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たとえ永い時を生きていても

 家の扉の鍵を開け、玄関に足を踏み入れると、


「…………」

「うおびっくりした! セツナ、どうしたんだ? こんなところで」


 玄関マットの上でぼうっと立ち尽くすセツナの姿がそこにはあった。一体いつから居たんだろう?


「……それは?」

「これか? 日用品を買ってきたんだ。今晩の食材とか、洗剤やティッシュとかさ」

「…………」


 セツナは俺が家事をするとキレる。しかも見たことがないほどにブチギレる。

 なのだが、


「…………そう、なのね」


 抑揚のない声音で呟き、小さく俯くセツナ。

 実は最近、ギリギリの交渉の甲斐もあってちょっとしたおつかいだけは許されるようになっていた。家の中の事は絶対に自分でしたいっぽいから手を付けないが……それでも、少しでもセツナの力になれるなら嬉しいもんだ。


「家の中の事は……あたしがやるから。夕飯も……掃除も……全部……」

「分かってるよ」

「うん……」


 こくりと頷いたセツナは緩慢な足取りでリビングに戻り、再びソファに身体を預けて虚空を眺め始める。今日はまた随分と不調だな……そろそろ元通りになっててもおかしくないはずなんだけど。

 とりあえず冷蔵庫に買ってきた食材を詰め込み、軽く洗ったマグカップに牛乳を注いで自分の部屋へ向かう。

 そして、三回ほど扉をノックした。


「あ、入っていいわよ」


 先に庭から窓へ侵入を果たしていたミヌートの了承を聞き、ゆっくりと扉を開く。

 ベッドには、見慣れた漆黒のレース服を身に纏ったミヌートがドヤ顔で鎮座していた。どうやらようやく火照りが戻ったらしい。


「シャツ、直しといたから。はい」


 ぽん、と先程ボタンが弾け飛んだシャツを渡された。確認してみれば、ボタンどころか安全ピンの穴まで元通りになっている。


「凄いな、どうやってこんな短時間で直したんだ?」

「ふふ、内緒の力よ」

「よく分からないけど、ミヌートってかなり万能だよな……とにかくありがとう、この服気に入ってたからさ」

「こ、この件に関してはまぁキミに落ち度はないというか……忘れて」

「善処します」


 あのはだけた胸元は早々忘れられるもんでもないので、これは嘘である。さしものミヌートでも俺の記憶は弄れまい。


「ぶん殴ったら記憶消せるかしら……」

「記憶どころか命が消えるじゃん。分かった分かった、本当に考えないようにするから」

「是非そうして」


 恐るべき察しの良さだな……この御方には冗談でも嘘は通じないらしい。


「あら、ところでそれ牛乳? 気が利くわね」

「ああ、好きだと思って。はい」


 俺が差し出したマグカップを受け取ったミヌートは口を付けようとして──不思議そうに首を傾げた。


「これまでのカップと違うのね?」

「うん。今日の一番の目的は、それだったんだよ」

「……え?」

「今日はそれを買いに行ってたんだ。ほら、いつも客人用のカップ出してただろ? ミヌート専用のマグカップ、あった方が良いと思って」


 そう言って、俺はにっこりと微笑んだ。ミヌートとの付き合いは、きっとこれからも続いていくだろうから。いつまでも客人用カップじゃ申し訳ない気がしていたんだ。



「……………」



 ミヌートは瞬きもせず、何故か俺の目をじっと見つめてきた。あれ、なんだろ、もしかして気に入らなかったか?


「ミヌート、あの……」

「あっ、ありがと!!」


 突然、弾かれたように立ち上がって感謝の言葉を述べてきた。予想外の勢いに俺は少しばかりたじろぐ。


「え、あ、うん。どういたしまして……?」


 気に入ってくれたんだろうか? 一応、嫌がってはなさそうだけど。



「……っ! ~~~~っ!!」



 ミヌートは瞼を閉じて牛乳を一気に(あお)ったかと思えば、ガバッとベッドの中に潜り込んでしまった。頭から爪先まですっぽり隠れたその様は、まるで亀の甲羅。なんだこの反応……まさかとは思うけど……。


「ミヌート、もしかして照れてる?」

「だったら何!? 悪い!?!?」

「い、いや……そんなに喜んでもらえると思ってなかったから……嬉しい」


 すると、布団の甲羅がもぞもぞと蠢き、銀色の頭と桃色の瞳がぴょこんと生えてきた。


「な、慣れてないから……私。こういうの、いきなりされると、困る……」

「そ、そうなんだ……」 

「…………こんなに永く生きてるのにね」


 びっくりするほどあどけない声と共に、やんわりと目を細めるミヌート。口元は隠されていて見えないけれど、笑み崩れていることはすぐに分かった。


「とにかくありがとう、大切にするわ」

「うん、そうして貰えると嬉しい」

「………………と、思ったけど、やっぱりキミが持っててよ」

「え?」

「私が持ってると、ふとした拍子に失くしちゃうかもしれないの。だから、私のカップはキミが持っていて。いい?」

「ああ、全然構わないよ」

「割ったりしたら承知しないんだから。くれぐれも丁重にね」

「あはは、分かった分かった」


 もう一度微笑むと、ミヌートは漸くのそのそと布団から這い出てきた。


「それじゃ、そろそろ帰るわ」

「ん、またな」

「今後の状況次第じゃほんとに攫うかもだから、お忘れなく」

「えー、そいつは勘弁して欲しいな」

「ふふふ、まぁキミの態度次第よ」


 意地悪な笑みを浮かべたミヌートは、ひらひらと片手を振りながら窓の外へ消えていった。

 たまには最後まで見送ろうと窓の外へ顔を出した時には、もう彼女の姿はどこにも見当たらない。どれだけ速いんだろう……。


「にしても……色々考えることが出来てしまった」


 詳しい時期は分からないが、その内必ず『ドゥーム』が神域に襲来する。そいつはたった一体で神域の全戦力に対抗し、勝利をもぎ取るだけの実力があるという。

 それを知った俺がすべき事とは、何なのか──今一度真摯に向き合わねば。


 まず第一に、セツナの安全。これは絶対だ。セツナだけは何がなんでも危険に晒してはならない。

 そして神使の安全……特に月ちゃんの安全だけでも確保したいが……正直難しい気がする。ミヌートが言っていた通り、神域へ忠誠を誓う純粋な神使の説得は困難を極めるに違いない。

 彼らの確固たる信仰、思考を捻じ曲げられるだけの説得など不可能と言ってもいいくらいだ。神と同等、或いは神より上のカリスマ性を持つ者が言えば別だろうが……そんな者の存在を俺は知らない。


「……どうすりゃいいんだ」


 何の進展も生み出せない思考回路に溜め息をつき、ベッドに寝転がった。

 大勢の神使を動かすカリスマなど一生かかっても得られる気はしない。半神使という中途半端な存在の言葉に説得力などない、当然のことだ。ミヌートの言う通り、セツナさえ助けられれば良しとして全部見過ごすしか……馬鹿な、月ちゃんを見捨てるのか!? ありえない!! くそっ、堂々巡りだ!


「…………『ドゥーム』、か」


 おもむろに立ち上がり、部屋の鉢植え──かつてイヴだった名もなき花をそっと撫でた。脳裏によぎるのは、静寂に支配された世界の中で彼女と交わした会話。同時に、俺自身が口にした言葉。



 ──この世界の全ての命には、何かしら生まれた意味がある



 生まれた意味。そうだ。俺は全ての命に生まれた意味があると考えている。今もなおその思想は揺らがない。

 だが……『ドゥーム』ほど強大な力を持った生命は、一体何のために生まれてきたのか。

 壊すため? 奪うため?

 だとしたら、それは……、


「……なんて、虚しい生き物なんだ」


 彼ら自身はどう思っているのか。もしかしたら四体中三体は本当に滅ぼすことを天命と受け入れ、動いているのかもしれないが……ミヌートだけは違うはずだ。

 ミヌートは……どうなんだろう。

 人から、悪魔に。それも最強の大悪魔に変貌したことに対し、何を考えて──今に至っているんだろう……。




 第三章 完。

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