新たなる幕開け
さてと、どうしたものか。
俺は朝っぱらから勉強するようなマメな人間ではないし、朝っぱらからランニングするような健康的志向の持ち主でもない。とは言ってもスマホ弄って時間潰すのもなぁ……。
「あ、そうだ」
颯爽と自分の部屋へ戻り、窓際の花を鉢ごと抱えて庭へ出る。
半袖だと少し肌寒い。でも耐えられないほどではない……いやむしろ気持ちいいくらいかもしれない。
「イヴ。お前結構成長してるから、もうこの鉢じゃ狭いだろ」
優しく語り掛けながら、改めて花全体を見渡す。
元が小さい花だったから鉢もそれ相応の物をチョイスしたんだけど、まさか短期間でこんなに大きく成長するとはなぁ。そろそろ植え替えてあげないと可哀想だ。
「よいしょっと」
まずは鉢底ネットと鉢底石をセットした新たな鉢を用意した。そして千切れないよう丁寧に花を取り出す。
手で軽く土を落とし、伸び過ぎた根、痛んでいる根をハサミで切り落としたらもうすぐだ。
新しい鉢に土を入れ、花を良い感じに埋める。あとは部屋に持ち帰って水をたっぷり注いであげれば完了だ。
「よし、綺麗になったな」
鉢を抱き抱え、充足感に満たされながら家の中へ入ろうとした時だった。
「ハル、何をしているの?」
ラフな格好をしたセツナが、少し寝惚けた顔で近寄って来ていた。
「ああ、イヴのお手入れしてた」
「こんな朝早くから?」
「目が冴えてたからな。そういうセツナも、どうしてこんな時間に起きてんだ?」
「どうしても何も、あたしは毎日五時起きよ」
「マジで?」
知らなかった……いつもそんなに早く起きていたのか。よくよく考えてみれば、彼女の作る朝食はいつだって手の込んだ物ばかりだ。全くもって有難い話である。
それにしても、あと少しミヌートが出るのが遅かったら、セツナと鉢合わせていた可能性もあったのかもしれない……考えただけで背筋が寒くな……るんっ!?
目の前の光景を疑った。
が、やはり現実だった。
……ミヌートだ。視界の端にチラリとミヌートの姿が見える。おいおい、これシャレになんねーぞ!? なんで戻って来てんだよ!?
「ん? どうかしたのハル」
「いや、なんでもない! 本当になんでもないんだけど、ちょっとだけイヴ持って待っててくれるか!?」
「え? 別にいいけれど……」
俺は大急ぎで玄関付近をウロチョロしているミヌートに向かっていく。
到達すると同時に息を整え、焦燥感ゼロのミヌートの手を引いてセツナの死角に引っ込む。
「ミ、ミヌート……どうしてここに? もうセツナは起きてるんだぞ」
「ごめんごめん、日傘忘れちゃった」
「日傘? そんなの玄関にはなかったけど」
「キミの部屋よ。ま、もう取って来たから安心しなさい。すぐ帰るわ」
「え、そうなのか……焦って損したよ」
「そそっかしいのよ全く」
なんか腑に落ちないが……まぁ良い。俺だって別に文句を言いたいわけではない。本人がもう帰ると言っているんだからこれ以上拘泥する必要はないだろう。
「あぁ、それと、言い忘れてたんだけど」
「ん? どうした」
「この星、悪魔居るわよ?」
ごくごく普通に、なんとも素っ気ない口振りで。
目の前の大悪魔は、確かにそう告げて来た。
「うん、まぁ、そりゃそうだろ。アンタじゃん」
「いやいや。違くて違くて」
ゆっくりと首を横に振るミヌートに対し、俺は目を点にしながら首を傾げる。
「私じゃない悪魔。それも中々強いのが来てるみたい。理由はわからないけど、まぁ一応気に留めといたらいいんじゃない? それじゃ本当に帰るわね」
「えっ、ちょっ……」
は? ミヌート以外の悪魔が地球に? なんで? 何の理由があって? つーかなんでそれ今言うの? 明らかに大切な話じゃん、明らかにもっと早く話すべきじゃん。
「またね」
「待っ……!」
俺が止めるよりも早く、目の前のミヌートが視界から消える。
急いで辺りを見回すと、上空の遥か彼方にミヌートっぽい人影が見えた。しかし、視認した瞬間にはもう見えなくなってしまった。
くっ、こんな時に大悪魔っぽい所見せやがって……!!
しかしどうする!? いきなりそんなことを言われても正直困る! どうすりゃいいんだよ俺は!?
セツナに相談しようにも、情報元について問われれば俺は黙るしかない。ミヌートのことが知られたら、間違いなくセツナはその件を神域に報告するだろう。そうなると、俺では到底予想できない事態に発展する恐れがある。
ミヌートが強力な大悪魔なのはもう疑いようがない。彼女はあらゆる点において異質の存在だ。化物染みた強さを誇っていた姉さんをさらに上回っている可能性もある以上、神域側が被る被害は計り知れない。
それに……俺はあまり、ミヌートが戦うところは見たくないと思う。
彼女は確かに悪魔だが、オンオフの切り替えができる理性ある悪魔だ。馬鹿な話で盛り上がったり、アイスクリームの味で一喜一憂してみたり。普段は人間の女の子と何ら変わりない。
その彼女を「悪魔」にさせることなど、あってはならない。俺の行動次第で神域とミヌートの衝突を防げるのなら、防ぐべきだ。
──ああ、そうか……俺が「情報元」になればいいんだ!
俺がこの星に来た悪魔を見つけ出し、それをセツナに伝えればミヌートの事は言わなくて済む……我ながら画期的なアイデアだ。
「ハルー、どうしたのー?」
「い……いや、それがさぁ、さっきそこで野良猫が交尾しててさぁ。全く困ったもんだよ」
「それは妙ね。雄猫の性器にはトゲ状の突起があって交尾開始時の雌猫は痛みから悲鳴にも似た声を上げるはずなのだけれど」
なんでこの人こんな詳しいの?
「と、とにかく何の問題もなかったよ。悪いな、イヴ持ってて貰って。ちょっと今から部屋に置いてくるから」
「あ、うん」
「朝御飯、なんか手伝う事ある?」
「いえ、いいわ。それはあたしの仕事なんだから、気楽に過ごしててちょうだい。出来たら呼ぶわ」
「分かった。なんか手伝って欲しいことがあればいつでも言ってくれ」
鉢を受け取ってそう言い残し、俺は自分の部屋へ戻っていく。
道中、ふと昨晩のことを思い起こした。
そういえば、昨日色々と口論になってセツナと険悪なムードになったまま、自室に逃げ帰ったんだったな。その割には意外と普通に話せてたかも……良かった……。
「イヴ、着いたぞー」
花を窓際に置き、水を注ごうとしてハッとする。しまった、ジョウロに水がねーわ……あっ、そうだ!
ぽん、と手の平を叩き、右手を土にかざして念じる。水よ、出ろ!
「おー出た出た、こりゃ便利だ」
この能力、飲み水以外にも花の水やりという使い道があったか。日常生活を送っていく上で、こんな風にどんどん活用方法が見つかっていくかもしれないな。
***
やがて、俺は制服に着替えて大きく息を吐く。
……よし、頭の中は冴えてる。
徹夜の影響もほとんど無い。日中動き回ったとしても疲れたりはしないだろう。
制服には着替えたが、学校に行くつもりはない。日中はとにかく辺りを散策し、件の悪魔を探し出す。そして見つけることができれば、俺が情報元となってセツナに相談することが出来るんだ。
ミヌートは「悪魔がこの星に来ている」と言っただけで場所については何も言わなかった。この町でもなければこの国でもない全く別の場所へ降り立っている可能性もあるだろうが、俺はこの町付近にいる可能性が高いと見ている。
あの時は気付かなかったが、先程のミヌートはどう見ても手ぶらだった。
日傘を取りに来たと言っていたけど、そんな物は最初から持っていなかったんじゃないだろうか。つまり彼女は、わざわざ俺に忠告をするために戻ってきてくれたに違いない。
彼女がそこまでしてくれたということは、やはりこの町付近に謎の悪魔が居るのだろう。
「ははっ……うん、やっぱり優しいよ、アンタは」
思わず笑みを浮かべながら、見慣れた天井を一点に見つめる。
──よし、見つけるぞ。必ず俺が見つけてみせる。そうすればミヌートと神域が衝突することはないのだから
その時、心地よいノックの音が部屋の中に木霊する。
「……セツナか」
「ハル、朝御飯出来たわよ。下で待っているから」
「うん、すぐ行くよ」
ドアに手を伸ばそうとして、ピタリと止めた。
目線を鏡に向け、自分の顔を確認する。
……柄にもなく難しい顔してやがる。セツナの前でもこんな表情浮かべる気か?
「笑えよ。怪しまれるぞ」
自分自身にそう言い聞かせ、意を決して扉を開いた。




