Melt
“ハル、少しよいか”
ゲートを潜り抜けて人気の無い場所へ降り立った俺を、セラは静かに呼び止めた。
「何だ? すぐにステラティアのとこに行かないと、機嫌が悪くなりそうで怖いんだけど」
“まぁそう言うな。多少の寄り道は構わんじゃろう”
「……」
微かな違和感が生じた。
いやまぁ、確かに時間の流れが歪んでいる関係で、地球上よりも神域内の方が全然ゆっくりできるわけだが……それでも、セラがそれを言うのは違和感があった。むしろ急かしてきそうなもんなのに。
「寄り道って、どこ?」
“創神樹ゴルフィオン”
なんだっけそれ? えーと、確か……なんだっけ?
“おいおい、忘れておるのか此奴め。 神域における最重要防衛地点じゃぞ”
「あー……確か神が生まれてくる樹のことだっけ? プラニカとパルシド卿以外はみんなあそこから生まれてきたっていう」
“それじゃそれ。其方も神王として見ておいた方がよかろう?”
「そうかもしれないけど……ステラティアを差し置いてまでやることなのか?」
放置した挙句、無表情で負のオーラを爆発させる彼女の姿が目に浮かぶ。そうなる前にさっさと行くべきなんじゃないかと思うのだが。
“あの女は腐っても覇天峰位じゃぞ、才能だけはある。儂かハルの指南があれば間違いなく他者へのコーティングも出来るようになる。そう時間はかからぬさ”
「うーん」
出来る出来ないじゃなくて、機嫌を損ねるかどうかの話なんだけど……まぁ、これ以上拘泥しても仕方ない。わりと本気で行きたそうな感じだし。
俺は心の中でステラティアに謝りつつ、創神樹ゴルフィオンを目指して歩き始めた。
***
俺は元々自然が好きだった。花も木も星も好きなので、それらを眺めていると心が洗われたような気持ちになる。
「これが……創神樹……」
だが、眼前で聳り立つ大樹は違った。一目見た瞬間、俺は心が洗われるどころかその異様さに慄いてしまった。
まずデカい。地球上最大の樹木は百十五メートル前後らしいが、この樹はその五倍はありそうだ。全高だけでなく幹も馬鹿みたいな太さだった。
遠目だから何とか樹だと分かるが、近寄ってしまえば視界を埋め尽くす壁にしか見えないだろう。
そして、何より異様なのがその「生態」だった。
「えっ、動いてる……」
“胎動じゃよ。この樹は神を生む。今尚次なる神を生むために活動を続けている。この神域で……いや、この世に存在するあらゆる物体の中で最も神秘的なモノなのだ、アレは”
セラの言葉を受け、俺はもう一度じっくりとゴルフィオンを見据える。
神秘的、か。
確かにその通りなのだろうが、しかし俺個人の感想として到底そんな風には思えなかった。
なんというか、あの樹は……哀しくなるほど痛々しい。
淡い光を放つ無数の葉は、断続的な胎動と共にざわめき揺れ動く。
俺には、それがまるで哭いているように感じられて。見ていて胸が苦しくて。
「創神樹は、セラが創ったのか?」
「違う。元からあった」
「……そうか」
…………………………だとすれば、あの樹は。
いや、今はよそう……。
「で? なんでここに来たわけ?」
“……他の誰とでもなく。儂は葉瑠と二人で見たかったのじゃ……あの創神樹を”
どこかノスタルジーに浸っているような声色。
ここに来るまでに抱いた違和感が、徐々に象られていく感覚。
“儂にとって最古の記憶が、この樹なのじゃよ”
「……へぇ、お前が身の上話なんて珍しい」
“茶化すな茶化すな。儂は誰かに生涯を語って聞かせるほど面白い道は歩いておらぬからのぅ。パルシドやラランベリなどには、気恥ずかしくて話そうとも思わぬわ。それでも……それでも其方にだけは話しておきたかった”
脈打つ大樹。
夥しいほどの生気、生命力。
一体どれほどの年月を経ればこんなモノが出来上がるのか。
“儂の生誕は実にあっさりとしておる。何しろ、気付いたらこの樹の目の前に座っておったのじゃからな”
「じゃ、セラも他の神と同じくこの樹から生まれたのかな?」
“おそらくは。ただ、儂が他の神と決定的に違うところは……言葉を選ばず言えばスペックじゃな。まさしく別格、初めから救世主たる素養を持つ者として生まれてきた……”
そこまで呟いて、セラは数秒沈黙する。
二心同体の関係だけあって、セラが今どんな感情を抱いているか、たとえ言葉にしなくとも何となく分かる。
今彼女が抱いている、この感情についても……。
“あの時……『ヴァース』で其方の心の世界の中で話し合った時。其方が悩み抜いた末に「世界を救う」と答えを出した時。儂は……其方への感謝と尊敬の念を抱くと同時に……其方の眩いばかりの勇気に胸を打たれ、心を震わせておったのじゃ”
「……はは、何言ってんだ。あの時の俺は、そりゃもう情けなかっただろ」
恐怖と焦燥に押し潰されそうになって、消え入りそうな声で「神王になる」と絞り出した。今にして思えば、あの時の俺はちょっと情けなさすぎたな。
“馬鹿を言うな。先程、其方はカリンに対し卑屈だと言っていたがな、一番卑屈なのは其方じゃぞ”
「そ、そんなこと言われても……神域の為にずっと前から戦い続けてきたセラに比べたら、俺なんて」
“其方は儂を勘違いしておる。儂のそれは生まれた時から根付いていただけのシステマチックな思想に過ぎぬ。何の葛藤もなく戦っていた儂は、およそ勇気というモノからかけ離れた異常者でしかなかった……だからこそ、儂は其方を誰より尊敬しておる。これまで歩んできた生活と決別し、勇気を振り絞って王道を歩んだ其方をな。改めて言うまでもないが、儂は其方こそが真の救世主なのだと確信しておる”
……何かおかしい。いや、今のをおためごかしと決め付けるわけではなく、むしろ逆。逆が故に不安を煽られる。
“ハル。悪魔王の言葉を覚えているか?”
これまた唐突に悪魔王の話題を持ち出され面食らう。これ以上自分の生涯について語ることがない、とでも言い出しそうな口振りだった。
「悪魔王の言葉?」
“惑星カルワリスにおいて、奴は完全なる神王化の条件について触れておったじゃろう”
「あぁ、不純物がどうとかいうやつか。今のところピンと来てないけど、それもこの準備期間中に突き止めないとな」
“儂じゃよ”
「……セラ?」
一拍置いて、俺は彼女の名を疑問符と共に口にした。
突拍子もないことを言われたから、というよりは。
今後訪れる寂寥感と喪失感を受け入れられそうにもなかった、というのが正しくて。
“ハル。其方が完全なる神王に成る為の、最後のトリガーは……”
その先を。
俺はその先の言葉を分かっている。
多分、きっと、絶対に。
“儂という不純物を消し去ることじゃ”
これが逃れられようのない運命だということを、俺はずっと前から。
神王になると決意したその瞬間から……漠然と、悟っていた現実であった。
第六章 完




