ゲームのシナリオが進まないからと殺されかけました
「アティーシャ。これ……」
婚約者のブラッドさまの別荘には綺麗な湖畔があり、避暑には最適だからと誘われて観光も兼ねてきたのだが、この湖畔を見るだけでも来てよかったと思われる。そんな光景に見とれていたらブラッド様は近くに咲いていた朝露で濡れている可憐な花をそっと摘んで差し出してくれる。
「ありがとうございます!!」
綺麗な淡い青の花はまるでブラッドさまの瞳の色の様で綺麗だなと思って微笑んでいると、ポンッと周りに咲いていた青い花がたくさん増える。
「あっ……」
ブラッドさまは感情が高ぶると魔力が暴走して植物が異常成長する。とても平和な暴走だ。
「ごめん……」
「なんで謝るんですか? お花が増えて嬉しいですよ」
畑などでお花が大量発生していたら困っただろうけど、ブラッドさまの暴走はその場で植えられている植物だけなのでその場合は野菜が豊作になって助かると評判だ。
そんな魔力暴走は切り取ったばかりの花でも有効のようで茎が伸びているのが見える。
(かんざしみたい……)
前世お土産屋さんか時代劇でしか見たことないけどそんな事を思いながら受け取った花を眺めていると、
「この花を……アティーシャの髪に飾っても……」
おずおずと不安げにブラッドさまが尋ねられるので、
「飾ってくれるんですかっ!! ありがとうございます!!」
気後れしているブラッド様に気付かないふりをして喜んで髪の毛に差しやすいように頭を下げる。丁度かんざしの事を考えていたので以心伝心だなと嬉しく思ってしまう。
わたくしの真っ赤な髪の中に淡い青の花は浮いてしまうのではないかと思ったけど、水に映った姿を確認すると逆にそれが引き立てているような感じで猫の目の様にきつい感じのすると言われる顔立ちが少し和らいだ気がする。
「ブラッドさまの色を纏っているんですね」
嬉しくてついついそんなことを呟くと、ブラッドさまが顔を赤らめてまた魔力暴走させてお花を増やしていく。
この魔力暴走は喜んでくれているんだろうか。だとしたら嬉しいのだがと何度も何度も水に映った自分の姿を確認していてしまう。
「アティーシャ……」
「はい」
「あの……今は花だけしか用意できないけど、そのうち、僕の色の装飾品を用意するから……」
その時はと恥ずかしげに緊張した面持ちで告げてくるので、
「はいっ。楽しみにしています!!」
勢いよく返事をすると日頃教えられた淑女らしさを投げ捨ててしまっていたのに気づいて恥ずかしくなる。
そんなわたくしを見て、ブラッドさまは優しい笑みを浮かべてくれていた。
「ブラッドさま~!!」
誰かがブラッドさまの名を呼んでいるのが聞こえる。
「何だろう? 少し行ってくるね……」
ごめんなさいと頭を下げて声の元に向かって行くブラッドさまの後ろ姿を見送ってからまた水に映った髪に飾られた花を見てふふっと声を漏らすと水鏡に知らない女の子が映し出される。
「……?」
誰だろう? メイドではなさそうだし、わたくしと同じくらいかそれよりも大きい感じの女の子……。
どんっ
疑問を抱く暇もなく、いきなり後ろから押されて、水の中に落ちていく。
「さっさと退場よ。シナリオが進まないでしょう」
不気味な事を言う鈴のような軽やかな声が水の中に沈んでいって聞こえないはずなのに耳に届いた。
必死に浮かぼうとするが、ドレスが水を吸い込んでどんどん重くなり、袖が絡まってきて腕が思うように動かない。
ああ、死ぬんだ。
(死にたくないな……)
だって、死んだら。
目の前が真っ暗になる。
何も見えず力が弱まってくる。
死ぬんだと思った。
『――へぇ~。魔王ブラッドって、婚約者を見殺しにしてしまって闇堕ちって設定なんだ~』
カラスのような黒髪の少女が見たこともない……いや何処かで見たことがある本を開いている。
いや、本? 何で本だと思ったんだろうか。わたくしの知っている本は装飾がしっかりされていて、表紙が革や布で作られている。この少女の格好は見たことないが、貴族とか富める者でなければ本は貴重で……。
あっ、違う。
彼女は……。
ぱらっ
ページをめくる音。彼女の後ろからそっと覗き込むと真っ白な髪で淡い青の目のブラッドさまの絵が描かれている。
『闇堕ち前とカラーリング違うんだ~!!』
元のページをめくるとそこには真っ黒な髪だが確かにブラッドさまの面影のある青年の絵……。
(前世の記憶だ……)
前世嵌っていた乙女ゲーム【虹のひとかけら】という作品で、つい設定集も買っていた。その設定集で隠しキャラに魔王ブラッドというのがいて……。
魔王ブラッド……。
(ブラッドさま!?)
カッと目を大きく見開く。その際目に水が入ってかなり痛かったが、こうしてはいられないという事実に気付く。
前世の記憶によると設定集では婚約者を見殺しにしてとあった。今わたくしは溺れていて、死にかけている時点でその設定はおかしい。それに。
『シナリオが進まないでしょう』
と言われて背中を押されたのだ。
見殺しではない、誰かに突き落とされたのだ。
(このままではブラッドさまが……)
何とかしないと……。だけど、ドレスが重く浮かぼうとするのを邪魔をする。このドレスが脱げればと思うのだが、侍女が着せてくれてやっと着れたドレスだ。一人で脱げない。
(ブラッドさま!!)
必死に手を伸ばす。届かないと分かっていても諦めたくなかった。だって、諦めたらこの後ブラッドさまは……。
――アティーシャ!!
ふと強く呼ばれたと思ったら髪に飾っていた花の茎が伸びていくのが見えた――。
さて、結論から言うとわたくしは無事だった。
ブラッドさまが魔力で急激に育てた植物を操って助けてくれたのだ。
「よかった。アティーシャをまた失わなくて……」
ぼろぼろと涙を流しながら抱きしめてくれるブラッドさまの手は震えていた。
「ブラッドさま……。って!? 服が濡れて……」
濡れたわたくしを抱きしめてブラッドさまも濡れてしまうと慌ててしまうとブラッドさまはますます抱きしめて、
「君の方が濡れているから気にしないで」
とよく分からない言い訳を言われてしまう。
「あ、あの……」
恥ずかしくて何とかしてもらいたいと何かいい方法がないかと考えて、顔を赤らめている状況でふと思い出す。
「わたくしを突き落とした少女は……?」
どうなったのかと思いだすと同時にブラッドさまが怒りで表情を歪めて視線を向ける。
「離してっ!! 私は元のシナリオに戻さないといけないのよっ!! 何で捕まらないといけないのよっ!!」
必死に暴れる少女の姿はどこか見た事あるような気がして首を傾げる。先ほど突き落とされた時ではなく別の場所で……。
ぱらっ
ふと前世のわたくしが設定集を開いている光景を思い出した。最初のページに描かれていたイラスト。キャラ設定に載っていたゲームヒロインを幼くしたような姿がそこにあったのだ。
(なんでゲームヒロインが?)
「全然死なないからシナリオ修正しないといけないからわざわざ来たのに何でこんなことするのよっ!!」
確かゲームヒロインは魔王復活の時に聖女に選ばれて攻略キャラと旅をするんだった気が……。でも、シナリオ通りならブラッドさまは魔王になってしまう。それをわたくしは阻止したい。
「連れて行け」
ブラッドさまが命じると彼女を捕らえていた部下が抵抗する彼女を無理やり連れて行く。
「よかった。今度は防げた」
ブラッドさまは嬉しそうに告げた。
「何度も何度も君を失う夢のような何かを見続けていたんだ。でも」
ブラッドさまは嬉しそうに、
「もう――あの悪夢は終わりだ」
と告げるが意味は分からない。いや、もしかして、
(ゲームの世界では何度も何度もエンディングを迎えて、スタートに戻っていたけどそれを体感したとか……まさかね……)
真実は分からない。でも、死ななくてよかった。ブラッドさまが闇落ちしなくてと同じように微笑んだのだった。