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愛言葉

 今日で学校は終業式を迎えた。明日からはついに待ちに待った夏休みが始まるとあって、俺は当然のように夜更かしをしていた。


「………………ふわ」


 やばい、ちょっと眠くなってきた。本来半神使はあまり寝なくても平気なのだけれど、いくらなんでも最近は寝なさすぎなのかもしれない。しかし今がクライマックスだ、ここは堪えるしかないだろう。


「うーっす、来たわよー」

「どわっ!? ミ、ミヌート!?」

「何よ、そんな驚いて……あっ!」


 突然現れたおっそろしい悪魔美女は、俺が両手で持っていたタブレットを視認するやいなやとびっきりのニヤケ顔を浮かべた。

 更にズンズンこちらへ歩み寄ってきたかと思えば、ブツを取り上げようと無遠慮に手を伸ばしてくる。もちろんそう易々と奪われるわけにはいかないので、俺は反射的にタブレットを抱き抱えて彼女の手を阻止した。


「ねぇねぇ今何見てた? エロ動画? エロ漫画? それともガーターベルトの特集とか?」

「全部ちげーよ! なんだよいきなり来てさ!」

「あの驚きようはエロよ。ほら、観念して見せてごらんなさい」

「や、やだよ。だってからかわれそうだし」

「もうからかわれてんでしょ? 時すでに遅しでしょ?」

「それもそうか……」


 まんまとやり込められた俺は、渋々タブレットの画面をミヌートに提示する。美しい桃色の瞳は喜び勇んでそれを覗き込み、


「……漫画? エロ漫画にしちゃやけに繊細なタッチね」

「だからエロ漫画じゃねーしエロ漫画の画風も多種多様だろ。とにかく、これは普通の全年齢漫画だよ」

「ふぅん……じゃあ恋愛漫画なのね。見るからに告白シーンだし。キミもそういうの読んだりするんだ」

「俺は案外何でも読むよ。バトル、ギャグ、ミステリー、ラブコメ……その代わり滅茶苦茶ハマってる作品もないんだけど」

「浅く広くってやつね。まぁそんくらいが丁度良いでしょ」


 ミヌートはスラスラと画面をスワイプして漫画に目を通していた。漫画なんて物珍しいのだろうか、やっぱり。


「……これ、人気あるの?」

「あるよ、発行部数一千万部を超えてるとかなんとか」

「へぇー、これがねぇ……」


 尚もスワイプし続け、もう一度最初に見たシーンに舞い戻る。見開き二ページをかけて描かれている、ヒロインから主人公への愛の告白シーンだ。ミヌートは、それを食い入るようにじぃーっと見つめている。


「良いシーンだよな、そこ」

「そう? 普通過ぎないかしら。『あなたを愛してる』……ですって。もうちょっと捻りのある告白にすべきでしょ、漫画なら」


 大真面目な顔で告白シーンの品評をするものだから少し面食らう。それも俺とは真逆の意見だったので尚更だった。


「いや、それは違う」

「何がよ」

「この場合、シンプルな告白だから良いんだよ。長々とポエムみたいな告白されちゃ興醒めだぜ」

「ポエムとまではいかなくても、もう少しあるでしょ」

「何がだよ?」

「そりゃあ…….何かよ」


 埒が開かないな、と思った。しかし呆れたりはしない。彼女にしては大変珍しいことだが、自らの吐露すべき語句を見つけられないでいるようだから、俺も出来うる限り真摯な対応をしなくてはと思うのだ。


「ミヌートは『愛してる』と言われた時、そのまんまの意味だけ受け取るのか?『愛してる』に潜在的な想いが沢山詰まってるとか、そういうことは思わない?」

「『愛してる』なんて親にしか言われたことがないのよね、私。その時はそのまま受け取っていたけれど?」


 ううむ……まぁ、俺もイヴにしか言われたことないからなぁ……。


「いいか? この『あなたを愛してる』の見開きからさらに見開きでキスシーンがあるだろ? たぶん、ミヌートの言う「何か」は全部この四ページに込められてるんだよ」

「不親切ねぇ。『あなたを愛してる』の前に、もっと色々台詞を追加してからキス……この方が盛り上がるでしょう?」

「いやいや、ヒロインは物凄く考えたうえで『愛してる』プラスキスという簡潔な行動を取ったはずだよ。言わば最大限の愛情表現だ、それ以上は要らないんだ」

「馬鹿ね、最大の愛情表現と言うならやっぱりもっと愛の言葉を羅列すべきだわ。その方が、どれだけ相手を愛してるかが読み手にも分かりやすいわよ」

「いや、だから……」


 そこまで言いかけて俺は口をつぐむ。

 これほど『愛してる』という小っ恥ずかしいワードが頻繁に飛び交う会話は初めてで困り果てていたこともあるが、何より本当に終わりがないと思ったからだ。

 今思い出したが、そもそも俺とミヌートの価値観は大分違う。その上彼女は自分から折れたりしないので、俺が折れない限り今の状況が変わることはないだろう。

 冷静になってみれば、こんなの大してムキになる話題ではないし、俺がさっさと折れて打ち切った方が良い……のだが、何故かそうする気になれなかった。何か、彼女の意見に対して述べるべき言葉が、喉元まで出かかっている状態だからだろうか……。

 しかし、このままでは平行線の一途を辿るだけになるだろう。何しろこのような事柄に万人を納得させる明確な正解は存在しないからだ。まさしく「人それぞれ」というフレーズそのままの事例である…………あ、そっか……ようやく分かった。胸に燻っていた、彼女の言い分に対する最も適切な言葉が。


「てかさ、この一冊だけ読んでも分からなくないか? 全巻タブレットの中にあるから読んでみてくれ。話はそっからだな」

「……まぁ、それもそうね」


 流石のミヌートもこればかりは同意し、目次から一巻を開いてスワイプし始める。

 そう、あの告白シーンが載っているのは単行本の十四巻……この漫画の最終巻だ。十三巻分の軌跡を知らないままでまともな議論など出来るはずもなかったのである。


「って読むの速すぎ! パラパラ漫画じゃねーんだぞ!」

「失礼しちゃうわね、ちゃんと一言一句読んでるわよ。この程度の速読なんてわけないわ」

「相変わらず芸達者なことで……」


 それからあっという間に全巻読み終えたミヌートは、タブレットを俺に突き返して「うーむ」と唸った。


「どうだった?」

「うーん……まぁ、確かにキミの言うことにも一理あると思ったわ。けどあくまでもそれだけ、私の主張を塗り変えるには至らないわね。やっぱり私はもっと言葉で伝えた方が良いと思うのよ」

「ん、そうか。全巻読んだうえでの意見なら、俺も文句はないよ」


 いきなり告白シーンを見ただけの感想と全巻読破したうえでの感想は、たとえ結論が同じでもその重みは全く異なる。今のミヌートが出した答えにまで拘泥しては、もはや自分の意見を絶対的に盲信するクレーマーでしかなくなるわけだ。一漫画読みとしてそこまで落ちぶれているつもりはない。


「でも、意外だったよ。ミヌートはこういうのに興味を示さないと思ってた」

「別に、漫画自体にそこまで興味あったわけじゃないわよ。キミがどんな内容を読んでたか気になっただけだもの」


 タブレットをスリープ状態にし、俺の胸に押し付けるように返却する。


「結構新鮮だったわ。漫画の事とはいえ、キミとあんな風に討論するなんて」

「あはは、確かに。俺達、いつもゆるーく駄弁ってばかりだもんな」


 俺がそう笑いかけると、ミヌートもくすりと吹き出した。


「……あと、そういえば、さっき思ったんだけど」

「何?」

「漫画の台詞とはいえ、愛してるを連呼しまくってたキミが面白かったわ」

「う……」

「あら? なぁに? 今さら顔赤らめちゃって」

「……小っ恥ずかしい会話してた自覚はあるんだ。忘れてもらえると助かります」

「あれっ、言わなかったっけ? 私、物凄く記憶力良いのよ。忘れてなんてあげないわ」

「意地悪だなぁ……ミヌートは恥ずかしくなかったのかよ」 

「特には」

「さすが長く生きてるだけあるな」

「いや、というよりもね、日本語だからよ」


 ゆったりとまばたきした後、あっけらかんとした表情でよく分からないことを言う。


「……え、どゆこと?」


 予想外の言葉に眉を顰める俺。ミヌートは変わらず澄まし顔で肩をすくめた。


「私、今日本語喋ってるでしょう」

「うん、凄く流暢」

「でも本来は英語圏の人間だったわけよ」

「…………あー、なんか分かってきたかも。つまり、日本語はアンタにとっちゃあくまで異国語だから、『愛してる』と口にしてもそこまでピンと来ない。けど『I LOVE YOU』だと母国語だからちょい恥ずい……ってコト?」

「百点。花丸をあげるわ」

「どーも」


 ミヌートは満足げに小さく頷き、ついっと人差し指で俺を指し示す。


「キミはどうなの? 違うの?」

「うーん、考えたこともなかったけど……そうなのかも」


 ふむ、と思案する。俺はどうなんだろう……実際に喋ってみれば分かるか?


「あいし……」

「?」


 ……うわ、確かに恥ずいな、日本語だと。だったら……、


「あいらびゅー」

「……!?」

「ホントだ。英語だとすんなり言えちゃうな」


 母国語と外国語では、たとえ同じ意味を持つ言葉でも、実際に口に出すとなればこんなにも心情的に異なるものなのか。人間って不思議な生き物だなぁ……。


「…………………」

「ミヌート? どうした?」

「…………さぁ、分かんないわ、どうしたのかしら」


 頬に手を添え、緩慢に首を捻るミヌート。中々珍しい表情だったので俺は目を丸くした。


「とりあえずアイスでも食べるか?」

「ん」

「じゃ、持って来る」


 もはや形式的とも言えるやり取りでとりあえず部屋を出た。

 何だか急に雰囲気がおかしくなった気がする。別にピリピリした感じではなくて、どちらかというと……。

 一体何故だろう。俺の言葉に何か……なに……か……?


「…………っ!?」


 全身から火を噴きそうなほど体温が上がる。おかしいのは彼女じゃなかった、俺だ!! 独り言のつもりで言ったけど、目の前にミヌートが居たのは紛れもない事実!!

 スリッパが壊れるほどのキレ味鋭いターンで踵を返し、急いで自室の扉を開いた瞬間、目に入ってきたのは、



「くすくすっ……ふふっ……うふふふふっ……」



 仄かに頬を染め、とびきり無垢な表情で笑うミヌートの姿だった。



「……っ」



 突然、胸がきゅうっとした。痛い。心臓が痛む。なのに不思議と不快じゃない、それどころか心地が良いくらいで。

 俺は部屋に入ることもなく、我を失ったかのように突っ立っていた。


「……ん? あっ、ちょっ、何よ!? 入るなら入るって言え、ばか!」


 棒立ちする俺に気付いたミヌートは、急いで顔を隠し抗議を浴びせてくる。見え見えの照れ隠しに突っ込むこともせず、俺はぼうっとした頭で彼女を見つめていた。


「……へんだな」

「……な、何が? 私が?」

「俺だよ。俺が、なんか変なんだ」


 ポツリと、我ながら他人事のような口振りで小さく零す。

 俺は、俺という人間をこの世で最も理解しているのは俺だと思っていた。だけど今はその自信がない。現在進行形で湧き上がるこの感情は、とても俺の理解の及ぶものではなかった。


「……よく分かんないけど、さっさと部屋に入ったら? こんな時間とはいえ、キミんちの神使が起きたら面倒だわ」

「う、うん……それもそうだな……」


 ぎこちない動きで部屋の扉を閉め──ふと、窓際の花に目が触れる。かつての美しさが褪せつつあるその姿を見た瞬間、なんだか言いようのない後ろめたさがこみ上げてきて吐きそうになった。


「あれ? キミ、アイスは?」

「……あ、忘れてた……」 

「えぇ? アイス取りに行ったんじゃなかったかしら?」

「いや……そうなんだけど……ちょっと、早めに言っとかなきゃいけないと思って……」


 頭痛がする。動悸が酷い。吐き気が収まらない。ついさっき味わった心地の良い胸の痛みなどとうに消え去り、ただひたすらに重く苦しい鈍痛が心臓を締め上げていた。


「さ、さっきのは……独り言のつもりだったから……妙な誤解を招いたんじゃないかと……」

「いや、そんなのちゃんと分かってるわよ。分かったうえで笑ってたの! 悪い?」

「え……あ…………?」

「ほら、さっさとアイス持ってくる!」

「ご、ごめん……」


 視界がぐにゃぐにゃに歪んだ状態のまま、ふらふらと部屋を出ようとした時、



「…………ふぅ」



 消え入りそうなほど微かな溜息は、一体誰に向けたものだったのか。彼女自身なのか、俺なのか。

 もう、分からない。何が何だか分からない。分かってしまうのが怖い。

 俺は……一体、どうなりたいんだ……?

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