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黒兎

「いただきます」


 お、エッグベネディクトだ。セツナ、初めて作ったんじゃないか? 俺のいない間に料理の勉強とかしてんのかな?

 ……うん、滅茶苦茶うめぇ。


「ねぇ、ハル」


 不意に、セツナが滑らかな口調で切り出した。穏やかな食卓に緊張が奔る。


「昨夜の話なんだけれど」

「昨夜? それってトイレで鉢合わせた時のこと?」

「な、な、何言ってるの? 違うわ、そっちじゃなくて……と、とりあえずその事は忘れて」


 もごもごと口ごもるセツナ。可愛いなぁもう。


「あたしがお風呂から上がった後に話した、半神使の件よ」

「うん」

「あなたは後悔してないと言っていたわ、半神使になったことを。それでも、そうは言ってもやっぱり、あたしは責任があると思ってる。だから……これから先、あたしがずっとあなたを支えると誓うわ」


 曇りなき眼差しで俺を見据え、ちょっぴり……いや、かなり照れ臭い台詞を告げられる。


「……なんか、プロポーズみたいだな」

「なっ!? ち、違っ、あたし別にそんなつもりじゃ……」

「あはは、ごめんごめん。ちゃんと分かってるよ」


 セツナがそういった色恋沙汰を口にしたりしないのは知っている。ただ、こんな冗談でも言っておかないとまともにセツナの顔を見られそうになかった。


「えーと、俺の方からも頼む。セツナがそばに居てくれたら心強いし」


 この空気でこういうことを言うのは凄く恥ずかしい。恥ずかしいが……嘘偽りのない、俺の本心だった。


「ええ、分かったわハル」


 にっこりと、若干頬を赤く染めながらセツナは微笑む。朝っぱらからこんな空気になるとは思わなんだなぁ……。


「あ、それと今日学校休んでくれる?」

「はっ?」


 唐突に放たれた言葉に、俺は息が詰まりそうになった。学校をサボって謎の悪魔を探しに行こうとしていた矢先に……なんというタイミングの悪さだ。

 しかしこんなところで下手は打てない。顔に出さないよう落ち着いてセツナに問い掛ける。


「なんで?」

「一緒に神域に行くのよ。クライア様に色々あなたのことを報告して、話を聞きたいの。半神使なんていう特例中の特例、あたし一人で済ませるわけにはいかないもの」

「でも、俺は神域に入れないんじゃないか? 一応人間でもあるわけだし」

「輝力が体内にあるのは確定しているんだからいけると思うわよ」

「で、でもセツナ、神域には極力行きたくないんじゃ……?」

「それは……確かに、そうなんだけれど。それでも今回は行かないと」


 うーん……クライア様から色々聞きたいのは俺もそうだったわけだが、とりあえず先に謎の悪魔を見つけておきたいな。

 俺が半神使になった件で神域に行き、その後謎の悪魔の件でまた神域に行くことになったら、セツナの心的疲労は相当なものになる。出来る限り一度の訪問で済ませてあげたいところだ。


「悪いけど今日は無理だよ。学校でどうしてもやらなきゃいけないことがある。それにほら、明日は土曜日だし」

「そう、分かったわ。じゃあ明日ね」


 ふぅ、と心の中で胸を撫で下ろす。セツナが人の意見を尊重してくれる性格で良かった。

 チャンスは今日だけとなってしまったし、死に物狂いで悪魔を見つけなければ……。




        ***




「あーダメだ見つかんねー!」


 陽気な日差しに包まれながら天を仰ぐ。

 疲れ果てた俺は、誰もいない公園のブランコでギコギコ揺れていた。気付けばもう昼の二時だ。足を棒にして歩き回ったというのに手がかりの一つも見当たらない。


「はぁ……とりあえず弁当食べるか」


 セツナが手渡してくれた弁当をリュックから出す。なんだかリストラされて泣く泣く公園で時間を潰す人みたいだ……全く笑えねぇよ……。

 それにしてもセツナの弁当は凄い。何が凄いって、俺の好きな物しか入ってない。

 栄養バランスなど知ったことじゃないからとにかく喜べ、というメッセージが込められているかのようだ。端的に言って全くケチのつけようがない素晴らしい弁当だった。


「いただきま……ん?」


 俺の目線の先に居たのは。

 地べたにちょこんと座る、小さな黒いうさぎ。


「可愛い! どうしたんだよおまえ、こんな所に野生のうさぎなんて珍し……」


 嬉々として触ろうとした──その時だった。


 バチン!! と。


 強力な静電気に触れた時のような、あの感覚。

 「それ」を感知した瞬間、自分でも驚くほどの速度で手を引っ込めた。


 何だ? 何が起こった? 触ってもないのに指先が痺れる、痛い、普通じゃない、まさか、いや、考えるまでもないだろ、こいつだ、この黒うさぎが……!!


 俺が拳を握り締めた瞬間だった。


 小さな黒うさぎは、一瞬にしてその体躯を巨大化させた。熊と同程度のサイズに膨れ上がったそれは、こちらの出方を伺うようにじりじりと足を滑らせている。

 明らかに地球上の生物じゃない……やはり、悪魔ッ……!!


 落ち着け、落ち着け……! 

 このうさぎの悪魔は、多分そんなに強くない! 鎧状態の姉さんを初めて見た時のような圧倒的な絶望感が全くない! 少なくとも大悪魔じゃないのは確定的だ!


 以前、セツナが口にしていた情報を思い起こす。

 上級悪魔は、神使数人でチームを組むことでようやく倒せる、と言っていた。だが目の前のこいつにそこまでの脅威は感じない。明らかにセツナの方が強そう……であれば、下級悪魔の可能性が極めて高い!

 下級悪魔は正規の神使なら余裕で勝てる相手、さらに言えば人間でも討伐可能な唯一の悪魔だ。半神使の俺なら充分対処は可能なはず……!


「ギッ、ギッ、ギッ」


 何だ……歯軋り……か? うさぎの口元から耳障りな音が鳴り響き始めた。

 なんか、どこか様子がおかしいぞ……。


 眉をひそめた直後、巨大なうさぎは自分の頭を凄まじい勢いで地面に叩きつけた。

 それも一度や二度ではない、何度も何度も叩き付け、終いには顔面が醜く潰れてしまうほどの力強さで自分自身を傷付けていく。


「お、お前、何してんだ……? 何がしたいんだよお前は……」


 目の前の惨たらしい光景に、思わず声が漏れた。

 この行動は何なんだ? まるで意味がわからない。下級悪魔の知性は野獣みたいなものだと聞いていたが、現状野獣に失礼なレベルだ。いくら野獣だってこんな自傷行為はしないだろう。

 それとも自傷行為をトリガーとして特殊な攻撃を仕掛けてくる悪魔なのか? いや、馬鹿な、ありえない。これほど痛めつけていては戦うどころじゃない。何の成果もなく、何の意味もなく死ぬだけだ。


「ギュグ…ギィ……ギュゥオオオアア!!」


 耳をつんざくような金切り声を上げたうさぎは、最期に一際強烈な頭突きを地面に炸裂させた。地鳴りのような衝撃音と頭蓋骨が粉砕する音が絡み合い、世にもおぞましい協奏曲と化す。

 そして、



「…………ラ、……ル、」



 何か、言っていた。

 何か、最期に残そうとしていた。

 しかし聞き取れない。聞き取るには余りにも潰れすぎている。


「……お前は、どうして……」


 俺の言葉は届かなかった。もう、事切れていた。

 やがて黒いうさぎの悪魔の身体はみるみるうちに薄れ、煙のごとく立ち消える。

 張り詰めていた緊張の糸が切れた俺は、力無く地面にへたり込んだ。


 何だったんだ……急に現れて、急に自害して……理解が追いつかねーよ……。


 衝撃的な光景が夢に出てきそうだが……まぁ、当初の目的は達成した。あとはこの事をセツナに伝え、神域に行けばそれで終わる。あの悪魔がこの星に来た理由とか、もう知ったことじゃない。そんなことは俺がわざわざ突き止めなくとも神域が調べてくれるだろう。


 これでまた俺達二人は、平和に穏やかに暮らしていける……。




 ──中々強いのが来てるみたい




 ふと、ミヌートの言葉が脳裏をよぎる。

 先程のうさぎの悪魔は、強かったのか? 強大な大悪魔たるミヌートがそう評価するほどの強さを持っていたか?


 ……答えは、ノーだ。


 もしも……もしもこれが、嵐の前兆なのだとしたら……?



「…………勘弁してくれよ、ほんと」




       ***




 午後四時。俺は息を切らしながら玄関を通り抜けた。


「ただいまセツナ」

「おかえりなさいハル。どうしたの? やけに疲れているみたいね」


 ブレザーを脱ぎ捨て、ネクタイを緩めながら、俺は軽く息を吸う。


「話があるんだ。悪魔のことで」


 躊躇せずにスパッと切り出す。こういう事は思い切りが大切なのだと最近学んだのである。

 悪魔、というワードを聞いた瞬間、目に見えてセツナの顔が強張った。


「隣町の公園に悪魔が居たんだ。その場にいたのは俺だけで、目撃した人も怪我人もいない」

「そ、それは何よりだけど……悪魔? 本当に?」

「ああ、マジのガチだ。黒いうさぎの悪魔だった。そんなに強そうじゃなかったうえに、自傷行為までし始めて。呆気にとられてるうちに、そのまま消滅してたけど」

「黒い、うさぎの悪魔……? え、あの、そんなに強そうじゃなかったって、それはつまり下級悪魔だったってこと……よね?」

「俺はそう思ったよ。上級悪魔には思えなかったから」

「き、消え方は? ちゃんと体が崩れるように消えていったのでしょうね?」

「いや、スーって。幽霊みたいにスーって消えてったよ。あれ……そういえば確かに、姉さんはサラサラと崩れるみたいに消えてたな」



「…………………うーーーん」



 セツナは瞼を閉じて腕を組み、悩ましげに低く唸る。この反応を見るに、どうやら俺の予感は……。


「それ、シルヴァニアンね」

「シルヴァニアン?」


 聞き慣れない言葉だ。が、デジャヴでもある。こういう聞き慣れないワードは、もう大体「そっち系」のことだ。


「シルヴァニアン……黒うさぎの悪魔。割と有名な悪魔だわ」

「ええっと……有名ってそりゃつまり」

「大悪魔ね。大悪魔シルヴァニアン」

「──、」


 卒倒しそうになった。

 大悪魔……大悪魔!? なんでそんな大物がポンポン地球ピンポイントで来るんだ!?

 姉さんはこの星出身、そんで俺を幸せにしようって考えを持っていたからわざわざ地球に来た。動機や目的がはっきりしている。 

 でもシルヴァニアンはなんだ? 俺に心当たりなどあろうはずもない。あのうさぎはなんなんだよマジで。


「あのうさぎ、地球のうさぎ?」

「いえ、違うわ。別の遠い星の生物が悪魔になったらしいのだけど……」


 セツナは遠い目をした。俺もそうしたいところだった。


「どうしてこうも立て続けに、地球に大悪魔が来るのかしら……こんなのありえないわよ普通……」


 全くもって同意見だ。とはいえ、片方は俺の愛すべき姉なので強くは言えないのだが。


「……でも、どういうことだ。あれが大悪魔にはとても見えなかったぞ」

「ええ、ハルが見たのは下級悪魔だと思うわ」


 セツナの返答に俺は困惑の表情を浮かべる。支離滅裂な発言にしか聞こえなかった。


「大悪魔シルヴァニアンは、自らの身体から悪魔を生み出すことができる悪魔なの。現状、こんなことが出来るのはシルヴァニアン以外確認されていないわ」

「えっ、な、何だそれ! つまり悪魔達の親玉ってことか!?」

「まさか。シルヴァニアンが生み出せる悪魔は、自分と似たうさぎ型の下級悪魔だけよ。シルヴァニアン自体もミラに比べればやはり落ちる。ただ……生み出す下級悪魔は、いわば奴の分身。分身のうさぎが見たものや聴いたことは本体にも伝わる。それに加えて生み出せる数は膨大……つまり常時とてつもない範囲の情報網を敷いていることになるわ。故に、本体のシルヴァニアンを捕捉することは相当難しい。こちら側の居場所が駄々洩れしているわけだから。もし奇跡的に本体に近付けたとしても、れっきとした大悪魔だからまともに戦っても強いし……。シンプルに強いミラとはまた違ったベクトルの厄介さね」


 はぁ、話を聞いただけで目眩がしそうな相手だ。つまり俺が遭遇したのはシルヴァニアンの生み出した分身に過ぎなかったってわけか。そして、あれが消えたから解決したわけでも何でもなく、むしろこちら側が捕捉された可能性が高い、と……。

 何としても見つけ出さなければ、という決意のもとあちこち探し回ったのが仇となった形だ。いっそ何もしなかったほうがマシだったのかも……あぁ、そうだよ絶対。自分からピンチ拡大して……何やってんだよ俺は……。


「……ル……ハル……ねぇ、ハルってば。聞いてる?」


 ミヌート……そうだ、ミヌート。彼女は地球に来たのがシルヴァニアンだって分かってたのか? 奴の特性が索敵に優れていることから、嵌めるためにあえて俺に探させようとしたということは……いや、馬鹿か! ミヌートが俺を嵌めるメリットなんて何もない、そんな小賢しい真似をするとは思えない! わざわざ忠告してくれた彼女を……心を救ってくれた恩人を疑うなんて、俺って奴はどれだけ……! ミヌートは決してそんな真似はしない! 自分の判断ミスを彼女に擦りつけようとするな!!


「ちょっと、ハルったら」

「えっ!? あ、ああ、何だ?」

「悪魔が自傷行為をしたことを聞いているのだけれど」

「うん、それがどうかしたのか?」

「普通はそんなことあり得ないのだけれど」

「……あー、だよな。俺もそう思った」

「下級悪魔は、自分が傷付くことをいとわずに襲って来ることはあっても、消滅するまでひたすら自傷行為をするなんて中々ない……ていうか見たことも聞いたこともないわ。なんでそんな真似をしたのかしら?」


 俺に聞かれても困る。セツナが知らないことを俺が知っているわけがない。


「まぁ兎にも角にも明日、予定通り神域に行くから。あなたが半神使になった件とシルヴァニアンの件、両方報告しましょう」

「分かった」

「まぁ不幸中の幸いと言うべきかしらね。あたし、正直安心してるわ。神域に行くの、一回で済みそうだものね」


 セツナは心の底からホッとしたように、晴れやかな表情を見せてくれた。

 結果として今日の俺は、マズイ行動を取ってしまったわけだが……セツナへの気配りだけはなんとか成功したみたいだ。少しだけ心が軽くなった。


「あとさ、一つ懸念材料があるんだけど。シルヴァニアンの配下が住民を襲ったりとかはないのか?」


 そう、これだけは確認しておかなければ。いくら下級悪魔が弱いとは言っても、それは神域基準の評価に過ぎない。言ってしまえばゾウと同じくらいの強さはあるわけで。

 ゾウは地上最強とも目される動物だ。到底一般人が太刀打ちできる相手じゃない。ましてや下級悪魔なんて常に殺意満タンなのだから、実際の危険度はゾウの何倍も上だろう。


「奴はとても慎重な悪魔よ。膨大な戦力をもって数多の星を潰してきたシルヴァニアンだけれど、基本的に到着したばかりで派手に動くことはないわ。これは神域の報告書にも記されている確かな情報だから、とりあえずは大丈夫」

「そうか、それなら良かった」

「とはいえのんびりしている暇はないわ。さ、今日は早く寝るのよ。夜更かし厳禁なんだから」

「うん、分かった」


 俺は頷き、自室に上がろうとして──昨日夜更かしした時のアレが脳裏をよぎった。


「そういえば、セツナ。パジャマ買わなくて平気か?」

「……は、はぁ!? よ、よ、余計なお世話よ!!」


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