決戦 <憎炎>
クライア様は一瞬口ごもった後、精悍な表情を浮かべてミラを見据える。
『……誰かは言えんな。ただ、この星の女神として一つ言わせて貰うならば……今、貴様を楽にしてやろう……』
『訳が分からんことを言うな……まぁいい。私の弟が平和に暮らしていくために、どのみちお前は邪魔だ。ここで殺す』
どす黒い声で宣言すると同時に、ミラの体を禍々しい闇が覆っていき、あたし達の見慣れている漆黒の鎧を身に纏った怪物へと変貌を遂げた。
鎧状態のミラは攻守共に隙が無さすぎる。クライア様の十燐砲ですら倒しきれない可能性が高い。
かと言って神剣アルトアージュとかいう欠陥品……もとい決戦神器は頼りにならないし……いや、悪いことばかり考えてどうするのよ! あたしはとにかく集中よ!
その時、クライア様が地面を蹴って上空へと浮かんでいった。十燐砲を侍らせ、鋭い眼光でミラを見下ろす。
『はぁっっっっっ!!!!』
燐砲を縦横無尽に動かしつつ、出来る限り逃げ道を塞いで光線を放つクライア様。
並みの大悪魔ならまず避けられない攻撃……ミラはどうする!?
『ふん』
ぼぅっ、と。
ミラの両手足に黒き炎が灯された。
そして回避どころか自ら砲撃に向かっていき──なんと光線を払いのけるようにいなしてしまった!
『なっ……!? チィッ、よくもまあそんな真似を……!!』
ミラは絶え間なく襲い来る熱線を卓越した体術で難なく弾き飛ばし、一切スピードを緩めることなく突き進んでいる……! ば、馬鹿な! デタラメにもほどがある!!
ズドン! と鈍い音を立ててクライア様の鳩尾にミラの拳が炸裂する。それも一度ではない。疾く重い一撃を嵐の如き苛烈さで叩きこんでいる……!
ミラの一方的な攻撃にクライア様は悲鳴すら上げられず、冗談みたいな速度で吹き飛ばされて巨大電波塔に激突し、崩落に巻き込まれてしまった。
『これが女神クライア……弱すぎる。単騎で大悪魔を殺せるというからさぞかし強い神だろうと思ったが……期待外れもいいところだな!』
唾でも吐き捨てそうな勢いで悪態をつくと、さらに追撃を加えるため急降下していくミラ。
『身の程知らずの神ほど愚かな存在はない! 目障りだ、消えろ!!』
憎悪を噴出させた漆黒の悪魔が今にも地面に降り立とうとした瞬間だった。
十燐砲がズラリと奴の周囲を覆いつくし、一斉に破壊光線を放つ──これは上手い! 着地時に生まれるごく僅かな隙を完璧に突いているわ!
『むっ』
ついに十燐砲がミラを捉えた。絶大な威力を誇る光線が、容赦なく漆黒の鎧に降り注ぐ。
『どうだ……! 余の力、貴様が想像しているほど甘くはないぞ!』
『いや、私の見立ては正しい』
ぞっとするほど冷静に、今まさに集中砲火を浴びているミラが呟いた。
『こんなの当てたくらいで嬉しそうにするなよ……なぁ!? クライア!! この私にこの程度で歯向かおうとしていたのか!? がっかりさせるなクライアッッッ!!!!』
猛々しく咆哮し、黒き炎がミラの全身から溢れ出す。雨のように降り注いでいた光線はジリジリと黒炎に押し返され、やがて掻き消されてしまった。
『っ……!?』
これにはクライア様も、そして映像越しのあたしも絶句するしかなかった。
『甘いんだよ、全てが! この私と相対するだけの覚悟も持たずに!!』
ミラは瞬きの間にクライア様の目の前に現れ、頑強な鎧を活かした強力な頭突きを食らわせた。頭蓋をかち割るその威力に大きく仰け反るクライア様を、ミラが見過ごすはずがない。クライア様の腕を掴み、癇癪を起こした子供のように幾度も地面に叩き付ける。もはや平らな部分を探すことさえ難しいほど周囲の地面が陥没したところで、ようやくクライア様の腕を離して蹴り飛ばした。
…………ば、化け物だわ……ミラが強いことは分かっていたつもりだけど……ここまで規格外だったとは……。
敗北、という文字が脳裏に浮かぶ。負けるつもりなんてない、とハルに言ったのは決して虚勢なんかじゃなかった。あたしは本当に勝つつもりでいた。
けれど、今は……。
ミラは、シンプルに強い。
妙な小細工を弄しているわけでも、冴えた策を講じているわけでもない。
ただひたすらに、圧倒的に強い。
それ故により明確な無力感が心を蝕んでいく。
『はははは……! おい、お前は私を楽にすると言ったな!? 楽に、だと!? ふざけるなよ、何様だお前は!! お前に私の何が分かる!? 神なんぞに、私の何が!! よりにもよってこの星の神が偉そうな口を利くな!! あぁ忌々しい忌々しい忌々しい!!!!』
ミラを覆う黒炎がさらに増大していく……!
なんて莫大な魔力……なんて強烈な憎悪……!!
『壊してやる……お前の何もかも……完膚なきまでに!!』
尋常でなく猛り狂う黒き業火が、右の拳の一点のみに集約されていく。
映像越しで見ても身震いするほどの絶大な魔力は、大気を灼く蜃気楼となって幽かに町を包み込み始めた。
あたしの幾千に渡る戦闘経験、そして何より生物としての本能が切に訴えかけている──あの拳は、今までとは違う。あの拳を見た瞬間、今までの苛烈な攻撃が生温く思えてしまうくらいに。
『くっ……!』
クライア様も当然異常な魔力の集中に気付いている。何とか近付けさせまいと四方八方から放射するが、完全に見切られてしまっている。最小限の動きで見事に躱され、結局ミラの猛進を許してしまった。しかも、先程よりさらに速いッ……クライア様ッ……!!
『チィッ!!』
半ばやけくそ気味に腕を突き出すが、やはり今のミラに当たるわけもない。瞬間移動かと見紛う速さでクライア様の背後に回り込み──ゆっくりと、溜めるように拳を引いた。
──あ、駄目だ。これは、もう……
刹那、耳を塞ぎたくなるようなおぞましい破裂音が辺り一帯に撒き散らされた。
憤怒、憎悪、絶望……あらゆる負の感情を纏った渾身の一撃は、容易くクライア様の胸を貫く。
『ごっ……ぼっ……!?』
そしてそれだけでは終わらない。右手に纏った巨大な黒炎が一気に爆発し、クライア様の体もろとも空間を灼き焦がした。
『ぐがあぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッ!!!!!!!?』
常に冷静沈着なクライア様が、なりふり構わず絶叫した。そうでもしなければ精神の崩壊を引き起こしてしまうほどの激痛に違いない。
『ハハァッ!!』
勢いよく右腕を引き抜き、今度は左足に黒炎を集約させると、無防備なクライア様の横腹を力任せに蹴り飛ばした。禍々しい炎が弾け飛ぶと同時に、クライア様はミサイルのような勢いで町の建物を粉砕しながら遥か彼方へ消え去った。
「はっ……はは……どうなってるのよ、あの化け物……」
もうここまで来ると笑うしかなかった。星の管轄者としての加護を受けた神域の英雄が、最強格の神器を駆使しても全く歯が立たないとは……。
現状、善戦するどころかまるで赤子扱い。あんな化け物を倒せると本気で思っていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。
「……あぁ、でも、あたし……言っちゃったのよねぇ……ハルに……」
彼はあたしに「頼んだ」と言った。こんなあたしに全幅の信頼を寄せて、最愛の姉を任せてくれた。
……ああ、じゃあ、まだ諦められないわよね。
「あんな風に、あたしを心から信頼してくれてるのは、ハルだけなんだから。だから……諦められない。それにまだ、あたしは一度も引き金を引いていないんだから」
そうよ……ミラがどれほど強くても諦める理由にはならない。元々敗色濃厚だと分かっていたはずじゃない。死ぬ覚悟でここまで来たくせに、何の仕事もせず終わるつもりなの? 冗談じゃないわよ。
シールドの映像に目を凝らし、ミラに照準を合わせる。意識を頭のてっぺんに集中させて目を瞑れば、ヘルメット型の神器が効力を発揮する。
「……っあ……ぐっ……」
これまでの長い人生で一度も経験したことのない痛みが頭の中で爆発した。
しかしそれと引き換えに、あらゆる雑念が消えて感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。
これぞこの神器の真骨頂。
脳に大きな負担をかける代わりに、並外れた集中力と分析力を得ることが出来る。そもそも一〇〇キロメートル離れた地点からの狙撃もこの神器ありきの作戦ね。
とは言っても、こんなに頭が痛いのに凄まじく思考が透き通っているのは不気味過ぎるけど……それは気にしてもしょうがない。余計な思考は命取りになる、今は弾丸の行方に全てを捧げる。
それにしても、ミラの様子がおかしい。
追撃もせず、ただ茫然としたままピクリとも動かない。一体何をして……。
『分からない……私はさっき、なぜあんなことを? 期待外れだって言葉が、なぜ出てきたの? 私は……一体あの神に、何を期待していたんだろう……』
……………………この呟きは、たぶん、あたしは聞かない方が良い。今は余計なことは考えていられない……!




