#1
ーーーはずだった。
なんの冗談か、神のボケか、運命か。
私は幼少期の頃まで逆戻りしていた。
「ねえさま」
後を追ってくる天使。いや弟だ。
そうだった。まだこの頃はアレクに懐かれていた。
懐かれていたというよりも、アレクなりに母を亡くし、味方が欲しかったのかもしれない。本能的にレイディアに好かれようとしていたように思える。
まだ幼いアレクに私はお前のせいで…だなんて思っていたな。と思い返していた。
アレクに罪などない。誰も悪くなどない。
カップの水が溢れただけのこと。器以上に欲しがったため、手に入らない憤りを最悪な形で発散したこと。
幼くなっても残っている記憶がレイディアに落ち着きと、謎の第三者視点で考える物事を教えてくれた。
嫌う必要なんてない。
たった一人、後に二人になるが血のつながった姉弟じゃないか。
私は私のやれることを、多くを望まず、出来のいい弟たちのサポートができるくらいの姉を目標にできれば良いのではないだろうか。
レイディアのスッキリした考えは、ついてくる弟に手を差し出すことで確固たるものとなった。
「皇女様!いけません。そのように優しく手を取っては」
声を掛けたのはレイディア付きの侍女だった。
ーーーアレクサンドリア様は皇女様の敵となるお方、決して情けや弱味を見せてはなりません。
ーーー皇女様の方が貴いのです。
レイディアとアレクの周りにワラワラと侍女が集まってきた。嫌悪を感じ取ったアレクはレイディアから手を離そうとする。
そうか、私は知らぬ間に刷り込まれていたのかもしれない。
貴族たちの傀儡になるよう、敵対した方が扱いやすいとこんな幼い頃から…。
「だれに意見している」
幼いレイディアの声が静かな廊下に響いた。
陽の光に照らされた赤髪が燃えるように揺れる。タンザナイトの瞳が冷たく青味を帯びて侍女たちが息を飲んだ。
「わ、私はレイディア皇女様のことを想い……失礼いたしました。恐れ多いことを申しました。」
侍女が立ち去った後、アレクの手を引きレイディアは口を開いた。
「私はお前が嫌いではない」
アレクの表情は分からない。
「お前は将来この国を担う王となる存在だ」
黙ってレイディアの言うことを聞いている。レイディアの三つ下のアレクはまだ齢四才だ、レイディアの言っている意味が分からないのは無理もない。
それでもレイディアは伝えようとした。
「お前は私より要領も良く、器用で、立派な王になるだろう」
「・・・」
「舐められてはいけない。お前の美しい見た目は武器になる、勉学に励め。周りの人間の言葉の裏を読むことができるように。まだ幼いが、お前は馬鹿ではないだろう?」
この日から、アレクがレイディアの後ろをついてくることは無くなった。
レイディアは子どもの割に大人しく、冷めた表情で周りから気味悪がられた。
「レイディア皇女様はまたあんな難しい本を読んで」
「理解なんてできませんわ、まだ十歳の子どもですもの」
「好きにさせましょう、また見せしめに何をされるか分かりませんわ」
結局あの時、あの場にいた侍女たちには暇を出した。
前のレイディアならそのお喋りな口を裂いて、耳障りだと言って舌を切っていたかもしれない。
こうして陰口を言っている侍女たちも同様に処罰していただろう。
レイディアは溜息を吐き、分厚い本を閉じる。
窓の外に目を向ければアレクが剣の稽古をしていた。目は合わない。あれからずっと話していない。
三年も経つとアレクは七才の少年…にしては表情や体付きが大人びていた。幼少期は天使と見紛うほど可憐だったが、筋肉も付き、誰もが納得する美少年へと変貌を遂げている。
勉学も問題なく、下の者を気遣う心も持っているというまさに完璧な弟になった。
レイディアはと言うと、家庭教師を辞めさせ一日中本を読み口数も少ないことから早々に見捨てられていた。
逆戻りしているレイディアにとって、もう一度勉強する意味が無いので断っただけなのだが、それが消極的に捉えられてしまったらしい。
陛下は最愛だった妻の身投げを止められず、目の前でなくした喪失感からか仕事にのめり込み、私には興味がないようで好き勝手できている現状だ。
そろそろだろう、ノアが生まれるのは。
アレクの母親はこの国の侯爵家の生まれだったが、私の母の死と一緒に内々で揉み消された。
それでも貴族間では皇室に疑いの目があり、そこで外国からノアの母親を娶ったのだ。帝国をより強固にするため、和平条約を結ぶために。
それもアレクの傷で帝国に有利に働くことになるのだが。
そう思い返してふと、引っかかった。
アレクの傷は何故できたんだ?
ーーー皇室主催のパーティーでのことだった。
ーーー犯人はノアの母親の国ユレイユ国出身の暗殺者だった。
ーーーノアの母親を、愛している!と叫ぶ異端者だった。その異端者は拷問する前に自殺し、詳細は目撃者の内容が真実として片付けられた。
アレクは顔に酷い傷を負ったが、狙いが命ならありえない。
得をするのは誰だ。
ノアの母親は人質としてこの国に滞在するが、ユレイユ国からは賠償金として膨大な土地と傘下に降ることが決定した。
一つの仮説にゾッとする。
…陛下の策略ではないか?
ユレイユ国を和平ではなく上下関係に用いる手段のため、実の息子にユレイユ国の暗殺者を差し向けたのではないのか。
ノアが生まれ、皇室主催のパーティーが開催されるまであと数ヶ月。
姉として、弟が傷つけられないか不安が募った。
眉から目を通り頬にかけての切り傷、左目は失明し痛々しい痕が残ることになる。
出来のいい弟にそんな傷は付けられない。
この出来事が陛下の真意なのかは定かではないが、不可解で痛ましい事件であることは間違いない。
レイディアはその真意を探るため、ある覚悟を胸に皇室主催パーティーの日を迎えた。