デザルーキ
病院の入り口から避難したものの、あまり意味はなかった。シルヴァニアンの攻撃の余波で年季の入った脆い壁や天井がどんどん崩れていき、むしろ安全とは程遠い状況に追い込まれてしまった。
それでもなんとか邪魔にならないよう、上から落ちてくる瓦礫を注意深く観察して場所取りを決めていく。
「いってて……流石はシルヴァニアンって感じだなぁ。タイマンだと、まともにやり合って勝てる相手じゃなさそうだ」
巻き起こる砂煙の中から、覇天峰位の神が姿を現す。
その神に手足は無い。それどころかどこが顔なのか、どこから声を発しているのかさえ分からない。
異様な姿を敢えて言い表すのなら、銅鑼に近い。円盤状の体は恐ろしいほど神々しく、煌びやかで、何よりひどく無機質だった。
「貴様、覇天峰位の神だな……特徴からしてデザルーキか」
「あらら~、なぁんでおれの名前知ってんの」
「情報収集はワタシの専売特許だ」
円盤状の神──デザルーキは心底面倒くさそうに溜息をついた。
「なぁにをモタモタしてたのか知らんけども、のんびりやっててくれて助かったよぉ。さ、始めようか」
「断る」
「いやぁ、千載一遇のチャンスだからさぁ。お前はここで殺しとかないとなぁ」
それを聞いたシルヴァニアンは、ひどく乾いた笑い声を上げた。
「世の中戦闘狂ばかりだな」
「お前が言うかい、シルヴァニアン」
「もっともだ」
不敵に唇を歪めつつ、シルヴァニアンが一歩踏み出した瞬間、デザルーキのボディが爆発的に発光した。そのコンマ数秒の後に、目には見えない力の奔流がシルヴァニアンに真正面から叩き付けられてしまう。
「ぐぬっ!」
シルヴァニアンは地面を滑りながらも倒れることなく持ち堪えるが、不可思議な攻撃に困惑の表情を浮かべていた。
対するデザルーキは無言でもう一度発光する。
「むっ……!」
今度は頭上──つまり死角から見えざる力が襲いかかり、シルヴァニアンを中心に巨大なクレーターが出来上がる。
これは……発光した瞬間に透明な輝力を放てるのか……!? それもあらゆる方向から!
攻撃範囲は広い。それを四方八方から放てるというのは非常に厄介だ。
しかし、肝心の威力が足りていない。既に三度も直撃しているはずのシルヴァニアンだが、はっきり言ってピンピンしている。余力たっぷりなのは誰が見ても明らかだった。
神と大悪魔の力関係を考慮すれば当然なのかもしれないけど、これじゃ勝負にならない。
不意に、シルヴァニアンが恐るべき速度で手の平に魔力をかき集めて射出する。即興で作ったとは思えないほど濃密な魔力で構成されたそれは、糸を引くようにデザルーキのボディに着弾する──かと思いきや。
「何ッ!?」
光を反射する鏡のように、勢い良く魔力弾が跳ね返ってきた。驚きつつも流石の反射神経で横に躱そうとするシルヴァニアンだったが、
「ほいっ」
デザルーキは待ってましたとばかりに体を発光させ、見えざる輝力でシルヴァニアンを押し戻し魔力弾を命中させた。
「がっおああッッッッ!?」
デザルーキの放つ微妙な威力の技とはワケが違う。自らが撃ち出した強力な魔力弾に、顔を歪めて堪えるシルヴァニアン。
なんだ、どういうことだ……!? 大悪魔の攻撃を無傷のまま跳ね返すなんて……!
「悪いが体質でなぁ。そういうのは跳ね返すぞ」
相変わらずすっとぼけた声で曖昧な言葉を押し付けるデザルーキ。確かに敵に対して事細かく教える道理はないが、『そういうの』ってどういうのだ。
「……そういうことか、なるほどな。アシストに秀でたタイプの神か」
「うーん、ご名答。流石は百戦錬磨のシルヴァニアン」
「御託はいい。羽で攻撃すればいいだけのこと、特に問題はない……!」
禍々しい両羽を広げ、デザルーキ目掛けて振りかざす。円盤状の体を何度か発光して攻撃を妨害するものの、やはり力の差は歴然。あっという間にシルヴァニアンが優位に立ち始めた。
俺には理解出来ずとも、シルヴァニアンはすぐに奴の体質がわかってしまったらしい。アシストに秀でてる……と言っていたが、どういう理屈でその結論に到ったのだろう。
いや、そんなことよりも。
アシストに秀でている奴が単体で大悪魔に戦闘を挑んでくるとは考えにくい。ということは、デザルーキ以上の攻撃力を誇る神が別にいるわけで。
そしてその神が誰なのか、俺が思い当たらないわけがないのだ。
「ハル、何をしている」
背後から、聞き覚えのある凛とした声が飛んできた。もう振り返るまでもない。
「クライア様……」
「ここは危険だ。今すぐ避難するように」
静かに燃える闘志を瞳に燻らせて、偉大なる地球の女神は悄然と忠告してくれた。
俺は僅かに躊躇った後、意を決して口を開く。
「俺、さっきシルヴァニアンと話をしたんです」
「は?」
訝しげな眼差しを向けられる。当然だと思ったが、口を挟まれる前に矢継ぎ早に言葉を並べ立てた。
「今からでもこの星から出て行くって言ってました。わざわざ戦う必要ないですよ」
クライア様は腰に手を当て、短く息を吐いた。
「仮にそうだとして、なんだ?」
「なんだ……って」
「今後来ないとも限らないであろう。殺せる時に殺さないと取り返しが付かなくなる」
「いえ、もう間もなく死ぬとも言っていました。命が尽きるのだと」
「悪魔に寿命はない。お主は騙されておる」
「寿命ではなく呪殺です、クライア様。シルヴァニアンは『ドゥーム』候補として見初められ、呪いをかけられた。だけど『ドゥーム』にはなれなかったから……」
「聞くだけ無駄だ、時間が惜しい。理由はどうあれシルヴァニアンがこれまで犯してきた罪は消えたりなどしない。さっさと立ち去るのだ、良いな」
冷たく突き放し、窮地に陥っているデザルーキの元へ歩き始めるクライア様。
俺は奥歯をギュッと噛み締め、追い縋るように声を上げた。
「この地球の生命はどうなるんです!? 姉さんの時とは状況が違う! 沢山の生物が暮らしているこの星で、大悪魔と戦う気なんですか!?」
「問題ない。あの銅鑼のような神は覇天峰位でな、奴の特殊能力さえあれば被害を最小限に留めて戦える。心配するより早く立ち去れ」
取り付く島もない。というかもう反論する事が出来ない。シルヴァニアンが大罪を犯し続けてきたのは疑いようのない事実で、それに対する報復がしたいのだと述べられれば俺にはどうしようも無い。被害も抑えられると断言されりゃ尚更だ。
というか俺、なんだってこんなに必死になってんだ。地球の生物に危害が出ないのなら、そのまま退治して貰えばいいのに。シルヴァニアンとは今日初めて出会ったばかりなのに。どうしてクライア様相手に引き下がって……。
偽物とはいえ、黒瀬さんの姿をしているから?
俺の愛する姉さんと知り合いだったから?
いや、違う。
たぶん、そういう事じゃなくて。
単純に、俺はシルヴァニアンにこんなところで死んで欲しくないと思っているんだ。
別に『ドゥーム』に唆されたからといって、シルヴァニアンに罪は無いなどとほざくつもりはない。積年の恨みを晴らすべく報復を強行するクライア様達を非難するつもりもない。
ただ、俺は。僅かながらもあの大悪魔と話をして、元々そこまで悪い奴じゃなかったんだろうなと思った。
長年『ドゥーム』の呪いに自我を奪われて、正気を取り戻した時にはもう死期が迫っていたアイツの気持ちなんて想像もつかない。
シルヴァニアンは俺に言った。殺意はとうの昔に失っていると。それはつまり、もう自分から誰かの命を奪ったりはしないということで。
なら、せめて死に場所くらいは自分で選んで欲しい。『ドゥーム』によって奪われた空っぽの生涯の最期くらいは、自由にして欲しいんだ。
「…………俺の目の前で死にたくないって、言ったのに」
ポツリと呟く。クライア様は既に俺と会話する気がなかったようで、もう声が届かない場所まで進んでいた。
堂々とした足取りで迫る新たな神の登場に、シルヴァニアンは目敏く反応する。
「お前は……地球の女神クライアだな?」
「いかにも。大悪魔シルヴァニアンよ」
すると、薙ぎ倒された木々に埋もれていた円盤状の神がボソボソと口を挟んだ。
「おやおやぁ、遅刻だよぉクライア」
「申し訳ない、この星に駐在する神使の元へ行っていた。して、デザルーキ卿。全く酷いやられ様だな」
「うーん、強いね、やはり。おれじゃ相手にならない。死に物狂いで死なないよう尽くすのが精一杯だ」
「……とはいえ、しかし、間近で見ると」
「ああ、妙に衰えが見られるよなぁあいつ」
「こちらにもまだ勝機はあるらしいな」
一方のシルヴァニアンは二体の神を睨み付けながら大きく深呼吸していた。
俺には分からなかったけど……衰えてるのか、あいつ。やっぱり、死期が近いから……このままだと本当にここで殺されるかもしれない……。
「デザルーキ卿。例の『部屋』を作ってくれるか」
「それは良いけどさぁ、いくらシルヴァニアンが衰えてるとは言ってもさぁ、おれの『部屋』に閉じ込めておけるのは五分が限界だと思うなぁ」
「五分間限られた空間で本気の戦いをすればおのずと決着は着く。我らが死ぬか、奴が死ぬか……それは分からんが」
巨大な一対の羽を広げて佇むシルヴァニアンを冷静に見据えながら、クライア様は不吉な言葉を呟いた。
「勝機はどれくらいありそうなんだぁ?」
「余の神器と抜群の相性を誇る卿次第と言ったところか。余一人では星の加護があろうとも敵わんし、なんとかコンビネーションを駆使するしかあるまい」
「おれ頼みかぁ」
「もちろんだ。そのために来てもらったのだから……おっと!」
瞬間、クライア様が空間から一つの「輪」を顕現させて光線を撃ち出す。いつの間にやら空中に移動していたシルヴァニアンは忌々しげに羽で弾き飛ばし、眼下の神々を睨み付けた。
一斉に九の「輪」を顕現したクライア様は、立て続けに光線を放ちながら声を上げる。
「逃げてもらっては困るぞ、シルヴァニアン。貴様はここで屠らせてもらう」
「神如きがどの口で言ってる? 見逃してやっているのは此方だが」
強力な連射攻撃を捌きつつ、心底鬱陶しそうに言葉を投げ掛ける。だがクライア様も怯まず、傍らのデザルーキに一瞬だけアイコンタクトを取ってニヤリと笑った。
「相討ち覚悟さ。地球の女神クライアの名にかけて、ここで貴様を殺す」
宣告の直後、クライア様、デザルーキ、シルヴァニアンの周囲がぐにゃりと歪み始める。これは……『部屋』とやらに移動する前兆だろうか?
「シルヴァニアン!!!!」
何か言わなくちゃいけないような気がした。それが何なのかはっきりと分からないまま、俺は空間の歪みの真っ只中に居る大悪魔に向けて大声で叫ぶ。
上空のシルヴァニアンはチラリと俺を見やり──無言のまま、微かに頷いた。
そして、パッ! と三体の姿が消えて無くなる。クライア様やデザルーキの言葉をそのまま受け取れば、これから五分間別の場所で殺し合いが始まる。この星を巡る戦いに決着が着くのだ。
もう日は沈み出し、辺りは薄暗い闇に包まれている。誰もいない山の上で、俺はボーッと立ち尽くしていた……。
「ハル!」
不意に名前を呼ばれ、勢いよく振り返ると、桜色の髪を揺らしながらセツナが駆け寄って来ていた。
「ごめんなさい、遅くなって!」
「気にすんなよ、大丈夫か?」
瞬間移動を使わず走って来たらしく、大きく肩を上下させて呼吸を整えていた。
「けほけほ……あの子……黒瀬って子、何か怪しいと思ったから、様子を窺いながら着いて行くつもりだったのだけれど……」
「けれど?」
「それが、気付かないうちに知らない道を歩いてたみたいで……クライア様が迎えに来てくださったわ」
「……そっか。まぁ、そういうこともあるさ」
俯き加減に、精一杯の笑顔でセツナをフォローする。なんかもう、泣きそう。立て続けに辛いことが起きて心ん中ごちゃごちゃだよ。
「聞いたところによると、デザルーキ卿が助太刀してくださったようね。ということは、今は卿の持つ特殊能力……限定的異空間・通称『部屋』で戦闘の真っ只中……」
「異空間に飛んでたのか、あれって……とにかく、あと三分くらいで決着が着く。『部屋』ってのが解除されればまたここに戻ってくるのかな」
「それなら早く避難しましょう。そのためにわざわざ瞬間移動を使わずに来たの」
「……いや、避難する必要はないよ。五分あれば決着は着くらしいし、もういっそ最後まで見届けたいんだ」
宵闇に煌く一番星を見上げながら、俺は呟くように声を絞り出した。だが、セツナは真面目な顔付きでかぶりを振る。
「ここだけの話、シルヴァニアンが勝って戻って来る可能性の方がよっぽど高いわ。とはいえ流石に手負いでしょうから、凶暴化したシルヴァニアンが手当たり次第に暴れるかもしれない。そうなったらあたし達、生きては帰れないわよ」
今のシルヴァニアンがそんなことをするとは思えない……と反論しかけて口をつぐむ。そんなのは俺の主観でしかないし、実際どうなるかなんて誰にも予想出来やしない。俺がわがままを言うことでセツナの命を脅かす可能性が少しでもあるなら、ここに残るべきではない。
「……分かった。それじゃあ帰ろう」
考えた末にセツナの手を取る──その直前。
バゴン!! という山全体を震わせるような爆音が轟いた。予想だにしていなかった事態に心臓が飛び跳ねる。
「な、なんだ!?」
セツナと互いに庇い合いながら、轟音の発生源──地面を陥没させている何か──に視線を注ぐ。
「クッ、クライア様!? デザルーキ卿も……なんで、まだ時間は残っていたはず……!!」
右腕が破壊されているうえに左足も失ったクライア様と、ボディにおびただしい数の亀裂が入ったデザルーキが墜落してきたのだった。
「た、大変だ!!」
「行きましょうハル! 手当てをしなきゃ!」
「待て、構うな!! セツナ、デザルーキ卿を連れて今すぐ飛べ!! かなり危険な状態だ!」
「は、はい!」
危機迫った表情で怒号を飛ばされた俺達は、現状が芳しくないのだと一瞬で理解した。
セツナは慌てて駆け寄りデザルーキに触れると、一緒に飛ぶために俺を手招きするが、
「駄目だ、ハルは残れ! 飛べセツナ!」
「えっ!?」
素っ頓狂な声を上げるセツナだったが、これ以上時間を潰すのはマズイと判断したのか決まり悪そうな顔で瞬間移動を行使した。
「はぁ……はぁ……ハル! お主はシルヴァニアンを探せ!!」
言われてハッとする。クライア様もデザルーキも異空間から戻って来たのに、シルヴァニアンの姿だけが見当たらない。
「奴も相当の深手を負っている、そう遠くへは行っていないはずだ!! 見つけたなら無理矢理にでも時間を稼げ、余も傷が癒えたらすぐに向かう!!」
「わ、分かりました」
とりあえず頷いて走り出した。しかし、当てもなく探して見つかるのだろうか? いや、今は考えるな。俺なんかに頼むってことはそれだけ切羽詰まってるってことだ。なら出来る限りの行動で応えないといけない。
しかし……俺の予想では、きっと、もう、シルヴァニアンは……。
──ハルの目の前で殺されるのは面白くない
あの何気ない一言が脳裏をよぎる。
俺は唇を結んだまま、無我夢中で足を動かした。




