カーネーション
地球の月野邸に到着し、すぐさま部屋の扉を開く。
「カリン!」
「むぐふっ!?」
俺の入室にむせ返る食事中のカリン──そう、「カリン」だ。良かった、なんとか間に合ったか……!
「けほけほっ……お、驚かせないでくださいまし、葉瑠……!」
「ごめん、カリンが無事なのか心配で……」
胸を撫で下ろしながらはにかむ俺に、カリンは恥ずかしそうに口元を拭いつつ箸を置いた。
「もぉ、完全に油断しておりましたわ……スーパーメイドたるこのわたくしが、はしたないところを……」
「ラーメン食べてただけじゃん」
「身体に悪い要素の塊とも言うべきこの料理の味に感激するわたくしの姿は、淑女として問題が……」
「別に良いじゃん、ラーメンは美味いんだしさ」
「……貴方はなんでも許しますのね。わたくしが何をしても許してくれそうですわ」
「不穏だなぁ」
ラーメンのことはともかく、俺はほっと胸を撫で下ろした。今となってはカリンも俺の大切な家族……こうして無事に会えて本当に安心した。
何しろ、カリンとまた話すことをエネルギー源にガルヴェライザとの死闘を乗り切ったようなものなのだ。感慨もひとしおである。
「とにかく、今の調子はどうだ?」
彼女の正面に腰掛けながら尋ねると、
「徐々に悪くなっていますわね」
何の躊躇いもなく、どこまでも明け透けにそう述べた。
「……悪いのか」
「あくまでもわたくしに限った話ですが」
「今はお前の話をしてんだぞ」
「ではやはり、回答としては先程のものが適切になりますわね」
カリンは淡々と喋りつつレンゲを手に取り、醤油ベースのスープを掬って口へ運ぶ。
「わたくしは、“三人”の中で最も立場が弱いのです。この経過は必然ですわ」
「…………ラーメン食べながらでいいから、約束通りお前の話を聞かせてくれないか。もちろん、話せる範囲で構わない」
「ええ、喜んで。いつ葉瑠と話せなくなるやもしれぬ身分ですから……今の内に、貴方と沢山お話がしたいですわ」
最初に会った時もそうだったが、カリンには「時間切れ」の概念がある。
以前少しだけ聞いただけの情報ではあるが、カリンがこの身体の表層に出ている現状はあまりに限定的なものなのだ。
「話すと長くなりそうですから、紅茶でも淹れましょう」
「いいって、ラーメンがあるだろ」
「わたくしはそれでいいのですが、貴方は……」
「俺はいいよ。飲まず食わずでも平気な身体だから、何もいらない」
「あらまぁ、メイドの前で何てことをおっしゃいますの葉瑠ったら。意地でもお茶を淹れて差し上げますわ」
「えぇ……」
ニコニコ笑顔であっという間に紅茶を用意するカリンに、俺は尊敬と驚愕の両面で目を丸くした。
妙なところで頑固なんだな……メイドさんとはこういうものなのだろうか? 他に会ったことがないから分からないけども。
そうこうしているうちに、カリンは流麗な所作で香り高い紅茶をカップに注ぎ入れていた。
「さぁ、完璧なダージリンが入りましたわよー! うふふふっ、会心の出来栄えですわ!」
……なんかめっちゃ嬉しそう。俺のためにってのもなくはないだろうけど、きっと紅茶を淹れることが……いや、きっと家事そのものが凄く好きなんだな、この子は。
「……くすっ」
「あら、どうかされました?」
「いや。カリンはほんとにスーパーメイドなんだなって」
「まぁ! うふふっ、そうですわよ。わたくしはハート家にいた頃からずっとスーパーなのです!」
言動とは裏腹にあくまでも控えめな仕草で喜びを露わにするカリンへ、俺はふわりと微笑み返す。
「にしても、ちょっと驚いたな。カリンはラーメンが好きなのか?」
「わたくしが、というよりは……いえ、覚えていないならいいのですが」
「え?」
「さて、お茶の準備も出来たことですし……そろそろ話をしましょうか」
今、誤魔化された? いや、まぁ、時間が限られているのは事実……。
「あ、ああ。そろそろお前の……「カリン」の話を聞かせてくれ」
随分時間がかかったが、神域侵攻という差し迫った危機を乗り換えた今、ようやく聞いてあげられる。
膨大な時を生きながら口も利けなかった彼女の、その終生を。
「──それではまず、前提についてですが」
カリンは再びレンゲを手に取りつつ、俺の顔を揺るぎない白銀の瞳で見据えた。
「わたくしは、今の日本で言うところの「大正時代」に生まれた人間ですわ」
……大正。たった十五年間だけの、明治と昭和に挟まれた時代のことだ。
現代から遡ること、およそ一〇〇年……カリンはその時代に生を受けたという。
「と言っても、わたくしが生まれたのは日本ではなく──カナダです」
「…………カナダ?」
思わず声が上擦った。
カナダ出身……カリンもか?
「ええ。ただわたくしは日本人とイングリッシュのハーフで、両親共にカナダ出身ではないのですけれどね。仕事の都合もあり、わたくしが生まれる前にイングランドからカナダへ引っ越したそうです」
…………似ている。いつか聞いたある人物の身の上話が、どうしようもなくチラついた。
「……両親の仕事ってのは?」
「とある一家への奉公ですわね」
「……それがハート家か」
「ええ、ロンドンでも有名な名家でした。ハート家の御当主様は、事業の都合もあってイングランドからカナダへ赴きまして……当然、ラフォンテーヌもそれに付き従うカタチとなったのです。その後にわたくしが生まれたというわけですわ」
そこまで言って、カリンは窓の外へ視線を移した。
燦々とした陽光で満たされた世界を、穏やかに、慈しむように見つめて笑う。
「そして……わたくしとほぼ同時期に、カナダで生まれた女の子がおりました。それがハート家最後のご令嬢……わたくしが生涯仕えたお嬢様です」
口元に嫋やかな笑みを湛えたまま、ゆっくりと俺に視線を戻す。
「貴方は、知っているでしょう?」
「………………」
俺はひたすら沈黙する。
あれは……初めてカリンと対面した時のこと。
また話せる時があれば、“お嬢様”の話もしよう、と……彼女はそう言った。
それが誰なのか俺は知っているはずだと……今、確信を持って問い掛けられている。
黙りこくる俺を見かねてか、カリンは返答を待たずに自ら口を開いた。
「お嬢様の名は『エヴァ』──真夏の深夜、貴方が旅館で話していた御方です」
「…………そうか」
「あの御方は、今も同じ名前を名乗っているのですか?」
「………………いいや」
「今はなんと?」
見て見ぬフリも、知らないフリも、もう出来ない。
踏み出さなければ進まないのが、この世の常ならば……選択肢はたった一つだけだ。
「彼女の今の名前は……シャルミヌート、だ」




