神様の使い
セツナは語る。
自らの、人生を。
「あたしはそもそも人として生を受けたの。だけど若くして死んだっぽいのよね。本来ならそこであたしはおしまいのはずだったらしいけど、神様に魂を拾ってもらって、こうして新しい人生を送っているというわけよ」
…………え、もう終わり? なんてあっさりした過去語りなんだ……。
とはいえ……セツナの軽い口調に誤魔化されてはいけない。内容自体はとても軽々しくは扱えないものだった。
それに簡潔過ぎた弊害か、どうにも気になる部分が結構あるぞ。
「……なんだよ、なんか、全体的に他人事みたいな言い方じゃん」
俺の指摘に、セツナは「ああ、やっぱりそれを聞くのか」と言わんばかりの表情を浮かべ、乾いた声で笑った。
「覚えてないのよ、人間だった頃のこと。昔は……神使になりたての頃は、確かに覚えていたはずなんだけど。まぁ、一万年くらい前のことだし仕方ないわよ」
「一万年……!? 冗談だろ? 一万年も前の地球に、セツナみたいなピンク髪の美少女がいるわけないじゃん」
「びっ……び、美少女って……き、急に何を言うのよ、ばか」
その時、初めてセツナの頬が赤くなった。ほんのり赤くなった程度だが、なんだかその反応がとてつもなく貴重なもののように思えて非常に得した気分だ。
「……ええとね、神使の住むところとこの星とじゃ、時間の流れが違うのよ。だから実際は、そんなに昔の時代に生きてたってわけでもないと思うわ」
「そう……なのか。その……人だった頃の名前とか、親の顔とかも覚えてないのか?」
「ええ、忘れちゃったわ」
さっぱりとした表情で、セツナは即答した。
「一万年もの間、神様の使いとしてたっっくさん任務をこなして、毎日忙しく過ごしていたら……気付いた時にはもう思い出せなくなっていたのよ」
「…………辛くないのか?」
「全然。人間として過ごした時間の方がずっとずっと短いんだから当然よ」
「……そんなもんなのか」
「ええ、そんなものよ」
どこか幼さの残る表情で笑うセツナに対し、どんな顔をしてあげれば正解なのか分からなくて、俺はただ俯くだけだった。
神に仕えるだけの二度目の人生ってのは、どうなんだろう? 幸せなのだろうか?
それとも……いいや、俺が口を出すことじゃないよな。
「何暗い顔しているの? 一万年も前のことに落ち込むなんて野暮ってものだわ。あたしからすれば今のハルの方が余程ハードだと思うけど」
「ははは」
「明らかに気のない笑い方はやめてくれる? 傷付くじゃないの」
「……うん、ごめんセツナ。それと……ありがとうな、話してくれて」
セツナが幸せかどうかなんて本人にしか分からない。それでも、自分の人生について思うところはあるだろう。
誰かに事情を知ってもらうことでほんの少しでもセツナを気楽にしてやれるのなら、いくらでも話し相手になろう。無力な自分にできる最大限の誠意を見せよう。
「いやいや、ありがとうって言われても…………なんか、ズレているのよねぇ……」
少々呆れたように息を吐きながら、桜色の髪をわしゃわしゃと乱すセツナ。
機嫌を損ねてしまったのかと思いきや、すぐに気を取り直すように首を振って微笑んできた。
「それで? 他に何か質問はある? この際だから気になることがあれば答えてあげる」
お、まだ質問に答えてくれるのか……?
とはいえ、セツナも疲れているだろうし、今日はもう……いや、待て待て。一つだけどうしても気になることがあった。これだけは今日聞いておかないと。
「じゃあ、一つだけ。セツナは……その、亡くなったあと神の使いになったんだよな?」
「ええ」
「人は死んだら、そんな感じで転生するのか? 善い人はそんな風に、神の使いに……」
「まさか。人は死んだらおしまいよ。人が神使になる可能性は限りなく低い。実はあたしってかなり稀少な存在なのよ」
まぁ、薄々は感じていた。この少女の持つ神々しさは、先天的なものなんだろうと。
たぶん、セツナは生まれた時から特別な存在だったんだ。
「人が神使になるには本当にたくさんの要素が必要なんだけど『これだけは絶対!』っていう最重要事項が二つあるの。一つは高潔であること。もう一つは純潔であること」
……え? 何この子……急にとんでもねーカミングアウトしてきたぞ。
「答えてもらっといてあれだけど、言ってて恥ずかしくならない?」
「………………な、なるわよ。これ以上追及したらぶつから」
「り、了解です……」
心底恥ずかしそうなセツナの表情を脳内フィルムに深く刻み込みつつ、色々と情報の整理をしてみた。
神使になる条件が『高潔』と『純潔』っていうことは……俺の姉さんはどちらも当てはまるのではないだろうか。それとも俺のシスコンフィルターを通しているだけなのか……?
いいや、そんなことはない。純潔なのは間違いないと思うし、高潔さも間違いなく人類最高峰のはずだ。
「ごほんごほん……なぁセツナ。自分以外に人から神使になってる奴見たことあるか?」
「あるわよ。たった一人だけだけど」
「あっ、あるのか!? それってもしかして、この人じゃなかった!?」
少し興奮気味に引き出しの中に仕舞ってある姉さんの写真を取り出し、セツナの目の前に突き付ける。
俺の勢いに若干たじろぎながらも、セツナはじっと写真の中の少女を見つめた。
「うーん、違うわね。あたしが見たのは小学生くらいの小さな子だったから」
「そ、そうか……」
やっぱり俺のシスコンフィルターを通して見てただけで……い、いや! 姉さんは間違いなく素晴らしい人間性の持ち主だった! 神が認めずとも俺はそう思う!
「これ、あなたのお姉さん?」
「ああ、そうだ。姉さんなら神の使いとしての素質は十分あると思うんだけどなぁ」
心の底から残念そうに呟くと、
「ハル、あなたとんでもないシスコンね」
物凄くストレートな物言いで心を抉ってきた。
「……まぁ、そうだな。ただ、もしも神使になっていたらもう一度会えるんじゃないかって……ちょっと希望を持っちゃったりしたというか」
俺の言葉に何か思うところがあったのか、セツナは少しばかり逡巡したあと、ふっと柔らかな表情を浮かべた。
「ま、あたしが会ったことないだけかもしれないし、そう気を落とさないで。それに、今はあたしが居るじゃない? お姉さんの代わりは無理かもしれないけど、出来るだけハルが寂しくならないようにしてあげるから」
うわっ、眩しい! 性懲りもなくまたまた泣いちゃいそうなくらい眩しい!
「今更だけどほんっとうに優しいよな、セツナって。俺、セツナに優しくされる度に泣きそうになるよ」
「別に普通よ。だってあなた、ひとりぼっちなのよ? あたし以外に頼れる人がいないのよ? そんな世界であなたに厳しく接する奴がいるとするなら、それはもう心を持たない化け物だわ」
「あはは、本当に優しい奴は無自覚だってよく言うけど、セツナを見てたら納得しちゃうよな」
もちろん俺を放っておけない一番の理由は、俺がこの世界の惨状と無関係ではない怪しい奴だから、という事なんだろうけど、それならこんな風に料理を振舞ってくれる必要なんてないはずだ。神使としては牢屋にでもぶち込んで監視するのが最善だろうに、セツナはそうしなかった。
俺という一人の人間と真正面から堂々と向き合ってくれているんだ。
他の神使については何も知らないけれど、この星に来てくれたのがセツナで本当に良かったと思う。
「セツナ、今更だけど……これからよろしくな」
おもむろに立ち上がり、セツナの目の前に右手を差し出した……が、いつまで経っても俺の手はフリーのまま空気と戯れている。
気まずさと気恥ずかしさで震える俺だったが、白銀の瞳を覗き込んだ瞬間、一つの推測が浮かび上がってきた。
セツナの目は、困惑に満ちている。
考えてみれば、セツナはおよそ一万年も神使として生きてきたんだ。それこそ、人間だった頃の記憶を忘れてしまうくらいに。
だから握手を求められたのが久々すぎてやり方を忘れて…………いいや、というよりも、これは……。
「これ……あくしゅ、よね?」
おずおずとそう尋ねてくる彼女に、俺はゆっくりと大きく頷いて見せた。
このいたいけな反応は、俺の推測が間違いないことを確信させるには十分だった。
ぎこちない動きで両手を伸ばし、俺の右手をやんわりと包み込む。
誰が見たって分かるくらいに、その手は不安に震えていた。
「こう……よね? 合ってる?」
「うん、大丈夫」
彼女の手の震えを少しでも和らげようと、出来得る限りの優しい声で笑いかける。
ああ、もう、間違いない。
セツナは……一万年も生きてきたこの少女は、今、初めて握手というものをしたんだ。
人間の頃の記憶を忘れているから、ではなく。
きっと、この少女は生まれて一度も握手というものをしたことがないに違いない。
にわかには信じ難いことだ。
人間として生きてきて、ただの一度も握手をしたことがない者なんているのだろうか?
一体この子は、どんな人生を送ってきたのだろうか?
「えへへ……なにかしらね、これ。なんて言ったらいいのかしらね……うふふ」
両手で包み込んでいる俺の手を見つめ、照れくさそうな笑顔を浮かべるセツナに対して、色々と詮索をする資格も勇気も俺はまだ持ち合わせていない。
だけど、きっといつかこの少女の抱えるモノを分かちあえることが出来たなら……少しは恩を返せるはずだ。
「ふふふ、じゃあよろしくね、ハル」
「もちろん。こちらこそよろしくな、セツナ」
ぎこちないながらも互いの手を握り合い、俺達は笑い合った。
静寂に包まれた世界に、光が差す。
何度沈んでも、陽はまた昇る。
明日は必ず、やってくる。