葉瑠とセラ
「ん……ここは……」
目を開くと、天上天地が漆黒に染まっていた。それでも自分の肉体だけは鮮明に見えるのが不思議だが……ああ、俺は以前も同じ景色を見たことがある。それも一度だけではない。
そう──俺がセラと初めて出逢って間もない頃に。
「ハル!? 何故こんな所に其方がおるのじゃ! 『セラ=ヴァース』でも届かない場所まで潜ったというのに……!」
背後からの驚声に振り返る。そこに居るのが誰なのか、この俺が分からないはずもない。
俺と同じ新雪の如き純白の髪。
夜空を照らす満月のような黄金の瞳。
そして上限知らずの華美絢爛な顔立ち。
俺と魂を供にする神王セラフィオス、その張本人である。
「セ、セラ……」
彼女の顔を見てまず湧き上がってきた感情は、驚きというより安堵であった。
「何してんだって、お前こそ何してんだ! 急に引っ込んじゃってさぁ!」
「そ、それは……儂をハルの中から消すために最善の手を実行しただけじゃ……それより質問に答えろ、どうやってこんな奥底まで辿り着いた!」
「どうやってって……」
言うべきか? 悪魔王が神域に入り込んで俺を昏倒させたことを……。
今のセラはただでさえ気が動転している。察するに、彼女はこんな奥底まで来て様々なことを試しても尚、分からないままなのだ。
俺の中から自分を消す方法……完全なる魂の融合方法が。
「『セラ=ヴァース』だよ。今の俺の力なら、どれだけ心の奥まで沈んでいてもお前に辿り着ける」
俺は、悪魔王のことを黙っていることにした。
目に見えて追い詰められているセラに、追い討ちを掛けるかの如く悪魔王の話題など出すもんじゃない。『セラ=ヴァース』という、自らの心の世界に入り込んで言葉を交わせる術を持っているのも幸いだ。
……あの神王セラフィオスに気を遣うなんて、俺も偉くなったもんだ。
「そうなのか……? それ程までにパワーアップしていたとは……とにかく、来てもらって悪いが儂はもう少し時間がかかる。其方に出来ることはない」
「一人で悶々と悩むよりマシだろ? 一応言っとくけどな、俺からこんなこと言われるなんて相当だからな?」
冗談半分、忠告半分で言い放つと、セラは申し訳なさそうに下唇を噛んだ。
彼女が俺を迷惑がっているわけではないことくらい、言葉にされなくても分かっている。彼女はただ、迷惑をかけたくないだけなのだ。これ以上俺に負担は掛けられないと思っているだけなのだ。
だからこそ、お前は俺を頼るべきなんだ……セラ。
「………………すまぬ。助力してくれると有り難い」
「ああ、任せろ」
「……フッ、虚勢が上手くなったなハル」
「誰のせいだと思ってんだ、まったく」
軽口を叩き合いながら笑い合う。少しは落ち着いてくれたようで良かった。
問題はあとどれだけ猶予が残されているかだ。悪魔王がわざわざ神域を訪れ、俺を強制的に心の奥底に叩き込んだあたり、多く見積もっても二、三時間といったところだろう。
ガルヴェライザとの決戦に参戦しないわけにはいかない……戻った時には全て終わってましたじゃ神王失格だ。
「……立ち話もなんじゃ、歩きながら話そう」
セラはそう呟いておもむろに指を鳴らし──俺は目の前の光景に目を見開いた。
「う、海!? 俺の心の中に海が!?」
空間の一部が一瞬で塗り変わった。
ざざーん。ざざーん。寄せては返す波の音。
海だ、本物の海だ……海だけは。
「なんか変な感じだ……海は海すぎるくらい海なのに、後ろを振り返れば闇しかない……」
異様な光景である。美しく雄大な本物の海が、深過ぎる周囲の闇によって強制的にジオラマへ落とし込まれているような悲哀さ。
壮大なのに矮小に見える。美しいのに気持ちが悪い。なんだこれは……矛盾している。違和感の塊だ。
「これでも随分マシな状態にしたのじゃぞ。以前から、其方の心象世界はどこまで行っても暗闇じゃったからな。さ、歩くぞ」
「あ、うん……」
よく分からないが、どうやらこの光景はセラの努力の賜物らしかった。神王化……俺の魂との完全融合とこの海は、何かしらの関係があるのだろうか?
それにしても、なんで俺の心の世界って暗闇なんだろう? これが……こんなのが俺の心の内だっていうのか?
「この海は儂の心象世界を映し出したものじゃ。ハルの心があまりに暗過ぎるために、儂の完全融合を妨げているのではないか……と思ってな。色々試してこうなった」
「ふーん……で、その予想は的中したのか?」
「間違いではないことは間違いない。が、きっとこれだけでは駄目なのじゃろうな」
セラは歩を進めながら再び海に視線をやり、嘆くように俯いた。
「儂は力の限りを尽くした。じゃが、それでこの程度じゃ。見ての通り異物感満載のジオラマビーチ……とても魂が溶け合っているようには見えぬ。ハルの前だから弱音を吐くが、儂が一人でどれだけ手を尽くそうとも、ハルの助力抜きでは完全体には至らなかったのかもしれぬ」
「もういいよ、俺は此処に来たんだから。二人で一緒に考えよう」
「うむ」
照れくさそうに目を細めるセラを横目に、自然と口元が綻んだ。
多分セラは神王時代も『ドゥーム』時代も、孤独なのが当たり前だと思っていたのだ。
もちろん神域の住人には好かれていたのだろうし、プラニカやパルシド卿を大層可愛がってもいたのだろうが……困った時に頼りにする存在なんてのは一人も居なかったはずだ。
神域ではぶっちぎりの実力、狂界ではそもそも仲間意識なんて概念があるかも疑わしい。どんな困難にもたった一人で立ち向かってきたのが、神王セラフィオスという存在。
そんな彼女に頼られるのはこの上なく光栄で嬉しかった。誇らしかった。
たとえ……たとえそれが、セラとの別れに直結するとしても。
「うん……完全融合のためとはいえ、お前の消滅をお前と一緒に試行錯誤して取り組んでるの、結構おかしな話だよな」
「言うな。神王としての使命を果たすため、致し方ないことなのじゃ」
ポンポンと俺の尻を叩く。どうして俺が慰められてんだよ、慰められるべきはお前だろうに……。
世界を救う。その使命を果たす為果てなき戦いに身を投じ、最期は俺みたいな奴に全てを明け渡そうとしている。どれだけ自分を犠牲にすれば気が済むんだろう、こいつは。
……ははは、セラも俺に同じことを思ってるか。セラもセラだが、俺も俺だ。
そしてきっと、この気持ちを共感してくれるのは後に先にも隣にいるこいつしかいないだろう。
今後絶対に現れない真の共感者を、俺はこれから失うことになるんだ。
「ところでハル。此処にいると時間の流れが曖昧になるのじゃが……今外はどうなっている? ガルヴェライザはあとどれくらいで来そうなのじゃ?」
「ん……まぁ、まだ大丈夫だ。焦らず急ごう」
出来る限りやんわりとした口調で、差し迫った危機を察知させないよう心掛ける。焦らず急ぐ……それこそが現状最善の一手だ。
「最高率かつ最適解を導け、と言うわけか。良いのぅ、腕が鳴る」
セラはニヤリと口角を上げてぐるぐる肩を回していた。今更だけどその鎧可動域すげーんだな。
「よし、ハルも来てくれたことじゃし一人では出来なかった方法を試せるな」
「うん、どんどん試そうぜ。ただし時間もないから可能性の高いやつからな」
「ふむ……ではまず合体してみるか」
「合体?」
「ハルと儂で合体してみるか」
「……? 組体操のサボテン的な?」
「いや、違うじゃろ。合体といえばもうアレじゃろ」
「………………ま」
真顔で何を言ってるんだ、この王様……。




