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一千年の悪夢

「……嘘だ。嘘ですよね?」

「こんな質の悪い嘘はつかん。お主の親はお主の姉を殺した。いや……義姉というべきか」


 …………義姉……。


 何もかも知らないことだらけだった。

 俺と姉さんは血が繋がっていない? 

 姉さんが両親から疎まれていた? 

 そんで、事故でもなんでもなく計画的に、俺の両親が姉さんを殺したって?



「……俺だけ、何も知らなかったのか……あんなに大切に思ってた家族のこと、何も……」



 こんな間抜けな話があるだろうか?

 こんな馬鹿な奴がいるのだろうか?


 つまり。つまりだ。


 家族四人での暮らしを幸せに感じていたのは、俺一人だけだった。

 あの暮らしを尊く想っていたのは、俺一人だけだったんだ。


 もう……泣きそうだよ。

 父さんも、母さんも、姉さんも、三人共。

 分厚い仮面を被って演技してただけだったのかよ。

 そんなの、信じられない……信じたくない……。


「義理の親に騙され、殺されたことによる憎悪が悪魔へと堕ちた理由だろうな」


 姉さんが車に撥ねられて亡くなったことは知っていた。だけど、それがまさか計画的に仕組まれた殺人で、首謀者が俺の両親だなんて……。


 余りにも受け入れ難いことばかりだが……間違いなく、全て真実なんだろう。

 地球の女神であるクライア様が嘘をつくとは思えないし、何よりも公園で姉さんが放った言葉は決定的だった。

 俺のそばに殺人鬼がいたという発言は、まさに俺の両親のことを表していたんだ。

 あぁ……つまり姉さんは……完全に被害者じゃないか……。


「ハル……酷なことを言うがな、余は『月野凪』には同情しても『ミラ』には同情しない。分かるな?」

「……はい」


 放心状態のまま短く返答した俺を、クライア様は小さな体を目一杯広げて優しく抱きしめてくれた。


「……クライア様……俺は、どうすればよかったんでしょうか。俺が家族の軋轢に気付いていれば……姉さんも、この星も、こうはならなかったのに」

「お主の責任ではない。お主はまだ幼かったのだろう? ただ無邪気に家族を愛していただけだったのだろう?」


 軽やかに、安らかに、唄うように。

 クライア様の声が鼓膜を震わせる。


「月野凪は悪夢を見続けている。ミラという名の悪夢を、千年もの間ずっと。我らがしてやれることは一つだけ……彼女をその悪夢から解放してやることだけだ」

「……………………はい……」


 あの漆黒の悪魔は、目を覆いたくなるような惨劇から生まれ出でた哀しすぎる存在だ。最後にして唯一の家族である俺が、一刻も早く憎悪から解き放たなければ……。




         ***




 姉さんとの決戦前日。俺達三人は真剣な面持ちでリビングに集まっていた。


「ごほん、ではこれから作戦説明会を始めます。とは言っても基本的にはハルに向けた説明ばかりだけどね」


 司会を務めるのはセツナだ。気合を入れるためなのか、桜色の艶やかな髪を後ろで束ねている。うーん、いい。有り体に言って可愛い。


「では早速ミラについて。言うまでもなく強敵だけど、せめてもの救いは戦闘スタイルが分かっていること。短期間で虐殺の限りを尽くしたことによる、ただ一つの恩恵ね」


 そこまで言うと、急に「しゅっ、しゅっ」と呟きながらシャドーボクシングを始めた。えっ、なにこれは……ま、真面目な顔なのがこれまた……フフッ。


「ミラの戦闘スタイルは、極めて高い身体能力を生かした近接特化型! 異常なパワーとスピード、さらにあの鎧の硬さも相まって接近戦じゃ敵無しね」


 するとクライア様もセツナの言葉に頷き、


「ミラに勝つなら接近戦は避けた方が良いのは間違いない。幸い余は遠距離戦に長けていてな。離れた場所からとにかく撃ちまくるのが単純かつ効果的だと思っている」


 クライア様の言い分はもっともだ。わざわざ姉さんの得意分野に合わせることはない。スポーツなんかでもそうだが、勝負というのは相手の苦手を突いてこそだろう。


「クライア様と違って姉さんは遠距離戦に対応できないのか?」

「いえ、巨大な魔力の塊を放出するという攻撃方法もあるらしいの。けれど、それをバンバン連射しているという報告はないし、撃ち合いでクライア様が負ける道理はないわよ。問題なのは、遠距離からの攻撃を躱されつつ接近される可能性があること。ミラは物凄く速いらしいから、そんなデタラメもやりかねないわ」

「うむ、そこでセツナの出番だ。ミラが余に接近してくるのを妨害する役目を担ってもらう。セツナは神使の中でも輝力量が極めて多く、狙撃の達人でもある。超遠距離からの狙撃でミラの動きを僅かにでも鈍らせ、その隙を見逃さず余が確実に攻撃を当てる。とりあえずの戦法はこんなところだ」


 確かに堅実な作戦に思えるが、どうにも腑に落ちない点がある。神さえ敵わない大悪魔の中でも上位格だという姉さんに、神使であるセツナの攻撃が効くのか? 

 この作戦はセツナの狙撃で姉さんの動きを鈍らせることを前提としているが、それに足る攻撃力を神使が持っているとは思えない。神使一人で大悪魔に影響を与えられるのなら、姉さんがここまで神域を脅かすことはなかったはずだ。


 だけど……俺でさえ気付く穴に、セツナとクライア様が気付かないはずがない。まぁ、何かしらの手段はあるんだろうけど……。


「それで、ハル。あなたにはイヴをお願いしたいの」

「なっ……俺がイヴの相手を!? あの子と戦うのか!?」


 何気ない発言にたまらず素っ頓狂な声を上げると、セツナは長い髪を揺らして不思議そうに首を傾げた。


「何言ってるのよ、相手になるわけないでしょ。あなたの役目はイヴと一緒に居ること。イヴをその場に留めておくことね」 

「ああ、ただでさえ敗色濃厚だというのに、セツナより強いというイヴに助太刀に来られては勝てる見込みは更に薄くなる。地味だが重要な役割……何よりハルにしか出来ない役割だ。頼めるな?」


 なるほど……。確かに、それが無力な俺に出来る最善のことかもしれないな。


「はい、わかりました。やらせてもらいます」


 力強く頷くと、セツナもクライア様も満足げな顔で頷き返してくれた。


「あと説明することは……あっ、クライア様。神剣は持ってこられたんですか?」

「まぁ、持ってきたが。ミラが相手なら持ち出しても文句は言われんだろう」


 神剣……? なんかよく分からんがかなり切り札っぽいワードが出てきたぞ。


「セツナ、神剣ってのは?」

「神域で保管されている対悪魔用決戦神器……『神剣アルトアージュ』よ。これなら大悪魔にも致命傷を与えられるの」

「だが非常に貴重で残数が少ない。そのうえ使い勝手が悪過ぎて、それで大悪魔を倒したという事例は怖くなるほど少ない」


 なんじゃそりゃ! 起死回生の切り札だと思ったのに!


「つ、使い勝手が悪いってのはどのくらいなんです?」

「うむ、一振りで壊れる。当たろうが当たるまいが関係なくな。そしてまず当たらん。神と大悪魔に実力差がありすぎてほぼ間違いなく躱されるのだ。だから無駄に壊しては殺される。結果的に、現在神域に残る神剣は五本だけとなってしまった」


 うわっ……なんつーピーキーな剣だよ。切り札と呼ぶにはちょっと……いや、かなり頼りない性能だ。


「でも当たれば勝てる可能性はグッと高くなるから。この星において劇的に強化されるクライア様なら、当てられるかもしれないでしょ?」

「とはいえ、神剣を振るうということはミラに接近されているということだからな。それはちょっと、うむ……まぁ、うーん……一応持っておいて損はなかろう……」


 歯切れが悪すぎる……。


「よし、ともかく作戦説明会はここでお開きだ。泣いても笑っても明日、全てが決する。精神を研ぎ澄ませておくことだな」


 そそくさと退散しようとするクライア様に、セツナが少し低めの声で尋ねた。


「クライア様、どちらへ?」

「少し調べたいことがある。あとは、もう好きにしてよいぞセツナ。ではな」


 ぱたん、と静かに扉が閉まる。

 妙に含みのある言い方だったな、クライア様……。


「あっ! そういえばまだ教えてもらってないぞ、セツナ。今日がセツナのための日ってのは、どういうことなんだ?」

「ん? んー……ねぇ、ハル。あなたと初めて出会った日に、あなたと二人で世界を巡るって話、したじゃない?」


 唐突な話題転換に目を丸くしてしまった。世界を巡るという話はもちろん覚えているけど、なぜ今それを?


「今から行くわよ。瞬間移動のストックがアレだから、一ヵ国しか無理だけれどね」

「な、なんだって今なんだ? セツナも狙撃とはいえ姉さんと戦うんだから、英気を養っていた方が良いんじゃ……」

「いいじゃない。なによ、ハルは嫌なの?」

「い、嫌じゃないけどさ……もしかしてセツナ、勝てないって諦めてるのか? だから、そんな……」


 おずおずと尋ねると、セツナは自信を持って首を横に振った。


「まさか。あたしはミラに負けるつもりなんてさらさらないんだから」

「じゃあなんで……」

「ハルと過ごすことで英気を養うのがあたし流のやり方よ」

「なっ」


 な、なんだなんだ? 俺を照れさせて何か得があんのか?


「ね? 行きましょ?」

「わ、分かったよ」


 あまりにも綺麗な笑顔を浮かべるもんだから、もう俺に断ることは出来なかった。


「そうこなくっちゃ。で、どこか行きたい場所はあるの?」

「……うーん、いざとなると思い付かないな。ただ世界を巡りたいとしか考えてなかったから」


 計画性皆無な自分に苦笑いしていると、ぱん、とセツナが両手を合わせた。


「じゃあ、あたしの行きたい場所に付き合ってくれないかしら」

「ああ、いいよ」


 セツナの行きたい場所か……ちょっと気になる。

 セツナの性格や仕草なんかはここまで一緒に過ごしてきて把握しているが、趣味嗜好は今だによく分かってない。

 神使という役割だからなのか、彼女は明らかに自分より他者を優先する傾向がある。俺にはそこまで気を遣わなくても構わないんだけどな……。


「じゃあ飛ぶわよ」


 セツナは俺の胸ににそっと手の平を当てて、もはや何度も経験してきた瞬間移動を行使した。



       ***



「ん……ここって……」


 緑豊かな山々と、今にも降り出しそうなほどに美しい星々。異国の地には違いないだろうけど……なんか見覚えがある景色だな。


「そう。あたしとハルが初めて出会った日に来た場所よ」


 天を仰ぎながら嬉しそうに微笑むセツナ。目も眩むような星空と神々しい彼女の組み合わせは、もはや芸術的ですらある。


「どうして、ここを選んだんだ?」

「……あなたが……泣いていた場所だから」


 俺に背を向けたと思ったら、そんなことをポツリと言う。ちゃんと数えていないから分からないけど、俺はもうけっこー泣いてるよ? そんな幸運を呼ぶパワースポットみたいに言われると照れるな……。


「……また妙な勘違いをしているわね、ハル」

「へ?」

「あなたはよく泣くけれど……ここで見た涙は、やっぱりあたしにとっては特別なの。あんな風に誰かを泣かせたのは、覚えている限りでは初めてだったから……」


 俺は思わず口ごもってしまう。結局俺が勝手に泣いただけなんじゃ……。

 でも……そうか。セツナの過去はよく分からないし、セツナ自身もよく分かっていないわけで……その中で、特別に思う何かを持ってくれたという事だ。きっとそれは、ポジティブにとらえてもいいことだと思う。


「それにしても……セツナと出会ってまだ一週間くらいなんだよな。なんか、もっと一緒に過ごしていた気がする」


 自殺を考えていた俺がセツナに救われ、それから毎日共に生活してきた。

 彼女が目の前に現れなければ今頃どうなっていたかと考えると……本当にぞっとする。


「あたしとハルが出会ってまだあまり長くはないけれど……けっこう濃密な時間だったわよね。任務ばーっかりだったあたしにとって、あなたとの生活は凄く楽しかった。この星に来たのも任務の一部なんだってこと、忘れるくらいに」


 普段言い慣れていないことを言っているからなのか、セツナの顔はほんのりと赤らんでいる。

 だが……せっかく可愛らしい赤面を拝めたというのに、俺の胸中では底知れない不安がぐるぐると渦巻いていた。

 どうにも今日のセツナはおかしい……まるで……。


「……なぁセツナ。本当に勝つつもりなんだよな? 自覚はないかもしれないけど、負ける前の遺言みたいに聞こえるぞ?」

「ふふ、さっきも言ったでしょ。あたしは負けることなんて微塵も考えてないわよ」


 にこやかな表情でそう言うセツナは、やはりいつもと違って見えるけど……ここは信じて言葉を呑み込むべきだ。決戦前で変なテンションになっているだけかもしれないし、単に俺の考え過ぎかもしれないしな。


「ああ、それとハルに渡したい物があったのよ。はい、これ」


 俺の目の前に差し出されたのは、セツナの髪と同じ桜色の高級そうな指輪だった。何気なく手渡していいようなもんには見えないけど……。


「これは?」

「あたしが八千年くらい毎日輝力を蓄積させた物よ。行き先を思い浮かべて念じれば、一度だけ瞬間移動が使えるの」

「そ、そんな凄い物を、どうして俺に?」


 当たり前とも言える質問だったが、セツナは困ったように首を傾げた。

 何も考えずにこんな大切そうな物を渡してくれたんだろうか?


「うーん……ま、いざという時に使って。明日は何が起こるか分からないんだから。いくらあなたでも絶対に安全とは限らないでしょう?」

「お、おお……まぁ、それはそうかもしれないけど……」

「さぁ、せっかく来たんだから星を見ないと損よ。座りましょ?」

「……うん」


 強引に話を切られてしまった……でも身を案じてくれているのは間違いないんだろうし、無下には出来ない。桜色の指輪をポケットに仕舞い、セツナの隣に座り込んだ。


 そのまま二人で隣り合って、無言のまま無数の綺羅星を見上げる。

 しばらくぼーっと星を眺めていて、ふと思った。


 もしかしたら、さっきのセツナは怖がっていたんじゃないか? 

 遠くからの狙撃とはいえ、圧倒的な力を持つ姉さんに立ち向かうのだから恐怖心が湧き上がっても何らおかしくない。戦えない俺は少しでもセツナを元気付けないといけないのに、そんなことにも気が回らなかったのか。


「なぁ、セツナ」

「ん? どうしたのハル」

「また二人で、この星空を見に来ような」

「…………ふふっ。ええ、もちろん」


 白銀の瞳を美しく煌かせながら、セツナは柔らかな笑みを浮かべた。




        ***




「ふむ、戻ったか。少し報告がある」


 家に戻ると、クライア様が小さな体をソファに沈めて待ち構えていた。


「報告……ですか?」

「うむ。教会を見に行ってきたのだが、堅牢極まる防衛結界が張られていた。おそらく『ミラが設定した極少数の例外』だけがすり抜けられるもの……いわゆる拒絶型結界だな。余の攻撃にもビクともしなかった」

「ク、クライア様の攻撃が効かないんですか!? も、もしもミラがそんな結界をバンバン作れるとしたら……」

「いや、それはない。あれほどの結界、相当な魔力とそれなりの時間を消費しなければ作れん。たとえミラでも、だ。よいか、これは大きなチャンスだ。今のミラはこれまでに無いほど魔力を消費しているのだからな」


 ……そうまでして、姉さんはイヴを守りたいってことだ。たとえ自分の力を低下させても、決してイヴを危険に晒さないように。

 そこまで過保護になっている理由は……深く考えなくても分かる。イヴという存在が、姉さんが直々に選んだ「月野葉瑠を幸せにする人」だからだろう。


「ハル、お主は間違いなく『拒絶対象外』であろう。つまり、いよいよ本当にお主しかイヴを留めておける存在は居なくなった」

「は、はい、分かっています」

「なら良い。それともう一つ。教会から決して出てはならんぞ。あの町……いや、もっと広範囲になるが、あの辺りは間違いなく苛烈な戦場になる。教会から出たら死ぬと思え」


 神と悪魔が戦いを始めるというのだから、それは仕方のないことなのかもしれない。けれどやっぱり、見知った町が壊されるのは精神的にかなり堪える。


 だが、この期に及んでビビッてばかりじゃいられない。

 俺もしっかり覚悟を決めなければいけない。

 姉さんと行動を共にする、謎に包まれた少女……イヴと相対する覚悟を……!!

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