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来たる滅びの足音

 午後二時。気温はなんと三十七度。今年一番の熱気が全身にまとわりつき、大粒の汗が首筋を伝っていく。


「あっついなぁ……」


 口ではそうぼやきつつ、例年と比べると幾分楽な気がしていた。気温も湿度も増しているはずだが、やはり半神使化の影響だろうか。

 熱々アスファルトの上に立つ俺は今、食材やら日用品やらをパンパンに詰め込んだエコバッグをぶら下げていた。

 いつもはセツナが率先して買い物に行きたがるが……どうにも今日は調子が良くないらしい。朝っぱらから無表情でソファに座ったまま、ひたすらにぼうっとしているのだ。話しかけてもほとんど反応してこない。いつものようにそこら中を徘徊されるよりはマシだけどさ……。


 くそっ、それにしても赤信号が長い。大して車通りも多くない道なのに、どうしてこんなに長く設定してあるんだ? 俺の周囲の人々もげんなりしているし……一度苦情の電話でも入れるべきか。

 フラストレーションが沸々と溜まってきた時、ようやく信号が青に変わる。はぁ、家まではまだ長いのに……すっかり疲労困憊だ。



「ちょっと、キミ」



 一斉に歩き出した人混みの中から、ずば抜けて艶のある声が全身に伝播する。

 待望の青信号も忘れて足を止め、左隣へ顔を向けると──やはり予想通りの人物が立っていた。


「ミヌート」

「そうよ私よ」


 純白の日傘を差し、あっけらかんとした物言いをする美しき悪魔。『ドゥーム』の悪魔という凄まじく恐ろしい存在のはずなのだが、俺の場合この顔を見るともはや安心感すら覚える。

 だが同時に強い違和感も感じた。真っ昼間、しかも町中でミヌートを見るのは初めてだからか? 圧倒的な美貌も相俟って異物感が凄いし……ん?


「あっ、ミヌートの服がおかしい!」

「何がよ。この服は……」

「いつものドスケベレース服じゃない!!」

「人を痴女みたいに言わないでくれる!?」


 そう、ミヌートが普段着用していたのは部分的にレース加工を施している漆黒のパーティードレスだったはずなのだ。しかし今目の前にいる彼女は、ミントグリーンの爽やかなシャツと白いデニムパンツ。今までとは全く逆の印象を抱かせる服装だった。


「こんな街中であんな服着てたら目立つでしょ?」

「そこら辺の価値観は普通なんだ」

「キミは私をどうしても痴女にしたいようね。いつもの服は、そりゃ確かに私の趣味だわよ。でも着る場所を選ぶ常識くらいあるっつーの」


 最強の大悪魔が発するにはあまりにも真っ当な言い分に、思わず目を丸くしてしまった。


「ごもっともだ。でも場所を選べるなら俺の家でも……」

「え? なんでキミの家で気を遣わなきゃいけないの?」


 なんて純粋な瞳でのたまうのだろう、このお方は。口論を交わしても無駄だと瞬時に悟ってしまったじゃないか。


「……まぁ、いいや。とりあえず歩こ……」


 と、その時。彼女の胸部に目がいく。豊満なおっぱいでボタンが弾け飛びそう──なのは確かだが、俺が一番注目したのはそこではなくて。シャツの左胸部に、どうにも見覚えのあるロゴが刻まれていたのだ。

 このロゴ、俺の好きなブランドのやつだ。家にいくつもあるし、コレと同じ服も持っている。ていうかコレ……あれ?


「俺の服……?」

「そうよ?」


 何やってんだこいつ!?


「ど、道理で見たことあると思った! 何で俺の服着てるんだ!?」

「キミの家に行ったらキミが居なかったから、探しにいくためにキミの服を借りたってだけ」

「探すためって……普通着ないだろ……」

「私が普通じゃないのは当然でしょ」

「なんだよあんた無敵かよ」


 常識と非常識を都合よく併せ持っているのは人間も同じだが、ミヌートの場合完全に開き直っているからな……素直に凄いと思う。尊敬はしないけど。


「この私を出迎えないからよ」


 どこか拗ねたように言い放つミヌート。とはいえ、彼女がいつ訪れるかなんて俺には分からないのだし、中々難しい注文だ。


「別にわざわざ探さなくても、部屋で待っててくれれば良かったのに」

「やーよ、だってリビングになんか居たし。万が一部屋に来られたら、困るのはキミでしょ」


 ……そうか、セツナが居たから嫌がったのか。無いとは思うが、確かに鉢合わせる可能性もゼロではない。もしセツナにミヌートの素性がバレれば……ミヌートはセツナを殺すかもしれない……それだけは避けなければ……。


「ごめん、気を遣わせて」

「別にー。にしてもキミ、買い物とかするのね」


 気まずくなる前に話題を切り替えたかったのか、ミヌートは俺のエコバッグに目を付けて物珍しそうに覗き込んだ。

 彼女の意図を汲み、俺も即座に頭を切り替えて笑みを浮かべる。


「俺だって買い物くらいするよ」

「こういう食材の買い物は、キミん家の神使がやるもんだとばかり」

「いや、そうとも限らない。最近は特にな。それに、今日は個人的に買いたい物もあったし」

「へぇ、ふーん」


 反応自体は簡素だったが、一目でロクなこと考えてないなと分かる声色だった。


「……なんかやらしー物でも買ったでしょ?」


 ほらね。


「買ってねーよ」

「でもねぇ、信じらんないわねぇ。スマホにエロ画像を大量に保存してる漢だものねぇ」

「……健全なガーターベルトの画像をちょっと集めてただけじゃん……エロ要素ないよ……」

「あら? あらあら? じゃあ今すぐスマホを出して証明してごらんなさいよ、ねぇったら」

「むっ……」


 画像のことを突かれると途端に弱くなる。実際にスマホの中身を確認されてるから、誤魔化しが効かないのは本当に困りものだ。


「ともかく歩きましょ? こんな炎天下で青信号を前に立ち尽くしてもしょうがないじゃない」


 炎天下、なんて言いつつミヌートの方は汗一つ掻いていなかった。表情もいたって涼しげで、とても同じ空間にいるとは思えない。

 一方普通に汗ダラダラの俺は彼女の申し出を断る理由などないので、有り難く家への道を歩き始めた。


「それで、結局何買ったの?」

「いやぁ、歩きながら出すもんじゃないから」

「勿体ぶるわね……まぁいいわ。着いたら見せてもらうから」

「分かった分かった」


 そもそも、コレは見せないとどうにもならないしな。 


「そうそう、俺、つい最近神域で勉強合宿してたんだ」

「勉強合宿ぅ? 何よ、狂界の悪辣さがどうのと講義でもされたわけ?」

「違うよ、学校のテスト勉強」


 するとミヌートは、意味がわからないという風に眉を顰めた。当然の反応だと思った。


「まず知っといて欲しいんだけど、俺は馬鹿なんだ」

「知ってるけど」


 間髪入れず。だが俺はめげない。


「赤点常習犯の俺が助けを求めたのは、一つ上の先輩……ズバリ言うと、学校の先輩が神使になったんだよ。凄く秀才でな、めちゃくちゃ分かりやすかったぜ」

「学校の先輩が神使に……? とんでもない確率ね、それ。悪魔にしても神使にしても、そういう事例は聞いたことがないもの」

「らしいな。まぁ奇跡ってやつだろうな、こればかりは」


 燦々と照りつける陽光などものともせず、俺は笑いながら天を仰いだ。皆が皆、口を揃えて俺と月ちゃんの関係を奇跡だと言う。まさにその通りだと思う。それ以外の言葉で形容することは難しいとさえ。


「……その先輩、女でしょ」

「ん、そうだけど」

「やっぱりね。エロい顔してたわよ、気を付けなさい」

「え……えっ!? エロい顔なんてしてないんだけど!?」


 突然の言い掛かりに抗議の声を上げるも、ミヌートはそっぽを向いてまともに取り合ってくれない。これは長くなると思った俺は説得を諦め、すごすごと引き下がった。

 エロい顔なんかしてなかったのに……してなかったよな? うん、してない。


「……てかミヌートの思考がおかしいのでは」

「え何? 何か言った?」

「いえなんでも」


 いつの日か必ず、俺よりミヌートの方がエロいという客観的事実を突き付けたいものである。

 俺が呑気な野望を胸に抱いていると、ミヌートは急に立ち止まって顎に手を当てた。


「どうかした?」

「……よく考えたら、キミの家に帰っても、神使の女が起きてるんじゃ落ち着けないわね」

「えっ……あ、そうか」


 一番最初の出逢いを除けば、ミヌートと会うのは決まって深夜だった。しかし今は真っ昼間であり、不調とはいえセツナは起きてリビングにいる。ミヌートにとってはそれが面白くないのだろう。


「どこか別の場所、ないの? 二人で落ち着ける場所」

「心当たりがあるといえばあるけど……そうなると別の問題が」

「何よ」


 ミヌートの問い掛けに、俺は無言でエコバッグを指し示す。そう、食材だ。気温も湿度も尋常ではないために、早いとこ冷蔵庫へ移さなければ傷んでしまう。


「なーんだ、そんなこと」


 俺の思考を理解したミヌートは動じることなく笑い飛ばし、瞬きの間にスプレーのような物を取り出した。


「これを吹き掛ければ大丈夫よ。数時間くらいは傷まなくなるわ」

「えぇ~ほんとかよ。そんなスプレーで?」

「ほんとほんと。はいシューッ」


 口元に笑みを浮かべたまま、躊躇なくエコバッグ全体にスプレーを吹きかけていく。ミヌートのことを疑っているわけじゃないが……こんなもん吹きかけて鮮度を維持するなんてどういう能力だろう。


「さ、これで懸念も無くなったわけよね」

「あ、ああ。じゃあ行こうか」


 エコバッグ内の食材に大きな変化は起きていない……が、ミヌートがこれほど自信たっぷりだと信じるしかないよな。



        ***



 その後も他愛ない世間話をしていたら、あっという間に目的地に辿り着いてしまった。体感的には十分も経ってないので、それだけミヌートとの会話が弾んだということだろう。


「着いたよ、行こう」

「ここは?」 

「ちょっとした庭園。他所に比べりゃ大分涼しいし、人も少ないし、座るところもある。話すにはうってつけだよ」


 もちろん、神域の聖ベルフィリア庭園とは比べるべくもないが、小さいながらも整った美しい庭園だ。

 豊かな自然と風景、手入れの行き届いたガゼボ。二人でひっそりと会話をするならば、歩行距離的にも此処がベストだったのだ。


「へぇ、西洋庭園なのね。懐かしいわ」

「懐かしい?」

「私の生まれた国にも、こんな場所がいくつもあったのよ」

「あー、なるほど」


 カナダには大小様々な美しい庭園、公園が多数存在する。そこが出身地である彼女にとっては、西洋庭園は見慣れた風景なのかもしれない。

 やがて、花畑に囲まれたガゼボに辿り着いた俺達は、やれやれと息を吐きながらベンチに腰を降ろした。


「ふぅ、よっこらしょ」

「ガゼボ、ちゃんと空いててよかったー。予想通り人も少ねーし」

「ま、普通の人間にとっちゃ今日の気温はしんどいでしょうし、わざわざこんなとこ出歩かないわよ」


 俺も普通にしんどいけど……ほんと、半神使って何もかも中途半端だな。


「あ、ビスケットあるけど食べる?」

「貰うわ」


 今日のおやつ用に買っていたビスケットをバッグから取り出し、テーブルの上に広げる。紅茶でもあれば尚良かったが、流石にそこまでの用意はない。


「美味しいわね、これ」

「だろ? 昔から気に入ってるんだ」


 思わずにっこりと微笑む。これと言って飾り気のないプレーンなビスケットだが、この素朴さが堪らない。何より、これをミヌートも気に入ってくれたのが嬉しかった。


「それで、今日はどうした? なんかずっと話したそうにしてるけど」


 ミヌートがビスケットに夢中で何も喋ろうとしないため、とりあえず俺から切り出す。

 するとミヌートは、少し驚いたように目を見開いた。


「あら、よく気付いたわね。普段通りでいたつもりだけど」

「なんかちょっとだけ、いつもと様子が違った気がしたから」

「そう? キミ、意外と鋭いのね、びっくり」

「鋭くはないと思う……」


 別に勘繰ろうと意識していたわけじゃない。自分でも上手く説明できないが、今日彼女の顔を見た時から「何か話があるんだな」と感じただけだ。


「ま、そうなのよ。今日は言うことがあって来てあげたわけ」

「いつもは暇だから来るだけだもんな」


 俺が笑いながら軽口を叩くと、無言でビスケット三枚を口に突っ込まれた。うーん、顎が外れそう。


「さて、じゃあ本題に入るけど」

「もごご……」

「キミ、神域にはどのくらいの頻度で行ってる? 何曜日に行くことが多いの?」

「もんぐもんぐ」

「ちょ、いつまで食べてんのよ。話が進まないじゃない」


 えぇー……。


「もぐん……ごくん。ふぅ……」

「それで回答は?」

「ええと、基本的に週一で行く。曜日は土日のどっちかだな」

「ふぅん……週一か……」

「なんなんだよ、その質問。わざわざそんな事聞きに来たんだとすれば、いつも以上に暇人じゃねーか」

「はっ倒すわよばか」


 今度はなんとビスケット四枚を口にぶち込まれた。ガチで顎が外れるんだが!?


「うーむ、週一とはまた微妙ね……土曜か日曜かも判然としないなんて……確率的に安全とは言い難い……」


 あぐあぐしている俺そっちのけでブツブツ呟いているミヌート。なんだってんだよ、マジで。


「よし、じゃあ私からの提案」

「え、なに?」

「キミね、これから私の許可なく神域に行っちゃだめ」

「……………うん? なんでそうなった?」


 まるで意味が分からない。週一で神域に行くと伝えただけなのに、なんで急に許可制に?


「すれ違い防止よ。確実にキミが巻き込まれないようにしておく必要があるの」

「……巻き込まれ……って」


 場の空気が変わる。急速に張り詰めていく。

 あえて要点を外しているような物言いだが、それでも並々ならぬ不穏さがひしひしと伝わってきた。

 神域に居ると……巻き込まれる。その言葉から連想出来ることは……。



「まさか、ミヌート……神域を襲うつもりなのか?」



 恐る恐る、震える声で尋ねる。ミヌートは真顔のまま、ガゼボの天井を眺めつつビスケットを齧っていた。


「んー、私個人は一切手出ししない。でも、神域がその内やばいことになるのはマジよ。再起不能に陥るくらいね」


 彼女は、普段通りの軽い口調できっぱりと言い切った。

 ……嘘じゃない。ミヌートは嘘をつかない。

 俺も。セツナも。神域に属する全員が危惧していたこと──狂界との全面戦争。それがついに起こるというのか。

 勝ち目はない。敗色濃厚などという甘ったれた評価さえ許されないほどの、絶対的な戦力差がそこにはある。


「大勢の悪魔達が、一気に攻め込んで来るってことか……」


 ただでさえ実力で上回る悪魔達が一挙に押し寄せてくるとすれば、神域は見るも無惨な地獄絵図と化すだろう。

 だが。



「いいえ。神域に送り込まれる悪魔は、たった一体だけよ」



 衝撃の事実を告げられた俺は目を見開き、小さく息を呑んだ。

 一体だけなら、神域中でそいつを袋叩きにしてしまえば終わる話だ。たとえ大悪魔だろうと大した脅威になるはずがない。

 しかし、ミヌートはここに来た。無闇に神域へ行くなと、わざわざ警告に来てくれた。それはつまり、神域が結託した所でどうにかなる悪魔じゃない、という事であり……その条件で思い当たる存在など、もう……。


「……『ドゥーム』なのか」

「まぁね」


 愕然とするしかなかった。神域に『ドゥーム』が送り込まれることも当然ショッキングだったが、何よりも堪えたのは狂界側の認識だ。

 『ドゥーム』一体送り込めばもう充分。狂界にとって、神域に対する認識はその程度なのかと。余りにもやるせない……残酷な現実だった。


「そこまで……なのか、そいつは。たった一体で、神域の全戦力を相手取って、それでも勝てるって言うのか」

「うん、一〇〇%勝つわ」


 断言した。神域が総力を挙げて死に物狂いでぶつかったとしても、そいつはたった一体で勝利をもぎ取れると。

 もう、言葉が出てこない。悪い夢でも見ている気分だ。

 今目の前に居るミヌートだって、その気になれば一人で神域を滅ぼせるに違いない。そして彼女と同等の力量を持つ悪魔が、他にも二体いて……。

 絶望という表現さえ不十分に思えるほど、現実は想像していたより遥かに厳しかった。


「ま、流石に多少手こずるとは思うけど。ただ、奴が本気で暴れれば確実に目的は達成されるわ。それだけの力は持ってるもの」

「目的って……」

「神域の滅亡」


 玲瓏(れいろう)たる双眸が、淡々と事実のみを突き付けてくる。彼女の自信溢れる佇まいに、俺は如何なる時も安寧を抱いていたが……今だけは、一抹の不安を感じてしまった。


「……一応聞くけど、やめて欲しいと言っても、無理なんだよな?」

「そうね。もう決まったことだから」

「…………な、なぁ、そもそもさ。どうして、滅ぼさなきゃいけなくなったんだよ」

「そりゃあ相応の理由が出来たからでしょ」


 のらりくらりと躱され続ける。具体的な説明をするつもりはないらしかった。

 ミヌートはいつの間にか空になったビスケットの袋を覗き込みながら、残念そうに嘆息する。普段俺の家で話す時と何ら変わりない態度が、この場においては酷く異質なものに見えてきてしまう。


「……私が怖い?」


 唐突に、俺の瞳を覗き込んでそんなことを聞いてきた。

 虚を衝かれはしたものの、俺は正直に、


「いや、怖くないよ」


 目を逸らさず、本心からの言葉を紡ぐ。


「ミヌートのことは別に怖いと思ってないし、思えない。だってあんたは凄く良い人だから」


 ミヌートとは幾度も言葉を交わしてきた。故にこそ、今更結論は揺るがない。

 いつか彼女が俺に牙を剥いてきたとしても掌を返すつもりはない。そりゃあミヌートに敵意を向けられたらショックだし困惑すると思うけれど、だからって恐怖の感情を抱けるか? いや無理だ、俺には殺される直前でも抱けそうにない。


「でも他の『ドゥーム』は別だ。怖いよ。ミヌートが良い人すぎるから、そのギャップもあるだろうけど」


 悪魔だからといって一様に恐怖の対象になるわけではないが、良くも悪くもミヌートは特別過ぎる。いつかミヌート本人からも言われたことだが、彼女を基準にして悪魔を推し量るのは絶対にやめた方がいい。


「……っふ」


 眼前の桜色の唇から笑い声が漏れた……ような気がする。何しろこの悪魔、さっきからずっと真顔である。


「ま、嘘はついてないみたいだし良いわ。別に疑ってるわけじゃなかったし。んふふふ」


 あ、ようやくちゃんと笑ってくれた。


「嘘なんてつかないよ、こんな時に。んで、本題に戻るわけだけど」

「えっ、なんだっけ? もうどうでもよくない?」

「おい!」


 ま、まったく! たまに真面目に話をし始めたかと思ったら! ほんとに!


「なんで神域を滅ぼしに来るのかって……いや、理由はこれ以上聞いても無駄か。ええと、じゃあその前の……」

「あ、私への報告は当然絶対だから。もし神域に行くタイミングが奴の襲来とかち合えば一瞬で死ぬわよ」

「わ、分かってるよ……連絡はする。俺とセツナはそれで助かるから良いとして……問題は、神域に住んでる神使達をどう逃すかだな」

「見捨てりゃいいのよそんなもん」

「そういうわけにはいかない。知っちゃったからには助けないと」


 周囲の花畑を見渡しながらそう答えると、ミヌートは目に見えて渋い顔付きになった。


「ヒーローごっこさせるために伝えたわけじゃないんだけど……まぁいいわ。キミが何を言ってもあいつらは逃げないし」

「確かに全員に信じてもらうのは難しいかもしれない。でも、面と向かって話せば信じて着いてきてくれる奴だって……」

「違うのよ、根本的に違う」


 ミヌートは銀に煌めく美しい髪を弄びながら、


「キミの話を信じようが信じまいが、あいつらは絶対に神域に残ると言ってるの」


 ともすれば矛盾している事柄を、当たり前のように言い放つのだった。


「えっ……どういうことだ? 信じない奴が残るのは分かるけど、信じた奴まで残るのはおかしい。残れば絶対に死ぬことを理解してるはずなのに」

「だってそれが神域だもん。トップから末端に至るまで、細胞レベルで玉砕精神が染み付いてる。逃げるくらいなら仲間と心中する道を選ぶわよ。半神使のキミはまともな思考が出来るみたいだけど」

「……」


 思わず言葉を失った。そして同時に、納得してしまった。神使と化した月ちゃんは、違和感を感じるほど任務に熱心だったから。戦うことに関して決して愚痴の一つも吐いたりはしなかったから。

 ……ん? 愚痴? そういえば……。


「……いや、違う。セツナは俺と同じ価値観を持ってる。やっぱり神使の中にも心中を選ばない奴がいるはずだ」

「それはまた別。キミんちの神使普通じゃないから」


 一切間を空けず、さらりと否定されてしまった。だが否定されたこと自体はどうでもいい。俺の意識は、完全に今の発言内容に奪われてしまった。


「……ミヌートの目から見ても、セツナは異常なのか?」


 セツナが普通じゃないことくらい俺も知っている。パルシド卿も同じことを言っていた。しかしミヌートほどの存在でも異常を感じるってのは……。


「え、知らずに一緒に暮らしてたの? あれ真っ当な神使じゃないわよ」

「……ど、どういう風に?」

「キミも真っ当な神使じゃないけど、キミは奇跡的に生まれた偶然の産物。対してあのセツナとかいうのは、故意に生み出された負の遺産ってとこかしら」


 負の……遺産? 故意に生み出された……?


「まぁそんなことはどうでもいいのよ。あの神使がどうなろうと知ったこっちゃないわ」


 セツナに関しては心の底から興味が無いのか、つまらなさそうに鼻を鳴らすミヌート。何の脅威も感じてなさそうだから、セツナに秘められているのは少なくとも「力」じゃないんだ。ならなんだ? 負の遺産って……。


「んーと……あと話すことは……もう無いか」


 ミヌートは頬に人差し指を当て、満足そうに頷いていた。もう話すべきことは話した、と自己完結してしまったらしい。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。セツナのこと以外にも、神使の脱出とか……」

「だからそんなの知らないってば。なんで私がキミ以外の奴らまで気にしなきゃいけないのよ、ばっかばかしい」


 俺としても、嫌がる彼女に強くは言えなかった。言えるはずがなかった。

 彼女は、悪魔だ。『ドゥーム』の悪魔だ。まかり間違っても神域の味方ではない。そのミヌートが事前に教えてくれただけでも有難いのに、さらに救いまで求めるのは間違っている。

 微かに息を吐き出し、頭を冷やす。とりあえず、人として最低限の礼儀は弁えなければ。


「……今日は本当にありがとう。正直、まだ混乱してるけど……ミヌートが話してくれなきゃ混乱することさえ出来なかったんだもんな」


 俺が感謝の意を述べると、剣呑としていたミヌートの表情が一気に華やいだ。


「分かればいいのよ。もしもごちゃごちゃ文句を言ってくるようならキミを攫って閉じ込める案もあったけど……その必要はないみたいね」


 絶句。ざっと四秒。


「……ナイスジョーク」

「いや、ガチで言ってんのよ?」

「……え……ほ、ほんとに攫うつもりだったのか? どこに?」

「狂界の、私の城。手錠と地下牢を昨日のうちに作っといたわ」


 絶句。さらに四秒。


「……今日ほど自分の判断に感謝した日はないな」

「あら失礼しちゃうわ」

「拉致監禁はまずいよ」

「私の監禁は良い監禁なのに」

「あんたって時々ヤバいこと言うよな」

「時々……?」

「……え、常時ヤバいの?」 

「………」

「弁明は無し、と」


 結局いつも通りの軽い会話になってしまったが、問題は何も解決していない。とはいえ、すっかりお開きムードを醸し出しているミヌートにこれ以上甘えることなど出来ない。この期に及んでそんな厚かましい真似をする気にはなれなかった。


「さて、じゃあキミの部屋にちょろっと寄って、服を回収しないと」


 そう言いつつ、ミヌートがググーッと大きく背伸びをした瞬間、


「んっ!?」


 パンッという音と共に、俺の顔面へボタンが飛んで来た。反射的に左手でキャッチし、射出方向──つまりミヌートへ視線を送る。



「……!」



 彼女は無言のまま顔を真っ赤に染めていた。若干はだけた胸元を隠すのも忘れて。


「………はい、これ。ボタン」

「……っ……~~っ!! こっ、これだから!! これだからボタン付きの服は駄目なのよ!!」

「着たのはミヌートだろ!? とにかく隠しなさい、はしたない!」


 あわあわと耳まで真っ赤にするミヌートを宥める俺も、同じく心の中であわあわしていた。

 びっくりした……おっぱいでボタンが弾けるとか本当にあるんだなぁ……。

 尚も焦燥感たっぷりのミヌートはどこからともなく安全ピンのような物を取り出すと、はだけた部分をささっと縫い止めた。おお、これでとりあえず危機は脱したか。


「ふぅ……焦ったわね。なんてボロいシャツなの……」

「まだ一回しか着てなかったのに酷いよ……」

「うっ……」


 珍しくばつの悪そうな表情を浮かべたミヌートは、俺の持つボタンと自身の胸元を交互に見比べ、


「む、胸おっきくてごめん」


 もにょもにょと、白い肌を林檎色に染めながら呟いた。


「……」

「な、なんでキミの方が赤くなってんのよ」

「いや、なんだろ……じ、自分でもよく分からん。とっ、とにかく許すよ。許すしかない、うん」


 思わず目を逸らして自分の顔を右手で覆う。

 久々にミヌートが赤面してるのを見ただけでも気持ちが落ち着かないのに、そんなにしおらしくされるとは思わなかった……から?

 ………今はちょっと冷静に考えられない。それくらい顔が熱い。火を吹きそうだ。


「い、家行くか。早く着替えないと」

「そ、そうよね、そうしましょ」


 俺達はそそくさと再び家路を歩き始めた。自分の体温が高くなったせいか、より日光に苦しめられている気が……半神使になってなければ倒れてたかも。こんな形で半神使化に感謝することになるとは思わなかったなぁ……。



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