スノードロップ
遥か遥か遥かなる昔の話にはなるが。
まず、神王セラフィオスが悪魔王に挑み敗北を喫したのが発端である。
しかもただの敗北ではない。悪魔化された挙句に悪魔王直属部隊『ドゥーム』の一角にさせられるという、余りにも非情なおまけ付きであった。
神域を導く絶対的存在が悪魔化したという事実をただ一人知るパルシド卿は苦悩し、皆には一部事実を伏せながら代役として神域を先導する役目を買って出た。
不安に揺れる神域。そこに追い打ちをかけるかの如く、とんでもない問題行動を起こす愚か者が出てきた。
それこそが、セラが最初に創り出した「最古」の神──プラニカ。
セラを慕っていた奴は、初めこそ狂界側へ憎しみを燃やしていたものの、『ドゥーム』の一角と遭遇し全てが一変してしまったという。
曰く、『ドゥーム』になりたいと。
神としてあるまじき思想に至ったというのだ。
とはいえ思想だけで裁きの鉄槌を下すほどパルシド卿も非情だったわけではなく、むしろ狂った姉に同情すら覚えてしばらくは見守っていた。
が、しかし。それで終わっていれば現状こんなことになるはずもなく。
奴は姉を慮るパルシド卿を嘲笑うかのような、異常としか言えない行動に出た。
狂気に囚われたプラニカは、神域の住人を──これまで苦楽を共にしてきたはずの同胞達を根刮ぎ滅ぼす儀式を構築したのである。
神域の住人を滅ぼせば『ドゥーム』になれる。そうすればセラにも会える──捻じ曲がった『ドゥーム』の言葉を信じ込んだプラニカは、如何に傷心だったといえ愚かとしか言いようがない。
パルシド卿からの追及も意に介さず、あまっさえ儀式を発動させようとしたため──最後の一線を越える前に排除された。
神域を護るべく特別に創られたはずの女神が、神域を脅かす危険因子として討伐されたのである。
しかしたった一人の姉をどうしても殺しきれず、パルシド卿は輝力の大部分を削ぎ落とした彼女の魂を保管するという行動をとる。
それから間もなく、運命の時が訪れてしまった。
地球出身にして純正なる神使の資格を持つ人間──『カリン=ラフォンテーヌ』。
クライア様によって掬われた彼女の魂を一目見たパルシド卿は、カリンがプラニカの『適格者』であることを瞬時に見抜く。
譲り受けた『適格者』の魂と、保管されていたプラニカの魂。
そして生み出されたのが──
「──というわけなんだ。全面的にパルシド卿の行いが正しかった、とは確かに言えないかもしれない。それでも、沢山の葛藤を経ての「今」なんだ。一方的に否定なんて出来やしない。そうだろ?」
おもにステラティアを見据えながら大体の説明を終える。
立場的にパルシド卿に対して最も怒りを覚えているであろう俺が随分冷静なので、彼女は困り顔で首を捻っていた。
「いえ、まぁ、ハル様が納得しているなら、私がどうこう言うことではありませんが……」
正直全く遺恨がないかと言えば嘘になる。けれどもパルシド卿の苦悩や葛藤まで責める気にはもうなれないし、自分の心の中でなんとか落とし所を作るしかないのだ。
「とりあえず経緯は理解してもらえたと思う。で、本題はここからなんだけど……地球でカリンと会話をしている最中、唐突にプラニカが表層に現れた。そして瞬間移動でどこかへ消えてしまったんだ」
「となると、まさか既に神域に来ているのか?」
「俺も真っ先にそう考えて全域を探知してみたんですが、どうやらまだ来ていないようなんです」
「ふぅむ……」
身体から自然と滲む輝力は、覇天峰位でさえ完全に抑えることは出来ない。それこそ『ドゥーム』の悪魔でなければ不可能だ。今のプラニカでは絶対にありえない。
「奴とはどのような会話を?」
「多くを話したわけじゃありませんが、特筆すべきは身体の「権限」の話でしょうか。彼女らは明確にランク付けされている。パルシド卿の言う「設計」によるものでしょう」
しかしまぁ、「設計」か。
つくづく、心ある生命に対する言葉とは思えない。ぐっと不快感を堪えつつ、俺は話を進めていく。
「三つの魂のランク付けはかなり顕著で、その順位は絶対的な拘束力を持っていたようです。ランクが上の人格が身体の主導権を握る性質上、基本的に「下剋上」は起こり得ない。プラニカは所詮二番手に過ぎず表層に上がれるはずも無かった……けれど現実として、今あの身体の権限は完全にプラニカが掌握しています。そして当然、奴は今後もそれを放棄するつもりが無い……」
腹立たしいが、絶望感だけで言えばある意味ガルヴェライザ以上かもしれない。
場所も状況も問わず死と暴力を振り撒く悪魔達を、それを上回る暴力で死に追いやってきたのがこれまでのやり方。実に原始的で単純な話だ。
しかし、今回は違う。プラニカはただ暴力だけで解決できるような相手ではない。
だからこそ……そう、だからこそなんだ。
「最初に宣言しておきます。俺の目的は、プラニカだけを消滅させること。三人の内の一人だけを消し去り、あとの二人は必ず残したい」
あえて赤裸々に宣言するのにも、理由がある。
弟であるパルシド卿はもちろんのこと、クライア様やステラティアを始めとした神々にとって、プラニカは間違いなく愛すべき同胞だったんだ。
セラが悪魔化されるより前。『ドゥーム』に唆される前のプラニカは、明るくお茶目な愛されキャラだった……という風に伝え聞いている。
けれど、俺は違う。
俺はプラニカに何の思い入れもない。切り捨てることに何の躊躇もない。
「プラニカを正気に戻す方法だとか、説得して和解する方法だとかは、申し訳ないですが最初から考えていません。もちろん、二人を助ける方法がそれしかなければそうしますけど……消せるものなら消した方が良いと思っています」
今でこそ“救世主”としての自負が芽生えちゃいるが、前提として俺は博愛主義者でもなんでもない。そりゃあもちろん無益な殺生などは唾棄すべき行為だが、今回は話が違う。
俺は自分の命よりも大切な二人の家族を救うためなら、プラニカを容赦無く消し去る覚悟がある。
「俺の行いが正しいと主張する気は全くないですが、とりあえずみんなにはプラニカのことを諦めてもらいます。申し訳ない」
つまり、誰がどう反論しようと俺はプラニカを排除するから、たとえ止めても骨折り損のくたびれ儲けだと。
俺が伝えたいのはそういうことだった。
「吾輩もハルに賛同する。正真正銘悪魔と変わらぬ敵性生物に成り下がったのだ、プラニカは。何かしでかす前に消滅させるしかない」
「思うところはあるが、異論はないな」
「…………やむを得ないですね。私はプラニカと良き友人だったのですが……こうなってしまっては……」
情が無いわけではないだろう。特にパルシド卿以外の二人にとっては苦渋の決断かもしれないが、それでも俺に従うと言ってくれた。
先に言った通り、別に誰かに賛同してもらう必要はなかった。たとえ神域が全会一致で俺を否定しても俺はまるで屈するつもりが無いからだ。
だがあえて妙な確執を生むこともない。彼らの賛同を得られたことは、素直にプラス要素と捉えるべきだろう。
「だが方法はあるのか? ハル。余の「設計」ではないにせよ、事態はそう単純な問題でないことは分かる。まさかとは思うが、人格が綺麗に三つに分かれていて、その内の一つを消せば済むシンプルな話……などと考えてはいないだろうな?」
「かなり複雑な状態であることは分かっています、クライア様。ただ、一つ思い付いている方法があるので……まずはそれを試してみます」
少なくとも、設計者たるパルシド卿でもまるで手が付けられない状態なのは知っている。三つの人格もとい魂は、とてもどれか一つだけを都合よく消し去れるようなモノではないことも。
俺の目的を果たすためには、相応の特殊な方法が必要になるだろう。
「とりあえず状況と方針は共有させてもらいましたが、問題は居場所です。奴がどこに消えたのか……神域以外で思い当たる場所とかあったりしますか?」
「基本彼女は神域に入り浸っていましたからね。特にこれといって行きつけの星があったわけでもないはずです」
「奴はパルシドと双翼を担う特別な立ち位置の神だった。余や他の神のように、管轄すべき惑星を割り当てられていたわけでもない」
「そして念頭に置くべきは、今のプラニカは神使程度の力しか持っていないことだ。如何に人格や魂の主導権がプラニカに入れ替わろうとも、肉体強度や輝力量はそのまま……大それた真似は出来ぬだろう」
「…………ええ、そうですね」
プラニカの当初の目的は「神域を滅ぼして『ドゥーム』になる」こと。
だがパルシド卿の言う通り、冷静に考えて今のプラニカが神域をどうこうしようなど到底無理だ。やはり、今と昔とで奴の「目的」は変容していると見るのが妥当だろうか?
ただ……そういった事実を踏まえてなお、漠然とした懸念が頭の隅で燻り続けていた。
奴が飛び立つ直前の、あの顔……強烈な意志を持った者特有の眼差し。
俺はプラニカのことが嫌いだが、余計なフィルターを通さない俯瞰的な印象を語るならば、噂で聞いてたよりは「馬鹿」じゃないと思った。気が触れているのは確かかもしれないが、悪知恵を働かせるだけの理性は残していると感じた。
「俺も色々当たってみます。すみませんが、神域の皆には……」
「ええ、私の方から上手く伝達しておきます。ハル様はお気になさらず」
「ありがとう、ステラティア。いつも助かるよ」
「いえ、当然です!!!!」
うおっ、急に元気良くなるじゃん……。
「それでは、一先ず失礼します。また何か新しいことが分かれば報告しますね」
「ああ。我々も有用な情報を入手し次第ハルに伝えると約束しよう」
「うむ。ハルが大悪魔を倒しまくっているおかげで、最近は余も随分穏やかに過ごせている。その恩に報いる時が来たか」
「あはは、恩だなんて。全然気にしないでくださいよ、クライア様」
おだてられるのもそこそこに俺は三人の神と別れ、独自でプラニカの場所を突き止めるべく行動を開始した──




