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アルプスの水

「ふぅ……」


 教室に着くなり早々に席に座り、一息つく。全く大変な目に遭ったもんだ。これほどキツい登校は人生で初めてだったかもしれない。


「うわ、どうしたの月野くん。川にでも落ちたの?」


 隣の席に座っているクラスメイトの女子、黒瀬くろせさんがずぶ濡れの俺にドン引きしていた。それも仕方のないことだ。何せ今日は雲一つない快晴模様なのだから。


「おはよう黒瀬さん。それがさ、俺の手が噴水になったんだよ」

「頭大丈夫?」


 辛辣すぎる。


「いや本当だって。そのせいで俺、バスの中で相当白い目で見られたんだぞ」

「でもおかしいでしょ。何なの手が噴水って。あ、もしかして手汗が凄い出たとかそういうこと? 比喩?」

「違う違う。ただの水。それがドバーッと出るんだよ」


 黒瀬さんは白けた目で俺を見つめてきた。今すぐ保健室へ連行すべきかと画策しているのかもしれない。


「よーしよし分かった、見ててくれ。見れば分かる」


 俺は右手を差し出し、登校中の時と同じように頭の中で念じた。ただし「少し弱めに」と加減を意識しながら。


「うわ、本当に湧き出てきた! なにこれ、どういうこと!? 凄い手品だね!」

「手品じゃないんだけど。まぁこれで信じてもらえたか。俺の手が噴水化したこと」

「本当に汗じゃないの?」

「これが汗ならやばいだろ。登校の時のも合わせたら、多分とっくにぶっ倒れてると思う」

「うーん、それもそうだ」


 そう呟いて、まじまじと湧き出てくる水を見つめる黒瀬さん。恐れも忌避も感じさせないキラキラとした瞳で何を言い出すかと思えば、


「これ、もしかして飲める?」

「はぁ!?」

「だってただの水でしょ? 飲めない理由はないでしょ?」

「いやいや、やめとけやめとけ。仮に飲めるとしても俺の手から湧き出た天然水なんて飲みたいか?」

「フツーに飲んでみたい」

「早死にするタイプだな黒瀬さんは」


 こういう好奇心の強さというのは、羨ましくもあるし恐ろしくもある。とりあえず俺なら絶対飲まないね。仮にイヴの手から湧き出た水だとしても……いや、それなら普通に飲めるわ。前言撤回しとこう。


「早く両手に水溜めてよ」

「本当に飲む気か……不味くても文句言わないでくれよ? ほら」


 黒瀬さんに言われるがまま両手を差し出して水を溜めた。この謎の力に気付いてまだ間もないが、割と扱いに慣れてきた感じはある。

 そういえば黒瀬さん、どうやって飲むんだろう? 犬のようにペロペロと飲む方法……くらいしか思いつかないけど。



「ん」

「え」



 黒瀬さんは俺の両手をお椀のように持ち、指先に口を付けてぐいっと一息で飲み干してしまった。


「え、ちょ、びっくりしたーー!!? そう言う飲み方すんの!?」

「うーん、もにょもにゃ……」


 俺に構うことなく水を吟味する黒瀬さん。大物過ぎるだろこの子。


「あ、分かった」

「な、何が?」

「コレ“いろ●す“だよ」

「マジで!?」


 俺の手から湧き出る水、市販のミネラルウォーターだったのかよ!? それ結構凄くね!?

 厄介な能力だと思っていたが俄然興味が湧いてきた。試しに俺も飲んでみよう。

 両手にもう一度水を溜め、今度は自分で一口飲んでみる。


「ね、い●はすでしょ?」

「……いや、違うじゃん。これ絶対アルプスの天然水じゃん」

「なーに言ってんだか。いろ●すだよ。キリッキリに絞ったペットボトルを捨てる想像まで出来たよ、私は」

「いやいや、俺だって雄大なアルプス山脈見えたっつーの!」


 バチバチと火花を散らす俺と黒瀬さん。

 譲れないものが、そこにはある。


「二人ともどうした?」

「あ、西条さん! 聞いてくれよ、俺の手から湧く天然水はアルプス原産に違いないのに、黒瀬さんはい●はすだって言うんだよ! おかしいだろ?」

「おかしいのはアンタの頭っしょ」


 辛辣すぎる。


「まぁつまり、ミネラルウォーターの飲み比べをしてたってこと? なんだ、それならアタシに言ってよ。アタシは自他共に認める水ガチ勢だし」


 サバサバした性格の西条さんはフフンと胸を張りながらそう豪語した。水ガチ勢だったことは今初めて知ったしそもそも水ガチ勢が何なのかよく知らないが、そんなに自信があるなら飲んでもらうとしよう。


「はい」

「うわ何これ、新種のマジック? まぁいいや、頂きます」


 犬や猫みたいに、溜まった水を何回か舐めて口に含んでいく西条さん。なんだかちょっとやらしいな……。


「うーん、なるほどなるほど……」

「な? アルプス山脈見えたろ?」

「ね? 環境に優しいボトル見えたでしょ?」


 俺と黒瀬さんがずずいと迫る。西条さんはもう答えを得ているらしく、その顔は自信に満ち溢れていた。ま、答えはもう聞かなくても分かるけどな。俺は舌には自信があるんだ、アルプスの天然水で間違いない。


「水素水だわこれ」

「「はぁ??」」


 と、その時。教室の扉が開いて先生が入ってきた。


「はいホームルームを始めます……ってうわっ! 月野の席周辺、びちょびちょじゃないか! 掃除しなさい、今すぐに!」

「ひえー……」


 こうして、俺の水は何かという疑問に決着を付けることは出来なかった……。





        ***





 体育の時間。この時、事件が起きた。

 その事件とは、まさに俺そのものだ。


「うおおおおおお!! 葉瑠がハットトリック!?」

「どうなってやがんだ!? 葉瑠の運動神経の悪さは俺たちみんなが知るところだろ!?」

「葉瑠テメー! さてはドーピングしやがったな!?」

「体育の授業でドーピングする奴がいるか! なんて失礼な奴ら!」


 とは言え、自分でも驚いていた。今までになく身体が軽い。それでいて軽すぎるということはなく、心地良く軽快に動く。


 加えて、なんというか、「馬力」が昨日までと明らかに異なっていた。

 俺のドリブルが他の奴らの全力疾走を遥かに上回るスピードであることもそうだが、シュートの強力さは高校生のレベルを……いや、もはやそういう次元ではないのかもしれない。とにかく今の俺は、誇張抜きに世界レベルだと確信できるほどだった。

 手から水が出るようになったことといい、劇的な身体能力の向上といい……やっぱりミヌートの言っていた「目醒め」というやつに違いない。


 これ、どうすればいいんだろう?


 何もかも知っていそうなミヌートに相談したいが、次はいつ来るかも分からない。となれば、やはり事情を知っていそうなクライア様に聞いてみるのが無難だが……あまり気が進まない。というのも、クライア様に会うためにはセツナに俺の変化を伝えたうえで、神域に連れて行ってもらわなくてはならないからだ。


 今のセツナは、毎日楽しそうだ。よほど神域の任務に辟易していたんだろう。あの笑顔を曇らせるかもしれないのだと考えると、正直心苦しくて仕方ない。

 だが、そうも言っていられないのは事実。実際問題、俺はかなり不安だった。自分が自分で無くなるのではないかという、漠然とした不安。

 まぁよく考えなくてもセツナにずっと隠し通すなんて無理だろうし、思い切ってさっさと話した方が後腐れもないだろう……。



        ***



「なぁ、葉瑠って今一人暮らしなの?」


 下校中、友達の三原みはらがふとそんなことを尋ねてきた。その表情は硬い。俺の両親についての事情を知らない三原からすれば、月野葉瑠という人間は可哀想な子供に見えているのかもしれない。というのも、世間的に俺の両親の死因は「不慮の事故」だからだ。


「……いいや、ふたり暮らしだよ」


 周りは俺を悲劇の息子として扱う。九年前に事故で姉を失い、今度は両親も事故で失った天涯孤独の憐れな子供だと。


 だが……実際は違う。俺は悲劇の息子などという、大衆の同情を誘えるような存在ではないのだ。

 だって姉さんも、父さんも、母さんも……全員事故死じゃないんだから。


 俺がこの生命溢れる地球で全ての記憶を取り戻した時。

 地球が修復され、「巻き戻し」が行われたはずなのに、父さん達はどこにもいなかった。ありとあらゆる生命が再生されている中、あの二人だけは戻ってこなかった。


 俺はすぐに察しがついた。

 あぁ、あの二人だけは。

 姉さんが、自らの手で直接殺したのだと。


 事実、人里離れた山で大破したウチの車が発見されたと一報が来た。

 車内の父さん達は脳挫傷により即死。日本の公道ではありえない速度での衝突、ブレーキ痕も無し。

 おそらく姉さんは、父さん達が交通事故による死亡として済まされるよう周到な準備を整えて儀式を行ったんだ。たとえクライア様の「巻き戻し」が発動したとしても、決して彼らだけは蘇らせないために……。


 俺にとって父さんと母さんは本当に大切な家族だった。二人は掛け値無しに良い親だと思っていたし、実際二人のことが大好きだった。将来はちゃんと親孝行するのだと誓っていた。だから……あの二人が計画的に姉さんを殺したなんて想像が付かない。

 でも、彼らは間違いなく殺したんだ。姉さんを陥れて悪魔の道に叩き落とした張本人なんだ。

 そこの線引きは絶対にしなくちゃならない。とはいえ……心を整理し切るには、まだ……少し時間がかかりそうだった。


「へぇ、ふたり暮らし? 叔父さんとか従兄弟とか?」

「親戚とかじゃないんだ。血の繋がりは無いんだけど、でも大切な家族だよ」

「ん!? それお前つまりそれって……」

「あっ。ごめんな、ちょっと用事が出来た。また明日ー!」

「あ、お、おう」


 小走りで駆け寄って行く。わざわざ三原との話を切り上げたのには、ちゃんとした理由があった。


「おーい、セツナ」

「あ、ハル。今帰り?」


 そう、ふらふらと頼りなく歩くセツナの姿が見えたのだ。


「セツナは、どうしたよ。買い物……じゃないよな?」

「うん。買い物はもう午前中に終えたから、適当に歩いていただけよ」

「……そっか」


 セツナは、時々当てもなく出歩く事がある。

 何かしたいことがあるというわけでも、歩くことが目的というわけでもないらしい。

 この行動はセツナのそもそもの習性なのか、それとも脳にダメージを負った後遺症なのか……それは分からない。

 ただ、原因がなんであれ、俺は精一杯この子を支えるつもりだ。俺が不安な時はセツナが、セツナが不安定な時は俺が手助けをする。そうやって、互いに補い合って生活していけばいいんだ。

 俺とセツナは、もう家族なんだから。


「おんぶってしてもらったことある?」

「何よ、藪から棒に。覚えてる限りではないけれど?」

「どうぞ」


 俺はセツナに背を向け、おもむろにしゃがみ込んで待機した。


「え、な、何なの本当に」


 セツナの顔を窺うことは出来ないが、おそらく困惑しているのだろう、いつまで経ってもおぶさってくる気配はない。


「嫌か」

「そういうわけではないのだけれど」

「じゃあ乗ってくれてもいいだろ」

「うぅん……? そう、かしらね……」


 疑問を色濃く残した声音だが、それでものしのしと俺に覆い被さってきてくれた。

 ……軽い。本当に、軽い。


「よっと。それじゃ家に帰るか」

「大丈夫なの? あたしの知る限り、ハルってそんな体力ないわよね」

「今日から平気になった」

「ふふ、何よそれ」


 俺は前だけを見据え、淀みのない足取りで進んで行く。




 ……セツナは、裸足だった。




 裸足でアスファルトを踏めば、すぐに違和感に気付くはずだ。何か履いてこなければと思うはずだ。それでもセツナは気付いていない。感覚が無いみたいに平然としている。


 裸足のまま外に出ていたのは、これが初めてではなかった。こんな風にふらふらと出歩いている時は裸足であることも多かった。


 以前、セツナが「散歩」に出る瞬間を見たことがある。きちんと玄関から出ようとしていたなら俺も止められただろうが、止められなかった。理由は単純、この子は無意識のまま瞬間移動を行使していたからだ。


 きっと、今日もそうなんだろう。

 きっとまた、自分の心と力を制御出来ていないのだろう。


 守らなければ。

 支えなければ。


 何があろうとも、セツナがセツナであり続けられるように。


「ねぇ、ハル。今日の晩御飯は何だと思う?」

「えー、なんだろ? オムライス?」

「わっ、凄い! 今日はオムライスなの、大当たりね!」

「はは、好きなもん挙げただけだから」

「それでも凄いわ。ねぇ、あなたって、いつからオムライスが好きになったの?」

「ずっとだよ。子供の頃からずっと」

「そうなの? 大人になったら好みが変わったりする人も多いと聞くのに。うふふ、ハルは昔から変わらないのね」


 にこやかに語りかけてくるセツナに相槌を打ちながら、ふと考えてしまう。

 セツナは、俺の身体が変質してしまったことをどう思うだろうか。

 怒られたりはしないだろうが、かと言って喜んでいるところは想像出来ない。あまり良い反応は得られない気がする。



「……景色が違うわね」



「ん?」

「自分で歩く景色とは、違うのね。それに温かいわ」

「ああ。たまにはこういうのも悪くないだろ?」

「ええ、ハル」


 セツナは俺の肩に顎を乗せ、照れくさそうに笑っていた。


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