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真王

「ハルは、自分があまりに酷い不利益を被った時どうする? 怒るか?」

「うーん、セツナやカリンが酷い目に遭わされてたら絶対に怒るけどなぁ」

「……自分じゃぞ、其方の話じゃぞ」


 話の軸をズラして誤魔化そうとするも、すぐさま軌道修正されてしまう。困った俺は眉を八の字にしつつ目を伏せた。


「……別に怒んなくはないと思うよ?」

「本当か?」

「……まぁ、元々怒るのって苦手なんだよな」

「それは何故じゃ?」

「何故って……その質問こそ何故って感じだよ、俺からすれば。自分が不利益を被ったからって別に怒んないよ。落ち込んだりはするけど」

「……ホロヴィアもそうじゃ。奴は本気で世界を滅ぼそうとしているが、かと言って憤怒や憎悪に囚われているわけではない。思考回路というより、物事の呑み込み方がハルと似ている……」


 セラは大悪魔ゾフィオスとして、気が遠くなるほどの年月を悪魔王の側近として過ごした。その彼女が言うのだ、信憑性は嫌でも上がる。


「儂は悪魔王と幾度となく会話したが、その上で出した結論が『必ず倒すべき悪』じゃ。そしてその結論が揺らいだ事は一度として無い。しかし……ハルは違うのじゃろう?」


 満月の如き黄金の瞳に一瞥され、俺は肩をすくめながら本音で答えた。


「そうだな。俺も彼とは何度か言葉を交わした。神域や狂界のいざこざなんて全く絡まない雑談もした。結論言うと、俺は彼を悪とは断じない。カルワリスで彼が悪魔王だと知った時も……驚きこそすれ嫌悪感は無かった」


 もちろん「世界を滅ぼそうとしている時点で絶対悪なのではないか」と言われればその通りかもしれないが……どちらが善か悪か、なんていう問題ではない気がする。

 彼に対してそこを焦点にするのは、こう……なんて言うか……なんて言ったら良いのかなぁ……?


「……やはり、そうなのじゃな。元より確信めいてはいたが、今、それが完全なものだと立証された」


 セラは瞼を閉じて小さく笑い、おもむろに立ち上がると、椅子に座り込む俺の前まで歩み寄り──まるでこの俺を敬うかのように、そっと跪いた。




「ハルは儂の器などではない」




 どこまでも清々しい表情で。

 神王セラフィオスは、根底を覆すような言葉を吐き出した。

 今の結論に至る過程が、俺にはまだよく理解出来ていない。

 ただそれでも、漠然とながらも……底知れぬ「歓喜」を感じ取った。

 そう、「歓喜」だ。自分の感受性が狂ってしまったのかと思えるほど、眼前の彼女は純粋なる歓びに溢れていた。


「何だよ、いきなり」

「前提が間違っていた。認識が間違っていたのじゃよ」


 白金色の装甲に包まれた両手がおずおずと伸びてきて、俺の右手を包み込む。

 とても、とても、慎重に。恐れ多くてたまらない、と言わんばかりに。


「ハルは、決して儂の代わりの神王などではなく……むしろ逆。儂こそがハルへの()()に過ぎなかった。ハルという真の王の架け橋となるべく生まれてきたのが、儂だったのじゃ」

「……なんだそれ」

「簡潔に言おう」


 にっこりと。

 見たことのない笑顔を浮かべたセラは。




「儂は──ハルの為に生まれてきたのじゃ」




 自らの生まれた意味を、確信的な微笑みで告げる、その姿を。

 俺は瞬き一つせず見つめていた。


「儂は、ハルがこの世に生まれてくるまでの前座じゃ。儂が歩んできた幾星霜に渡る永い旅路は、全てハルへ捧げる為にあったのじゃ」

「……お前は、それでいいのか」

「いいとも」

「……どうして?」

「顔を見れば分かるじゃろう?」

「分かるから聞いてんだ。どうして、そんなに満足そうな顔をしてんだよ」

「…………ふふふ、そんなの当たり前じゃろう」


 そっと握り締められていた手に、少しずつ力が込められていく。

 それはまるで、今際の際の人間が、最後の力を振り絞って愛する誰かの手を握るようで。



「全てを託せるのが、他でもないハルだからじゃよ」



 穏やかに。それでいて力強く、堂々と。

 “王道”を歩み続けた偉大な生物が、曇りなき眼差しで俺を見据える。


「むしろ、以前の儂なら……この事実を不服と思っていたかもしれぬ。儂はこの世に産まれ落ちたその瞬間から、救世主たる自負と誇りを持っていた。じゃが……其方に出逢って変わった。変われたのじゃよ」


 その「変われた」事実こそが他の何よりも誇らしそうで、コクコクと何度も頷いている。


「其方に出逢い、悩み抜く姿を誰よりも近くで見てきて……永い永い生涯で一度として疑わなかった自分の「生まれた意味」に疑問が生じた。自分の意志を持たぬ、ただ本能的に戦いに身を投じていた儂は、この世で最もシステマチックな生命体なのではないか……と」


 俺が自らの生涯に当て嵌めた表現を、セラもまた自身に当て嵌めていたのだ。

 生命としての在り方。心を持つ「個」としての在り方を。


「それでもこれまでの生き方に後悔はない。しかし、ハルと過ごして寂寥感を覚えなかったかと言えば嘘になる。もはや諦観するしかないと思っていたが……今は違う。こんな儂の空虚な生涯も、実は真の王たるハルの糧となるものだった。ハルの未来を切り拓くための一助となったのじゃ。こんなに嬉しいことはない……そうじゃろう?」

「……セラが俺によく言ってた言葉、憶えてるか?」

「はて、何じゃったかな」

「『卑屈』」

「ふむ」

「そっくりそのままお前に返すよ」

「こりゃ参ったな」


 全然参ってなさそうな顔で俺の言葉を受け止めるセラ。

 ……まったく、なんて清々しい顔してんだか。

 釣られるように、強張っていた俺の身体からも力が抜け、自然と笑みが零れた。


「……で、目処は立ったのか?」

「うむ。最後のピースが嵌ったよ」


 魂を溶け合わせた者へ向けた、少し文脈から外れた問いの答えは、やはり間髪入れずに返ってくるのだった。

 俺は頷き、小さく短く息を吐く。


「ん、分かった」


 もう、俺が拘泥することはない。いや、まぁ本音を言えば駄々を捏ねたい気持ちがなくはないのだけれども……“最後”がそれじゃ、あまりにみっともないものな。

 どうか少しでも安心して、俺に託せるように。

 意地を張ってでも強がってみせるのが、今俺の取るべき行動なんだ。


「と言っても、まだここは薄暗いままだけど」

「それでも、完全融合のピースは既に揃っている。其方の心を、本当の意味で明るく照らすのは、まぁ……また別の誰かに託すとするさ」

「無責任だなぁ。最後まで俺の面倒見てくれよ」


 冗談めかした笑みを浮かべつつ軽口を叩くと、セラは真剣な顔付きで俺の手を強く握りしめてきた。

 てっきり軽口の叩き合いになると思っていた俺は、予想外の反応に目をぱちくりとさせる。


「……冗談だよ。そんな顔すんな」

「……託すばかりで、本当にすまない」

「気にすんなよ。神王は託されてなんぼみたいなとこあるし」

「…………ふふっ、其方と話していると、自分が如何に矮小な存在なのか思い知らされるな」

「いい加減にしろ、怒るぞ」

「怒れるものなら怒ってみろ、馬鹿者めが」


 慈愛たっぷりの声音とともに、セラが両腕を広げて俺の身体をぎゅっと抱き締めた。


「ハル。儂と初めて出逢った時のこと、覚えておるか?」

「忘れたくても忘れられねーよ、あんなの」


 耳元で彼女が笑っている事は、わざわざ顔を見なくてもすぐに分かった。

 俺も口元を綻ばせて、冷たい鎧に包まれた彼女の身体を抱き返す。


「……知っての通り、儂には重大な使命があった。それでも、それでもじゃ……今だから白状するが、本当のところは……其方に、ずっと負い目を感じていた……」

「うん」

「其方が、あの日儂に怒り狂って感情をぶつけてくれていれば、少しはこのモヤモヤも解消したのかもしれぬが……そんなのは儂が楽になりたいだけの甘えに過ぎぬと思い……」

「大丈夫、分かってるよ」


 放っておいたらいつまでも続きそうな懺悔を、背中を軽く叩いてストップさせる。


「今更謝んなくていい。そもそもズレてるよお前は。俺がお前に怒りを覚えたことは、一度としてないんだから」

「…………それが異常だと言っておる」

「だとしても、本心だ」

「……シャルミヌートのことは、今でも好きか?」

「もちろん。大好きだよ」

「それでも儂を責めないと?」

「責めない。理由はもう言わねーぞ、キリが無いからな」


 背中に回していた手を、今度は白く小さい頭にポンと置いた。

 最後の最後に弱気なトコを見せるんだから、まったく困った王様だな……。

 ……いや。最後だから、なのか。


「セラって弱音吐き慣れてなさそう」

「こんな時になるまでずっと吐く相手がおらんかったのじゃ、仕方なかろう」

「難儀だなぁ。俺なんて弱音ばっかりの人生だよ」

「道理でな」

「おい」


 いつものノリで笑い合いながら、俺はセラの頭を優しく撫で続けた。


「……震えてる」

「うむ」

「怖いのか」

「……いいや。この期に及んで恐怖はないさ」

「強がんなくていい。ここに居るのは俺だけだ。咎める奴も落胆する奴もいない」

「……フッ、気遣いは無用じゃよ。死が怖くないのは本心じゃ……ただ、敢えて言うのなら……悲しい」


 俺の身体に巻き付くセラの両腕に、一層力が込められた。俺はそれを決して茶化すことなく、ただひたすら頭を撫で付けて押し黙る。


「怖いのではない、ただただ悲しい。神域の仲間達ともう会えなくなることも、この美しい世界を二度と歩けなくなることも、悲しくて悲しくて堪らない……」

「……うん」


 セラも、本当は長年共に過ごした神域の仲間達に見守られながら、安らかに召されたかったことだろう。

 けれども、それは出来ないから。此処には俺しかいないから。

 少しでも彼らの分まで埋めなくてはと、俺は唇を噛み締め──



「じゃが、やはり一番悲しいのは……ハルと離れ離れになることじゃ」



 放たれたその言葉に、目を見開く。

 視界が微かに滲んでいた。

 胸が詰まって掠れ声すら出せなくなった。


「……其方と別れるのは、本当に悲しい。辛い。逝くのが惜しい。儂は……生まれて初めて、こんなに命が惜しいと思ったよ」


 グッと瞼を閉じた。今、涙を流してはいけない。

 セラには情けない姿ばかり見せてきた俺だけど、せめて今くらいは強がってやる。


「……お前は、俺にとって理解者だ」

「儂もじゃ。この世でたった一人の理解者じゃ」


 現れない。今後二度と現れないであろう理解者。

 セラは恐怖など無いと言うが、俺には有る。大切な存在が消える喪失感は、俺にとって形容し難いほどの苦痛だ。

 それでも、俺は。



「…………今までずっと一緒にいてくれて、ありがとう」

「馬鹿者。それは儂の台詞じゃ。礼を言うのは儂の方なんじゃよ、ハル。本当に、感謝している……ありがとう」



 セラの身体が透けたように薄くなっていく。色という色が身体から失われ、揺らめいて……まるで「水」そのものにでもなったかのよう。

 いよいよ……なんだな。


「さぁ……一つになろう、ハル」

「ああ、いつでも来い……っと、最後に聞きたいことがあったんだった」

「ん?」

「結局、何で何も言わずに引っ込んだんだよ。ちょっとくらい相談してくれても良かったじゃん」


 唇を尖らせながら端正な顔を覗き込むと、セラは照れ臭そうに笑って、



「だって、恥ずかしかったから」



 その言葉と表情が、あまりにも、普通の人間みたいで。

 俺は一瞬だけ言葉を失い、すぐに我に返って微笑みかけた。



「お前も大概馬鹿だな、セラフィオス」

「其方と同じくらい?」

「ああ、俺と同じくらい」

「ははは、それは良い」



 澄んだ水の塊となった身体を、優しく労わるように抱き締めた。

 軽やかな水音と共に、徐々に、徐々に、俺の肉体に染み込んでいく。

 これが、完全なる魂の融合か……凄く、安心する。とても、とても、温かい……。



「……あぁ。最後に、儂からも」



 セラの声が、俺との身体の狭間で木霊する。

 きっと、これが俺達の最後の会話になるであろうことを、互いに悟りつつ。



「儂には……生涯の夢がある」

「……初めて聞いたよ、お前に夢があるなんて」

「当然じゃよ、誰かに言ったのはこれが初めてじゃから」

「ほんと、不器用な奴…………で、どんな夢なんだ?」

「皆が安心して暮らせる“理想郷”を創ることじゃ」



 ──理想郷? 

 耳慣れないが、つまりは平和な世界を創りたかったってことか。

 随分壮大に思えたが、セラにとっては現実味のあるものだったのか……いや、違う。

 無いから、“夢”なんだ。



「儂の夢は、いつか必ず叶う」



 それでも毅然とした声音で断言するセラ。

 俺は全てを察し、今際の際の相棒に応えるように大きく頷いた。



「そりゃあ叶うさ。俺が世界を救うんだから」



 いつになく自信たっぷりに宣言してみせる。

 虚勢だ。虚勢でもいいんだ。どうせこいつには見抜かれている。

 見抜かれたうえで、それでも言わなくちゃいけない。俺が、これから歩き続けていくために必要なケジメなんだ。



「……ふふふ。ああ、その通りじゃ。きっと、ハルが守った世界は、希望に満ち溢れておるじゃろうから……儂も安心して、果てられる」

「……うん。お前の不安も夢も、全部俺に託せ。全部背負ってやる」



 そして、最後に。

 まだカタチを残した右手が、俺の頭をそっと撫でた。



「ありがとう。ハルに出逢えて良かった」

「こちらこそ。セラの事は一生忘れない」





「「また逢う日まで」」





 この世の何よりも透明な水は、一滴の雫すら残さず。

 月野葉瑠の身体に溶けて、消えた。


 ざざーん。ざざーん。


 寄せては返す波の音。

 彼女が生み出した海は、宵闇の中で、どこまでも穏やかに。

 祝福の子守唄を奏でていた──



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