第9話 辺境のまちホクキオ4 眠りについて
エリザティエラさんの露店を後にして、手紙屋まで歩くこと数分。いや、この世界の時間でいうと十数分くらいになるのか。
ともかく手紙屋まで来てみたのだが、すでに閉まっていた。無理もない。もう夜だ。遅すぎたんだ。
飼われたり売られたりしていると思われる伝書鳩のような鳥たちも、籠の中で静かになって動かない。
小さな木箱が壁面に設置されていて、この木箱のポストにメッセージを入れておけば、翌日以降に届けてもらえるみたいだ。
とはいえ、僕は今、誰かに手紙を届けたいわけではない。
案内所で出会った貴族のお兄さんが、ここで辞書を無料配布していると言うから来たというのに。
開店していない手紙屋に、今は用など無いのだ。
もはや、今日のうちに出来ることもないので、眠ろうかと思った。しかし、思い出してみると、ウィネさんが袋の中に残していた紙に、あの宿泊所は何らかの手続きをしないと使えないと書いてあった。そして、その手続きのやり方がわからないときた。
要するに宿が無い。
そのことに頭が回らなかった自分のことを、もっと嫌いになった。
★
僕の足は、さきほどの露店、『エリザティエラ』に向いた。
人通りのほとんど無くなった石畳の道を歩いて行く。
優しくされたかったのかもしれない。
少し接しただけでも確かに感じたのは、温かさ、柔らかさ、穏やかさ。きっと彼女なら、僕が抱えている宿の問題も何らかの方法で解決してくれるのではと期待したのだ。
「あの、エリザティエラさん」
彼女の小さな背中に語り掛けると、すぐに振り向いてくれた。
「あっ、すみません、今日は、もう終わりで――ってあら、さっきの人……。もしかして、ラピッドラビットドッグのおかわりですか?」
「いえ、細かい銅貨がまだ無いので、それは明日以降なんですけども」
「じゃあどうして」
「ええと、その……」
この期に及んで、僕は恥ずかしくて言い出せなかった。
ミスを責めてくるような人ではないとわかっていても、転生者のくせに、しかも十六歳にもなって、宿をとるのをミスったなんて、知られたくないと思ってしまった。
そんな僕の様子を見て、エリザティエラさんは少し考え込んで、言うのだ。
「わかった、眠れないことについてですね?」
「あっ、え、ええ。そうです。眠れなくて」
僕は慌てて肯定した。
正確には宿がないことについてなのだが、眠くならないことも気になっていた。だから、これは非常に正解に近いというわけで、僕は嘘を言ったわけでは無いと思う。
「それが普通なんですよ。転生者さんは。ほんと、転生者さんはいいですよね。眠る必要もなければ、スキルでも使わない限り食事だっていらないんですもんね」
「そうなんですか」
そして、エリザティエラさんは片付けの手を止めて、僕の疑問の一つに答えてくれた。
「眠るためには、まず、ベッドなど、眠りたい場所で『虚窓』を開きます」
「虚窓?」
「転生者にしか見えない半透明の操作盤のことです。われわれのような、この世界の人間では目視できないため、そう呼ばれます。まだ定着してない呼び名ですけどね」
「なるほど」
僕は生返事気味に答えながら、言われるがままに半透明の操作盤を目の前に展開させた。
「そして、機能一覧の中から『朝まで睡眠する』を選択して、決定を押すだけです」
「こうですか?」
彼女に言われるがままに操作した。
次の瞬間、電源を切られたモニタみたいに、プツリと視界が真っ暗になった。
「えっ、ちょっ、ちょっとォ!」
どうやら僕は、路上で眠りに落ちたらしい。
★
夢を見ていた。
なぜ夢だとわかるのかというと、ありえない光景だからだ。
僕は笑っていた。ギャハハと下品な笑いを放ちながら、隣にいる陽属性のクラスメイトの肩を叩いていた。和気あいあいとしたクラスのなかに、自分も溶け込んでいた。
ありえない。ありえないことだ。
教室のすみで本を読んだり、何も書かれていないノートを広げていたり、ただただ寝たふりをしたりという普段の僕からは考えられない状況だ。
だから、これは夢だ。絶対に夢でしかない。
あまりにひどい夢だと思った。