第8話 辺境のまちホクキオ3 快速ウサギドッグ
不親切に思えた初心者案内も、何とかなりそうな気がしてきた。
案内所の貴族のお兄さんも、第一印象ほど悪い人ではないようだった。いきなり金を出せと言われたのは恐喝されているみたいで驚いたけども。
ただ、ウィネさんの言っていたことを思い返してみると、転生者である僕は、この異世界の住人よりも体力などの面において比べ物にならないほど強靭なのだという。いまひとつ実感は湧かないけども。
だから、脅されたり、暴力にさらされたとしても、そこまで痛い事にはならなかったのだろう。
だが待てよ。そう決めつけるのは良くないかもしれない。僕のような駆け出しにも満たない転生者を上回る実力を持った住人がいるかもしれないし、殴られたら普通に痛いかもしれない。実際、さっき突然「金をよこせ」と言われた時、僕の心は痛かった。
なんて、こんな慎重な思考回路をする僕は、やはり陰の者なのだな、などと思う。
昔はこうじゃなかったんだけどな。
「あれ、もうこんな時間か」
半透明に浮かぶメニュー画面に現在の時間が表示されている。さっきまで昼間だったはずが、もう夕方と呼べる時間になっていた。この世界の時間の流れには、まだまだ全く慣れていない。
あわよくば永く永くこの世界で暮らすことしたいので、はやく慣れないとな。
「とりあえず、何か食べておかないと不安だなあ。街灯が少ない街並みだし、日が暮れたらレストランとか閉まっちゃいそうだ」
もし、酒場しか開いていないなんてことになったら最悪だ。僕は思い切り未成年だから一人では入れないだろうし、仮に入ることが許されたとしても、酒場なんて陽の者の集まる場所じゃないか。
ここが現実世界なら、ファストフード店かコンビニでチャチャッと済ますのが、僕のような陰の者の、そうだな、たしなみというやつだ。
転生者ゆえなのか、まったく空腹にはならないけれども、軽く食べられる場所でも探してみよう。
僕は坂を下り続け、目的地だった手紙屋の前を通り過ぎて、食事をとれる店を探すことにした。
★
ほんとうに、全く腹が減らない。
ここまで異世界で過ごしてみて思ったことは、もしかして転生者っていうのは、何も食べなくても生きていけるのかもしれない。仮にそうだとしたら、それも悪くないか。
最近、外で食べる時は孤独だった。昼休みの弁当も教室の隅でかきこんで、あとは机に伏せて寝たふりをしているだけだった。
教室だから一人きりで過ごす昼休みが孤独を感じるのであって、誰も知り合いのいないこの異世界での食事が一人きりでも、当然のことだから気にならない。
だから、食事をとらなくても済むのなら、この異世界は、きっと僕に合っているのだろう。
それでも手軽な食べ物屋を探しているのは、異世界の食事に興味があるからだ。
それに、たとえば神話なんかでは、「その異世界のものを食べたら、元の世界に戻れなくなる」というような話もあった気がする。
だとしたら、僕がこの異世界に留まり続ける条件の一つになるかもしれない。
よし、食べよう。
というわけで、読めない文字の看板をかかげた露店の前に僕は立った。
さきほどの武器・防具屋があった場所の近くには、さまざまな露店が並んでいたので、ここに来ればどんな物も手掛かりくらいは掴めると思ったのだ。
パンや肉の焼けるような、香ばしい良い匂いがする。
さきに手紙屋とやらで辞書を回収してからのほうが良かったのかもしれないけれど、陰の者なりに勇気を出して、エプロンをかけた女性に質問してみることにした。
「あっ、えっと、あの、ここは何のお店ですか」
女性は僕に笑いかけた。
「いらっしゃいませ。こちら、ラピッドラビットドッグの専門店です」
ラピッド・ラビット・ドッグ……。英語っぽい。ラピッドは快速とかそういう意味だったか。ラビットはウサギ。ドッグはイヌだろうか。素早いウサギなのかイヌなのかどっちだ。あるいは両方の特性を併せ持った生き物か。
と思ったものの、用意されていた食材を見るに、焼き目がついたスライス肉。深い切りこみが入った細長いパン。新鮮そうな野菜たち。調味料と思われるものが入ったガラス瓶が複数あった。円柱型の陶器のなかで炎が燃え、その上に網が置かれていて、これはパンをあぶって温める用だろうか。
要するに、ホットドッグの類と思われる。
「ラピッドラビットって何ですか?」
「別名を快速ウサギといいます。非常に素早いことで有名ですが、引き締まった肉質が人気の食材なんですよ。そのお肉を挟んだ美味が、ラピッドラビットドッグです!」
「あ、それを一つください」
「かしこまりでーす」
細長いパンを手に取った女性が手際よく野菜や肉を挟み込み、赤いソースと黄色いソースが掛け、最後にそれを火であぶった。見た目も鮮やかなラピッドラビットドッグが完成した。
頼んだはいいけれど、先に聞いておけばよかったことがある。
値段だ。
僕の手には銀貨と金貨がある。この世界でのモノの価値が、まだわからないのだ。
だったら、高いほうを出しておけば、少なくとも恥をかくことは無いと思われる。
僕は「ナミー銅貨を二枚ください」という露店おねえさんに対し、ひときわ輝く硬貨を差し出した。
「では、金貨で……」
そうしたら露店ドッグ売りの女性は、目をむいて固まった。
「金ッ、金貨ァ?」
ドッグ売り露店の女性は震えた手で金貨に手を伸ばそうとして、寸前のところで引っ込める動いを何度か繰り返した後、頭を振った。かと思ったら考え込むような仕草をして、不安そうにたずねてきた。
「これ本物ですか?」
「そのはずです。信用できる人から受け取ったので。えっと、どうしたんですか。もしこれで足りるなら、お釣りがほしいんだけども」
「疑わしいです。もしかして、おにいさん転生者? 気を付けたほうがいいですよ。けっこう偽造や偽装されたものがあったりしますので」
「ちなみに、僕はまだ転生者として喚ばれたばかりで、この硬貨の価値を知らないんだけど、どのくらいなんですか?」
「金貨が一枚あれば、すごく良い家が買えます」
「それは……。やっぱりこれの支払い、銀貨に変えて良いですか?」
「ええ、それがいいと思います。あたしも持ち逃げしたい誘惑に負けそうになります。それが本物だったら、大通りに店舗を出したり、理想の牧場をつくったりできるので……。だから、はやく隠してください。お金を預けられる施設や信頼できる本物の両替屋さんを紹介しますので、預けるなり、両替してもらうべきだと思います」
「ええまあ、良い家が建つくらいとなると、気軽に扱うべきではなかったですね。無知ですみませんでした」
「ちなみに、一番価値の低い銅貨は一枚もありませんか? あ、ないんですね。シルバーに輝く銀貨でもすごい量のお釣りが出ます。転生者さんなら、大量に持つことも可能ですけど、お店側の銅貨が足りなくなる可能性もありますので、できれば余程高い買い物をするのでなければ、普段から多めの銅貨を持つようにしておいてください」
「なんか、すみません」
「いえいえ。はじめてだったら仕方ないですよ。それで相談なんですけど、この世界に来てもらった記念で、今回はタダにしたいと思うんですが、いかがですか?」
「えっ、いや、でも」
「そのかわり、また私のお店、来てください」
まるで本心から出ているかのような営業スマイルを見て、僕は心の底から、
「ありがとうございます」
そう言って、ラピッドラビットドッグを受け取った。
毎日通いたいと思った。
そして何より、この世界を好きになれそうな気がした。
少ない薄暗い街灯が灯りはじめたまちで、僕は、優しいおねえさんが見つめる中、ラピッドラビットドッグにかぶりついた。
――これを食べることで、どうかこの優しい世界に永く永く居座れますように。
この世界に願いをかなえてくれるような神的存在がいるのか不明だが、どうか叶ってほしいと思えるほどに、柔らかく、あたたかく、適度にスパイシーで、本当においしい。のど越しが最高で、何本でもいけそうだ。
毎日通うしかないと思った。
「この店の名前は何ていうんですか?」
「あ、まだ読めないんでしたね。『エリザティエラ』といいます。私の名前でもあります」
「エリザティエラさん……。絶対通います。ずっと、毎日」
僕が言ったら、冗談はやめてくださいよというような乾いた笑いをして、
「だめですよ。ありがたいですけど、転生者さんって、運命の魔王を倒すのが、お仕事なんでしょう?」
急に異世界の現実に引き戻された気がして、ラピッドラビットドッグの味が落ちたような気がした。
僕は、できればそんな任務を全うすることなく、ずっと戦わずに逃げ続けたいと思っているのだから。