アイスクリームラプソディー
「ただいまー」
「おっそい! 何してたの!? この星ぶち壊そうかと思ってたとこよ!」
「こっわ」
物騒なことを口走りながらぷんぷん怒るミヌート。彼女の場合マジで壊せそうなあたりシャレにならないが、その割にはベッドでくつろいでいるのでまぁ大丈夫だろう。ていうかくつろぎすぎだろ、涅槃像みたいなポーズしてんぞ。
「悪かったよ、ごめん。でもちゃんと持ってきたからさ。はい、アイス」
「全く……私をこれだけ待たせて不味かったら承知しな……ん!?」
「どした」
「チョコミント!?」
「ああ」
「チョコミント!?!?」
「そうだよ」
「──────────チョコミント!?!?」
「そうだって言ってんだろ! でけー声出すなよしつけーよ!!」
「キミの声のがでけーわよ! んでこれ何!? なんでチョコミントなわけ!?」
「美味いぞ」
「まっっっずいわよ! 私だってチョコミントアイスくらい食べたことあるんだから! とんでもねー不味さだったわよホント!」
「そりゃたまたま外れのチョコミント引いたんだろ」
「チョコミントとかいうフレーバー自体が外れだっつーのよ!」
憐れなりミヌート。どうやらよっぽど不味いチョコミントを食べたらしいな。それがトラウマでこんな拒否反応を示しているわけか。
まぁチョコミントが好みの分かれるフレーバーなのは確かだが、この嫌がり様は普通じゃない。だが"本物"のチョコミントってモンを味わえばそれも薄れるに違いない。
「大丈夫。これは本当に美味しいから。このカップアイスいくらだと思う?」
「四〇〇円とか? いや、それは高すぎ?」
「なんとお一つ七八〇円!」
「あほくさ。無駄遣いの極みね」
「ほー。一口食べればそんな口もきけなくなるはずだけど……?」
ふん、とそっぽを向かれる。安い挑発には応じないか。じゃあもう正々堂々ぶつかるしかない。
「本当に美味いんだよ。ミヌートのマイナスイメージを覆すだけの味を保証する、信じてくれ。それにほら、これは俺の感謝そのものだしさ。あとそろそろ溶ける」
真剣な表情で真摯に訴えかけてみると、ミヌートは唇を噛み締めて俺とアイスを交互に見た。
苦々しいとしか言いようのない顔だったが、やがて大きく溜息をついて肩をすくめる。
「…………寄越しなさい。信じてあげる」
「ああ! ありがとう!」
差し伸べられた両手に、アイスとスプーンを優しく渡す。
そして、ミヌートはようやくアイスを掬い取り、ぱくっと一口。
「まっっっず!!!! 嘘つき嘘つき嘘つき!!!! 不味いじゃない! やっぱ普通に不味いじゃない!!」
「えぇー? これが駄目ならアンタの味覚がおかしいとしか……」
俺は唇を尖らせながら手を出し、アイスとスプーンの返却を催促する。勿体無いから俺が残りを食べよう。それにしても、この高級チョコミントが不味いなどとは、全く恐ろしい舌だな……。
「はむっ……うーん、美味い! サッパリ、それでいて甘い! 良い味だこれは……!」
「キミどうかしてるわ……」
どうやら俺とミヌートは食べ物の好みが合わないらしい。俺はチョコミント大好きだけどなぁ……。
「ねぇ、口直しに何かちょうだい。私の期待を裏切ったんだからそれくらいすべきでしょ?」
「そりゃ構わないけど、一体ミヌートは何が食べたいんだよ」
「アイスクリームって言ったでしょ? ま、でもチョコミントしかないんだろうし、アイスは諦めるとして……」
「あるよ? ミルクアイス」
「あるの!? だったら最初っから持ってきなさいよ! なんでわざわざチョコミント持ってくんのよ!」
「俺が一番好きなアイスがチョコミントだから、ミヌートにも食べて欲しかった」
「むむっ……中々に上手い返しね」
「別にディベートしてるわけじゃないけど」
ふふん、と笑ったミヌートは銀色に煌めく髪を優雅に払い、
「殊勝な心がけは褒めてあげる。でもね? これから私に貢ぐ時は私のことだけ考えなさい。いいわね?」
その念押しに、俺は間抜けにも、ぽかーんと口を開けてしまった。
こんなにも堂々と『私のことだけ考えろ』と言ってしまえる豪胆さというか、なんというか。さすがというべきか、なんというか。
「んー? 返事は?」
「……あー、うん。分かった分かった」
「テキトーねぇ。まぁいいわ、早くミルクアイス持ってきてよ」
「はいはい」
言われるがまま、俺は適当に返事をして部屋を出る。
当然といえば当然だが、セツナはもう完全に自室に戻っているようだ。特に何が起こるわけでもなく、薄暗い廊下を歩いてアイスを手に入れるとそのまま部屋に戻った。
「はい、持ってきた」
「今回は早かったわね。さて、じゃあ早速食べようっと」
ミヌートは嬉しそうな顔でアイスの蓋を開ける。チョコミントの時とはえらい違いである。
「はむ……うん、いけるじゃない! 濃厚なミルク、それでいて後味はサッパリ。これよこれ、こういうので良かったのよ」
「そりゃ何よりだ」
そう言って、ふと時計を見やる。
もう四時か……今更寝るのもアレだし、こりゃ本当に徹夜だな。
「ふう、美味しかったわ」
あっという間に食べ終わったミヌートは、満足そうに舌鼓を打っている。
一方の俺はというと、そんな呑気な彼女をじっと見つめていた。
「ん? なぁに?」
俺の視線に気付いたらしく、くいっと小首を傾げるキュートなミヌート。
「いや、こういうこと言っていいのか分からないけど、ミヌートって悪魔っぽくないよな」
「へぇ、どうして?」
異様な輝きを放つ桃色の瞳が、俺を興味深そうに覗き込んでくる。多少怯みつつも、俺は率直な感想を述べた。
「だってミヌート、凄く接しやすいんだよ。あのさ、俺ってシスコンなんだ」
「急に何よ……」
「自他共に認めるシスコンの俺だけど、悪魔になった姉さんは独特の雰囲気で、正直接しやすくはなかったんだよな。でもミヌートは、姉さんとはなんか違う」
ふむふむと呟きながら、ミヌートは腕を組む。うおっ、おっぱいが腕に乗り上げてる……凄い。
「私に接しやすいのは、私が完全に魔力を抑えているからだと思う。魔力をこんな風に自在に操るのは、簡単そうに見えて難しいの。まぁミラも抑えてはいたんだろうけど、私みたいに完全に抑えるのは無理だったのかも。何せ発展途上の悪魔だったから」
「そう……なのかな。魔力云々というよりも、性格というかなんというか……悪魔なのに凄く優しい? みたいな?」
自分でもはっきりしないまま、心に渦巻く言葉をそのまま出した。
虚を衝かれたのか、ミヌートは目をぱちくりとさせている。
「キミは、私が優しいと思ってるの?」
「え、うん。優しいよ?」
俺の返答を聞き、困ったように左手を頬に添える。そして、小さく息を吐き出すと、
「見る目がないのね、キミって」
わざとらしく。あしらうように冷たく呟いた。
「優しい悪魔なんていないわよ?」
「一人も?」
「一人も。そりゃそうよ、悪魔だもん」
カラカラと邪気のない笑みを浮かべたミヌートは、滑らかな口調で続ける。
「私はね、オンオフをしっかり切り替えるタイプなだけ。今はオフ。やる事やる時はオン。別に二重人格ってわけじゃないわよ? ちゃんとメリハリ効かせてるだけの、正真正銘ただの私。優しいだなんてとんでもない」
そして、もう一度俺の目を覗き込んできた。
二、三秒ほど見つめ合った後、ミヌートはニヤリと唇を歪ませる。
「ふふっ、怖い?」
「いや、今更ビビらねーよ。今はオフって分かってるし」
「そう? それじゃあ……」
ミヌートが腕を伸ばす。
真っ白で細い繊細な指が、俺の頬をやんわりと包み込んだ。
「もしも私がその気になったら。そうしたらキミは、一体どんな顔をするのかしら?」
桃色の瞳が、俺を真っ直ぐに見据えている。鮮やかな輝きの中に強烈な意志が秘められた、宝石の如き眼差し。もはや目を逸らすことなど許されない。
「そうなったら、普通にビビると思う」
深く考えるよりも、とにかく心の内をそのまま口に出す。下手な嘘はすぐにバレてしまいそうだし、それならいっそ開き直った方がいい。
「そもそも俺、メンタル弱いんだ。もしもスイッチオンの、やる気満々のミヌートがいたら、そりゃもうビビり倒すよ。全身震えて動けなくなるかもしれねーよ…………だけど」
「だけど?」
「まずは、世間話から始める」
「………………え?」
俺の言葉を全く予想していなかったのか、ミヌートは目を見開いてひどく気の抜けた声を漏らした。
「話題は何でもいいんだけど、とにかく話がしたい。だってさ、少なくともオフのミヌートは理性のあるマトモな悪魔だし。そのミヌートがスイッチを切り替えなきゃいけない事態になってるわけだろ? それは、やっぱり……それなりの理由があると思うから。だから俺は、まず話しかけるよ」
「…………ふふっ、なにそれ」
ミヌートは、思わずといった様子で、小さく吹き出した。俺もそれを見て、自然と笑みがこぼれる。
「うふふ、もういいわ」
俺の頬から手を引き、口元を綻ばせながらチラリとカーテンの隙間から外を確認する。
「あれ? 今何月?」
「六月の十日」
「へぇー、六月ともなればこんな時間でも明るくなってくるんだ。さぁてと、それじゃ私は帰るわね」
ぴょん、とベッドから飛び降り、ドレスの裾をヒラヒラと振って伸ばす。おっ、今ちょっと中が見えそうだったぞ!
「ん? 何よ、また私のことエロい目で見てんの?」
「な、な、何言ってんだよおいおいおい勘弁してくれ、そんなわけないじゃん?」
「ふーん。ま、別に良いけど。さぁ、玄関まで見送りに来なさい」
「ああ、分かった……って、玄関から入ってきてたのか」
「そうよ?」
意外と律儀だなぁと感心してしまった。なんとなく窓から入ってきたのかと思っていたのだ。
「さ、行くわよ」
「はいはい」
隣り合って歩いていく。そして、ふとある事に気が付いた。
「ミヌート、結構背高いんだな。何センチ?」
「一七〇センチ」
「へぇ、やっぱそれなりにデカいな。俺のクラスにいる女子の誰よりもデカい」
「スタイルが良いと言ってくれる? まぁ元々カナディアンだし、一七〇なんて珍しくもないわよ。というかキミも結構背が高いじゃないの。一八〇くらい?」
「うん、まぁ……でもなぁ……縦はあっても……」
「確かに、薄いわよね。あれっ、いやほんとに胸板薄いわね。心配になるくらいもやし体型だわよく見たら。そのくらいの身長でそんなにもやしだと気胸になるわよ?」
「大丈夫だ、去年入院して治した」
「まさかの治療済み!?」
他愛もない話をしているうちに、薄暗い玄関に着く。見覚えのない真っ黒なショートブーツが置いてある……これがミヌートのか。本当に玄関から入ってきたんだな……。
「よっと。あ、ねぇキミ、そこの帽子取ってくれる?」
「ん、これか」
玄関の傍にひっそりと佇むポールハンガーから、ひょいっと帽子を手に取る。多少の装飾はあるが、絵本や漫画で目にしたことのある魔女帽子そのものだった。
「はい」
「はい」
俺から手渡された魔女帽子を浅く被るミヌート。うーん、絵になるなぁ。形容し難いほど似合っている。
「ミヌートって、実は魔女?」
「女の悪魔を魔女というならそうなのかしらね。ま、単なるファッションよ」
ニヤリと不敵に微笑むと、ヒラヒラと片手を振って扉に手を伸ばし──止めた。
そのままひたすら硬直している。何してんだろうこれ……。
「ちょっと。また来いよ、でしょ? 」
「あ、そんなの待ってたの?」
「私、今から帰るんだけど」
「ん。また来て話そうな」
「それでいいのよ」
満足そうに笑いながら、今度こそミヌートは扉の外へ出て行った。
しーん、と家の中が静まり返る。先程までとの落差が凄い。
「さて……と」
ググッと大きく背伸びをする。ミヌートが居なくなった途端、徹夜の副作用とも言える眠気がこみ上げてきた。
だが、思ったほどではない。予想していたよりもまだまだ余力がある。もしかすると、これも半神使になった影響かもしれない。
セツナが起きるのは多分六時前後だろう。それまで何をしていようか……。




