決着
今、もし姿見でも有れば、自分の様相にびっくり仰天するだろう。
生まれて初めてだった。
こんなに、傷だらけになったのは。
誰かと、本気で戦ったのは。
ここで俺が負ければ全部水の泡だ。これまでの頑張りも、月ちゃんの想いも。
足を引きずりながら、ようやく落下地点に辿り着く。
奴は、そこから一歩も動かず静かに待ち構えていた。
「…………あァ、痛ェな。おいガキィ、あの女はどうしたよ、死んだか?」
イザンナの体からは白煙が立ち昇っていた。奴の肉体が俺達の輝力によって損傷している証、なんだけど……参ったな、まだまだ余力があるらしい。地力の差をこれでもかと見せつけられているようだ。
「出るまでもないってさ。お前を倒すのなんか、俺一人で充分だ」
精一杯の強がり。そしてそれは、知能の低いイザンナでも騙されないほどお粗末なものでしかなく。
「ハッ……クソガキが」
冷静に脚を一歩踏み出し、戦闘態勢をとるイザンナ。
奴も理解しているんだ。どう転ぼうが、これがこの惑星における最後の戦いになることを。
だからだろう、今のイザンナは油断も隙も無い。確実に俺を殺すため、全神経を集中させているのだ。
地力で劣り、さらに満身創痍の俺が勝てる可能性は限り無く低い。それは間違いない。
だが、ゼロとは言い切れないはずだ。確かな根拠はない。それでもゼロではないと思う、思い込んでいる。ああ、俺はこれでいい。
肺の痛みを無視して大きく息を吸い込み、静かに吐き出す。雑念を振り払い、目の前の敵にのみ集中する。
リミットは二分程度。それ以上長くなると俺は間違いなく殺される。ロングレンジでやり合うのはもう無理だ、接近戦を仕掛けなくては……、
「ぐ……ごぼっ!」
突如としてこみ上げた吐き気を堪えられず、口から大量の血を吐き出してしまう。
この絶好機を奴が見逃すはずがない。白煙を振り切って勢い良く飛び出し、高速で肉薄してきた。
「ぐっ……くそっ! しっかりしろ!」
自分で自分を叱り飛ばしつつ、すぐに頭を切り替えて迎撃態勢に入る。
喉元を狙ったラリアットを海老反りで何とか躱し、ガラ空きになっている肩甲骨の間にナイフを突き刺した。
「グ……!」
前と同じ轍を踏まないよう、直ぐに引き抜いて後ろへ飛び退く。よし、あの傷口目掛けて水をぶち込んでやる……!!
左手に意識を集中させ、水をかき集めようとした、まさにその時。
──光った!?
突如イザンナの口元が発光する。極限状況下の影響か、ごちゃごちゃ考えるよりもまず身体が動いた。なりふり構わず、弾けるように全力で横へ身を投げ出す。
「ぐっ………くぅぅっっ!!」
飛び退いた直後、今しがた立っていた場所は閃光と爆風で削り取られ、その煽りを受ける形で二転三転しながら吹き飛ばされた。
「うっ……がはぁっ、はぁっ、はぁッ……!」
こ、光線……!? これまでずっと隠していたのか!? やられた、出し抜かれた!
息を吸うのも辛いのに、今の衝撃はあまりに痛恨……!! 駄目だ、すぐには立て直せない!
弱音を吐いてる場合じゃないのは分かってる、それでも、どれだけ闘志を抱いても追い付かないほどガタが来ている……!!
「キェェェェ!!!!」
イザンナが猛烈な速度で突進して来る。当然だ、俺が居直るまで待つはずがない!
「う……お、おおぉぉぉぉ!!!」
裂帛の気合いを込め叫び、全力で体勢を整えようと試みるもやはり時間が足りない。クソッ、一秒でいい、あと一秒あったなら──!
もはやヤケクソ染みた気持ちで願った瞬間、頭の中で月ちゃんの声が蘇った。
──手から出せて足から出せない道理はない
……出来るか!? いや出来る! ミヌートの教えを思い出せ、彼女を信じろ!!
無我夢中で全ての意識を両足に集中させ、そして……!!
「グォッ!?」
直後、イザンナの声色が驚愕に染まる。目の前でボロボロになっていた獲物が、爆発的な勢いでバク転し攻撃を躱したのだから当然の反応だろう。
「……っとと……よし、成功……!」
不恰好ながらもなんとか着地し、グッと拳を握り締める。靴や靴下はどこかへ吹っ飛んでしまったが、五体満足で切り抜けられたのだから瑣末な事だ。
俺が起こした行動は至極単純。足裏から一瞬だけ水玉を生成・暴発させ、その勢力でもって宙を駆けた。ミヌートの教えと、事前に月ちゃんの飛翔を目にしていたからこその成功だ。
とにかく体勢は立て直せた。仕切り直しだ、イザンナ……!
未だ困惑が抜けきっていないイザンナを視認し、俺は前方へ跳んだ。何しろ俺の限界が近付いている、猶予は無い! 迷いを捨て去った無駄のない挙動で、奴の右目にナイフを突き刺した。
「グオワァァァァアッッッッ!!!!」
鼓膜が破れそうなほどの絶叫が響き渡った。思わず怯みそうになるが必死で我慢し、素早くナイフを引き抜いて背後へステップする。直後、イザンナは怒り狂って剛腕をぶん回していた。危なかった、あれに当たればもう終わりだ。
「テメェェェェ!!!!」
鬼の形相で襲いかかって来るイザンナ。
傷口は決して浅くないはずだが、尚この速さ! 凄まじいタフネスだ……!!
対して俺は、もう大きな動きは取れないほどに消耗している。だからと言ってパワーで劣る俺が攻撃を受け止めるのは得策じゃない、ここは回避に専念!
ボッ! と空気を切り裂きながらの強烈なハイキックが頬を掠める。肝を冷やしている暇はない、次だ!
剛腕を横一線に振るい、今度は爪を活かした手刀、さらには蹴りも交えた怒涛のインファイト。
反撃の隙も無いほどの苛烈な攻撃が続く。イザンナの一挙一動から鬼気迫る感情が溢れ出ているようだ。
だというのに俺の脳と肉体は「もうやめろ!」と悲鳴を上げてばかりだ。吐き気と頭痛、全身の倦怠感を精神力で押さえ付けるのも限界か──!!
「っ!」
手刀がついに胴を掠めた。万全なら踏ん張れただろうが、今はそれだけでも大きくよろめいてしまう。
「隙有りィィ!!!!」
鋭い爪を鎌のように振りかぶって袈裟懸けに降ろしてきた。
他はともかく爪撃だけは誤魔化せない!! これだけは是が非でも躱せ!!
「う……おおおおっっ!!」
厳しい体勢から無理矢理回避に移る。膝が妙な音を立てた。今は構っていられない。
「……っつう……!!」
ギリギリ避けきれず、裂かれた腹から血が噴き出す。だが浅い、これなら動ける!!
砕けてしまいそうなほど強く奥歯を噛み締め、逆手に持ったナイフを殴り付けるように突き出した。
しかし切っ先が届く寸前で手首を掴まれる。イザンナは一切の躊躇なくそれを真っ二つにへし折った。
瞬間、ぐわん、と視界が大きく歪む。
痛い、やばい、ナイフが手から零れ落ちて……!
脳が度重なる痛みに耐えかねたのか、視界がチカチカと点滅し始める。だけど、それでも……!!
「まだだぁッッッッ!!!!!!」
あと五秒でいい、耐えろ、耐えろ、耐えろ!!!! ナイフはまだ落ちていない!!!!
落下するナイフの先端が下を向いた瞬間、俺は気力を振り絞り、柄を垂直に力一杯踏み抜いた!
「グォアァァアッッッッ!!!!」
輝力を纏った鋭い刃は、奴の足の甲を深々と貫通し地面にガッチリ縫い止めた。決めるならここだ、今しかない!!
スッと左腕を上げ、体内の輝力をありったけ振り絞り、一本の指先に集中させる。
「──もう、終わってくれ」
正真正銘最後の力を込めた水の奔流は、超至近距離で奴の口内に突き刺さった。同時に、こいつにとっては毒にも等しい水を直接体内へ送り込む……!!
「……ゴ……ォォォォ……ア……」
「はぁ……はぁっ……」
朧げな視界の中、イザンナの瞳から光が消えるのが分かった。やがて数秒後、奴は手足を弛緩させ、仰向けにひっくり返って地に伏した。
「………」
十秒待つ。倒れたイザンナから決して目を離さないよう、じっと見つめる。
起きない。
まだ起きない。
一向に起きる気配がない。
「……………………や、やった……月ちゃん……!」
勝った……倒した……!!
俺もふらふらと後ろへ後退し、どさりと横たわる。目眩が酷い……もう一歩も動けない……だが、勝った……!!
我ながらとんでもなく泥臭い勝利だと思う。でもいいんだ……負けて元々の相手だったし、月ちゃんを裏切らずに済んだ。これくらいの怪我、安いものだ。
疲労や痛み、そして何より緊張感の糸が切れたことで、俺の意識はゆっくりと沈み始め──
「グ……グゴガゴゴオオオ……ウゥゥゥ……」
沈みかけた意識が一気に浮上する。なんだ今の声、嘘だ、確かにイザンナは倒したはずで……!
身体を動かせない俺は必死に視線を彷徨わせ、自らの目を疑った。
イザンナの首が異様なまでに伸びてぐねぐねと揺らめいている。なんだアレ、ろくろ首にでもなったのか!? あんな芸当ができるならなぜ使わなかった!?
……いや、違う。姉さんと同じだ……あいつはこの土壇場で、進化しやがったんだ……!!
「く……そぉ……」
もはや起き上がるどころか寝返りも打てない。ニョロニョロと蛇のように近付いて来るおぞましい顔と牙に、なす術がない。
あんなに頑張ったのに……ここにきて全部ひっくり返そうってのか……ちくしょう……!
「ここまでじゃな」
突然聞こえた、桁外れに穏やかで、冷静な一声。
まばたきをする暇も無く、一瞬の内にイザンナが死んだ。伸びた首は八分割に斬り刻まれ、脳天を剣で串刺しにされて絶命していた。
生命を失った肉体はすぐさま塵と化し、この世から跡形も無く消滅していく。
「テストは終了じゃ、よくやった」
「ラ……ラランベリ、さま……」
片足を長大な剣に変形させてはいたが、眼鏡をクイっと上げるその仕草は、まさしくラランベリ様で。
労いの言葉をかけられて余程安心したのか、朦朧としていた俺の意識はそこで途切れた。




