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シニヨンガール

「あら、ハル」

「ああ、セツナ」


 部屋に戻ると、セツナは主室の座椅子に座ってお茶を飲んでいた。良かった、今度こそ普段通りのセツナに戻ったようだ。


「いつ起きたんだ?」

「ついさっきよ。どうにも記憶が曖昧なのだけれど……朝食は食べた……のよね?」

「うん、食べたよ。食べた後寝てた」

「……そう」


 セツナは何とも言えない表情でお茶を啜り、ほうと息を吐いた。


「ところでハルはどこに行っていたの?」

「そこら辺散策してただけ。図書室とか、母屋とか」

「そうなの。何か面白いものは見つけた?」

「うーん、特には。変な人なら居たけど」

「変な人?」

「ああ、それに関して聞いておきたいことが……あっ」

「え? 何?」

「……いや、ごめん。なんでもない」


 図書室で再会したあの男の姿を思い浮かべていたものの、彼に関する質問をセツナにするのはまずいと思った。せっかく回復したばかりなのに「神域に神でも神使でもない奴が居たりするもんなの?」などとは質問しづらかったのだ。


「そうだ、まだ言ってなかったけど、海行くのはやめとこうな」

「あら、そうなの? どうして?」

「どうしてって、そりゃあ……」


 まさか真実を告げるわけにもいかない。本人は別にそこまで調子が悪いと思っていなさそうだし、さてどうしたものか。


「さっき海辺の方を見たら物凄く混んでたんだよ。人混み嫌いだろ、セツナ」

「そうね……周りに知らない人ばかり居るというのは、ちょっと嫌ね……」


 ちょっとどころか凄く嫌そうな顔で呟くセツナ。筋金入りだな、相変わらず。


「ま、夏休みは始まったばかりだしさ、また海に行く機会もあるよ。あまり人がいない日を狙って、ちゃんと水着も用意して……その時は二人で思いっきり遊ぼう」

「ええ、楽しみは多い方が良いものね。先送りも悪くないわ」


 セツナは上品に微笑み、急須の蓋をパカっと開いて茶葉を確認する。


「ハルも座って飲みましょう? お菓子もあるのよ」

「ああ、その前に。寝癖凄いぞ、セツナ」

「えっ?」


 俺に言われて初めて気付いたのか、桜色の髪に手をやり顔を赤らめるセツナ。普段はとても手入れが行き届いている美しい髪なのだが、今日は何箇所かぴょんぴょん跳ねてしまっていた。


「な、直してくるわ」

「いいよ、こっちおいで」


 俺の近くに敷いてあった座布団にセツナを移動させ、彼女の髪に手の平をかざした。いつものように生成した水玉を、ふんわりとしたミスト状にして放射し、満遍なく振りかけていく。


「あなた……器用な真似が出来るのね」

「ん? 別に大したことじゃないって」


 生成した水玉を噴霧するやり方は、夏休みに入ったばかりの頃にミヌートから教わった。やり方と言っても感覚的なことなので、理論立てて教わったわけではないけど……とにかくコツを掴めば決して難しいものではなかった。


「……やっぱりラランベリ様が言ってた通り、あなたって才能があるのかしら……」

「はは、何言ってんだよ。セツナの能力に比べたらこんなのおままごとさ。じゃ、髪拭くから目を瞑って」


 髪の水気を柔らかいタオルで優しく吸い取り、ミルクとオイルを全体に馴染ませて櫛を通せば、あとはドライヤーで乾かしていくだけだ。


「うん、本当に綺麗な髪だ」

「そ、そうかしら? ありがとう」


 もちろん髪だけではない。セツナという存在を構成している全ての要素が、一様にして極大の美しさを誇っている。何しろ、今でもふとした拍子にセツナを見て「なんだこの美少女!?」と驚くほどだ。おそらく百年経っても同じ感想を抱くに違いない。

 ……百年後、か。今の俺からすれば途方もない年数だが、誰かに殺されたり自死を選んだりしない限り、老衰という概念の無い俺の命は百年後でも保証されている。果たしてその未来で、俺とセツナは一緒に暮らせているだろうか……。


「そうだ、せっかくだしアレンジしないか? シニヨンとかどうだろう、似合うと思うよ」

「べ、別にいいけれど……あなたヘアアレンジなんて出来るの?」

「うん、最近覚えたんだ。セツナにやってやろうと思って。ちょっと待ってくれよ、ゴムとピン取ってくる」


 実はヘアアレンジを教えてくれたのもまたミヌートだった。近頃は輝力の扱いのみならずこんなことまで教わったりしている。ヘアアレンジに関しては、なんと彼女の髪で実践練習までさせてくれたのだから本当に頭が上がらない。


「普通のシニヨンだとすぐ出来ちゃうから三つ編み組み込んでもいい?」

「ハルの好きなようにしてちょうだい」

「わかった、それじゃ三つ編みもするよ」


 ええと、まずは上部分をポニーテールにして、それから三つ編みを……、


「……ハル、なんだか優しくなったわね」

「……お、急にどうした?」


 手は止めないまま、俺はセツナのあまりに突拍子もない言い分に目を丸くした。


「あ、いや、ハルはいつも優しい人だと思ってるわよ? ただ、何かしら……ここ数日は輪を掛けてるというか、達観してるというか……」

「た、達観……」


 セツナが振り向けないのをいいことに、思わず苦笑いを浮かべてしまう。達観など、今の俺に対して最も相応しくない言葉だと思ったからだ。セツナの目に映る俺と俺の自己認識ではかなりの齟齬があるらしい。


「やっぱりそれは、イヴの花が枯れたからなの?」


 二本目の三つ編みを作りながら、大きく目を見開いて形の良い旋毛を見つめる。セツナの口からイヴの名前を聞くのはいつ振りだろう、自分からその話題を持ち出すなんて滅多に無かったのに。


「……言っとくけど、俺は全然達観出来てないよ。まだまだ今も悩んでる途中だ。それでも達観して見えるのなら……単純に元気がないだけかも」

「……そう」


 三つ編みが二本とも出来上がった。ここから髪を巻いて丸いシニヨンを作れば、あとはもう完成間近だ。


「……セツナは、プリザーブドフラワーを知ってるか?」

「……ごめんなさい、あまり花の知識が無くて」

「簡単に言うと、花が枯れなくなる加工方法だ。花は全盛期のまま何年も咲き続けていられる」


 ヘアゴムで丸めた髪を縛ってシニヨンを完成させると、仕上げに二本の三つ編みをくるくる巻いていく。


「……それは、質感なんかもまるで変わるの?」

「いや、限りなく生花に近い質感だよ。でもまぁ、ひび割れたり、色褪せたり……耐久性はイマイチだけど、それでも造花とは違う。花自体は本物に違いない。そして俺は、やろうと思えばあの花をプリザーブドフラワーにする事も出来たんだ…………でも、やらなかった」

「知ってるわ」

「後悔はないんだ。ただ……」

「たぶん、あたしが同じ立場でもやらなかったと思う」


 ヘアアレンジが完成するとほぼ同時に、セツナは滔々とした口調で俺の言葉を遮った。


「それは……どうして?」

「だってそれは、既に花ではないから」


 キッパリと、最近の彼女からは考えられないほど糺された口調で言い切られる。

 我ながら素晴らしい出来栄えのシニヨンヘアがみるみる遠ざかっていくと思ったら、俺の眼前にはおそろしく端正な顔立ちが突き付けられていた。


「それには確かにメリットもあるのでしょう。人型の知的生命と小さな植物ではまるで格が違う。花なんて美しくあればそれで充分という人間の方が遥かに多いことでしょう。けれど……あなたはそうじゃなかった。何が気に入らなかったのか、自分の言葉で言える?」


 ダイヤモンドの如き輝きを放つ瞳が、俺に訴えかけている。これ以上人の口から言わせるな、と。


「……ああ、セツナがさっき言った通りだよ。俺も同意見なんだ。だってさ、プリザーブドフラワーは水やりの必要がないんだぜ。むしろ水なんかあげたら壊れるくらいだ。そんなの……生物じゃない、ただのオブジェだ。もちろん……これは俺の個人的意見。人によってはプリザーブドフラワーも立派な植物だと言う奴もいるだろうし、理解はする。だけど同調はしないよ。俺はイヴを……たとえそこにイヴの魂なんか無くったって、俺は……」


 胸が詰まった。息が詰まった。声が詰まった。

 ぐちゃぐちゃだった心が、確かな重みを持つ哀しみに変化していたからだった。


「……なんか、ほんと、あと少しで、整理が付きそうな気がする……」

「……ええ」

「悪かったな……べらべら捲し立てて」

「いいえ、正直少し安心したわ。最近、ハルのそういう顔を見たことがなかったから」


 照れ臭そうに少しはにかみながら、ぽんぽんと丸まった髪を叩いて、


「上手いのね、ハル。ありがとう」

「………そりゃ良かった。凄く可愛いよ」


 蝉が鳴き始めた。

 これまでの静寂が嘘みたいに騒がしくなる。

 あの気まぐれな虫達をこんな風に好ましく思うことがあろうとは夢にも思わなかった。


「…………ははは」


 答えが出そうで嬉しい、というのもある。けれど、セツナとこんなにまともな会話を出来た事実が何よりも嬉しかったりするのだった。

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