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夜想曲

 深夜二時。

 俺は目をこすりながら自室へと歩いていた。色々と物思いに耽っていたら完全に風呂に入るのを忘れていたのだ。

 とりあえず急いで入ってきたものの、明日学校あるし早く寝ないとやべーよ……。


「ふぁ……」


 あくびをしつつ部屋に入ると、


「あら眠そうね」

「!?」


 なんかエロい悪魔がいた。

 ていうかミヌートだった。


「なっ、なんっ!?」

「しっ、大きな声出しちゃダメ。バレちゃう」


 小声で忠告され、俺はすぐに口をつぐむ。確かにセツナに知られるのはマズイ……けど、なんでこんな時間にこんな所にいるんだよ!?


「ミヌート、どうして……」

「また来ていいって言ってなかったっけ?」

「言ったけど。たまたま起きてたから良かったものの、普通は熟睡してる時間だぞ? しかも今から寝るし」

「無理矢理起こすから関係ないし」

「鬼か」

「悪魔よ」

「やかましいわ」


 唇を抑えてクスクスと笑うミヌートに、俺は半ば諦めた顔で肩をすくめるしかなかった。


「……それで、何の用なんだ?」

「んー、特になし!」

「うわキレそう」

「そりゃ愉快ね」


 俺がキレないという確信があるのか、相変わらずふにゃふにゃと笑っている。まぁキレるわけないんだけどさ。


「もう、すっかり目醒めたみたいね?」

「まぁな、おかげさまで徹夜コースだ」

「いや、そうじゃなくて力のことよ。キミ、半分神使になってんでしょ?」

「あぁ~、そっちか。うーん……まぁ、そうだなぁ……」


 言いながら、俺はよっこらせと絨毯に腰を下ろす。俺のベッドに腰掛けているミヌートを見上げ、単刀直入に今の心境を述べた。


「不安なんだよ、俺」

「でしょうね」


 俺の言葉を聞いたミヌートが発したのは、たった一言だけ。しかし、俺にとってはその一言で充分だった。

 同情しているわけでもなく、かと言って突き放すような声音でもなくて。

 ミヌートらしい自然体な反応に、俺は妙な安心感を抱いていた。


「なぁに? にやけちゃって」

「別に普通だよ」

「ふぅん」


 俺の適当な誤魔化しに対し、ミヌートも適当に相槌を打つ。このしょうもないやり取りが今は心地よかった。


「どうせ暇だし、俺の話聞いてくれるだろ?」

「ん~、まぁ~、聞いてあげてもいいわよ。暇だしね」


 止むを得ず仕方なく、みたいな口振りでのたまうミヌート。

 初めて会った時にも言っていたが、マジで暇なんだろうなこの人。


「半神使になったことを後悔していないのか? って聞かれたら、俺は即座にYESと答えられる。それで救えた命があるからだ。でも半神使になって嬉しいかと聞かれれば……それはNOだ」

「私の見立て通りってわけね」


 得意気に言い放つミヌートに、俺は小さく頷いて応えた。


「そりゃま、そうよね。キミは普通に生きて普通に死にたい普通の人間でしょ? 若い姿のまま悠久の時を生きようだなんて歪んだ考え、持っていなさそうだもんね」

「うん、それもそうだし、何より……長く生き続けることで、大切な思い出を忘れてしまうことが、何よりも……怖い……」


 俯き加減に、俺は必死に声を絞り出す。いざこうして声に出すと、その恐ろしさを如実に実感してしまった。


「避けられないんだろ……? いつか、記憶が無くなるのは……」


 震える肩を自分で抱いてなんとか抑えようと試みるが、一向に収まる気配がない。忘却という事象は、それほど現実感の伴った恐怖だった。


「大切な記憶を無くしてまで生きる意味なんて、俺には無い。だから……何もかも忘れる前に、死を選んだ方が良いんじゃないかって……でもさ、俺の命は、セツナに手を差し伸べてもらって救われた命だ。本当だったらもうこの世には存在していなかった命なんだ。それでまた自殺を考えるなんて、自己中心的過ぎるし……もう、どうしたらいいのか……」

「女々しいわねぇ」


 ベッドの上で踏ん反り返っているミヌートは、呆れた口調で溜め息をついた。


「誰に何度助けてもらおうとキミの命はキミのモノでしょ? 死にたいなら死になさい、生きたいなら生きなさい。好きな方を選べばいいわ」


 バッサリと言い捨て、瞼を閉じた。

 俺は何も言えないまま、部屋の中に重苦しい沈黙が充満していく。




「…………カナダよ」




 瞼を開いたミヌートは、唐突に沈黙を打ち破った。しかし真意が分からない。

 カナダ。国の名前だ。園児でも知っていることを、どうして今、この場面で?

 目をぱちくりとさせている俺の顔が余程間抜けだったのか、ミヌートは微かに笑いながら言葉を紡いだ。



「私はカナダ生まれカナダ育ちの人間だったの。あ、でも親は二人ともイングリッシュだから生粋のカナディアンじゃないけどね。兄弟は無し、祖父母も無し。両親との三人家族で、特に不自由のない暮らしだったわね。地元ではわりと有名な金持ちだったのよ。それこそメイドだって居たくらい! 海外旅行にも行ったし、欲しいものは何でも買って貰えた。まさにお嬢様って感じの子供だったかな。潤沢な愛と金に恵まれ、蝶よ花よと育ててもらっていた私だけど、色々あって二十二歳の頃に悪魔になった。それでこの星とはおさらばして今に至るってわけ」



 少々早口で語られた内容に、俺は、これ以上ないほど呆気にとられていた。頭の中を整理するのに精一杯で何も言葉が出てこない。


「……こほん。あのね、とりあえず何か言って? この私が昔話をしてあげたのに、無反応なんて……恥ずかしいじゃないのよ」


 決まり悪そうに咳払いするミヌート。ようやく我に帰った俺は、声を掠らせながら尋ねた。


「どうして……そんなに、鮮明に覚えてるんだ……?」


 姉さんは色々なことを忘れていた。自分の名前も、俺と共に世界を周りたいという大切な夢も忘れていた。あんなに……あんなに、大切に温めていた夢だったのに。

 どうして姉さんより古株なはずのミヌートが、そんなにも鮮明に記憶を保持しているのだろう?


「私はね、全部覚えてる。人だった頃の記憶、悪魔になってからの記憶。ぜーんぶちゃんと覚えてる。なぜかって? そりゃあ私が私だからに決まってんでしょ」


 そんなの理由になっていない。

 だけど本当にそうなんだろうなと思えてしまうのが、この悪魔の凄いところだ。


「…………名前も。シャルミヌートなんて悪魔名になる前の、本当の名前も?」

「覚えてるわよ、もちろん。教えてあげないけど」


 クスッと悪戯っぽく微笑むと、俺の額に白く細い人差し指をちょこんと立ててきた。


「私は特別な存在だという自負があるわ。だから何もかも覚えていられる。たとえどれだけの時が流れようともね。そして、キミも特別な存在。なんたって誰も起こせなかった奇跡を引き起こしたんだから」

「……俺は、別にそんな」

「特別じゃないとは言わせないわ。キミは史上初の半神使よ」


 そう言ってベッドに座り直し、優雅に足を組んで。

 肩にかかった銀色の髪を払いのけると、神妙な顔でようやく口を開く。




「……だから、まぁ、つまりアレよ。キミの記憶が消えるかどうかなんて、まだ分かんないってこと」




 なんてことはない、という口振りで告げられたその言葉は、深々と、心の奥の奥まで突き刺さった。全身の震えが徐々に止まっていくと同時に、頭の中に「景色」が浮かび上がる。


 それは、道だ。


 小さくて細い、今にも消えてしまいそうな道。

 けれど、確実にその道はあるのだと。

 その道を自分は歩いてきたのだと。

 自らの体験談を持って、俺に残されている可能性を突き付けてくれたんだ。


 まだ、諦めるには早すぎる。

 だから生きろ、と。

 生への可能性を、確かに、今。


 思わず泣きそうになった。ミヌートは、いとも容易く俺の未来を切り拓いてしまったのだ。



「………………ありがとう、ミヌート……」



 涙を堪えながら、ようやく感謝の言葉を絞り出す。恩を感じ過ぎると、こんなにも胸が熱くなるものなのか。本当に……なんて凄い存在なんだろう、ミヌートは。


「別に。キミがネガティブすぎんのよ」


 自然体極まるミヌートは、澄ました顔であっさりそう言ってのけるのだった。

 しかしこのままスルーされるのは納得いかない。俺はマジで本当に感謝しているのだ。どうにかしてこの湧き上がる感情を伝えなければ。


「なぁミヌート、何かして欲しいこととかないか? 俺に出来ることなら何でもするよ」

「なんなのよ、別にそんなの求めてないんだけど」

「でもこのままじゃ気が収まらないんだ」


 ミヌートは怪訝な表情を浮かべて頬に手を添えた。うぅ、迷惑そうな顔に見えなくもないな……くそぅ、仕方ない。ここは大人しく引き下がるしか……。


「アイスクリームが食べたいわ」


 不意に発せられたその言葉に、俺は目を丸くする。


「アイスクリーム、ある? 」

「あっ、ああ! ある! 丁度凄く美味しいカップアイスがあるんだ! すぐ持ってくる!」

「溶けちゃイヤよ」

「分かってるー!」


 思わぬ提案に、俺は嬉々として走り出した。

 アイスクリーム、お安い御用だ。もちろんそれだけでこの恩を返せるなどとは思っていないが、それでも何もしないよりずっと気が楽だった。


 弾けるように扉を開き、一階の冷凍庫目掛けて足を運んでいく。物音を立てないように細心の注意を払いながら。

 セツナの部屋はリビングから離れた場所だから、起こしてしまう可能性は低いが……念のためだ。気を遣うに越したことはない。

 静粛性と速さを両立した半神使ならではの忍び足で、トイレの前を横切った──その時だった。



「ふぁぁ…」

「!?」



 中から丁度セツナが出てきた。

 なんでこんな時間にトイレ!? 頻尿に悩む老人じゃあるまいし!

 やばい、だがどうしようもない! 

 隠れようにも隠れる場所は無いしそもそもこの距離で気付かれないなどあり得ない!


「ん、ハル……?」


 ほらやっぱり! くっ、どうすれば……むっ!?

 「それ」に気付いた瞬間、それまで考えていた内容が全て吹き飛んだ。寝惚けた様子のセツナは、まだ現状を理解していないみたいだ。


 知らなかった……! セツナは、下着で寝るタイプだったのか!


 そう……トイレから出てきたセツナはナイトブラにパンツだけという、極めて露出度の高い状態だったのである。

 思わず凝視してしまう。イヴやミヌートに比べれば控えめな胸だが、普通にある。いや、むしろ万人受け間違い無しのパーフェクトなおっぱいと言えるだろう。抜群のスタイルと合わさって、これぞまさしく黄金比だと主張しているかのようだ。


「ハッ、しまっ……!!」


 慌てて目を逸らす。

 俺って奴は! 何という愚行! 何という愚考! 

 高潔なセツナをエロい目で見るなど罰当たりにもほどがある!

 露出度の高い恰好を見ないように気を付けながら、セツナの顔色をそーっと伺う。まだ寝惚けているのならもうなりふり構わず走り去るか……!?



「……あっ」



 セツナは、不意に消え入りそうな声を漏らした。その頬は見たことがないほど真っ赤に染まっている。

 これは……完全に目が覚めちゃってるな……。


「……えっ、見っ、あー……」


 紅潮した顔で視線を泳がせ、何か言いかけては止め、を繰り返し。

 そして最終的に吹っ切れたのか、微かに笑いながら言った。



「お、おやすみ……」

「……あ、ああ、おやすみ……」



 俺の返事を聞くや否や、瞬間移動でその場から消え去った。よっぽど恥ずかしかったんだろうな……。

 ふぅ、と一呼吸つく。

 鼓動がとてつもなく速い。まさか下着姿のセツナに出くわすとは……予想だにしなかった……。

 っと、惚けてる場合じゃない。早くアイスクリームを取りに行かないと……。



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