夢の続き
「父さーん? 母さーん? ……うーん、やっぱいないな。こんな朝っぱらからどこに出かけたんだろう。車も無いし……って、もうこんな時間だ! やばい遅刻する! 行ってきまーす!」
朝起きて、いつものように慌ただしく家を出て。
「みんな! おっはよー!」
「葉瑠、遅刻ギリギリじゃん」
「おはよー葉瑠」
「おはよう月野くん」
クラスメイトと、挨拶をして。
「ねぇ月野くん、あの課題終わった?」
「何言ってんだ、終わってるわけねーよ」
「あー、安心した。私と一緒に怒られようねー」
「ははは、期限は放課後までだろ。休み時間使えば余裕っしょ!」
「あとで痛い目見るぞーお前」
学校の友達と、馬鹿みたいな話をして。
「おい月野、廊下は走るな! 反省文書かすぞ!」
「すいませーん!」
怖い先生に、叱られたりなんかして。
「葉瑠、課題出したんだろ? 放課後どこ行く?」
「私はあそこがいいなー。ほら、駅の近くに新しく出来たっていう林檎スイーツ専門店の……」
「あー、そこ俺も行ってみたかったんだよ! なぁ、葉瑠はどう思う?」
「ん? そうだなぁ、俺は……」
放課後に、みんなで、遊びに行ったりなんか、して……。
「…………あれ?」
「葉瑠? どうしたよ」
「うん…………なんか……」
………………変だ。
頭の中で何かが引っかかる。だがそれが何なのか分からない。
でも、でも、なんか……。
「えっ!? 葉瑠お前、泣いてんの!?」
「月野くん……?」
目の前に広がる眩しい夕陽が、俺の視界と心を埋め尽くす。
理由は分からない。けれど涙が溢れて止まらない。
俺は……何かを誓ったはずだ。俺の全てをかけて成し得るべき、大切な誓いを。
「…………あぁ」
幽かな声が漏れた。
安堵と悲哀の入り混じった、この切ない気持ちの正体は。
「…………………何やってんだよ……俺……」
そうだ……そうだよ……確かに俺は……誓ったんだ!
あの夕陽に!! 誓いを立てたんだ!!!!
「悪い! 行くところが出来た! また明日、学校でな!」
「えっ、あっ、おう! なんかよく分からんが頑張れよ!」
走る。
走る。
とにかく走る。
肺が痛い。
心臓が破裂しそうだ。
だけどこの足を止めるわけにはいかないんだ。
「そうだ……約束したんだよ! 絶対お前を憶えてるって! 約束したんだ!!」
周りの目なんて気にも留めずに。
感情の赴くまま、俺は大声で宣言する。
愛しい少女の名と共に。
「──イヴ!! 今、会いに行くから!!!!」
ああ、約束したんだ。
たとえ世界が巻き戻っても。
たとえ記憶が巻き戻っても。
俺は必ず、あの子を見つけ出すのだと──
***
とっぷりと日が暮れた夜道を、俺はよろよろと歩いていた。辺りに人気はなく、しんと静まり返っている。まさかこんなに遅くなるとは……。
「あの」
人気が無かったはずの道に、瞬時に誰かが現れた。
桜色の髪。
白銀に輝く大きな瞳。
そして身に纏う雰囲気。
全てが人間離れした神秘的な存在が、静寂と共に闇夜に佇んでいた。
「……凄いわ。その花……本当にイヴを見つけたのね。たとえ記憶なんて無くても、見つけてしまえるのね……あなたは」
俺が大切に抱えている鉢植えに視線を注ぎ、宵闇に溶け込みそうな声で呟く。
芸術的なまでに端正な顔立ちは、とてつもない悲壮感に満ちていた。
「……意味が分からなくてもいい。聞き流してくれて構わない。それでも……どうか、聞いて欲しいの…………ハル」
おずおずと、震えながら俺の名を呼ぶ。
本当に俺の名前を呼んでいいのか、葛藤していたようだった。
「あたし……短い間だったけど、あなたと居るのが楽しくて……本当に、楽しくて……凄く長い人生で、一番楽しいひと時だと思えたから……」
ぎゅっと、両手を握り締めて。
言葉を途切れさせながらも、その唇は決して止まることはなく。
「あのね……ありがとう……ハル……」
月明かりの下で、少女は涙を零した。
悲しそうでもあったし、悔しそうでもあった。けれど何よりも「言えて良かった」という満足感を醸し出しながら、雪のように白い肌を濡らしている。
「もう叶わないけれど……あたしはあなたとの生活がずっと続けばいいなぁって……ううん、ごめんなさい。それじゃあ、あたしはこれで……」
「セツナ」
「…………え?」
亡霊でも見たのか? なんて突っ込みたくなる顔で、少女──セツナはぽかんと口を開けている。
俺はそんな彼女の反応がちょっと照れくさくて、はにかむように笑って頷いた。
「覚えてる。ちゃんと覚えてるよ。忘れないって言っただろ、セツナ」
「………………えっ、で、も、いや、え? なんで……」
「俺も分かんねぇ。でも覚えてるんだ。お前の名前はセツナ。俺を助けてくれた命の恩人で、本当に本当に優しい女の子で、そして……全然泣かない、強がりの女の子だった……」
唖然としたまま泣いているセツナの方へ、スムーズな足取りで歩み寄っていく。
「お礼を言いたいのはこっちの方だ。お礼も言えないまま永遠にお別れなんて御免なんだからな。だから……俺の方こそ、ありがとう」
「ハル!!」
ぴょん、と年端もいかない子供のように胸に飛び込んでくるセツナをよろめきながらも受け止めた。あの頼りになる姿はどこへやら、子犬のようにグリグリと額を押し付けてくる。こんなことをされたのは初めてなのに、どこか懐かしく感じてしまう。
「ハル……ぐすっ、ハルぅ……!」
「なんだ、ちゃんと泣けるじゃないか」
「そうね……もうとっくに枯れ果てたとばかり……思っていたけれど……あたし、まだ流せたのね……」
よっぽど長い間泣いていなかったんだろう、セツナの涙は一向に止まる気配が無い。
けれど、これでいいんだ。人ならば……生けとし生ける生物ならば、涙は流して当然なのだから。
「なぁ、セツナ。俺とした約束を覚えてるか?」
「……ぐすん、当たり前じゃない。忘れるわけないじゃない」
「ああ、そうだよな」
もちろん俺も覚えている。
今は、あの無音の世界で経験した何もかもが頭の中に浮かび上がってきている。
セツナのことも。
姉さんのことも。
そして……今俺が抱えている綺麗な花に、イヴという名前があったことも。
彼女は俺を愛してくれた。俺も彼女が本当に好きだった。
大丈夫。
全部、全部、覚えてる。
──これから先、大変かもしれないけど……精一杯、生きていくんだよ……
うん、大丈夫だよ、姉さん。
──私を……見つけてくれませんか……?
安心してくれ。約束は果たしたよ、イヴ。
この夜が明ければ、明日が来る。
明日陽が沈めば、また夜が来る。
地球は周る。
世界は進む。
時が経てば、いつしか忘れてしまう記憶もあるかもしれない。
それでも、未来永劫決して色褪せることのない想いを抱いて、俺は生きていく。
一歩ずつ、着実に。この道を歩んでいくんだ。
「よし、再会した記念にひとっ飛び頼むぜ、セツナ!」
「ええ、ハル!」
俺達は月光に照らされながら笑い合い、声を揃えて宣言するのだった。
「「一緒に星を見に行こう!」」
第一章 完




