葉瑠とカリン
ゲートを閉じてすぐに視線を振り回す。リビングにセツナの姿がない……まさか瞬間移動か!? 最近はめっきり減っていたのに……!
“焦るな、探知しろ。すぐ近くじゃぞ”
忠告されるまま急いでセツナの気配を探る──家の中、セツナの部屋か!
小走りで二階へと駆け上がった俺は、胸に手を当てて深呼吸をする。中の彼女が「セツナ」であれば下手な真似は出来ない、気力を振り絞れ……!
意を決して部屋の扉を開き──その美しい顔立ちを見つめた瞬間、一気に肩の力が抜けた。
表情を見た瞬間に分かってしまった。今俺の目の前にいるのは、間違いなく「カリン」だ。
「あら、葉瑠。おかえりなさいませ」
「……ああ。ただいま」
最近のセツナがするはずのない笑顔から放たれた言葉に、一瞬胸が詰まった。
「もうっ、ノックくらいして欲しいですわ。いくら家族とはいえ、わたくしもレディーですのよ」
「ごめん、悪かったよ。体調は平気か?」
「それはあの子のことですか? それともわたくし?」
「両方だよ」
「わたくしは健康そのものですわね。あの子の方は、中々どうして目覚めませんわ」
「……そうか」
セツナの顔でセツナではない誰かが喋っている。内心複雑だったが、それでもカリンに罪は無い。いや、無いなんてレベルじゃない。だって、この女の子は……。
「……事情は大体聞いたよ。カリンには、本当にどう申し開きしたらいいのか……」
カリン=ラフォンテーヌ。
飛び抜けて優れた人格の持ち主だけに許された、正当なる神使に到れる資格を持つ女の子。
月ちゃんのように第二の人生を謳歌することも、この子ならばできたはずなんだ。
それなのに……。
「ふふふ! よしてくださいまし、わたくしと貴方の仲じゃありませんか!」
カラカラと、何でも無いことのように快活な笑みを浮かべるカリン。つくづく、これほどの人格者が受けていい仕打ちではない……。
俺がよっぽど辛気臭い顔をしていたのか、カリンは目をぱちくりとさせた後、何とも言えない表情で笑った。
「あ……こんなコト言っても、葉瑠は実感が湧かない……ですわよね。わたくしにとっての葉瑠は、まさしく家族同然の認識ですけれど……貴方にとっては出会ったばかりの認識ですものね」
「……いや、そんなことないよ」
神域の都合で未来を断たれたこの子の処遇があまりに不憫で、俺はやんわりと彼女の言葉を否定した。
聞き得た情報を整理すればするほど、カリンに辛く当たることなんて出来なかった。
実際、俺がセツナと過ごした日々と全く同じ時間を、この子もずっと一緒に過ごしてきたのだから……。
「正直、心の底からしっくりきてるかって言うとまだだけど……それでも俺は、セツナと同じくカリンのことも家族と思いたい……って、思ってる」
たどたどしくも、何とか心の内を言語化する。こんなんで上手く伝わるかは分からないけれど、どれだけ拙くてもこの気持ちだけは今伝えておきたかったのだ。
「……貴方は、やっぱり、とっても優しい方ですわね」
一拍の間をおいて、カリンは頬を紅く染めながらふんわりと微笑んだ。
本当に不思議だ。セツナと全く同じ顔なのに、表情ではっきり別人と分かる。きっと、この差異こそが「心」というモノなのだ。
「俺は別に優しくなんかない。本当に優しい奴ってのは、カリンみたいな子のことだ」
「あら、あら……困ってしまいますわね。わたくし、おだてられるのには慣れていないのですが」
頬を染めたまま困ったように笑うカリンに対し、俺は俺の言葉を肯定する意味も込めて笑い返した。
“イチャついているところ申し訳ないが”
うお、びっくりした!
不意にまあまあデカい声が頭の中で轟いたため、俺は左手でこめかみを押さえつつ口を開いた。
「なんだよセラ」
“地球と神域の時間の流れについては言うまでもないな? 話は手短に”
「分かった、分かってるよ」
まぁ正論だが……何もそんなでけー声出さなくたっていいのに。頭ん中で拡声器でも使ってんのかと思ったわ。
「カリン、次にセツナが浮上してきそうな時期って分かるか?」
「さぁ……詳しいことは“もう一人”の方に聴いてみないと分かりませんわね」
カリンが「あの子」と呼ぶのはセツナ。つまりこの“もう一人”というのは……。
「プラ……」
“待て、その名をこの身体を前にして呼ぶな。覚醒のスイッチになりかねんぞ”
っと……それもそうだ。
「その“もう一人”についての事情も、俺はパルシド卿から直接聞いてるよ。カリンはその“もう一人”と会話ができるのか?」
「たまーに、ふとした瞬間にできたりできなかったり……ですわね。何しろ彼女は、本来出てこられるハズのないトコまで沈んでいましたから。あの子がこんな状態になってもなお、自由に動けないくらいの」
「……“もう一人”に関しちゃ、できれば永遠に沈んでいてほしいもんだがな」
ポツリと本音が漏れた。
俺が俺自身を優しくないと評するのは罷り間違っても謙遜などではなく、ただの事実でしかない。
女神プラニカ。パルシド卿やセラには悪いが、俺にとっちゃ癌細胞同然の存在でしかない。
元々何の思い入れもないうえに、セツナを苦しめカリンの未来を奪った奴など、条件さえ分かればノータイムで消し去ってやりたい……くらいのスタンスだ。
「しばらくはカリンが表層に出てるってことでいいのか?」
「ええ、まぁ。ですから何処かへ徘徊したりすることはありませんので、そこは御安心を……ただし……一点、申し上げておきますわ」
すぅ、と。
カリン特有のつぶらな瞳が細められて。
「あの子は……たぶん、次の浮上が最後になりますわ」
真っ直ぐと、射抜くような眼差しでそう告げた。
「……最後?」
「言葉通りの意味ですわ。あの子が次に浮上した時、間違いなく主導権が入れ替わる」
入れ替わる……って、そりゃつまり。
「その身体の主導権をカリンが握る、ってこと?」
「いいえ、違いますわ。わたくしにはそこまでの権限がありません。わたくしと“もう一人”が二者択一の状況になった場合、わたくしに勝ち目などありません。にも関わらず今わたくしがこうして表層に出ているのは、あの子がどっちつかずでもがいているからです。ただ……このままわたくしの予想通りにあの子が主導権を手放せば、次に上がってくるのは……」
「三人目、ってことか……」
それにしても、カリンの話は色々分からないことが多い。もちろん、様々な制限が課されている中で適切な言葉を選ばなければならない苦労もあるのだろうけど……それにしたってだ。
まず、そもそもの前提として。
何故セツナが自ら身体の主導権を明け渡すのが既定路線かのように言っているのだろうか?
「あの子か、“もう一人”か……いずれにせよ、権限の弱いわたくしは引っ込むしかありませんわ。ですから、今のうちに葉瑠と沢山お話がしたいのです。こんなチャンスは二度と巡ってこないかもしれませんわ……」
「カリン……」
そりゃもう、話したいことなんて山ほどあるだろう。
楽しかったこと、辛かったこと、自分がどういう人間でどういう道を歩んできたのか。その他にも、本当に沢山の話を……。
一万年以上身体が無いまま心の奥に沈められていた彼女の言葉は、あまりにも重くて切なかった。
だけど、それでも今は。
「俺もだよ。色々カリンに聞きたいこともあるし、カリンの話も沢山聞かせて欲しい。それでも……今は時間がない。神域……いや、この世全ての命運がかかっているんだ。だから……」
「……うふふっ! もう、そんな顔しないでほしいですわ! 大丈夫、わたくしは大丈夫です。ハート家のスーパーメイドたるこのわたくしが、程度の低いワガママを……お恥ずかしいですわ、聞かなかったことにしてくださいまし」
なおも柔和な笑みで言葉を並べ立てる彼女を見ていられず、俺は「カリン」をそっと抱き寄せた。
「は、葉瑠……?」
「約束するよ、必ず聞く。必ず聞くから……俺を信じて待っててくれるか? 二日だけでいいんだ」
「ま、まぁ二日くらいなら待てますけれど…………貴方にとっては、あの子が表層に出てきた方が嬉しいんじゃ……」
「何でそう卑屈なんだよ。言ったろ、俺にとっては、カリンだってセツナと同じくらい大切な家族だって」
「……ふふ。でも、今はまだそう思えていないのでしょ?」
「もう思えるようになった」
「あらもう、調子の良い葉瑠ですこと」
上品な笑い声がそよ風のように耳元をくすぐった。
じんわりと伝播していく温もりは、もう離れたくなくなるほどに温かい。これまではセツナの身体という認識しかなかったが、今ではカリンのことまで同時に感じられるようになった。
形容しがたいこの気持ちを敢えて言語化するとしたら……「感動」だ。俺はこの上なく感動しているのだ。
カリンという一生命がどれだけの時を経てもなお世界に在り続けている。その証左たる「心」というモノに触れられて。それがたまらなく尊くて。
「カリン」
「どうされました? 葉瑠」
だから、決めた。
たとえ、今は方法が分からなくとも、俺は。
「俺は必ず、セツナとカリンの両方を救ってみせる──!!」
航路は見えない。あるのかも分からない。
しかしやる。やるしかないのだ。
セツナ。
カリン。
二人を俺の家族であると認めたからには、二人とも助けるしかない!
それでこそ、本当の家族ってものだろう……!
「葉瑠、言わずもがなですが……」
「分かってるよ、難しいって言うんだろ」
「あはは、違います。早とちりですわね、もう」
カリンは、ダイヤモンドのような輝きを放つ瞳で俺の目を覗き込みつつ、
「言わずもがな、貴方を信じていますわ。頼みましたわよ、わたくしの葉瑠」
屈託のない満開の笑顔を咲かせ、弾むような声色で言葉を紡ぐ。
……あぁ、うん、改めて確信した。
この子のことを絶対に裏切りたくないと思う。絶対に助けなくてはと思う。
その為にも……まずは邪魔な奴がいる。
『ドゥーム』の一角・大悪魔ガルヴェライザ。
プラニカよりもまずこいつを何とかしなくては、カリンとセツナを救うどころか世界の方が先に終わる。
神域は最終防衛ラインだ。もしも俺達が敗北したら、この世の全てがなす術なく業火に焼かれてしまう。
「それじゃ、カリン。ちょっと行ってくる」
「ええ、葉瑠。いってらっしゃいませ」
「セツナのこと、よろしく頼んだぞ」
「勿論ですわ。二日後、またこの部屋で逢いましょう」
俺達は互いに笑い合い、頷き合いながら身体を離していく。
そして俺は瞬時に神王衣を装着し、純白のマントをはためかせつつ踵を返した。
「『セラ=ララステラプラニカーナ』」
決戦の刻は近い──救ってやるさ、何もかも!!




