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救世の主

 天上天地、漆黒の闇。

 そんな気を違えそうな空間において、俺はたった一人でぼうっと佇んでいた。


「ここって確か……」

「ん、では改めて。初めましてじゃな、ハル」


 そいつは、突如煙のように現れて朗らかに声を掛けてきた。

 凄絶なまでの気品を漂わせた白金色の鎧。

 その背後に顕現している、蒼白に輝く光輪。

 そして漆黒の世界を塗り潰さんとする圧倒的な神秘性。

 もはや疑う余地もない。こいつこそが、神域で伝説として語り継がれていた神王なのだ。


「ここは?」

「簡単に言えば、ハルの心の世界……ハルと儂が唯一相対可能な場所。ここに来る直前の会話を覚えておらんのか?」

「んーと、あんまり……」

「『瞼を閉じてこう唱えろ』」

「あ……『セラ=ヴァース』!」

「ふっ、思い出したようじゃな。宿主であるハル本人の詠唱によってこの出逢いと会話は実現している。衰弱した儂の力だけでは碌に会話もままならんからの」


 穏やかな物腰でそう言うと、セラフィオスは白金色の兜を颯爽と脱ぎ去った。

 そして露わになった素顔を見た瞬間、俺は驚きのあまり目を見開いてしまう。


「ん? どうかしたか」

「いや……まさか人間体が中に居るとは思わず……」


 驚愕はそれだけではなかった。セツナやミヌートにも全く劣らないほど整った顔立ちの、とんでもない美人だったのだ。


「女性みたいな声だなぁとは思っていたけど、本当に女性だったんだな」

「む? 儂に明確な性別は無いぞ。あくまで女のように見えるだけじゃ」


 美しい黄金色の瞳と目も眩むような純白の髪を煌めかせながら、やんわりと聖母の如き微笑みを浮かべるセラフィオス。うわ、本当に綺麗だな……!


「そう言えば今更だけど、神王相手だし敬語使った方がいいの?」

「ハッ、馬鹿を抜かせ。敬語など要らぬわ、儂らは二心同体の仲じゃろうが」

「あ、そう……」


 快活に笑う神王に少したじろぐ。二心同体って言われても、こちらとしては今のところ困惑しか湧いてこない。


「さ、立ち話もなんじゃし椅子を出しとくれ」

「出せって言われても、どこから?」

「ここは其方の心の中じゃぞ。其方が念じれば出るはずじゃ」


 言われるがまま念じてみると、本当にポンッと二つの椅子が出現した。俺の部屋にある椅子と全く同じデザインだった。

 セラフィオスが腰を下ろすのを見て俺も椅子に座る。だが膝がぶつかりそうなほど近く、その上椅子を後ろへ引こうとしてもびくともしなかった。おいおいハリボテじゃねーか。なんて融通の効かなさだよ、俺の心。


「さて、全てを話すつもりではあるのじゃが……話すことが多すぎるというのも考えものじゃな。まずハルが最も聞きたいことに答えるとしよう。何が聞きたい?」

「どうして俺だったんだ?」


 間髪入れず問い掛ける。他の何よりもまずそれを聞いておかなければ、どんな話も頭に入ってきそうになかった。


「俺は半神使だ。間違いなく神域最弱」

「知っておる」

「俺みたいな半端者なんか選ばなくたって、もっとマシな奴がいただろ。それこそパルシド卿やラランベリ様みたいな、凄い神様がさ。なんで俺?」


 わざわざ俺のような雑魚に憑依した理由がいくら考えても思い浮かばない。キッパリと「偶然じゃよ」と言い切って貰えればまだ納得できるのだが、



「必然じゃよ。ハルでなければならなかった」



 セラフィオスは、毅然とした態度で俺の望まない言葉を口にした。結果として余計に意味が分からなくなる。


「そこまで言い切る要素は?」

「ほぼ全て……と言っても伝わらぬか。まず第一に、其方が半神使だったことじゃ」

「半神使なのが必須条件?」

「うむ、いかにも。ここでは神王の頃の姿でいるがな、本来はそうではない。儂はゾフィオスとして敵に決戦を挑み、敗北し、肉体を滅ぼされた。逃げ仰せた魂はゾフィオス時の影響を色濃く残し、強烈な魔力を帯びていた。それじゃと神や純神使には乗り移れんわな。憑依した瞬間拒絶反応を起こし、宿主も儂も消滅するのがオチじゃ」


 コンコン、と胸部を叩いて肩をすくめるセラフィオス。俺は自分の中で考えを纏めつつ彼女の言葉を待った。


「拒絶反応を極力起こさず憑依・融合可能な存在……さぁ、この時点で行き先は一つに絞られたわけじゃ。魔力耐性を持つ、或いは魔力を受け入れられる度量を持つ第三者にな」

「いや、もう一つあるだろ。魔力に耐性がある奴なんて、真っ先に悪魔が思い付くだろ。現実的に考えたら、別の悪魔に乗り移った方が確実だ」

「そうじゃな。しかし無理なのじゃ。何しろ、悪魔に憑依するということは事実上全てを諦めることと同義……故に、あり得ない選択と言えよう」

「全てを諦める……?」

「儂が挑んだその敵を殺すには……悪魔では駄目なのじゃ。彼奴は本物の化け物……決してこの世に存在してはならない存在。奴だけは生まれてくるべきではなかった。あんな化け物が存在して良いはずがない」


 強い言葉とは裏腹に、徹底的に落ち着き払った口調が却って恐ろしかった。心の中だというのに寒気と鳥肌が全身を迸っていく。


「大悪魔の強さを知っておるか、ハル」

「あ、ああ。神が四体集まって、ようやく一体の大悪魔と相討ち……だっけ」

「まぁピンキリじゃがな。たとえば、パルシドやプラニカくらいの実力があれば中級程度の大悪魔は単独で撃破可能じゃ。とはいえすんなりとは勝てぬし、基本的に大悪魔の方が強いのは間違いない」


 パルシド卿はともかく、プラニカって誰……? 

 まぁ今はいいか、元より神に詳しいわけではないし。


「で、それがどう関係するわけ?」

「強さの上限の話じゃよ。大悪魔は確かに強い。それも『ドゥーム』の連中は馬鹿げているとしか言えぬ強さじゃ。しかし……そこが上限。『ドゥーム』以上にはどうやってもなれない。それではいつまで経っても勝てぬ。儂が敗北した、あの化け物にはな。『ドゥーム』として極致に至った儂で無理なら、神王としての儂の伸び代に期待するしかなかろう」

「……ご、ごめん、ちょっと整理させてくれ」


 あれ? なんか……あれ? こいつ、さらっととんでもないことを暴露してない?


「今の話聞いてるとさ……『ドゥーム』より上の存在がいるように聞こえるんだけど」

「おるぞ」

「おるの!?」


 驚きすぎて頭がくらくらしてきた。『ドゥーム』一体で神域を滅ぼせるんだよな……? 更にその上がいるって……もう想像も付かねーぞ……。


「其奴こそ悪辣蔓延る狂界の創造主。この世に「悪魔」と「魔力」を生み出し、全てを無に還さんとする絶対悪──『悪魔王ホロヴィア』」

「……ホロヴィア」


 噛み締めるようにその名を繰り返す。俺にとってはもはや一ミリも想像できないほどの、規格外過ぎる存在だけど……目の前の彼女は真っ直ぐにそれと向き合っている。その事実だけで尊敬と畏怖の念を抱くに相応しいと思った。


「先も言った通り、悪魔王は到底形容できないほどの化け物じゃ。そして、神王だった儂を倒して悪魔化させた張本人でもある。ゾフィオスと化した儂は、それでも悠久の時をかけて奴を殺す手段を考え……そして実行した」

「結果は二度目の敗北と……」

「うむ。一切合切まるで駄目じゃった。てんで勝負にならなかった。客観的に見ても本当に歯が立たなかったわなぁ……」


 彼女の言い草や落胆ぶりから察するにマジで完敗したんだなぁと切なさを覚えてしまう。戦闘時の絶望感、虚無感は相当なものだっただろう。


「儂としては渾身の一手を打ったつもりだったんじゃがのぅ……」

「それってどんな?」

「ゾフィオスとして内包していた魔力の半分を輝力に変換し、両方のエネルギーで攻撃する……という感じじゃろうか」

「えっ、魔力を輝力に変換!? そんなこと出来んの!?」

「儂だけが出来た裏技じゃな。『ドゥーム』と神王、どちらも経験した儂だけが。普通は無理じゃぞ」


 自惚れの欠片も含まない声色で呟く。きっと物凄い技術だろうに……。

 てか今更だけど、神王ってこんなに謙虚なもんなの? 負けちゃったから卑屈になってるだけなの? 


「憑依先に悪魔を選べなかったのは、そんな戦い方をしたことも大きく関係していた。儂の魂は濃厚な魔力と輝力、どちらも兼ね備えた極めて歪な状態だったのじゃ。悪魔、神、純神使……どれを選んでも拒絶反応を起こすじゃろう。もはやこのまま消滅するのを待つばかりか……そう思った矢先じゃ。其方を──ハルを見つけたのは」


 脱力していたセラフィオスは、一転してニコリと俺に笑いかけた。


「掛け値無しに運命を感じたよ。ああ、そう、運命じゃ。ハルと儂の関係は斯様な言葉でしか表しようがない」


 スッと差し出された手。よく分からないまま鎧に包まれた右手を握り、よく分からないままブンブンと乱暴な握手に付き合った。


「半神使……つまり、まだ人間の部分が残っているということ。それは神や純神使と違って魔力を受け入れられる度量があるということじゃ。輝力と魔力、両方に適合可能なのはハルだけじゃった」


 嬉しそうに捲し立てるセラフィオスに、俺は流されるまま愛想笑いを浮かべる。


「はは、その顔……運命などと口にするのは大袈裟じゃと思っとるな? それがな、全く大袈裟ではないんじゃよ。半神使だからといってこうも違和感なく融合できるわけじゃない。この世で唯一の半神使が、他ならぬハルだったからこそ上手くいったのじゃ!」

「ああ……そういえば、半神使は最低条件なんだっけ。他にどんな条件が必要だったんだ?」

「まずは思考回路が似通っていること。次に人型の知的生命体であること。そして何より、儂と同じ水の能力者であること……ここまで限定的な要素を持ち合わせている存在でなければ魂の融合は不可能じゃった。それほどに儂は弱っていたのじゃ。しかしハルは居た。ハルだけが全てにおいて合致していた。これを運命と呼ばずして何と呼ぶ?」


 まさに花が咲き誇るかのような満面の笑顔。直視するのも憚られるほど眩しく美しい。

 けれど、俺の表情は冴えない。鏡など見る必要がないくらい、冴えない顔をしていた。


「セラフィオスが……」

「セラでよい。長かろう」

「ん、ああ……セラが俺を選んだ理由はよく分かったよ。絶対悪を倒したいっていうお前の善性も理解したつもりだ。それで……俺はこれからどうなる?」


 元神王で元『ドゥーム』。そんな奴の魂と融合した俺がどうなるかなんて俺には分かりっこない。何となく、良い方には転ばないことだけは感じているけれど。

 セラは俺の言葉を受け、小さく息を吐いた。


「……そうじゃな、すまない。ハルと出逢えた奇跡に舞い上がっていたようじゃ。其方の気持ちを慮ってやらねばな……」


 目に見えてトーンダウンした声。満月の如き輝きを放つ瞳が僅かに揺らいでいた。


「最初に言っておく。儂がハルと融合したのは隠れるためでも生き延びるためでもない。戦うためじゃ。倒すためじゃ。この世を救い、未来を守るためじゃ。だから、つまり……」

「俺が、戦うのか」

「………………そうじゃ。儂が融合した今、ハルはどんどん強くなる。何をしなくともそうなっていく。其方は神王になる男なのじゃ」


 俺を気遣ってか、少し迷うような素振りを見せつつも、その目は決して逸らすことなく。

 あくまでも真摯に話をしようという姿勢が垣間見えるだけマシだが、俺としては到底受け入れ難い事実と言っていい。


「事後承諾になったのは悪いと思っておる。しかし儂とて必死だったんじゃ。何しろ……」

「俺は争い事なんて嫌いだ」

「……ああ、そうじゃろうな」

「この前、初めて悪魔と戦って……二度とやりたくないと思ったよ。俺には向いてない」

「だがハルしか……」

「分かってる!!!!」


 思わず大きな声を出してしまう。

 別に怒ってるわけじゃない。俺は焦っている。恐怖を感じている。心の制御が効かないのだ。

 こんな未熟者が戦う? 悪魔と? ミヌートと? 悪魔王と?

 世界を背負うのか!? この俺が!?


「……なぁ、それってさ……俺の人生……生涯を懸けて、戦うことになるのか……?」

「……間違いなく」


 ……生涯って、何年だ?

 百年? 千年? どれだけの年月を経ればこの身は朽ち果てる?

 自問自答に意味はない。何故なら俺は知っている。


──幾星霜の時を経たとして、この身が朽ち果てる事はありえない


 寿命が無い。老化が無い。死なない限り生き続ける。

 つまり、俺は。俺の生涯は。




「俺は……何のために生まれてきたんだ……?」




 セラは何も答えない。俺も答えて欲しいわけじゃなかった。

 沈黙が続く。何秒か、何分か、はたまた何時間か。時間の流れが分からなくなるほど静まり返る。


「…………部屋で、シャルミヌートが「代われ」と言ってきたのを覚えておるか」


 痛々しいまでの静寂を打ち破ったセラは、やはり真摯な眼差しで俺を見つめていた。


「……ああ、覚えてる」

「儂は奴の要求を渋った。それはな、あの時一度でも身体の支配権を手放すと、もう二度と表層に上がることが出来ないと分かっていたからじゃ」

「それがどうしたってんだ」

「儂は其方の身体を二度と操れない。其方が何をしようと儂は止められんし、止める権利もない」

「……俺に委ねてるつもりかよ。俺がお前を無視して、いくら現実逃避したって、ミヌートは待っちゃくれない。ミヌートは嘘をつかないからな、近々絶対に殺しに来る」

「大した信頼じゃ」

「当たり前だろ……俺がこの世で一番信頼してるのが、ミヌートなんだから」


 くしゃりと髪を掴む。俺はミヌートが好きだ。殺すと言われた今でも本気で好きだ。

 だからと言ってミヌートに殺されたいか? いやNoだ。彼女は自分こそが月野葉瑠を殺すべきと言っていたが、俺は絶対に御免だった。他ならぬミヌートに殺されるくらいならそこらの悪魔に殺された方がマシだ。


「…………俺はさ、まだ死ぬわけにはいかないんだ。守らなきゃいけない家族がいる。守りたい友達がいる。何としても死ぬわけにはいかない」

「……ならばどうすべきだと思う? 忠告しておくが、たとえシャルミヌートをやり過ごしたとて、其方の家族は死ぬぞ。皆死ぬ。悪魔王は全てを滅ぼす。狂界以外の全てをな」

「…………詰んでるんだな、この世界は」

「いいや、それは違う。常にチェックをかけられてはいるが、チェックメイトには至っていない。まだ「詰み」ではない。番狂わせを起こせるとしたら、ただ一人……ハル、其方だけじゃ」


 ミヌートからは逃げられない。悪魔王の滅びからも逃げられない。つまり、俺が選べる選択肢はあまりにも限られていて。



「……ぁぁ」



 両手で頭を抱えた。何もかもが嫌になりそうで現実逃避したくなる。たとえその果てに死が訪れると分かっていても。

 しかしそうはいかないのだ。俺にはセツナがいる。絶対に死なせたくない人がいる。彼女を守るために、俺に残された道はたった一つだけ──



「…………セラ」

「なんじゃ」

「正直に言って欲しい。俺の人生に、勝算はあるのか」

「…………ゼロではない」

「……そうか」



 返答に要した間の長さが全てを物語っていた。

 それでも、一縷の望みがあるのなら。

 大切な存在を守れるのなら、俺は。




「……やるよ……神王……」 




 精一杯意地を張って、絞り出すように宣言した。こんな時くらいカッコつけられれば良かったのだけど、すぐには変えられない。情けないけど、これが俺だ。

 でも、やるしかないんだ。セツナを守るため、大切な皆を守るためならば……俺はなんだってやってやる。


「……ありがとう。本当に、心底から、ハルで良かった……そう思うよ」


 少しだけ、砕けた口調で。

 神王セラフィオスは、まるで普通の人間のような笑顔を浮かべていた。


「其方の決断を後悔させないよう、儂も最大限の手助けをする。共に進もう、ハル」

「……ああ」


 世界は。

 運命は。

 全くもって信じ難いことに、この俺を選んでしまった。

 こうなったらもう、悲観しても仕方がない。

 現実は残酷で、時には諦めることも必要なんだ。俺が諦めなければ救えないのなら、諦めるしかないんだ。


 俺はやる。

 この世を救う。

 もはや退路は残されていない。

 俺にも、世界にも──



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