末端技術者から見たAI
最近AIが話題ですよね。AI関連のエッセイも散見されるようになりました。ということで自分もこの波に乗ってAIに関して何か書こうかなと。乗るしかない、このビッグウェーブに。
記憶を頼りに書き散らしておりますので、分かりづらいかもしれません。また、技術的な話は分かりやすさ重視で行こうと思います。
最近話題のAIはだいたいディープラーニングという技術が根幹になっています(違うのもあるかもしれませんが……)。弊社の業界でディープラーニングが話題になり始めたのは、確か2016年頃だったと思います。それまでは遺伝的アルゴリズムとか、その辺でしたね。
遺伝的アルゴリズムというAIはざっくり言うと、AIにひたすらシミュレーションを繰り返させて、その中の1番良いモノを使うという技術です。将棋をやらせるのであれば、あらゆる駒の置き方をシミュレートして1番勝てそうな手を打つといった考え方ですね。2007年頃にニコニコ動画を観ていた方は、大量の人型3Dモデルを歩かせてどれが1番前に進むかといった動画を観たことがあるかもしれません。それが遺伝的アルゴリズムです。
対してディープラーニングは2012年に画像認識(物体認識)から登場したAIです。データを大量に学習させておき、「じゃぁこれは?」といった手法です。分からない? 例えば、猫と犬の画像をひたすらAIに「これは猫、こっちは犬」と学習させます。そして猫の画像を見せて「これは何?」と聞くとAIが「猫」と答える、みたいな。
もともと分類器(上記例で言えば猫と犬を分類している)として登場したAIですが、これの凄いところは未来予測に使える点です。株価予想のAIとか有名ですよね? 過去の株価変動の事例をひたすら学習させて、「じゃぁ明日の株価は?」と聞くとAIが「暴落!」と答える、みたいな。過去に○○があった翌日は株価が暴落したという事実が大量にあることをAIは学習で知っていて、そして今日○○が起きた。だから明日はたぶん暴落だ!といった未来予測です。
2012年に登場したディープラーニングですが、私の業界の現場レベルで話題になったのは2016年頃です。おそらく研究開発レベルでは、私の業界でももっと以前から話題になっていたのでしょう。
2015年に天下のGoogle様がディープラーニングのオープンソースライブラリ(みんな使えるように提供された) AIであるTensorFlowが公開されていたそうなので、多分日本の私の業界で話題になり始めたのは2015年からなんじゃないかなと思います。
それで、Google様がTensorFlowを公開して皆飛びつきました。AIを1から作らなくても使えるようになったからです。後は何をどう学習させて、何に使うかだけです。ただ、この段階ではAIを制御するプログラムを勉強する必要がありました。最も使われていたのがPythonというプログラミング言語です。
2018年頃には私も講習会に参加するなどしてTensorFlowとPythonを勉強しました。研究職ではない現場開発エンジニアが、です。そのくらいの頃になるとAIも大分使いやすいモノになってきていました。
もともと画像認識や画像処理の分野で発展してきたAIですので、最初は画像でどうこうするといった分野で多く使われていたと思います。防犯カメラで人を認識して防犯したり、道路に設置したカメラで車を認識して交通量を調べたり、CT画像やレントゲン画像から過去の事例を参照して病気などを見つけたり、工場の生産ラインで生産中の製品をカメラ撮像して不良品をはじいたり……。
しかし、気付けば色々な分野に応用されるようになっていました。どのタイミングでそうなっていたのか分からないほど、ある日気付けば世にAIが溢れていたのです。画像分野の次は音声認識分野だったと感じていますが、どうなんでしょう。
ふと気になって調べてみると、iPhoneに搭載されている音声AIのSiriは2007年に開発が始まったそうです。当初はディープラーニングではないAIを搭載していたそうですが、2012年にディープラーニングが登場して、2014年にディープラーニングを基本としたシステムに変更されたそうです。Oh、思ったより早い……。
昨今はAIがAIを学習させています。将棋のように対戦して競わせるといった分かりやすい学習だけではありません。猫か犬かを判定するAIを学習させるために、猫に限りなく近い犬や犬に限りなく近い猫の画像を生成するAIでもう片方のAIを如何に騙せるかといった、怪盗と探偵のような学習方法もあります。本当にどうやってそんな手法思いついたの?って手法が様々登場してきました。
劇的に変わったと感じたのはプログラミング言語を使わなくてもAIを使えるようになったことです。なろうエッセイでよく話題にあがるChatGPTは、チャットで語り掛けるだけですよね。
こうしてプログラミング言語を使わなくなってから出てきた弊害として、同業他社でもよく耳にする問題があります。「学習させた結果、期待する動作とならなかったけど、学習結果がどうなっているのか見えず、なぜその動作になったのか分からない。なのでどう学習しなおせば期待動作するのかも分からない」
お手軽に使えるようになったことで、中身がブラックボックス化してしまって思わしくないときに中に手が出せないのです。うーん……。学習のさせかたのコツ(パラメータ調整とか)はよく耳にするのですが、じゃぁ実使用で活かそうとすると「結局どないすりゃええんや!?」って。
このように2012年のディープラーニング登場から始まったAIの流れを第3次AIブームと呼ぶそうです。第1次と第2次は?って話をすると脱線するので割愛させてもらいますね。最先端の人達が2012年からなんやかんやしていて、たぶん2015年くらいには日本の研究開発部門もなんやかんやし始めて、2016~2018年頃には私のような末端技術者まで来たAI。それが2022年のお絵かきAI登場で一般層までやってきた感じです。この間、実に10年。早いと見るか、遅いと見るか……。いや、早ぇよ!!
話変わって、AIには「強いAI」と「弱いAI」があるとされ、現存する全てのAIは「弱いAI」とされてきました。
では、「強いAI」とは何か? 人間のように自意識を示したり、広い問題解決能力を持つAIを「強いAI」と呼ぶそうです。例えるならドラ○もんみたいなヤツです。それに対して、「弱いAI」はある一定の決められたことしかできません。将棋AIなら将棋しかできませんし、株価予想AIなら株価予想しかできません。お絵かきAIならお絵かき以外ができず、お絵かきAIに対して「明日の当たり馬券を予想しろ」と言っても答えてくれないでしょう。
私はAIが今のディープラーニング方式のままではいくら技術力が上がって進化しても「強いAI」にはならないと思っていました、以前までは。しかし、昨今のチャット系AIを見ていると、本当に感情はないのか? 感情とは何か? と思います。
膨大な過去データを学習し、人間はこうなったら喜ぶ、こう言われれば怒る、といった事例を把握して、それをトレースしたAIも喜んだり怒ったりするわけです。「ばか」と言われたら大抵の人が怒ると学習したAIが、「ばか」と言われたので怒るという行動をトレースする。それは感情なのか、ただの反応か……。感情は反応とは違うのか? 人も過去の経験から感情を学ぶのでは……、うごごごg……。
さて、今後の予想ですが……、分かりません。ただ、小説家や絵描きは居なくならないと思います。何故なら書く(描く)ことが好きな人は絶対に居なくならず、AIがもっと良い作品を作るからと言って書く(描く)ことを辞めないからです。
素晴らしい絵を描くプロイラストレーターがすでに居るのに、私のような趣味お絵かきマンも絵を描いていますし、素晴らしい小説を書く先生方がいるのに、私のような者も昨年から小説を書き始めてみました。
スキーやスノボーを趣味としている人が「自分はオリンピック選手よりもスキー(スノボー)が下手だからやる意味なしだ。辞めよう」と言う人は居ないでしょう?
ただ、趣味ではなく仕事ではどうでしょうね。もしかしたら人は追いやられるかもしれません。
私の仕事では、AIでないシステムをAIシステムに置き換えるといったこともしています。人がやっていた仕事をAIに置き換えるといったこともしています。当然、システム納品後はその現場では人員削減されているようです。
気になるのは、技術継承は大丈夫なのか?という点ですね。職人をAIが駆逐して、その技術がロストテクノロジーになってしまわないのかと。考えすぎですか? でも、そんな現場は既に見ていますよ。「あ」って思うことがたまにあります。
あとは、感情論とか既得権益ですね。お絵かきAI登場でイラストレーター様が複雑な感情を抱いたりしています。過去の判例から判決を下す裁判なんかはAIの最も得意とする分野ですが、AIに裁かれるのを人間が良しとするか。その他の分野でもAIに取って代わられると損する人たちが全力で自分の既得権益を守ろうとするでしょう。正直、技術の進歩が早すぎて感情が付いて行けないです。
そして今後なんやかんやあって人とAIは住み分けされ、さらに数十年くらいかけて損する世代がいなくなり世代が替われば、時代が変わるかな? 未来の小学校では社会の教科書とかで「今はAIですが、令和までは裁判で人が判決を下していました」「先生!人が人を裁いて良いのー!?」「良い質問ですね」といったやり取りがあるかも?
で、何が言いたいかというと、特にありません。何か主張したいことがある訳でもなく、単に書き散らしてみただけです。こんな取り留めない文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。