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こんな世界でも

「ねーさんねーさん」

「ん? どうしたの葉瑠くん」

「ねーさん、もう高校生なんでしょ? 彼氏とか作んないの?」

「まぁ葉瑠くんたらマセちゃって。うーん、彼氏ねぇ……今は葉瑠くんのお世話で忙しいし、葉瑠くんに彼女さんが出来たら作ろうかな?」

「えー? 俺はまだ小二だよ? 彼女なんて出来ないし」

「ふふ、じゃあ私も当分作れないね。いやー残念」

「全然残念そうじゃないよー」

「あら、そう見える? そう見えちゃう?」





 ……あぁ、これは、姉さんが亡くなってしまう一ヵ月前にした会話だ。

 姉さんはいつも笑顔だったけど、この時はもっと笑顔だった気がする。

 俺は物心がついた時から姉さんの笑った顔を見るのが好きだったから、あの人がとびきりの笑顔を浮かべたこの会話は妙に印象に残っていた。


 辛い時や苦しい時は、こうして姉さんとの思い出を夢に見ることがある。

 どんな時でも笑顔でいてくれる姉さんは、俺にとって絶対不変の陽だまりなんだ。

 考えたってどうしようもないことだとは分かっていても、考えずにはいられない。

 もしも姉さんが交通事故で亡くなったりすることなく、ずっと生き続けられる未来があったとしたら……それはどんなに幸せなことだろう。



 もう一度、あの人と会えたなら──



       ***



「…………ハル」


 名前を呼ばれた気がして、ゆっくりと瞼を開く。体が物凄く重い。まだ焦点の定まらない瞳をゆらゆらと彷徨わせていると、一つの人影を発見する。


「あ、良かった。目が覚めたのね」


 清廉で温かな笑みを浮かべる神々しい少女、セツナ。

 その表情には、あの時のような冷たさは微塵も感じられない。


「……ハル、泣いてるわ」

「え……あ、ほんとだ」


 おかしなこともあるもんだ。夢を見て泣くなんて人生初の経験だった。


「仕方ない人ね、もう」


 そう呟いて、見惚れるほどに美しい指で涙を拭ってくれた。

 呆れたような、ホッとしたような。それと同時に申し訳なさそうな……そんな顔をしている。


「ごめんね、ハル」

「……? どうしてセツナが謝るんだよ」

「あなたにとって今日はあまりにも辛いことばかりで、精神的にかなり追い詰められていたはずなのに……あたし、それを顧みずに追い打ちをかけるようなことを言ってしまったから」


 うーん……まぁ、セツナのあの言葉と視線に傷付いたのは事実だけど……落ち着いて考えてみれば、彼女の言動に責めるべきところは全くない。


「気にする必要ないよ。セツナの仕事は、原因の調査なんだから。俺を追求するのは何もおかしくないし、どちらかといえばあの程度で倒れちゃう俺がやべーんだから」


 俺がおどけるようにそう言って笑いかけると、セツナの強張った顔が少しだけ綻んだ。

 自分に非がないことでもこんなに相手のことを思いやれるんだから、やっぱりこの子はとても優しい性格なんだと思う。


「それにしてもびっくりしたわ、熱を測ったら四〇度もあったのよ」

「えっ、ほんとか? 四〇はビビるなぁ」


 なるほど、どうりで体が重いわけだ。四十度などという、俺にとっては全く未知の領域に突入していたらしい。


「だからまぁ、しばらくは安静にしてなさいね。あたしが面倒みてあげるから」

「それは凄くありがたいんだけどさ、セツナ」


 どうしても聞かなければならないことがあった。

 この問題を有耶無耶にしたままでは、これからの生活に支障が出ることは間違いない。


「俺のこと……疑ってるんじゃないのか? 演技の上手い敵側のスパイ野郎なんじゃないかってさ。なんか目が覚めたら滅茶苦茶普通に会話しちゃってたから、逆に怖くて」

「ん? あなたと敵が何らかの形で知り合ってるのは間違いないと思っているわよ? だけど、あなたがその敵に心当たりがないっていうのも、今では本当だと思っているわ。あなたは嘘を言わない人間だって、信じることにしたの。うふふ、それによく考えたら、ハルが演技してたらすぐに見破れちゃいそうだもの」


 屈託のない笑顔でそんなことを言われる。

 褒められているのか馬鹿にされているのか判断が難しいが、まぁ可愛いので良しとしよう。


「それじゃ、安心してあたしに看病されることね。今からおかゆ作ってくるからハルは休んでて」

「ああ、ありがとう」


 うんうんと満足そうに頷くと、セツナは静かにドアを開いて俺の部屋を後にする。


「……はぉぅ……」


 一人になり、何とも間抜けな声を漏らしてしまった。

 どうやら俺は、無意識のうちに緊張していたらしい。セツナが俺を敵視したままなのではないか、と。


「セツナは……まだ、俺の味方でいてくれたんだ……俺を信じてくれたんだ……」


 今の俺にとってその事実以上に嬉しいことはない。

 彼女がまだ俺のそばにいてくれる。それだけで心に安らぎの風が吹くのを感じる。

 安心したせいなのか、突如として強烈な眠気が襲ってきた。体もだるいし、セツナが来るまでもうひと眠りしていようか……。



       ***



 うぅ、と小さく呻き声をあげて目を覚ます。頭がぼぅっとして、どうにも気分が冴えない。結構な時間寝ていたようだ。


「今何時だ? ……うわぁ、深夜の二時かぁ……」


 部屋の壁に掛けてある時計を見て、思わず肩を落とした。


 この部屋でセツナと会話をした時刻は正確には分からないが、かなりの時間が経過していることは確かだ。こんな時間では間違いなくセツナは眠っているだろう。

 おかゆを作らせるだけ作らせておいて放置とは我ながらとんでもねー奴である。朝になったらすぐに謝らなくては。


 その時、俺の腹が情けない音を出した。今気付いたが、朝から何も口にしていない。

 世界がこんなことになっても腹は減るもんなんだなぁと、当たり前のことに妙に感心してしまった。こんな時間ではあるが、セツナを起こさないように一階に降りておかゆを頂くことにしよう。


 ベッドから立ち上がり、よたよたとおぼつかない足取りで部屋を出る。

 俺の部屋とセツナの部屋は離れているとはいえ、物音を立てないように気を付けなければ。放置したうえ深夜に睡眠妨害されたとあってはさすがの彼女もブチギレだろう。


「……ん?」


 忍び足で廊下を歩いている最中、思わず首を傾げてしまった。どうやら一階の電気が点いてるようだ。セツナが消し忘れたのだろうか。

 頭に疑問符を浮かべながらリビングへ入ると、


「おはよう、ハル。あら、まぁまぁな顔色になったじゃない」


 桜色の髪と白銀の瞳を輝かせたセツナが笑顔で俺を出迎えてくれた。

 その眩しさに面食らいつつも、なんとか声を絞り出す。


「どうしてこんな時間まで……?」

「ハル、今日何も食べてないんじゃない? お腹が空いて深夜に目が覚めるんじゃないかなって予想してたのよ。見事にドンピシャだったわね」


 くすくすと上品に笑うセツナを見て、なんだか物凄く申し訳ない気分になってきた。

 この家に来る前、確か彼女は「クタクタに疲れている」と言っていたはずだ。それなのに、俺が倒れたせいでほとんど休息できていないんじゃないのか。


「……気を遣いすぎだよ。もし俺が朝まで起きなかったらどうするつもりだったんだ」

「うーん……待ち惚け?」


 明るい表情のまま、あっさりとんでもないことを言ってのける。気を遣ってくれるのは有難いが、俺のために疲れた体に鞭打って徹夜、なんて行動はさすがに喜べない。

 そもそも、俺が寝すぎたのが全ての原因なんだから、セツナがこんな時間まで起きている必要なんかないのに。

 そんな俺の考えを表情から読み取ったのか、セツナは少しはにかんで首を振った。


「あたしも夕方は寝てたから。だから、そんな顔しないで。あなたにそんな顔されたら、頑張ってこんな時間まで起きてた意味がなくなるじゃない」


 うっ、まぁ……それは確かに。


「とにかくまずはご飯よ。おかゆ、あっためるから」

「……ああ。本当にごめんな、セツナ。迷惑ばっかりかけて」

「迷惑のうちに入らないわよ、このくらい。すぐできるから座ってて」


 転ばないよう慎重にソファまで歩き、身体を深々と沈めた。特にすることもないので、おかゆを温めるためにキッチンに立つ少女をぼんやりと眺める。


 そういえば……どうしてセツナはおかゆが作れるんだろう。神の使いってのは瞬間移動だけじゃなく異星の料理もこなしてしまうハイスペックな存在なのか?


「はい、出来たわよ。ん? どうしたの、ぼーっとして」

「い、いや……ありがとう」 


 テーブルに置かれたのは、非常に美味しそうな出来栄えの卵がゆだった。ほかほかと立ち上る蒸気がより一層見た目の美しさに拍車をかけている。


「いただきます」


 レンゲで静かに掬い取り、パクッと一口。


「うっま! えっ、うっま! おかゆってこんなに美味くなるもんなの!?」


 予想の遥か上をいく美味さだった。これほど美味しいおかゆが世の中にあるものなのかと感動すら覚えるほどだ。

 スプーンを持つ手は止まらず、気付いた時には完食してしまっていた。

 俺の見事な食べっぷりを見て、セツナは嬉しそうに微笑んだ。


「ふふ、そんなに美味しかったの?」

「ああ、正直驚いたよ。人生で一番美味いおかゆだった」

「そ。上手に作れるか不安だったんだけれどね。喜んでもらえて良かったわ」


 ホッと胸を撫で下ろし、柔和な表情を浮かべると、テキパキとした動きで器やレンゲをキッチンまで運んでいく。


「セツナ、なんか手慣れてるよな」

「え? そうかしら。この程度で手慣れてるも何もある?」 

「うーん、手慣れてるというか……神様の使いがこんなに家庭的な存在だとは思ってなかったというか。まさかおかゆが作れるなんて驚いたよ」


 確かに、おかゆは難しい料理ではないが……。

 はっきり言って彼女に対して料理上手なイメージは全く持っていなかった。

 どちらかというと、キッチンを爆発させるレベルの料理下手だと思っていた……とは口が裂けても言えない。だってなんか神々しすぎて畏れ多いし。


「あたしも料理なんて人間だった頃以来らしいから不安だったんだけど、体は覚えてるものなのね。我ながら感心しちゃった」 

「…………はい? え? 人間……だった?」


 ものの見事に思考がフリーズしてしまった。

 神の使いであるセツナが……人間? えーっと、つまり……どういうこと??


「あたし、昔は人間だったのよ。あなたと同じ」

「ええええええぇぇぇぇーーーー!?」

「そんなに驚くことかしら」

「驚くわ! めちゃくちゃ驚いたわ!」


 よく分からないが、神の使いなんてとんでもなく高尚な立場に違いない。 そんなものに人間がなった、ということか? 

 一体人間の頃の彼女はどんな人物だったのだろう。


「ま、確かに比較的珍しいかもしれないわね。人間が神様の使いになるって、中々ないことだから」


 手早くレンゲと器を洗い終え、手を拭きながらそう言うセツナ。驕りも謙遜も含まない、淡々とした声音だった。


「せっかくだし、あたしのことをちょっと説明しましょうか。これから一緒に生活するんだから、少しは同居人のことを知っておいてもいいでしょ?」


 キッチンから淀みのない足取りで近付いてきたセツナは、俺の隣にピッタリと寄り添うように座り込んでくる。

 なんだろう……ふんわりとした、優しい匂いがする。セツナの人格を体現しているかのようだった。


 そして、セツナは語る。

 自らの、人生を。


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