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ポーチドエッグ

 瞼を開けると、見慣れた白い天井が視界を埋め尽くしていた。どうやら心の世界とかいう場所から目醒めたらしい。


 “どうじゃ、体調は”

「問題ないよ。なんだ、なんか副作用が出るのか? 『セラ=ヴァース』って」

 “ああ、適格者でなければ出たかもしれぬな。やはりハルならば問題ないようじゃ、よしよし”


 ベッドからむくりと上半身を起こし、ググーッと身体をほぐす。さて、時間は……六時半か。セツナが正常ならとっくに起きている時間だが、ここ数日は本当に調子が悪い。おそらくまだ起きていないだろう。でもまぁ、低確率ながら普通に起きている可能性もあるし……少し時間を置いたらすぐに行ってみるか。

 その間、少しでもセラと話を進めておかなければ。腹を括るしかないんだ、もう。


「セラ、今一番の脅威はミヌートなわけだけど……どう対処するんだ? 戦闘なんか出来やしないだろ?」

 “うむ、無理じゃな。全盛期の儂でも厳しい相手……現時点では手も足も出ない”


 かち合えば間違いなく負ける、と念入りに付け加えるセラ。ミヌートの強さをよく知らない俺だが、そこに異論などあるはずもなかった。


「ミヌートの能力はよっぽど強力なんだな」

 “いや、正直詳細は知らん。何せ儂は悪魔王に付きっきりで、シャルミヌートとはほとんど関わってこなかったのじゃ。他の二体ならともかく、シャルミヌートの情報はあまり持ち合わせておらん”

「え、でもさっきの口振りだと……」


 あそこまで断言するのだから、明確な根拠があってのことだと思ったのだが。


「ああ、根拠がないわけではないぞ。悪魔王や他の『ドゥーム』の発言から鑑みるに、どうやらシャルミヌートは極めて戦闘に特化した能力を持っているらしい。そうなると、総合力で勝負するタイプの儂では厳しいと予想したのじゃ」

「あぁ、なるほど」


 戦闘に特化した能力? 俺が度々目撃した謎の力は、戦闘に使えそうな感じではなかったけれど……。


 “他の二体は系統が違う。一体は殲滅力、もう一体は防御力に優れている。最も戦闘に特化した奴に狙われるとは、何とも運が悪いというか……”

「お前のせいだぞ? 念のため」

 “分かっとる分かっとる”

「で、どう凌ぐんだ」

 “無論、神域に移る。神域ならば一先ず安心じゃよ。たとえ『ドゥーム』の悪魔でも侵入は無理じゃからな”

「…………えっ」


 とんでもないことに気付いた。ミヌートから耳にタコが出来るほど言われてきた「あの件」を、未だセラに伝えていないことに。


「セラ……お前の中では、『ドゥーム』が神域に侵入するのは無理……そういう認識なんだな?」

 “なんじゃ、一層大人しくなりおって”


 こいつとミヌート、どっちが正しいことを言っているのか……こいつには悪いが、それは……。


「神域は……近々襲撃される」

 “は?”

「来るのは、『ドゥーム』の悪魔一体」

 “……何を言っている。そんな事、ありえるはずが……”

「ミヌートから直接聞いた情報だよ、まず間違いない。たった一体で勝利をもぎ取れるほどの奴が、必ず神域を襲いに来る」

 “………………馬鹿な”


 それきり、セラは数分間黙りこくった。悪魔王に挑んでなお折れない心を持つ神王でも、こればかりは相当に受け入れ難い事実らしかった。


 “……ありえない。神域は、次元の狭間に顕在している特殊領域じゃぞ。いくら『ドゥーム』でも侵入することは……つまり、まさか……”

「セラ……?」

 “……すまん、少し考えさせてくれ。それに、未だ魂に残る魔力を輝力に変換する作業もある。しばらくの間無反応になるじゃろうが気にせんでくれ”

「あ、ああ、分かった」


 セラは、まるで波が引いていくように心の深いところまで落ちていった。

 さて、じゃあ俺はセツナの様子を確かめに行くか。調子が悪いようならいつものようにお世話を、調子が良いようなら……話をしなくてはいけない。俺の身に起こっていること、俺がやらなければならないことを懇切丁寧に。こればっかりは、もう隠し通せるわけがないのだから。




        ***




 緩慢な足取りで階段を降りていく。向かう先はリビングだ。そこにセツナが居れば体調良好と判断して然るべき行動を取る。もう後には引けない、嫌でも覚悟は決まってるんだ。

 大きく深く息を吸い込み、一思いにリビングの扉を開ける。


「…………いない、か」


 無人のリビングを見渡してポツリと零す。であればやる事は一つだ。切り替えよう、笑顔を張りつけよう。

 すぐにセツナの部屋に直行し、俺は躊躇うことなく扉を開け放つ。


「……」


 予想通り部屋の隅で抜け殻のように脱力しているセツナを見つける。あのプチ旅行から帰って以降、彼女はこのような状態が続いている。稀に正気に戻る時もあるが、もはやこの状態がデフォルトとなってしまっているのが現実だった。



「おはよ、セツナ。調子はどうだ?」



 質問に意味は無い。彼女が反応することは無い。

 それでも色々と声をかける。俺が他にしてやれることなんてないからだ。


「さ、下に行こうか」


 手を握り、立ち上がらせようとしたが全く動こうとしない。少し粘ったがやはり無理そうなので、よっこらせとおぶさって階段を降りる。

 えーと、朝食の支度はどうしようかな。俺じゃあまり手の込んだ物は作れないし……あぁ、そういえばパンを買ってあったっけ。なら何とかなるか。

 食事の事は全部あたしにやらせて、というセツナの言葉を思い出して苦笑してしまう。今となってはあの憤慨も愛おしく感じるなぁ。

 リビングに着いた俺はソファにセツナを座らせ、いそいそと朝食の準備を始めた。とりあえずポーチドエッグ作って、焼いたベーコンと一緒にトーストに乗せれば良い感じになるだろ……。

 と、その時。体内でふわふわっと何かが浮上してくる感覚がした。


 “戻ったぞ”

「ん、おかえり」


 鍋に水を入れて火にかけつつセラに応じる。

 さて、塩と酢を適当に入れてお湯を掻き混ぜてっと。


 “残っていた魔力は全て輝力に変換したぞ。体温も元に戻ったじゃろう”

「体温……? あー、最近身体が熱っぽかったのは魔力のせいだったのか」

 “その程度で済む事自体凄いのじゃがな。流石は神王の適格者というわけか。ところで、其方は何をしとるのじゃ?”

「朝御飯作ってるんだ。滅茶苦茶簡単なやつだけど」


 鍋の中心目掛けて卵を落とし、渦に揉まれる様をぼーっと眺める。


 “……む? アレは……アレが其方の家族?”

「ああ」

 “神使ではないか。神使が家族とな?”

「うん、まぁ」


 どうも釈然としない感情を抱いているセラに、俺は鍋を加熱しながら尋ねてみた。


「何か気になるのか?」

 “神使を家族として迎え入れる時点で変人極まっているが……一番気になるのは彼奴の状態じゃよ。どうしたのじゃ、かなりおかしいのぅ”

「……凄く調子が悪いんだ。起きてはいるけど、全く反応を示してくれない。傍から見れば電波野郎にしか見えない今の俺にも無反応だ」

 “……妙じゃな。あまりに妙じゃ。健康状態というより、もっと内面的な何かがおかしい……まさかとは思うが……”


 ぶつくさと呟きながら思案しているセラを心で捉えつつ、固まった卵を冷水に取り、水気を切って器に置いた。


「セラ、もしかしてセツナのこと知ってたりしない? 神使としてはかなり古株らしいんだけど」

 “残念ながら初めて見る神使じゃ。しかし……やはりこの違和感、真っ当な神使ではないな……?”


 凄い、ミヌートと同じこと言ってる。本物の実力者って感じだ。


 “彼奴を直属にしている神を知っておるか?”

「うん、パルシド卿」

 “パルシド!? ……あの阿保め、何か妙な事をしたようじゃな……ふぅ、まぁ良い。神域に行けば詳細も分かるじゃろう”

「そうだな……そもそも、次会う時に真相を聞かせてもらうって話だったし……」


 ホテルブレッドの上にベーコンを乗せて焼いている最中、今しがた発した自らの言葉を脳内で反芻していた。

 俺は神王になる覚悟を決めた。そしてミヌートから逃れるため、神域に移る可能性は高い……そうなると色々問題が発生してくる。


 “む、焼けておるぞ”

「おっと、助かった」


 まず、セツナの処遇をどうするかだ。こんなことになっているセツナを一人にはしておけないから、一緒に連れて行くつもりだけど……とにかく神域を嫌がっていた彼女が神域に移住なんて耐えられるだろうか? 確かにこの状態がデフォルトにはなっているものの、それでも稀に正気に戻ってくれることはあるのだ。神域に行くことでそれすら無くなってしまったら……俺は立ち直れないかもしれない。


「ポーチドエッグ乗せてっと……よし、完成。さぁセツナ、出来たぞー」


 虚空を眺めているセツナの元に皿を置き、食べやすいようナイフで切り分ける。口元にトーストの切れ端を差し出すと、セツナは習慣付けられた機械的な動きで口に含んだ。


「えらいぞーセツナ」

 “偉いのかこれ。大変じゃな、毎日こんなことやっとるのか”

「仕方ないよ。この子には何の罪もないんだから」

 “…………寂しそうじゃな”

「ん……そうか? まぁ色々あったしな。セツナとは碌に話せなくなって、心の拠り所だったミヌートとも別れちゃって。そして……神域に移住ってなると、学校の友達とも会えなくなるだろうし。なんか俺……すげー孤独なのかも」


 俺は孤独がこの世の何よりも嫌いだった。もう二度とあの時のような思いはしたくないのに、運命というヤツは余程俺が気に食わないらしい。

 家族、友人、愛しい女性……俺が大切にしているものの悉くを奪っていきやがる。ここまで来ると、本当に俺という人間は何故生まれてきたのやら……。



 “いるさ。他の誰が消えようとも、儂がそばにいる”



 ハッと顔を上げる。その先にセラはいない。けれど、心の中で彼女が優しく微笑んでいるのを確かに感じたのだ。


 “世界を救うその日まで、儂だけは其方に寄り添っていよう”

「………………あはは。嘘でも嬉しいよ、ありがとう」

 “疑い深い奴じゃな”

「……分かるんだよ、そのくらい」

 “ふん、儂にそのつもりはないがな。とにかく、シャルミヌートほどとは言わぬが信頼はしろ”


 話しているうちにトーストを食べさせ終えたので、俺は皿を持ち上げてキッチンに歩いていく。さて、いつも通りセツナの歯を磨いてあげないと……。


「あ、そういえばミヌートで思い出したけど。神域に『ドゥーム』が来る件、何か答えは出たのか?」

 “出たぞ。良い事もあれば悪い事もある、という結論がな”


 手早く皿を洗い終えた俺は、タオルで手を拭きながら首を傾げた。


「悪い事しかないような気もするけど、良い事って?」

 “シャルミヌートが当面其方を殺しに来る事はない、という事じゃ”

「へ?」

 “少し長くなる。『セラ=ヴァース』で直接話そう”

「わ、分かった。ちょっと待っててくれよ、セツナの歯を磨いて顔を洗って服を着させた後に聞くから」

 “本当に大変じゃな、其方……”




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