荒廃の日
「……………………………………う、嘘ですよ」
呻くように、か細い声で呟いた。
「お、おかしいですよ葉瑠さんったら。お姉さんに対してそんな、悪魔だなんて……」
イヴもきっと心の底では分かっているはずなんだ。俺が何の意味もなくこんな嘘をつくはずがないという事は。
それでも姉さんのことを信じていたい気持ちがあるのは、この子の立場を考えれば仕方のないことだろう。
「さっきミラのことを神だと例えたよな。きっとイヴにとっては本当にそう思えるくらい良くしてくれたんだろうけど……俺の言葉に一切嘘はないよ」
きっぱりとそう言い切ると、イヴは全身を震わせながら視線を落とした。
「で、でも……ミラ様がそんなことをする理由なんて……」
「……理由はある。それは……イヴだ」
オパールのような色彩をした美しい瞳を見つめ、少女の名を口にする。
あぁ……きっとこれを言ってしまったら、この子はとても悲しんでしまうだろう。この子が涙を流すのを想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
それでも……それを分かったうえでも俺は言うと決めたんだ。
消えてしまったみんなが、どうか少しでも報われますようにと──
「姉さんは……イヴを人間にしたかったんだよ。そのために全てを消した。イヴのために全ての命を消費した」
ハッと息を呑む音が聞こえた。姉さんとの出会い、もしくは共に過ごしてきた中で何か思い当たる節があったのかもしれない。
「……まさか、いや、でも……ミラ様は魔法使いで、私に魔法をかけてくださって……そ、それで……それで……」
イヴは虚ろな顔付きでブツブツと呟きながら、おもむろに立ち上がった。彼女がこれから何をしようとしているのか……まぁ大体の察しは付く。
「イヴ?」
「教会から出れば……嫌でも分かりますよね。この目で確かめるしか、ないですよね」
やっぱりそうなるよな……。
いや、別にイヴを教会に留めておく約束を忘れていたわけじゃない。俺は当初から、イヴを留めるなら二つのパターンがあると考えていた。
一つは当り障りのない話や行動で適当に時間を潰すパターン。イヴは全く事情を知らないため、確実に時間を潰すならこちらが無難だっただろう。セツナとクライア様も、俺はこの方法を取ると思っているはずだ。
だがそれは結局、イヴに何も言わないということになる。それじゃ姉さんと同じじゃないか。
だから俺は別のパターンを選んだ。
イヴと真実を語り合い、きちんと事情を理解してもらったうえで教会に残ってもらうために。
「駄目だ、イヴ。今外へ出るのは無理だ」
立ち上がったイヴの二の腕をやんわりと掴み、首を横に振った。
「何故です? 本当に地上の生命が滅びているのか……この目で確かめたいんです」
「今は駄目なんだ。外ではこの星の女神がミラに挑んでる。神と悪魔の戦いだ、この町はもう滅茶苦茶になってる。ここから出れば巻き添えを食らうことになるぞ」
この世のものとは思えないほど整った顔が驚愕に染まる。しかしすぐに下唇を噛んで、悲痛な声で反論してきた。
「い……いや、でもやっぱりおかしいです! そんな大規模な戦いなら、どうしてこんなに静まり返っているんですか!? こんな風に会話することさえ出来ないのでは!?」
「たぶんミラが結界で音を遮断してるんだ。イヴに悟られないようにってな。そもそも、今まで町の方から音が聞こえてきたことなんてあったのか?」
「……っ、そんな……それじゃ、本当に……!? 私が、あなたを求めてしまったから……!? で、でもこんなことになるなんて……他の命が私のために使われるなんて……!」
イヴはもう一度唇を噛み締めて、片手でふわふわの金髪を掴んだ。ぐしゃりと、形が変わってしまうほどに。
そして、今度こそ明確な意志を持って教会の出口に向かって走り出そうとする。
「ばっ……! 何で出ようとすんだ! 危ないだろうが!!」
「離してください葉瑠さん! ミラ様にどうしても言いたいことがあるんです! もし戦いに負ければミラ様は死ぬのでしょう!? その前に、早くっ……!」
あのイヴが取り乱す姿に心を痛めながらも、決してこの腕を離すまいと力を込めた。
この子は行かせない。
何が何でも説得して、現実と向き合ってもらわなくては……!
しかしその瞬間、パッと指が開いた。糸に操られたマリオネットのように、俺の意志とは関係なく。
これって……まさか……?
俺は唖然とした表情を一切隠すことなく、目の前に佇む少女を見つめた。
「ごめんなさい、葉瑠さん。どうか今だけは……あなたのための力を振るうことを、許してください」
そう言って、彼女は勢いよく駆け出してしまった。
指はまだ動かないが、今はそんなことに構っていられる状況じゃない。俺もすぐさま立ち上がってイヴを追いかけた。
「くっ……速いっつーの!」
イヴは恐ろしいほど足が速かった。考えてみれば、彼女は人類最速の力を引き出せるのだから、運動神経のない俺が追い付けるはずもない。
そのままぐんぐん引き離され、イヴは扉の向こう側へ消えてしまう。それから数秒後にようやく俺も扉を開けて教会の外へ飛び出した。
「…………こ、れは」
掠れた声が無意識のうちに絞り出される。目の前に広がっていたのは、見るも無残な瓦礫の海と化した町だった。
神と悪魔の戦いが凄まじいこと自体は分かっていたつもりだったが……この世の終わりを感じさせる光景に足が竦んだ。
「これを……ミラ様が……?」
俺の前方で立ち尽くしていたイヴがわなわなと体を震わせながら呟く。絶望に染まる彼女の心情が手に取るように伝わってきて、何も言葉が出てこない。
震える彼女に歩み寄ろうとした、その瞬間。
俺達のいる遥か彼方から爆音が轟いた。
あまりの音量に思わず両耳を塞ぐ。クライア様と姉さんが今まさに死闘を繰り広げているんだろう。
恐る恐る手を離すと、遠くから不気味な音が聞こえた気がした。気のせいかと思ったが、時間が経つにつれてそれは如実に大きくなっていく。
間違いない……低く、唸るような風切り音がこちらにどんどん近付いてきている……!?
反射的に空を見上げる。視線を彷徨わせ、音源を見つけた瞬間全身が強張った。
建物の破片と思われる巨大な物体が、とんでもない速度でこちらに降りかかろうとしていたのだ。
あんなデカい物がここまで届くって、どれだけ激しい戦闘なんだよ……いや、そんなのどうでもいい! 早くここから逃げないと!
すぐに走り出そうとして、すぐにやめた。
とりあえず先にイヴが逃げているか確認しないと……えっ!? 微動だにしてねぇし!!
あまりにもショックを受けすぎて破片の音に気付いてないのか!? おいおい、一刻を争う状況だってのに!
「おいイヴ!」
「……」
駄目だ、聞こえてない!
巨大な破片は尚も冗談みたいな速度で近付いている。このままじゃイヴは……いや、悩んでる暇はねぇ、一か八かだ!
「イヴッッッッッ!!!!」
喉が潰れそうなほどの大声で少女の名を呼びながら駆け出す。破片の奏でる風切り音がどんどん大きくなっているのを感じつつ、着地のことなど一切考えず全力で跳躍する。
多少乱暴になるがこの際もうしょうがないよな……宙に浮かんでいる一瞬、頭の中でそんな風に言い訳をして俺はイヴを突き飛ばした。
「きゃっ!?」
華奢な体は容易く飛ばされていった。よし、これでイヴに直撃することは「グチャッ!!」
……?
なんだ今の音?
前方に転がっているイヴを見る。いや、彼女は無事だ。掠り傷くらいはあるかもしれないが大きな怪我はない。
という事は今の音って……。
「あー……くそ」
首だけ動かして後方を確認し、小さく悪態をついた。
膝から下が、無い。
巨大な破片に押し潰され、両足揃って千切れたんだ。行き場を失くした血液が漏れ出し、辺りにじわじわと広がっていた。
自分の有様を自覚した瞬間、一気にクラッときてしまう。視界が狭まって……どんどん、真っ暗に……。
「は……葉瑠さん……葉瑠さん、葉瑠さんっっっっっっ!!!!!!」
イヴが……俺を呼んでる……は、早く……返事してあげないと、不安な思いをさせてしまう……あぁ、でも、駄目だ……俺もう……。
瞼の重さに逆らうことが出来ず、俺はゆっくりと目を閉じ……そこで意識が途絶えた。




