし、ドキドキするのはしょーがないじゃん。意地悪言わないでよ」
怒られて「ごめん」と謝ったのに、自然と表情が綻んだ。
美月が隣にいると、長年胸を塞いでいたわだかまりが溶けてなくなり、温かな幸福感に包まれていく。
文句を言いつつも大人しく腕の中におさまっている美月に愛おしさを感じながら、もう一度キスをねだる美月に応え、赤く染まった柔らかな頬に唇を寄せた。
FIN
最後までお読みいただきありがとうございました!
蒼大と美月の恋物語はいかがでしたでしょうか? もし作品をご覧になって「楽しかった」「面白かった」と思っていただけたら……
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近いうちに新作をお届けできればと思いますので、またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。