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言の葉クオリア

「ねぇハル。あなた、そろそろ期末試験じゃないかしら」


 うっ、と胸を詰まらせる。美味い朝食が一気に不味くなりそうな話題だった。


「な、なんだよセツナ、変なこと言うなよ」

「変って、あなた高校生でしょう。別に良い点を取れと言うつもりはないけれど、赤点はやめてちょうだいね。追試や補習になると、色々予定が崩れるわ」

「予定?」

「これからも神域に行くとなると、あたしにも色々準備があるの。その他にも、休日あなたと出かけるかもしれないし」

「赤点は避けようと思って避けられるもんじゃないからなぁ……」

「いや勉強したらいいでしょ」


 ピシャリと正論を突き付けられ、がっくり項垂れる。だが……月ちゃんと交わした再会の約束を反故にするわけにもいかない。ここは一肌脱ぐしかあるまい。


「一夜漬けするかぁ」

「今日から勉強すればいいでしょ」


 またも正論でぶん殴られ、俺は口をつぐむしかなかった。

 目を伏せがちに黙ってご飯をかき込み、パン、と手を合わせる。


「ご馳走様でした。とりあえず、行ってきます」

「ん、いってらっしゃい」


 リュックを背負い、バス停に向かって出発する。日付は全く正常だが、神域に滞在していた俺にとっては連休明けの感覚だった。久しぶりにクラスメイトの顔を見れると思うと自然と足取りも軽くなる。


 それにしても、期末試験か……はーぁ、やだやだ。早く夏休みにならないかなぁ。




       ***




 家から直近のバス停まで徒歩七分。

 学校付近のバス停まで二十分。

 そのバス停から学校まで徒歩七分。

 近すぎず遠すぎず、良い感じの場所に俺の高校は建っている。しかし校門の直前に短いながらも急な坂があり、生徒達からは概ね不評である。

 俺も今でこそ涼しい顔で上がれるが、去年の夏はこの坂だけで一日分の体力を使い果たしていたもんだ。


「おーい、葉瑠!」

「ん?」


 背後から突然声をかけられる。振り向いた先にいたのは、中学からの友人・瀬野だった。


「どうした?」

「お前、最近よく噂になってるぜ。なんでも体育でドーピングかましたクレイジーガイだって」

「何ィ! 心外極まるぞその噂!」


 他のクラスにもそんな話が広まってるとは、全く許せん。体育の時間、一体俺がどれだけ苦労していることか!


「してないのか?」

「するわけないだろ!」

「でも、運動神経が急に抜群になったって聞いたぜ」

「それは本当だな」

「ふーん」


 わりと意味不明な俺の言い分に、それ以上拘泥することなく相槌を打つ。この適当さが彼の良いところである。


「それより瀬野、期末試験の勉強してるか?」

「してるね、マジで」

「うそ……」


 信じられない……試験まであと一週間もあるのに!?


「こんなに早く勉強してるってことは……瀬野は良い大学目指してるの?」

「いや、全然早くないと思うけど……普通に身の丈に合ったとこ目指してる」


 その言葉に若干ショックを受ける俺だった。俺、もしかしてガチでヤバいのか?

 瀬野は決して学業優秀ではなく、その彼が身の丈に合った大学を目指して今から勉強……ってことは、瀬野より格段に成績が下の俺って……。


「実はな、将来の夢を見つけたんだ。勉強頑張り始めたのはそのおかげもあるぜ」

「夢って?」

「教師」

「へー、すっごいなそりゃ」


 教師か……自分が教壇に立って子供に教える、なんて俺は考えたこともない。立派なことだ。


「決めたのは先月なんだけどな」

「先月!?」

「夢は突然さ。ビビッと来たんだよ、ある日」

「そうなんだ……」


 ……将来の夢かぁ……。

 俺にも、ある……あるけど……。

 うーん……。




       ***




「おはよう黒瀬さん、何してるんだ?」

「これ? 見ての通り編み物だよ」


 隣の席に座る女子、黒瀬さんは手を休めないまま微笑を浮かべた。


「もうすぐ夏だろ、なんで今編み物を?」


 至極当然の疑問を口にすると、やれやれと肩を竦められる。な、なんなんだよ、そんなにおかしな事は言ってないはずだ。


「今から始めてようやく冬に間に合う予定なの。夏に向けて編むわけないでしょ」

「計画性があるのは良いけど、流石にちょっと時間かかりすぎじゃね?」

「仕方ないよ、私不器用だから」


 呟いて、相変わらず手を動かし続ける黒瀬さん。俺は彼女の手元をチラリと見やり、ふむと頷いた。

 棒針編みか。それなら俺も編んだことがある。


「貸してみ、手伝えるかも」

「嫌」

「なんで」

「……嫌だから」


 あれ……なんか照れてる?

 あっ! はっはーん、分かったぞ。


「もしかして好きな人へのプレゼント?」

「どぅわっ!?!?」

「わっかりやすいなぁ黒瀬さんは。青春だなぁ」

「だ、だまって、ほんとに」


 好きな人のためならどれだけ時間が掛かっても一人で、ということだろう。なるほど、確かに他人の俺に手伝わせる道理はない。


「しかしその様子だと期末試験は期待出来ないよな!」

「家ではちゃんと勉強してるけどね」

「えぇっ!?」


 黒瀬さんもちゃんと勉強してるのかよ!? そんなに熱心な子じゃなかったはずだが!


「進学だっけ? もう志望校決めたのか?」

「うん、一応。月野くんは?」

「俺は……」


 それ以上、何も出てこなかった。

 とりあえず大学に行こうとは思ってる。だが具体的にどこを目指すとか全然決めていない。

 そもそも俺は何のために大学に行こうとしてるんだ? 何かやりたいことがあるわけでもないのに。勉強がしたいわけでもないのに。

 みんなは、もう見つけている。夢も希望も抱えて羽ばたこうとしている。

 いや、俺にだって夢くらいはあるさ。世界を周りたがっていた姉さんの分まで俺が世界を周るという、立派な夢が……。



 …………これ、俺の夢だよな?



 ……疑問を抱く必要はない。姉さんの夢を俺が継ぐ。ずっと前、幼い頃にそう決めたんだ。これが俺の夢で、俺はこれを叶えるために頑張ればいいはずなんだ。


「月野くんはさ、何になりたいの?」

「…………何に?」

「何になりたかった? 子供の頃に、何かしら妄想するもんでしょ?」


 姉さんの夢を叶える人になりたい……でも、黒瀬さんが聞いているのはそういうことじゃない。子供の頃に誰もが想像した「将来なりたい職業」は、俺には無かったのかと聞いているんだ。


「………………………………無いなぁ」

「子供の頃から、一度も?」

「うーん……ない」


 なんというか、改めて考えると、俺は結構変わった子供だったのかもしれない。思考回路が姉さん一色で、将来の職業なんて考えようともしなかったんだな。

 ぼーっと黒板を眺める俺に、黒瀬さんがぽつりと呟いた。


「寂しい人」


 俺は何も言い返せず、ただじっと黒板を見つめるばかり。

 俺の知らないうちに、周りはきちんと未来を見据えて行動し始めていた。俺は……まだ何もしていない。身体の成長ばかりか、思考の成長さえも止まってしまったのか?

 いや、違う。単なる怠慢だ。半神使化以前の問題だ。

 姉さんの代わりに世界を周る。この夢のためにやれることを見つける……まずはそこから始めてみよう。




        ***




「えぇ? 世界一周旅行のためにやれることぉ?」

「ああ」


 昼休みの時間、俺はクラスの女子・西条さんに相談がてら弁当を食べていた。

 どうして西条さんを相談相手に選んだかというと、理由は簡単、非常にサッパリした物言いをする子だからだ。言葉を濁さず、判断が速い。その点に関してはミヌートに近いかもしれない。


「そりゃバイトっしょ! 資金が無いと何にもできないし……あ、でも月野んち金持ちなんだっけ? 親も居ないしやりたい放題じゃん。うわー、許せねぇ……」

「えー……」


 西条さんは遠慮なく言いたいことを言って、メロンパンにかぶり付く。まぁしゃーない、妙な気を回されるよりはマシだ。俺の場合、親を失った経緯がかなりワケありだし。


「もぐもぐ……アタシの中学にも世界中を旅するのが夢って子は二、三人いたけど、やっぱり資金集めが一番に挙がってたかも」


 あっという間にメロンパンを平らげて今度はクリームパンを食べ始める。チラッと鞄の中身を見る限り、まだまだストックがありそうだ。凄い食欲だな……これでよくスタイルを維持できるもんだ。


「西条さん、そんなにパン好きだったっけ」

「この前めっちゃ美味いパン屋見つけてさぁ、買い溜めしてんの」

「マジで? どこ?」

「アタシんちの近くだから月野は知らないかも。あとで一応場所送っとくね」

「ありがとう」


 西条さんの住んでる辺りは大分遠いけど、機会があれば行ってみるのもいいな。


「って、バカ。なーに自分から話逸らしてんの」

「あ、ごめん。とにかく、バイト以外でなんかないかな」

「そーねー……あ! 言葉頑張りなよ。外国語勉強すりゃいーじゃん!」

「外国語! なるほど、その手があったか!」


 世界中を旅するにあたって、色々な言語を話せればそりゃあもう便利だろう。


「月野が英語話せるようになったらモテるだろうなぁー、金持ちだしさぁ」

「別にモテなくてもいいけど、英語は話してみたいよな」

「またまたぁ、男子高校生がモテなくていいなんて馬鹿みたいな嘘つくなってーの」

「いやぁ、ほんとにいいんだって」


 万が一億が一誰かから告白されたとしても、俺が付き合うことはない。きっとイヴが悲しむだろうし。


「まず初めにマスターするなら、やっぱり英語が第一候補か。色々便利だろうし」

「それがいいっしょ。んで一応聞いとくけど、英語得意なの?」


 今度はあんパンを頬張りながら意地の悪い笑みを浮かべて尋ねてくる。

 俺はにやりと笑い、


「他教科に比べて断然得意だぜ。テストは毎回五〇点台だ」

「えっ、ふつーにクソじゃん……」


 なっ、何だと!?


「聞き捨てならねー! 西条さんこそ英語の成績どうなんだよ!」

「アタシは理系だからね。英語は二の次」

「あんたいつ理系になったんだよ!」

「今」

「じゃあしょうがないか……」


 ともあれ、当座の目標は見つかった。英語をペラペラに話せるよう、これから頑張って勉強しよう!


「……にしてもよく食べるな。何個目だっけそれ」

「五個目」

「うわっ」

「うわとか言うなし」



        ***



 帰宅後、家の中をくまなく探索して小さく息を吐いた。


「…………セツナがいない」


 玄関には靴が残ったまま。財布やエコバッグも家の中にある。となれば、もう答えは決まり切っている。徘徊中だ。

 無意識に瞬間移動で外へ出ては、ぶらぶらと当てもなく練り歩く。やはり神域に行ってしまうとかなりの頻度でこうなってしまうらしい。

 とはいえ、週一で月ちゃんに会いに行くという約束もしてしまったことだし……ああ、考えてる場合じゃない。迎えに行こう。




       ***




「えっ、語学の勉強を?」

「ああ。世界中を周るって夢のために、とりあえず英語を話せるようになりたくて」


 久しぶりに裸足で徘徊していたセツナを迎えに来た帰路で、俺は将来についての真面目な話を口にしていた。


「ええーと……」


 俺におんぶされて運ばれているセツナは、困ったように声を上げた。どうしたんだろう、すでに正気に戻っているはずだけど。


「……ハル。率直に言うけれど、それは必要ないかもしれないわ」

「えっ、なんで?」

「だって今のあなたに言葉の壁なんてないから」


 急に言葉の壁がない……と言われても、俺は英語もドイツ語もフランス語も話せないぞ。


「神様や神使、あとついでに悪魔も、実は特殊な力を帯びた言語で話しているのよ。もちろん、あなたもね」

「俺も? 俺は日本語しか喋ってないけど」

「関係ないわ。『輝力及び魔力を持つ者』は、その個体にとっての普通の言葉を無意識下で特殊な言語に置き換えて喋っているから。聞き手としてもそうで、あたし達はあらゆる言語をその特殊な言語に置き換えて理解できるようになってる……まぁ簡単に言うと、あたし達の言葉はこの世のどこに行っても通じるし、相手がどんな言語で話してきても理解出来るわ」


 な、なんじゃそりゃ……。


「……つまり、俺の日本語はアメリカ人にもそっくりそのままの意味で通じるし、相手の英語が俺には日本語で訳された状態で伝わってくるってこと?」

「あなたの言葉が誰にでも通じるのは正解。けれど、相手の英語が日本語に訳されるというのは不正確ね。英語だってことはちゃんと認識した上で、内容をそのまま脳で『理解』できちゃうのよ」

「…………ふーん……」


 何となくしか分かんないけど、まぁ何となく分かっとけば充分だろう。


「……うーむ」


 久々にピアノを弾いたあの日、彼女の英語の歌に疑問を抱かなかったのは、俺が元々『いつくしみ深き』の英訳版を知っていたからか。もしも歌詞を知らない曲を弾いていたならば、すぐに特殊言語の違和感に気付いていたのだろうか。それとも馬鹿な俺のことだから、何の違和感もなく受け流していたのかな……。

 何はともあれ……せっかく真面目に目標を設定したというのに、こんな形で消滅するとは。本気の目標ってのは、そう簡単に湧き上がるものではないというのに。


「色々、上手くいかないなぁ」


 微かに呟くと同時に我が家に辿り着き、扉を片手で開錠する。セツナをおぶさったままでも、もはや慣れたもんである。

 家に着いたからセツナを降ろす、ということはない。裸足で出歩いた彼女をお風呂場に運ぶまでが俺の役目だ。


「…………」


 無言で廊下を歩く。背中にかかる重みが若干増していた。


「セツナ、着いたぞ」

「……セツナ、着いたぞって? そうなの?」


 やっぱり……なんか饒舌だったからおかしいと思った。俺の経験上、徘徊していたセツナが妙に饒舌の場合は、このようにぶり返すことが多い。ぼぅっとした虚ろな目で、心ここにあらずといった感じだ。

 仕方ない、俺が足を洗おう。別にこれが初めてというわけでもないし。

 とりあえず風呂場の椅子に座らせ、洗面器にぬるま湯を貯めていく。


「セツナ、右脚出して」

「……んん?」

「俺が洗うから」


 しばらく待つが、動く様子はない。虚空を見つめるセツナを視認し、唇をぎゅっと結んで右脚を持ち上げた。

 洗面器に浸し、丁寧に優しくぬるま湯で洗ってあげる。本来、俺なんかが触れることすらおこがましいほどの繊細な肌だが……こうでもしなければ、この子はずっと座ったままなのだ。


「……クスクス」

「ん? どうかした?」

「くすぐったいわ、ふふふ」

「あぁ、ごめんな」

「いいのよ、ふふふ」


 無邪気に笑うセツナに応えるように俺も微笑みかけ、


「はい、今度は左脚」

「んん……」


 これからずっとセツナと暮らすうえで、こんな事でいちいち悲観的になってたらやってけない。

 焦らず、穏やかに、共に暮らしていこう。


「さて、おしまい! タオル持ってくるから待っててな」

「……あ、うん、そうね?」


 これ以上は何も望まない。セツナが居てくれるだけで、俺は満足なんだ。

 どんな状態になっても俺が支え続ける。

 その覚悟は、もうとっくの昔に出来ているのだから。



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