孤独の影
「はい、どうぞ召し上がれ」
セツナお手製の見事な料理がテーブルに所狭しと並べられている。
朝食にしては量が多い気がするけど、彼女の料理ならいくらでも食べられるので全く問題ない。
いただきます、と手を合わせて僅か十五分。すでに皿の中身は綺麗さっぱりなくなっていた。
「ごちそうさま……うん、やっぱりめちゃくちゃ美味かった!」
「そう、良かった。ああ、それとねハル、言い忘れていたんだけれど」
「ん? どうした?」
「うん。冷蔵庫がね、空っぽなのよ。もう食料が底を突いたわ」
「早くね!?」
我が家の大容量冷蔵庫には間違いなくパンパンに食材が詰まっていたはずだ。
それをまさかたった二日で使い切ってしまうとは……いや、よく考えれば不思議でもなんでもない。
セツナと二日間共に過ごしたが、食事は全てフルコース級の量だった。あまりにも美味すぎて注意する気にならなかったが、紛れもなく致命的な行為だ。料理が上手すぎるというのも考え物、ということか……。
「えっ、何その深刻そうな顔。この家の食料が尽きただけなんだから、また調達すれば済むことじゃない」
「ち、調達って?」
「そこら中の店や民家に大量にあるでしょ。食料は当分の間心配いらないわよ。まぁ、さすがにナマモノは傷んでそうだけれど」
「いやいやいや、思いっきり犯罪じゃねーか!」
高潔かつ純潔の神使らしからぬ発言に思わず素っ頓狂な声で突っ込んでしまった。
思春期の少年に犯罪を教唆するとはなんて神使なんだ。もはやセツナは純潔なだけの年増な美少女に過ぎない。
だが、俺の至極真っ当なはずの突っ込みにセツナは呆れたような表情を浮かべた。
同時に、わずかな怒りと憐みの籠った瞳でじっと見据えてくる。
「ハル、まだそんなことを言うのね。いい、よく聞いて。「盗み」というのは「誰かの所有物」があって初めて成り立つの。これからこの世界にはもう、ハルしかいないんだから。何かを所有する人も、あなたを許す人もいない。それとも何? もう帰ってこない人達に気を遣って餓死するつもりかしら?」
その刺々しい言葉と内容に、俺は俯くしかなかった。
そうだ、俺は夢のために生きていく決意をしたんだ。今後生きていくために、店にある商品が必要不可欠なのは間違いなかった。
それでも、やはり罪悪感は芽生えてきてしまう……。
「ま、そうよね。この立派な家や、あなたの普段の言動や所作を見る限り、あなたは相当大切に育てられたんでしょう。俗に言う「育ちが良い」ってやつね。だけどハル、本当に大切なものを忘れてはだめよ」
「……ああ、そう……だよな」
俺にとって本当に大切なものは……九年前のあの日から決まっている。
十六歳にしてこの世を去った姉さんの夢は、なんとしても俺が実現しなくちゃならないんだ……。
「さてと、それじゃあたしは帰るわね」
は?
「は?」
「帰るわ」
「……え、えっ、ええぇぇっっっっっ!? いきなり何!? なんで!? か、か、帰るって……どこにだよっ!?」
もはや悲鳴に近い声で抗議する。ある意味世界中の人類が消え去ったことよりもショッキングだった。よりにもよってセツナからそんなことを告げられて、取り乱すなというほうが難しいだろう。
「どこって、神域だけど。あたしが元々いた所。神様に現状報告しなくちゃ」
「無理無理! ほんっっっとに無理!! これからよろしくって言ったじゃん!! 握手もしたじゃん!! 無理無理、また一人になったら今度こそおかしくなる!!」
「お、落ち着いてよ、ね? ちゃんと聞いてハル。二時間だけだから、二時間でちゃんと帰ってくるから」
「二時間でも耐えらんねぇ!!」
「あなたのメンタルはウサギ以下なの!?」
「そうですが何か!!」
十七歳の俺がウサギ以下のメンタルしか持っていないことを公言した瞬間だった。
いや、ぶっちゃけそれくらいのレッテルは本当に構わない。ひとりぼっちになるくらいなら俺のプライドなんぞは彼方にでも放り捨てる所存だ。
まさに駄々っ子の極みとも言える俺の言動に、セツナはすっかり見慣れた──この短期間で見慣れるのも問題だが──呆れ顔を浮かべる……かと思いきや、そうではなかった。
彼女は、逆に俺の方が困惑してしまうくらいに、様々な感情の入り混じった複雑そうな顔で唇を噛み締めていたんだ。
「あたしに依存してくれるのは嬉しいわ。誰かに頼りにされるのなんて新鮮だし、そりゃあ悪い気はしないわよ」
「だったら……」
なおも引き下がろうとする俺に対し、今度は明確にばつの悪そうな顔を浮かべた。
「だけどハル、今のうちに慣れておかなくてどうするの? 原因を調査し終えて、あなたの夢が叶ったら……あたしは帰らなきゃいけない。そうしたらあなたは、また一人になるのよ? あたし達は、ずっと一緒にはいられないんだから」
「……あ」
何も、言えなかった。
ずっと一緒にはいられない。
容赦のない現実を含有するその言葉は、俺の心に深々と突き刺さった。それこそ、血を吐いてしまうのではないかと思うほどに。
……いや、気付いていた。
気付かないふりをしていただけで、最初から気付いていたんだよ、俺は。
セツナは神使としてこれから先も様々な任務をこなさなければならない。
本当なら、俺の夢に付き合う暇なんて有りはしないだろうに……その時点で、もう、十分すぎるほどワガママを聞いてもらっているというのに……。
「…………それじゃ、行ってくるわね。すぐ戻ってくるから」
「……ごめん、俺が悪かった」
「ん、いいわよ」
桜色の髪をふわりと翻し、にっこりと微笑むと、軽く手を振って一瞬にして消失してしまった。彼女の持つ瞬間移動能力だ。
後に残ったのは、広すぎる部屋に一人ぽつんと座っている俺だけ。
……あ、駄目だ。
このままじっとしていたらもう何も出来なくなる。
とりあえず皿でも洗わなきゃ……そんでその後は……その……あとは……。
「……静かだなぁ」
二人が一人になっただけ。
それだけでこんなにも世界は変わってしまう。
とてもとても冷たく、寂しい世界へと。
「…………町、歩くか」
セツナと町で出会ったあの日から、一度もこの家から出ていなかった。
自分の中で色々と理由付けをしていたけど、やっぱり、何者も存在していない町を眺めるのが怖かったんだと思う。
いつの日か、必ず俺は一人になる。
逆立ちしたって変わらないその現実と向き合うためにも、少しずつ心の準備をしていかないと……。