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神域

「ハル。神域に行く前に伝えないといけないことがあるの」

「ん、何だ?」


 キッチンで軽快な動きを見せながら、セツナはこちらを見ずに唇を動かす。


「神域に行ってすぐにクライア様に会うのは、正直言って難しいかもしれないわ。あの方は本当にお忙しいの。あたし達のために割ける時間があるかどうか……」


 ……あ、そっか、そりゃ当たり前だ。今まで普通にクライア様に会えると思っていたのが間違いだった。


「大体察してると思うけれど、神域の仇敵・大悪魔ミラを倒したのはイヴではなくクライア様ということになっているから。元より高かった評価はさらにうなぎ登りで……今じゃクライア様を神域のトップ層に加え入れようとする動きもあるのよ。今日すぐに行って会うっていうのは、中々難しくて……何日か待つことになるかもしれないわ」

「でもシルヴァニアンの件はかなり重要事項なはずだろ。俺が半神使になったことには興味が無くとも、シルヴァニアンは見過ごせるはずがない。仮にも地球の女神なんだから」

「もちろん話せばすっ飛んで来てくださるでしょうけど、まず話すのが難しいのよ。神使如きがクライア様と直接連絡を取り合う手段なんて無いに等しいし……」

「えっ、じゃあ姉さんの時はどうやってクライア様を引っ張って来たんだ?」

「色々な手順を踏んで色々な寄り道をして、ようやく別の神様に言伝を頼めたという形ね。あたしが直接話したわけではないの。今回はクライア様の代わりに別の神様と謁見することになるかもしれないわね」


 俺は腕を組んでうんうんと唸る。セツナにはああ言ったが、本音を言えば半神使の件も何とかしたい。俺の身体について色々聞きたいこともあるし、やっぱり他の神よりは当事者であるクライア様が良い。


「……いや、駄目だなワガママは。大悪魔が来てるんだから、そうゆっくりはしていられないか。よし、とりあえずクライア様が無理だったら別の神様に掛け合ってみるってことで」

「ええ、そうしましょうハル。さぁ、出来たわよ。簡単なもので悪いけれど」

「構わないよ。いただきます」


 二人揃って手を合わせ、朝食を食べ始める。

 やがて皿の上に何も無くなると、俺達は無言で視線を合わせて頷き合った。


「よし、行くか」

「……ええ、そうね」


 セツナはなんとか不安を感じさせまいとにこやかに振舞っているが、その実とても辛そうだった。今回ばかりはどうしても神域に行かなければならないため、致し方ないのだが……出来る限り早く戻ろうと思うのだった。




 ***





「……着いた? 身体半分だけ無くなってるとかない?」

「ないない。ほら、目を開けてハル」


 恐る恐る瞼を開く。

 そして、ゆっくりと辺りを見回した。


「ここが……!」

「神聖なる、神様の棲む場所……神域よ」

「何にも無い!」


 辺り一面、まるで雪に覆われたように真っ白だ。

 果てしない平面、果てしない白。段々不安になってくるほどだった。


「中に入るわよ」

「えっ、中?」

「ここは玄関口みたいなものだから。さぁ、こっちよ」


 玄関口!? じゃあさっきの台詞おかしいじゃん! 絶対中に入って言うべき台詞じゃん!

 喉元まで出かかった抗議をぐっと呑み込む。相手がミヌートだったりしたら言えただろうが、セツナにそういうことを言うのは少し躊躇する。神使よりも大悪魔に躊躇しないというのも、よく考えたら可笑しな話だが。


「ここよ。輝力を身体から出して、この装置を触るの。そうすればゲートが開くわ」


 少しばかり歩いたのち、セツナは一つの機械を指し示した。俺の腰ほどの高さまで伸びた、正面長方形の光り輝く塔だ。不謹慎かもしれないが、率直に言ってこの装置は日本の墓石に似ていると思った。


「輝力ってどうやって出すんだ?」

「何を言っているのよ、あなたの場合水を生成して濡らした手で触れればいいでしょ?」


 あ、そうか。俺の水には輝力が含まれているんだった。言われた通り手の平から水を生成し、装置に触れる。


『認証しました』


 装置から、日本語とも英語とも取れないのに何故か分かってしまう謎言語でそう告げられた。何故理解できてしまうのか自分でもよく分からない。

 そしてすぐに、何も無い空間に長大な一筋の線が引かれていく。

 ギィ、という音を立てながら、まるで自動扉のように一人でに開いていった。


「さぁ、行きましょう」

「……ああ」


 ようやく本当の神域に行くとあって、さすがに緊張してきた。

 一歩。一歩踏み込めば、もう神々の棲む場所なんだ……。

 スタスタと風情もなく進んでいくセツナの後ろに並んで、俺はついに神域へ繋がる扉を潜り抜けた。



「わぁ……」



 無意識に、年端もいかない子供のような声が漏れた。

 ここが、神域……一言で言い表すならば……。


「楽園だ……」


 厳かな雰囲気はあるが、とにかく目に映る全てが桁外れに美しい。建物も景色も、ありとあらゆる全てが輝いているようだった。まさしく『神域』と呼ぶに相応しい空間だ。

 辺りの神々しい景観をゆっくり見廻すと、あらためてとんでもない領域に足を踏み込んでしまったのだという自覚が湧いてくる。そこにはもちろん不安もあるが、今この瞬間だけは吹き飛んでしまっていた。

 穏やかなそよ風が肌を優しく撫でる。それだけで心の中にとてつもない安心感が充満し、肩の力が一気に抜ける。


 あぁ、俺は一体何を緊張していたのか。

 きっと地球で暮らす者ならば、誰もが同じ感想を述べるだろう。

 これこそが、人類の思い描いた──



「──楽園?」



 この世界とはあまりにもかけ離れた冷たい声に、惚けていた俺は一瞬で我に返った。


「いや、だって凄いじゃないか、こんな綺麗な所、地球上のどこにも存在しないよ」

「……あたしも、最初はそう思っていたのかしら……もう思い出せないけれど……」

「えっ? 何だって?」


 聞き取れないほど小さな声で呟いたセツナは、ぶんぶんと首を横に振った。


「何でもないわ。ちょっとあっちの施設で手続きしてくるから、あのベンチに座って待っていてくれる? すぐ済むから」

「うん、分かった」


 着いていくべきならそう言うだろうし、待っていろということは待っていて欲しいのだろう。俺は頷いてベンチに腰掛け、セツナの背中を見送った。


「……暇だな」


 せっかくなので辺りを見回す。誰もいない。

 神がそこらに居ないのはまぁ想定済みだが、神使なら誰かしらいるんじゃないかと思っていた。むやみやたらに出歩いたりはしない主義の奴が多いんだろうか、神域ってのは。


「ん、テメーは……」


 突然背後で声がした。急いで振り返ると、長身痩躯の見知らぬ男が立っていた。真っ黒なスーツ──というよりは喪服か──に真っ黒なコートを羽織った男は、目をパチクリとさせて俺を見ている。

 驚いているのは俺も同じだ。だって、どう見ても人間だったから。いや、ここにいる時点でただの人間じゃないのは明白か。正しくは……セツナと同じく元は人間だった神使……!


「人間……いや、神使でもあるのか。初めて見たな……」

「あ、あのっ、貴方も神使なんですか!? 元人間の神使はめちゃくちゃ少ないと聞いてたから……会えて嬉しいです!」


 握手を求めて手を差し出し、にっこりと微笑みかけると、背の高い男はきょとんとした顔で俺を見つめた。


「……は。テメー、その身体も妙だが性格まで妙じゃねぇか。まぁ、オレのことはいつか教えてやってもいい。それじゃあな、またいつか会う時もあるだろう」


 それだけ言い残して、黒い男はパッと消えた。瞬きをする暇もなく、目の前で忽然と消失してしまった。


「……ん? あれ? ちょ、ちょっと待て……ちょっと考えてみろ……」


 独りで呟きながら、あっという間に消えた黒スーツの男との会話を脳内で反芻(はんすう)する。

 男の言い回しからして、なんか神使じゃなかったっぽい……ってことはだ。この神域にいる神使以外の存在……そんなのもう神しかいないじゃん……!


「ハル、戻ったわよ。あれ? どうかしたの? 険しい顔だわ」

「……セ、セツナ。仮に、仮に、もしもの話なんだけどさ。神様を神使呼ばわりしちゃったら……どうなる?」

「厳罰」


 ひぇぇ……。


「神様なんてのは自尊心の塊みたいな方ばかりよ。神使なんていう明確な格下相手と同一視されるなんて、我慢ならないでしょうね」

「はは……そうなんですね……物騒ですね……」

「まぁ、こんな門のすぐそばに神様は来ないから安心していいわよ。ボロを出すんじゃないかと心配だったんでしょ?」

「……あ、ああ、そうなんだよ」


 言えない……とても言い出せない……。

 まさかこんな場所に神様がいるとは、なんというトラップ……酷すぎる……。


「そんなことよりもハル! 朗報よ! クライア様、会ってくれるそうよ!」

「えっ!? ほ、本当に!?  凄いじゃんセツナ、どうやったんだ!?」


 現実逃避も兼ねて少しオーバーなリアクションをする。だが嬉しいのは本当だ。まさかこんなに簡単にクライア様と会えることになろうとは。


「あたしは何もしてないわ。施設の端末で入界手続きをしていたら、あたし宛にメッセージが届いていてね? 『もしもハルを連れて来たらこの宛先に返信するように。場所は(セント)ベルフィリア庭園の塔、そこで待つ』って内容だったの」

「……へぇ」


 俺を連れて来たら……か。

 ミヌートの言った通り、クライア様はやはり知っていたんだ。地球を巻き戻しても、俺の記憶が無くならないことを。

 しかし妙だな。神域のトップ層に食い込もうとするほどの存在が、わざわざどうでもいいことで直接会ったりはしないはず。俺の半神使化は、もしかして俺が思っているより重要事項なのか……?


「なぁ、聖ベルフィリア庭園ってのは遠いのか?」

「そこそこ遠いわね。でも距離は関係ないわ、クライア様を待たせることはできない」


 セツナはおもむろに俺の手を握り締め──はて? と不思議そうに首を傾げた。


「…………瞬間移動のストック、まだ溜まってないだろ」

「……あ、あーー、そ、そうだったわね! あはは、うっかりね!」

「……いいんだよ、歩いて行こう。別に時間を指定されたわけじゃないんだしさ」

「そ、そうね」


 セツナに優しく微笑みかけ、ゆっくりと頷いて安心させる。

 焦らなくても大丈夫だよ、と。




 ***




 恐ろしくなるほど美しい純白の道を、俺とセツナは二人揃って歩いていた。

 この純白の道、なんかすごい。

 俺が履いているのは室内用スリッパ(リビングからそのまま飛んできたせいである)なのに、不思議と耳心地の良い足音が鳴り響くのだ。神域の住人は靴音フェチなんだろうか? 


「それにしても……ほんと、誰も見当たらないな。さっき手続きしてた場所にも神使はいなかったぞ。一人くらいいたっておかしくなくない?」


 聖ベルフィリア庭園とやらにそびえる巨塔が遠目に見え始めた頃、俺は隣り合って歩くセツナにそう零した。


「……そうね。あの場所に誰もいなかったのは、確かに珍しいと思うけれど……大方、集会でも開いているのでしょ。予想はつくわ」

「集会って、何の?」

「『ドゥーム』関連と、あとはクライア様昇進の是非……といったところかしらね。まぁ一線を退いたあたしには関係のないことだわ。もちろん、今日来たばかりのあなたにもね」

「ふぅん」


 『ドゥーム』といえば、ずば抜けた強さを誇る四体の大悪魔で構成されている狂界の組織……だったっけ。俺は『ドゥーム』の悪魔を実際に見たこともないし、詳細だって全然知らない。けれど、『ドゥーム』が一体現れただけで仇敵扱いだった姉さんを神域中が放り出さなきゃいけなくなるほどヤバい存在だってことは知っている。


「姉さんの時に現れた『ドゥーム』って、結局何にもせずに消えたんだろ? わざわざ集会を開くほどのことなのか?」

「まぁ、そこそこ成果はあったみたいよ。姿形や能力の予想ができるくらいにはね。と言っても、知らない方が良かったレベルの化け物よ、きっと」


 不思議なほど抑揚のない声音で、セツナはさらに言葉を続ける。


「一歩引いた今だからこそ、はっきりと言える。現状、神域はどう足掻いても狂界に勝てっこないわ。それほど大悪魔……特に『ドゥーム』という存在は強大で……って、ごめんなさい。ここに来たばかりのあなたに話すことじゃなかったわね。さぁ、もうすぐ着くわ」

「ん、ああ」


 俺は極力感情を出さないよう、短くそう返した。

 セツナは分かっている。

 きっと他の神使も分かっている。

 神々なんてもっともっと分かりきっているはずだ。


 神域は、勝てない。狂界との全面戦争が起これば確実に負ける。


 いつか必ず訪れる滅びの時をビクつきながら待つよりは、とりあえずもがいてみようと。

 ただ、それだけの話なんだろう。

 それが間違っているなんて思わない。命ある者が、いつか奇跡が起こることを信じてもがき続けるのは至極当然な行動だと思う。


 しかし……しかし、だ。

 一体、どれほどの奇跡が起きればこの劣勢を覆せるというんだ……?


「この門の先よ、ハル」


 目線で俺に着いてくるよう誘導し、セツナは前へ歩き続けていく。


「ここが聖ベルフィリア庭園か……」


 門をくぐると、そこはまるで別世界のようであった。

 まず、とにかく広い。一体どこに果てがあるのやら。

 いやいや、それはともかくとして。


「なんか、俺、勘違いしてたみたい。名前的に洋風だと思ってたけど……ここ思いっきり日本庭園じゃねーか」


 ネットで「日本庭園」と検索したら一番最初に出てきそうな風景を、そのまま現実に抽出したような庭園だった。いや、もちろん良い意味で。それだけ美しいということだ。


「わざとそうしたのよ、きっと。クライア様は、あなたの気が休まるように気を遣ってくださっているんだわ」

「えぇ……そんな気軽に変えたり出来ないだろ、庭園は……」

「出来るわ。聖ベルフィリア庭園というのはそういう場所なの。中心にそびえるあの塔の中には操作盤があってね、操作次第で庭園の模様替えが出来るのよ。神様の気分転換にはもってこいの場所というわけ」

「そ、そうなんだ……」


 気を遣って貰って悪いけど、日本庭園だからって別に気が休まったりはしない。俺、日本庭園なんてほとんど行ったことないし。


「んで、クライア様は?」

「塔で待つと書いてあったから、恐らく塔の中に……」



「余はここだ」



 突如聞こえてきた威厳ある声に、反射的に背筋が伸びた。

 間違いない、この声の主は……!


「よく来たな、ハル」

「クライア様……!」


 我らが地球の女神クライア様その人だった。いや人ではなく神だが。

 相変わらず女子中学生のような見た目ではあるものの、身に纏う神々しさは以前よりもさらに磨きがかかっているように感じた。


「うむ、お主がこの神域に足を踏み入れているという現状が全てを物語っておる。さぁ、聞きたいこともあるだろう。ゆっくり話をしようではないか」

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