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一話.夢の世界

 ()が明ける。まだ陽の登らない薄ぼんやりとした空を、翼を羽ばたかせ自由に飛ぶ少女は、何処か幻想的。


 桜色ブロンドの髪が幾筋もの束となり、ふわりと(なび)いていた。冷んやりとした風が全身を包み、火照った体をゆっくりと冷ましてゆく。

 雲一つない晴れ渡った空に始まる、淡い朝焼け。世界は、未だ透明であった。


 これは、一人の少女とその出会いの織り成す、最も新しい冒険譚。



△▼△▼△▼ △▼△


『この世界に招かれたタビビトたちよ。虹の原石たる皆様へ永久(とわ)の祝福を。そして、見つけ出してください。あなただけの希い(ねがい)のノートを。世界はただ無垢に、あなたを待ち望んでいます』


 鼓膜を打つのは、そんなソプラノの少女の声。それと同時に、世界は始まった。



「…うに。のーと?なんだろ。今の声…」


 瞼を開くと、目に飛び込んできたのは白亜の街並み。

 高く広い青空から燦々と、降り注ぐ陽光が白レンガで構成された街を照らす。


「あれ…?涙だ」


 ふと気付くと片目から、一筋の涙がこぼれ落ちていた。

 何故かこぼれた涙をごしごしと拭い、気を取り直して目の前に広がる景観を再び視界に納める。


「…ヨーロッパの町みたい!ファンタジーだあ!」


 雑踏の中で感嘆の声を漏らした彼女の名前は、明里(あかり)桜花(おうか)

 白を基調とするワンピース式のセーラー服を身に纏う、小柄な十三歳の少女だ。


 身長が伸びると見越して買ってもらった、大きめのセーラー服はぶかぶかなままで、童顔も相まって小学生と間違えられることが悩みの普通の少女である。

 そんな桜花が小さな背丈でぐるりと見渡したこの街並みは、物語で語られるような中世西欧風の街に似ていた。


「わあ!あっちにおっきなお城だ。――お姫さまとかも住んでるのかな!ですわって言うのかな」


 広場にある噴水の傍に佇んでいた桜花は、白亜の色をしたおとぎ話のような宮殿を遠くに見つけた。果たしてこの世界にお姫様はいるのだろうか。


「わ!むこうにある壁も大っきい!」


 続けて、遥か遠くに薄っすらと見える街を囲う巨大な城壁が気になった桜花。

 腰までの長さの桜色のツインテールとスカートの裾をひらめかせ、両手を広げてその場をくるくると回った。


「すごいすごーい!広い!…んー?あれは…何だろう?飛んでるお魚さん?水族館みたいできれい…!」


 ふと、踊るように回っていた桜花の動きがピタリと止まる。

 見つけたのは、銀色の魚の群れが空を泳ぐ神秘的な光景。空気をまるで海のようにかき分けて、数十匹の魚がふよふよと飛んでいる。

 手を伸ばしてぴょんぴょんと飛び跳ねるも、その手は届かない。

 明らかに、地球の物理法則とは異なった街。桜花の夢の中なのだろうか。


「遊園地に来たみたい!――でも、どうやって飛んでるんだろ。魔法かな?」


 満面の笑みでこの景色を楽しんだ桜花。

 好奇心にキラキラと輝く色の蜂蜜色の瞳が、今度は周囲を歩く人々に向く。捉えたのは、ちょうど目の前を通りかかる少女の姿。


「こんにちは!猫のお姉さん、私は桜花!四月一日生まれだけど、嘘はつかないよっ。――そのお耳ステキですね!」


 見つけた猫耳の少女に、まるでナンパのように声を掛ける。突然声を掛けられた猫耳の女の子は驚いた様子だ。


「ひゃわっ!――わ、私の耳ですにゃ?」

「うん!その可愛いお耳!もこもこでかわいい。頭から生えてるんだね!触ってもいい!?」


 猫耳の女の子は元気いっぱいな桜花に、たじろぎつつも両耳を手で押さえてはにかんだ。


「あ、ありがとうだにゃす。――でも獣人種の耳や尻尾は敏感だから簡単に触るのはダメにゃ。それに私の耳なんて、ここでは良くある普通の耳だにゃよ」

「そうなのにゃ?…わぁ、ほんとだ。よく見たら他にも動物の耳と…それに尻尾のある人たちがたくさん」


 道行く人々の頭上の耳は犬、猫、リス、狸などなど様々だ。それぞれ尻尾も生えている。

 ちらほらと、動物の耳と尻尾が無い人も歩いている。

 

 多くの種族が賑やかに過ごすこの街は、活気に溢れていた。


「この白の街では、獣人種の色々な種族が集まっているにゃんよ。私は猫人族にゃ。マツリビトの皆様が最初に来るこの街でお出迎えするのにゃ」

「そうなんだ…まつり、びと?」

「はい!タビビトの皆様はこの世界ではマツリビトとも呼ばれているのでにゃす」

「はえ~まつりびと…。わっしょいだにゃ?」

「にゃにゃ!わっしょいわっしょいだにゃよ!皆様でお祭るのにゃ!」


 くすんだ金色の髪と同じ色の猫耳がぴょこぴょこと動く為に、話しつつもそれを追う桜花の目の運動が忙しい。


 それから、ご機嫌に猫人の少女と話した桜花。

 彼女の名前はルカと言うことと、空を泳ぐ魚は空魚(そらうお)と呼ぶこと、この街の南へ進んだ先にはエルフの住む森があることを教えてもらった。


「そうだ。この世界では魔性(ましょう)と呼ばれる、基本的にヒトに仇なす存在もいるにゃ。気をつけるにゃー!」

「うん!色々教えてくれてありがとうー!またねだにゃ!」

「ふふ、はいにゃ。またいつか!」


 先ずは街の人々からこの世界の情報を聞くよう言い含められていた桜花だが、エルフの存在に興味を惹かれてそれをすっぽりと忘れ、街の南門を目指した。


△▼△▼△▼ △▼△


「えっるふ~えっるふ~おみみがっながい~」


 鼻歌を歌いながらてってこ歩く桜花は、桜色のツインテールとをふわふわと揺らす。

 毛先にいくに従ってピンク色が濃くなっているその髪が揺れる様は、桜が舞っているかのよう。

 目的の方向へ一直線に、大通りをまっすぐ南へ進んだ。


 そして、桜花はその背丈の何倍も大きな木造の門を抜けて街の外に出る。

 ニーソックスとローファーに包まれた、華奢だが健康的な両足が大地を踏みしめた。


 街の外へ出ると突如吹いたそよ風が、桜花の髪と草花を踊らせる。


「――ふわああ。すっごく良い風だなぁ…。冒険びより。何だかとっても、わっくわくするね!」


 視線の先には、所々に花々が咲く大草原。どこまでも蒼い空には色とりどりの空魚がカラフルな魚群となって泳ぎ、桃色の兎が空を跳ねる。

 遥か上空では、地球上には存在しないような大きな鳥が、巨大な深緑色のクジラが、悠々自適に飛んでいた。


「空を飛べるのっていいな!わたしも飛びたいなー…」


 思わず足を止めて不思議で幻想的な風景に見惚れる桜花に、背後から軽い衝撃が走る。


「きゃっ」


 悲鳴を上げたのは桜花だったか、背後の存在だったか。よろめいた桜花が振り向くと、そこには桜花より少し小さな体躯の魔女っ子が居た。


 黒のマントに、大きな鍔の黒い魔女帽子、そして水色の髪の少女。ぼんやりとした空気を醸し出すその少女が呆けた様子で桜花を見つめている。


「わ、ごめんなさい!大丈夫?」

「…うん。こちらこそなの。謝罪」


 両手に持った杖を握って、ぺこりと頭を下げた魔女っ子の少女。きょとんとした藤色の瞳が桜花を見る。


「わぁぁああ!可愛いっ!魔女っ子さんだ!可愛いー!好き!」

「ひゃっ」


 魔女の恰好をした見知らぬ少女に抱き着く桜花。小さな体に抱きしめられた少女は為すがままだ。小さな口から「…あった、かい」と呟きがこぼれる。

 少しして、ちょっとだけ体を離した桜花は少女の両肩を両手で掴み語り掛ける。


「ねえ!魔女みたいでかっこいいね!あなたは魔女さんなの?」

「……まだ。でも、これからなるの」


 少女は、むんっと小さく両こぶしを握り締めた。両手に握っていた杖は地面に落ちる。しばしの沈黙。

 いそいそと杖を拾い、気合の入った表情のままで道の先へ進む少女。半身だけ振り向き、小さく片手を振る。


「またね」

「…うん!またねー!」


 てとてとと、そのまま立ち去っていく少女の背中を見つめる桜花。


「魔法…いいな。いいな!」


 未知への好奇心に溢れる桜花。されど、魔法の使い方はさっぱり分からない。

 いくつかのゲームやアニメの呪文を唱えたり、手のひらをかざしたり踊ったりと試してみたが、効果は無いようだ。


「ぴりかぴりらら!れびおさー!あれ?れびおーさだっけ?――むー。魔法を使うにはレベルが足りないのかなあ」


 小首を傾げ片手を見つめるが、何も変化は無い。

 ひとしきり試して気が済んだ桜花は当初の目的を思い出して、草原の中の一本道を踏みしめる。


「晴天だ。すっごく良い天気!――行こう。この道の先が、私を呼んでいる!!私の冒険が始まる!ワクワクするところに、進むのだー!」


 ビシッとポーズを決め、前方を指さして、ご機嫌に歩み始めた。それは、桜花がこの世界に踏み出した最初の一歩。小さな歩幅の一歩だ。

 そんな桜花の背後で舞う数枚の桜の花びら。しかし一瞬のうちに、そよ風に流されていった。



 スキップしながら進む道。草原では何匹か、ウサギに似た耳が生えた丸い綿毛のような生物が転がっている。

 ころころと転がるそれらをぼんやりと眺めつつ歩いていると、ちょうど桜花の視線の高さで舞う、虹色に輝く羽根の蝶を見つけた。


「ふわあ。ちょうちょだ!きらきらだ!待って待ってー!!」


 思わず蝶をトコトコと追いかける。虹色の鱗粉が舞い散って、道しるべのよう。

 右に左に揺れながら飛ぶ蝶に誘われ、草花や動物、幾人の人には目もくれずに通り過ぎる。

 いつの間にか草原を抜けて森林に足を踏み入れたが、桜花は無心に蝶だけを追いかけて行った。


 そして、来た道なんて分からないほど森を進んだ頃。


「お花畑だっ」


 森の中、突如視界が開けた。

 そこにあったのは、色とりどりの花が咲き乱れる花畑。周囲を木々に囲まれた中、ぽつんと咲き誇る花々は静謐さをも感じる。そこは、不自然なほどに美しい花々の楽園。

 花畑の中央には青葉の茂る木が一本佇んでいる。蝶は、いつの間にか視界から消えていた。


「なんだかすっごい場所見つけちゃったなぁ」


 桜花は吸い寄せられるように木に向かって歩く。


「いっぱい歩いたし、ここでひと休みしよっと。光合成だあ!えへへー」


 木の根元までたどり着くと、そのまま仰向けに寝そべってしまう。

 美しい花畑の中、花々を揺らすそよ風が体を撫ぜ心地良い。空には、白い雲がたなびいている。

 やがて桜花は微睡みに襲われ、眠りに落ちていった。


 すやすやと穏やかに眠る姿は、童話の中の一幕のよう。

 無垢な寝顔を、花々に晒していた。


△▼△▼△▼ △▼△


「…ふに」


 ぐっすりと眠った桜花が目を覚ますと、そこは先ほどと同じ花畑の中。

 大きく伸びをして起き上がり、草花の絨毯の上に座る。


「…そういえば、ここはどこだろ。ちょうちょを追いかけてたら、また知らない場所に来ちゃった」


 起き抜けの桜花はぼんやりとしていたが、やがて少しずつ覚醒しておもむろに立ち上がる。


「うーん、そんなこともあるよね。――よっと!…ひぇっ!」


 しかし、起き上がりそのまま足を踏み出した第一歩。地面が抜けた。

 何と、地面が突然消えて穴となり、踏み出した勢いのまま桜花は穴の中に落ちて行ってしまった。


「んにゃあああああああああ!落ちてるっ…落ちてるー!!!」


 寝惚けていた意識は一気にパッチリだ。

 真っ暗な穴の中をその小さな体躯が滑り落ちる。滑らかな穴の中は然程加速することも無く、さりとて止まる気配も無く、ただなすがままに地下へ地下へと導かれる。


 暫くすると、段々と壁がぼんやりと光を発するようになった。

 どうやらこのあたりの壁は、青く発光しているようだ。


「すごい…!きれい!鍾乳洞みたいー!」


 落ち続けるには随分と長く滑っていた桜花には余裕も生まれてきたようで、眼前にした状況を楽しみ始めた。

 相変わらずなすすべは無い為に、光る壁面を眺めつつ滑っていると、先が段々と明るくなってくる。


「きゃーーーっ!!――ひゃっ」


 ようやっと穴から抜け出した桜花は、地面に投げ出される。しばし滞空した後、尻餅をついた。


「いたたた…。おしりがヒリヒリだあ」


 滑り落ちてきた場所。その周囲は鬱蒼と茂る大きな木々に囲まれている。

 それらは見上げるほどの大木で、樹齢数百年は優に超えることを想像させた。その根も当然大きく、桜花の身長を超える高さのものもある。

 近くでは、桜花の身長ほども大きな空魚がまったりと泳いでいる。


「ここは…森?むー。大っきな木がたくさん。てっぺんが見えないや。どっちに行こうかな」


 何処へ向かえば帰れるのか、きょろきょろと辺りを見るも、何処もかしこも茶色や白の樹皮と、青々とした葉っぱの景色。地面には、両手のひらよりも大きな葉っぱも落ちている。


 視線を動かしていると、木々の梢が折り重なる隙間から一本の巨木が見えた。

 その大きさは、天を衝くほどの超弩級。桜花はしばしその威容に飲まれる。

 隙間から覗いている為に部分的にしか見えないが、それでも他の木々と比肩することも無い巨大さだ。


「んに。もっともっと大っきな木だ。すっごい。木なのかな?木だよね?世界樹みたいな感じ…。ん?」


 ふと、巨木に目を奪われていた桜花の耳が、茂みのガサガサと擦れる音を捉えた。

 音の鳴る方向を探ると、揺れているのは背後の茂み。そして、揺れはどんどん大きくなっていく。


 音は更に大きくなり、そこから濃い緑色の肌をした二足歩行の子豚が現れた。

 額からまっすぐ生えた一本の茶色い角と皺の寄った顔、下あごから生えた牙、大きな豚鼻に粗末な腰巻。

 それに名付けるとすれば、子豚鬼が適切だろうか。背丈は桜花の頭二つ分ほど小さいものの、ゴツゴツとした体に恐怖を覚え立ちすくむ。


「グギャ」

「んにゃっ」


 土を鳴らし一歩一歩、子豚鬼が桜花に近づく。右手に持った、あちこちに刃こぼれをしている小剣が威圧感を底上げしていた。小剣は桜花の腕ほどの長さもある。

 唸り声を上げながら、じりじりと桜花の側まで近づいた子豚鬼は小剣を構えた。


「うっひゃああああああ!」


 弾かれたように足が動いた桜花は、そのまま後ろを振り向き全力で逃げ出した。

 あちこちに投げ出された木の根を超えて、避けて、舗装なんてされていない道なき道を足をもつれさせながらも必死に走る。

 肩越しに後ろを見ると、子豚鬼は嗜虐的に笑いつつも追ってきている。


 子豚鬼はつかず離れず一定の速度で桜花を追いかけていた。獲物を弱らせ追い詰めるようなその様子はまさに狩人だ。


「ゆるして…!たすけてぇ!んにゃああああああ!!」


 心臓は激しく脈打ち、呼吸は荒く苦しい。それでも捕まるわけにもいかず、足を止めることは許されない。全身を使ってひた走る、桜花の両目からは涙が溢れていた。

 逃げる桜花は幾度も木々の間を抜け、いつの間にか前方に見えるのはなだらかな傾斜の丘。否、坂の上まで登ると、丘と思った先は大峡谷だった。


 峡谷で轟々と唸る風音が喧しい。底の見えない深い崖が桜花を見つめ返す。

 向こう岸まではひたすらに遠く、桜花が百歩走ったとしても届かないような距離。謂わゆる崖っぷちの状況だ。

 ザリ、と靴が地面を擦る音が耳に残る。


「あう…」


 逡巡している間に、子豚鬼は退路を断つようにすぐそこまで迫ってきていた。この状況を狙っていたのだろう。ジリジリと距離を詰めてきている。

 舌なめずりをする表情に浮かぶニタリと邪悪な笑み。いっそのこと崖から落ちてしまうのが良いのか、悩ましい。

 しかし、ちらりと崖下に視線を向けると、無事で済むとは思えない。それはナシだ。


 気付けば子豚鬼は、追い詰めた桜花の眼前にいる。疲労と恐怖で桜花の両脚は小刻みに震えていた。

 そこから動けない桜花を後目に、子豚鬼は思い切り小剣を振りかぶる。胸元をぎゅっと握りしめる桜花。


 振り上げた小剣は少しの溜めの後、桜花の肩を目掛けて振り下ろされた。あちこち錆びて刃こぼれした刃が鈍く光る。

 桜花の目にはその全てがスローモーションに見えるが、体が動かない。

 いくら鈍らの小剣とはいえ、その筋肉質な体の膂力から発された勢いに当たれば、無事で済むとは思えない。

 綺麗な双眸にじわりと涙が浮かぶ。


 桜花が窮地に晒されたその時。


『あぶないっ!』


 何処からか少女の声が聞こえた気がした。瞬間、桜花の脳裏に浮かぶ誰かの笑顔と涙。弾けたように足は土を蹴り、真横に跳び頭から地面を転がる。間一髪、小剣を避けた。


「ひぇあああ!!――そうだ…!私は、生きて!お家に帰らなきゃ、なんだ!ひゃあ!」


 それでも窮地を脱した訳ではなく、返す刀で二閃、三閃と再び切り付けてきたが、桜花は危うげながらも何とか避ける。悲鳴と共に避ける。避ける。

 小剣の閃きは、桜色の髪の一房すら捉えることなく空振り続けた。

 なかなか当たらず、子豚鬼が焦れた様子で切りかかる反面、何度も避けるうちに桜花には余裕が出てきたようだ。


「おっにさん!こっちらっ!ひゃあああああ!!」


 思わず煽るような言葉をかけて火に油を注ぐと、子豚鬼の顔が怒りに染まり勢いは苛烈になる。それでも桜花は、幾度もの剣戟を避け続ける。

 掠りもしない状況に痺れを切らした子豚鬼の剣劇は、段々と大降りになっていった。


「ギャ!ギャギャ!ギャッ!」

「…ひゃっ!よっ!ほっ!やっ!」


 躱し続ける桜花。段々と互いの位置関係が移り変わり、そして、とうとう躱された慣性でバランスを崩した子豚鬼の体は、崖際まで来てしまう。

 勢い付いたまま、子豚鬼は片足が崖の宙に浮き、もう片方の足のみで下へ落ちないように踏ん張る体制となった。

 踏ん張る子豚鬼を見つめる桜花。こわごわと両手を前に出す。


「ど、どりゃあっ」


 崖際でふらつくその姿を好機と見た桜花は、その背中を押した。両手に堅いものを押した衝撃と生ぬるい体温が伝わる。

 一瞬の間、宙を浮く子豚鬼と押した体制で固まる桜花の、互いの視線が交錯し、そして子豚鬼は真っすぐ深い崖を落ちていった。

 子豚鬼の発する悲鳴が遠ざかってゆく。


「………」


 危機は、脱した。崖下まで落下した子豚鬼がこの場所まで戻ってくることは無いだろう。

 へなへなと両足の力が抜けてお尻から地面にへたり込み、そして若草色の眦が潤み始める。


「ふぇ…うぇっ!ぅぇぇええええん!ごわがっだぁああ…」


 今になって思い出した恐怖と、安堵と、両手に残る背中を押した感触。ごちゃ混ぜになった感情が涙として発露し溢れ出す。幼児のような号泣が止まらない。

 頬から零れ落ちる透明な水滴は地面を濡らし、泣き声は空に吸い込まれていった。



 一頻り涙を流した桜花は、ごしごしと目を擦る。いつの間にか、空は夕焼け色に染まっていた。地面に手をついてゆっくりと立ち上がる。

 崖から少し下がった位置で、徐に空を見つめて呆けていると、森の中から声が聞こえてきた。


「おねえちゃーーん!」


 幼い少女の声が桜花を呼ぶ。森の中から、小さな影が駆け足で近付いてきた。

 赤い毛玉に見えるそれは、紅い毛並みの小さな狐だ。


「おねえちゃんっ」

「っんにゃ!」


 紅い小狐が何処からか現れて、桜花に飛びついた。軽い衝撃が走って、もこもこの毛皮が胸元に埋まる。小さなその体躯を抱き抱える桜花。

 その声は、先ほど子豚鬼から襲われる桜花に、危険を報せた声だ。


「おねえちゃん、やわらかい。…さっきは大丈夫だった?」


 くりくりとした瞳で桜花を真っ直ぐに見つめ、甘えてくる小狐を自然と動いた手で優しく撫でると、心地よさげな表情を浮かべる。

 しっとりもこもこの毛並みと、すりすりと擦り付けてくる頭の感触が心地良い。


 ひとしきり甘えた小狐は、ぴょんと桜花から離れて地面に戻った。


「おねえちゃん、あっちの木にわたしたちが入れそうな穴を見つけたよ。暗くなってきたから、そこに隠れるのがいいかも。行く?」


 前脚で差し示す森の中は、やはり巨木が並んでいていて鬱蒼としている。夕暮れ闇も相まって、立ち入るには少々の勇気が必要になりそうだ。


「…うん、行こうか。ありがとう!」


 しかし桜花は小狐に連れられ足を踏み出して森の中へ進む。崖際に落ちていた子豚鬼の小剣を、戦利品とばかりに拾って片手に握り、鋪装のない道をローファーの靴底で踏み締め追いかけた。


「……おねえちゃん。大丈夫?疲れてるみたい。わたしがおんぶ出来たら良かったんだけど…」

「ううん、助けてくれてとっても嬉しいよ」


 先導する小狐が、その背を示すようにふりふりと揺する。

 歩いて、逃げて、その上戦闘まで経験して、疲労の蓄積した桜花の瞼は半分閉じ、両脚の膝はプルプル震えていた。

 小狐は何度も気遣わしげに桜花の様子を伺うが、それでも一人と一匹は大地の上を歩く。


「そういえば、あなたのお名前はなんていうの?私の名前は桜花だよ!」


 桜花の問いに小狐の尻尾がピンと硬直して立つも、すぐにしぼむ。


「…わたしの名前は、無いよ。だから、おねえちゃんが名前を付けてくれたらうれしいな」


 消え入るような声で答えが返ってきた。前を往くその表情は見えない。


「そっかあ。ふむむ。……それなら、あなたの名前は紅葉だね。紅い葉っぱと書いて、くれは!」

「くれ、は?」


 ピタリと小狐の足が止まる。


「うん。あなたは、紅葉」

「お、おねえちゃん…。もしかして、気付いてる?えっと…」


 おそるおそると振り向いて見る紅葉に、笑いかける桜花。


「何となく、そうじゃないかなって。あなたは私の妹の紅葉。合ってる?」

「…う、うん!うん!!あってる!」


 目が潤み、それからぽろぽろと、紅葉の双眸から涙が溢れる。駆け寄る紅葉を抱き止める桜花。


「おねえちゃん…。わたし、ずっとずっと幽霊で、おねえちゃんに憑いてたから…。信じてもらえないかも、怖がられちゃうかもって思って…」


 涙が決壊したまま拙い言葉で想いを伝える紅葉に、静かに相槌を打つ桜花。


「ずっと、一緒にいてくれたんだね。ありがとう、紅葉」


 桜花のその言葉を最後に、紅葉は桜花の胸に顔を埋めた。


△▼△▼△▼ △▼△


「おねえちゃん!こっちだよー!」


 再び歩を進めた紅葉の尻尾はフリフリと揺れている。その足取りは跳ねているようだ。


「着いたよ!」

「んに、ここが」

「うん。わた、くれはの四本足じゃ登れなさそうな良い場所なんだ。だから夜も安全かなって思って」


 夕闇が落ち薄暗くなった頃、たどり着いたのは一本の木。高いところに空いている洞は、ちょうど桜花の体が入るくらいだ。


 紅葉へ肩に乗るよう促して、するすると軽快に木登りをする。片手に握る小剣に苦労しながらも、慣れた動きで木の洞に辿り着いた。


「中は真っ暗だね。何も見えないや」

「うーん、ちょっと待っててね。クォンクオォン」


 ぴょんと器用に洞の縁に跳び降りた紅葉は、鳴き声を使い呪文のようなものを詠唱する。

 すると桜花の目の前には、赤く光り輝く拳大の魔法陣が映った。紅葉が最後に「ふぁいあ!」と唱えると魔法陣が弾ける。


「わああ!何これ!魔法!?すっごい!」

「うん。なんかね、使えるみたい。温度も調節出来るんだっ」


 彼女たちの目の前には、ランタンほどの大きさの火球が灯った。人肌程度の温度でやけどの心配も無さそうだ。

 仄かに照らされた洞に潜り込むと、内部は一段下がっていて、奥に座ると木の下からは見えないような構造になっている。

 疲れ切った桜花は背後の木の壁を背もたれに三角座りになると、紅葉を抱き寄せた。


 洞の中から見上げると、木々の緑の隙間から夜空が覗く。

 人々の暮らす灯の無い世界。隙間から見えるその空は、紫紺の月が煌めき星々が瞬いていた。


「紅葉。ううん。くーちゃん。もこもこでふかふかで気持ちいい。…もこふかだ」

「くーちゃん…えへ。おねえちゃんも。ほっぺもふにふにですき」


 静寂の世界。桜花と紅葉を隠す闇は優しい。


「ここまで案内してくれてありがとう。それに、一人で寝るのは寂しいから、くーちゃんがいてくれて嬉しい。助けられちゃったね」

「ううん、役に立ててうれしい。それに、くれはだって気付いてくれたのもすっごくうれしくて」


 ぎゅっと抱きしめる紅葉の体温は高く、心も暖まる。


「私も、くーちゃんにまた会えてとっても嬉しいよ。今度こそ、くーちゃんとずっと一緒にいて、絶対に守るからね」


 優しく紅葉の毛並みを撫でる桜花。


「おねえちゃんとずっと一緒?夢みたい」

「もちろんだよ!えへへ。夢みたいな場所だね、ここ」

「うん!おねえちゃん、だいすき!」


 ぐりぐりと、桜花のお腹に額を擦り付ける紅葉。この世界で、再び出会えたのはまさしく夢のように感じる。

 そして再びの静寂。


「……そういえば紅葉。さっきの火を出した魔法、どうやったの?もっかい見せて!」

「何でか分からないけど、使えたの。やってみるね」


 紅葉がむにゃむにゃと呪文を唱えると、先程と同様に魔法陣が発動して火が灯る。


「すごいすごーい!もっかい!」

「うん!」


 桜花の瞳がキラキラと輝く。桜花が落ち着くまで何度もせがまれたものの、楽しそうに応える紅葉。その様はまさに仲の良い姉妹。

 夜闇は桜花たちを、優しく包み込んでくれている。そして桜花は紅葉を抱きしめたまま眠りに誘われ、この不思議な世界の初日を終えるのであった。


「――おやすみなさい。わたしもおねえちゃんを守るから。だから、くれはが消えちゃう時まで、ずっと一緒にいてね」

 エルフはロマン。空魚の味が私、気になります。

 桜花ちゃんのこれからの冒険に幸あれ。

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