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はじまりの少女

 しばらく歩き続けていたが、ついに限界が訪れた。

 動いている自分が異常に感じられるほどの静寂に耐え切れず、その場で小さくうずくまってしまう。


 それなりに覚悟を決めて町を出たが、想像以上にキツかった。

 静かすぎて耳鳴りがする。自分の鼓膜が破れたのかと思うほどの静寂。頭がおかしくなりそうだ。


 呼吸がまともに出来ない。まるで肺に穴が開いたかのように息苦しい。体中から冷や汗が流れて止まらない。

 ……どうかしてる、どうかしてるよ、こんなの……。


 何でこんなに静かなんだ。

 何でこんなに無音なんだ。

 一体何故、俺はこんな目に遭ってんだよ!?

 ありえない……! 絶対にありえちゃいけない、こんな世界は……!


 怒りと悲しみが複雑怪奇に絡み合って感情が制御できない。抑えようとも思わない、

 あぁっ、もう……本当にどうしてこんなことになったんだ!? 俺が一体何をしたというんだ!? 何の罰を受けているんだよ、これは!!


 …………本当に……たった一人で、こんな世界で、俺は生きていけるのか……?




「……………………いいや、絶対に無理だ……」




 汗だくの顔で、ぜえぜえと喘ぎながら小さく呟く。

 独り立ちを見据えた心構えをするために町に出たはずが、逆に独りでは決して生きていくことが出来ないことを痛感させられた。


 いや、待てよ? そもそも生きていく必要などあるのか? 


 俺がひとりぼっちになる時とはつまり、セツナと共に夢を叶え終わった時と同義だ。それならば、俺にはもう何の未練もないじゃないか。


 そうだ、そうだよ! 

 セツナが帰ってしまった瞬間に、さっさと自殺してしまえばいいんだ!!

 それならひとりぼっちで生きていく必要もない! 寂しい思いをする必要もないじゃねーか!!


「はは……なんだよ、こんなに簡単なことだったんだ……あはは……」


 無様で、惨め。

 ああ、分かっているとも。

 誰よりも分かっているとも。

 だけどどうしようもないんだよ、もう。

 いっそこのまま狂ってしまえたならどんなに楽だろう。


「あははは……はは……」


 俺の乾いた笑い声が辺り一面に響き渡って──その直後だった。



 旋律が聴こえた。

 世界の穢れの全てを洗い落とすかのような、途方もなく美しい音色が。



「今の……って……ピアノ……? いや、オルガンか……?」




 微かに、だが確かに聴こえる。

 決して自然に生まれることのない、人類が生み出した叡智の音が俺の鼓膜を震わせている。

 呼吸さえ忘れて無意識のうちに走り出していた。

 音のする方へ、ただ我武者羅に。




──この星には、あなた以外誰もいない




 加速する鼓動と共に、セツナの言葉が脳裏をよぎる。

 この星にいる人間は俺だけだと彼女は言っていた。

 神様の作ったレーダーには故障という概念がなく、俺以外の人間は一人残らず消えてしまったのだと断言していた。


 だがセツナは間違っていた! 

 だって、今まさに、誰がが旋律を奏でているのだから!


 前へ進むたびに、音色はどんどん鮮明になっていく。確実に音源へ近づいているという証拠だ。

 いるんだ! 本当にいるんだ! 俺以外にも生き残っていた人が!!


「はぁっ、はぁっ……げほっ……こ、ここだ……!!」


 今にも爆発しそうな心臓の痛みに堪えながら、俺は歓喜の表情を浮かべた。

 辿り着いたのは、隣町の教会。

 間違いない、この中から美しいオルガンの音色が溢れてきている……!


 何度も何度も深呼吸をして逸る気持ちを抑えようと試みる。

 十分ほどしてようやく息が整いだしたのを機に、ゆっくりと扉に手をかける。




──その少女は、軽やかに指を躍らせていた。




 俺以外にも生き残りがいた。その嬉しさよりもまず、その少女が奏でる音に圧倒されてしまった。

 遠くから聴いただけでも素晴らしい奏者だと分かったが、こうして間近で聴くと本当にこの世のものとは思えない音色だ。

 俺も小さい頃、親の影響で多少音楽をかじっていたことがあるから分かるが、あの子のテクニックは明らかに常人離れしている。


 ピアノとオルガンは似ているようで実は全く異なる特徴を持っている。

 ピアノは鍵盤を指で叩くことで音を奏でる鍵盤楽器である一方、あの子の弾いているようなパイプオルガンはパイプに空気を流すことで音を奏でる、いわば鍵盤を有する管楽器だ。

 その性質上、鍵盤を押し続けても徐々に音が消えていくピアノと違い、オルガンは鍵盤を押す限り一定の音量を保ち続けることが出来る。


 しかし、だからピアノは劣っているかと言えばそういうことじゃあない。パイプオルガンはその複雑な構造上、音の強弱をつけることが苦手なのだ。奏者の力加減で容易に強弱をつけられるピアノとはその点で異なる。

 パイプオルガンが強弱をつけるには、複雑な仕組みを知り尽くしたうえでの様々な高い技術が要求される。あの楽器の魅力を最大限引き出そうとすれば、自分の人生を捧げる覚悟が必要だ。


 だからこそ、あの少女の異常性が際立つ。

 これほど完全にパイプオルガンを操る奏者なんて、この世に二人といないだろう。 


 それにしても……ふふ、思わず笑みが零れてしまった。

 ここからでは少女の背中しか拝むことが出来ないけれど、それでもはっきりと分かってしまうくらい楽しそうに演奏している。

 卓絶した技術と幼い子供のような純粋さのギャップがあまりに凄まじいもんだから、うっかり笑っちゃうのも道理だろう。


 ああ、本当に……いつまでも聞いていられそうなほど癒される音だ。

 一人で町を歩いていた時の不安が嘘みたいに心が軽い。



「ふぅ」



 どれだけ経ったんだろう。

 時間の感覚が無くなるほど没頭していた最中、少女が可愛らしく息を吐いたことでハッと我に返った。

 そうして、まばたきをするよりも自然な動きで立ち上がり、少女へ向けて惜しみない拍手を贈る。

 拍手を聞いてようやく俺の存在に気が付いたのか、少女はピクッと肩を跳ねさせて、ゆっくりとこちらを振り返り──俺は言葉を失った。


 闇夜を照らす満月のような黄金の髪と、煌めくオパールを彷彿とさせる幻想的な虹色の瞳。

 この目に映るあの子という存在を、一体どう言い表せばいいのだろう。

 奇跡……? 

 いいや、それどころじゃない。

 奇跡なんて言葉ではまだまだ足りない。

 きっと俺なんかでは到底形容することができない……そう思ってしまうほどに、彼女は綺麗だった。

 ただひたすらに、綺麗な人だった。


 って、呆けてる場合じゃない。何か言わなければ。


「君は……」


 俺が口を開くと同時に、少女は勢いよく立ち上がってこちらに走り寄ってきた。

 そして俺の目の前で立ち止ま……らない!? えっ、ぶつかるぞこれ!?


「うわっぷ!?」


 走り寄ってきた勢いはそのままに、少女からぎゅうっと抱きしめられる。

 体が溶け合っているんじゃないかと思うくらいの、とんでもない密着度。

 俺のこれまでの人生でこれほど熱い抱擁をされたことがあっただろうか? いやない。間違いなくない。

 頭の中が真っ白になる。

 可愛い女の子に抱きしめられた! なんていう歓喜の感情さえ吹っ飛んでしまった、超ド級のパニック状態である。


「……ぐすっ……」


 ……あ。

 少女が体を震わせてすすり泣いていることに気付き、ようやく現状を俯瞰的に確認することが出来た。


 地上の生物が消えて、今日でもう三日。

 三日も経っているんだ。

 その間、俺にはセツナというこの上なく頼もしい存在がいてくれた。

 だが……少女は違う。

 この無音の世界において、正真正銘のひとりぼっちだったんだ。

 心細いに決まっている。泣いてしまうに決まっている。


「もう……大丈夫だよ。君はひとりぼっちじゃないんだ」


 セツナが俺にしてくれたように、俺も孤独に苦しむこの少女の力になりたい。

 その一心で、震える少女の肩を抱いた。


 どれだけ寂しかったことだろう。

 どれだけ辛かったことだろう。

 俺ならばとうにおかしくなっている。


「ひっく……ぐすん……」


 少女はなかなか泣き止まない。だがそんなのは当たり前だ。自分はひとりぼっちじゃないという事実がどれだけ救いになることなのか、俺もよく知っている。


「よしよし、大丈夫だ。寂しかったよな……」


 出来る限りの優しい声音で、なだめるように少女の背中をぽんぽんと叩いていた、その時だった。





「ようやく会えた……葉瑠さん……」





 …………えっ、今……なんて?


 心臓が止まるかと思った。はるさん……? 俺の名前? 聞き間違いだろうか?


「私、ずっとこうしたかったんです……葉瑠さん……」


 いや、聞き間違いじゃない。

 バルサンでも南無三でもなく、この子は間違いなく俺の名前を呼んでいる!


 ……なんでだ?


 頭の中が疑問符で埋め尽くされる。逡巡するまでもない。間違いなくこの女の子とは今日が初対面だ。こんな綺麗な女の子、一度見たら死んでも忘れない自信がある。それがどれほど昔の事でもだ。


 なら、どうしてこの子は俺の名前を知っているんだ? 

 俺が知らないのにこの子は俺を知っている? 

 駄目だ、訳が分からない。決定的に矛盾している。


「君は……どうして俺のことを知ってるんだ……?」


 このまま一人で考えていても一向に答えは見つからない。

 単刀直入に、俺を抱きしめている少女に尋ねた。

 すると金髪の少女はきょとんとした表情を浮かべ、抱き着いたまま俺の顔を見上げた。


「えっ……? あっ!」


 目をぱちくりさせたかと思えば、その美しい顔を林檎のように赤く染めた。驚くほどかわいい。


「ご、ごめんなさい。私ったら、ついついはしゃいでしまって…………葉瑠さんは分からなくて当然です」


 やはり、どうにも気にかかる言動だ。

 俺が少女のことを知らない、というのは少女自身も承知している……? 

 だが、この子の俺に対する態度はとても初対面のそれではないし、そもそも名前も割れているし……。


「……ん?」


 思わず声が漏れる。

 ピンときた。きてしまった。セツナと初めて出会った日のこと。セツナが俺の家を物色した後の会話を思い出す。

 家の魔力の提供者に一切心当たりはないと断言する俺。

 心当たりとして浮かんでいないだけでその提供者とあなたが関係あるのは間違いない、と言うセツナ。


 まだ、決まったわけじゃない。

 俺の思い込みに過ぎないかもしれない。

 だけど今、俺の体を目一杯抱きしめているこの少女は……魔力の提供者……なんじゃないか?


 俺が知らない、俺を知っている人物。

 そして何より、セツナの持つ神のレーダーがこの少女を全く感知していなかったという事実。

 仮に提供者ではなかったとしても、地上の生物が消失したことと少女の存在はとても無関係とは思えない……んだけど……。


「じゃあ自己紹介させてもらいますね。私は……ええと、そう! イヴっていうんです。これからよろしくお願いしますね、葉瑠さん!」


 屈託のない笑顔で、美しい少女──イヴは俺の名前を呼ぶ。

 その声からは一切の悪意が感じられなかった。

 柔らかな陽の光を思わせるその笑顔に、思わずくらりときてしまう。

 いや、この笑顔は反則的と言わざるを得ない。かわいすぎる。


 って、待て待て……惚けてる場合じゃねーぞ。聞かなきゃいけないことがたくさんあるんだから……。


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