純粋悪
惑星カルワリスに足を踏み入れた瞬間、吐き気を催すような静けさに顔を顰めた。
遠方で強大な魔力を放つ一体を除き、この星に命と呼べるものは存在していない。否が応でも、あの地球の惨劇を彷彿とさせる事態だ。
残酷な事実を瞬時に悟った俺は、心を落ち着かせるように深呼吸し、標的のいる地点まで歩き始めた。
“……ハル”
「ん?」
“今回の相手じゃが……ステラティアの見解は、おそらく当たっていると思う。儂もカルワリスに居るのは『奴』じゃと思う”
「うん、それで?」
“……レムシオラより更に格上じゃぞ”
「だろうな。そんな気はしてたよ」
“だからこそ、今回は許可する。神王剣を使え”
足は止めないまま、俺は少しだけ驚いた。
神王剣フォルテシア。神王だけが扱える、絶大な輝力を秘めた究極の剣……だが、レムシオラの時は使用を制限されていたのだ。
「レムシオラの時は止めてたよな。今回は良い理由でもあるの?」
“レムシオラは確かに強い悪魔じゃが、神王剣を使えばすぐにケリがついてしまうから使わせなかった。それほどフォルテシアの力は凄まじい”
「さっさとケリがついて、何か問題でもあんの?」
“大アリじゃ。そんな勝ち方しか知らぬようでは『ドゥーム』の面々に通用しない。戦闘時の考え方や動き方、咄嗟の機転、適応力……葉瑠にそういったものを感じて欲しくて神王剣を使わせなかったのじゃ”
なるほど……確かにそうだ。『ドゥーム』がゴリ押し戦法でどうにか出来る相手なら、セラがとうに倒しているはず。それに俺は戦闘経験が乏しいのだから、そんな方法で勝っても成長など見込めなかっただろう。
「つまり、今回の敵は……」
“そうじゃ、神王剣を使わなければ勝てない”
「……一度くらい練習しときゃ良かった。剣なんて使ったことねーよ」
“心配するな、神王ならば神王剣は扱える。そういう風に出来ているのじゃよ”
神王剣を扱う上での注意点や奥義などをレクチャーしてもらいながら、標的への距離を縮めていった。
足を進めれば進めるほど、ビリビリと痺れるような感覚が強くなっていく。俺の到着に、敵はとっくに勘付いているはずだ。それでもまるで動く気配が無い。どうやらやる気満々で待ち構えているらしい。
“緊張は?”
「程々。もう腹は括ってる」
“それは結構”
セラと喋りながら、ふと空を見上げる。この時間のカルワリスは夜らしく、無数の星が瞬いている。地球の夜空とも似ているが、ここの星はやたらカラフルな光を放っていた。まるで金平糖が空にばら撒かれているようで、ちょっと面白い。
そして、もう一つ地球と似ているようで異なる部分が「月」の存在だ。他の星々と比べて圧倒的に大きく見えるアレは、地球にとっての月と同じくカルワリスの衛星なのだろうが……色は似ても似つかない。
乾いて固まった血を彷彿とさせる、赤黒く禍々しい光で大地を仄かに照らしている。正直あまり気分が良いものではない。
こんなグロテスクな光景を見てしまうと、地球の月が如何に美しいかよく分かる。まぁ陽光有りきだが、それもまた一興だ。
「……」
ピタリ、と。
足を止めて顔を上げた。
視界の中心に在るのは、夥しい数の死体の山。
そして。
その頂上に鎮座する、一体の大悪魔。
「──テメェ、何者だ?」
赤黒い月光を浴びながら、その悪魔は静かに問いかけてきた。恐ろしく冷静、且つ強烈な意志の強さを感じさせる声だ。
「只者じゃねェ……神域みてぇな烏合の衆からこんな奴が出てくるとはよ」
「俺は神王の月野葉瑠。分かってると思うけど、お前を倒しに来たんだよ──大悪魔ブラルマン」
二メートルを優に越す身長と、背後で蠢く伸縮自在・強靭極まる六本の触手。
天高く積み上がった骸の頂に立つは、まさしく大悪魔ブラルマン。ステラティアやセラの見解通りだ。
見解通り……そう、つまりこいつはレムシオラを遥かに凌駕する化け物ということに他ならない……!
“『ドゥーム』を除けば間違いなく最高峰の実力を誇る。最も『ドゥーム』に近い悪魔という認識で間違いない”
「……見れば分かるさ。話で聞くよりよっぽどヤバそうだ」
魔力の絶対量も凄まじいが、何より気掛かりなのは奴の纏う雰囲気だ。
事前のセラの話だと、血気盛んな戦闘狂と聞いていたが……いざ目の前にすると全く別の印象を抱いた。
内で燃え上がる殺意を見事に制御し、それでいて臨戦態勢は崩さないクレバーさ。戦闘狂というよりは百戦錬磨の猛者という表現がしっくりくる。
ただ、セラが俺にわざわざ誤った情報を与えるはずもない。彼女が狂界を去ってから変わったのか……?
「神王? ほぉ……噂は聞いたことがある。テメェは伝説の存在ってわけか。成程、「あの男」が言っていたのはテメェのことか……納得だ」
ブラルマンはゆったりと立ち上がり、死体の山で屹立する。
まるで悪びれることなく。
罪の意識に苛まれることなく。
奴は命を踏みつけにしている。
「どうしてお前は殺すんだ?」
鋭く問うた。
「殺さねぇ理由がないから」
間髪入れず答えやがった。
「ついさっきぶっ殺した神共も、同じことを聞いてきた。答えは同じだ、殺しても殺さなくてもいいなら殺しておいて損はない。さてはテメェ、性善説とか信じてるクチか?」
性善説。生まれながらの悪など居ない、皆本性は善である……という考え方の元、提唱されている説のことだ。
「言っておくがありゃ間違いだ。おれの存在こそが何よりの証明だぜ」
「……根っからの悪ってわけか。殺伐とした奴だ」
「まぁな。とはいえ、有象無象をぶっ殺すのは退屈だから、最近は手を出さなかったんだぜ。今回は邪魔だから殺しただけだ」
「何……?」
「おれは近頃大悪魔ばっか殺してたからな。久々に神が七体も押し寄せてきたから、新鮮で興が乗ったのよ。万が一にも雑魚共が戦闘に影響を及ぼさねぇよう、神共に配慮してやったのさ」
「……戦いの舞台を整えるために、ここで暮らしていた生物を根刮ぎ滅ぼしたってことか?」
「そう言ってるだろ」
……頭のネジが飛んでいる。と言っても、罪無き命を無碍にして良い理由などこの世に存在しないのだし、どんな理由でも俺は納得出来なかっただろう。
姉さんを討つと決めた時と同じだ。俺はこいつを倒さなくてはならない。神王としても、月野葉瑠としても。
「つまらねぇ問答は止めようぜ、神王様よぉ。おれぁワクワクしてんだよ」
強靭かつしなやかな触手が、歓喜に震えるかの如く揺らめいた。同時に、奴の体内の魔力濃度がぐんぐん増していく……いや、これが奴にとって普通の状態なのか……!
「テメェは強い。分かるぜ、そんじょそこらの奴とはオーラが違う。テメェのような強者と戦い、勝利し、ぶっ殺す……それこそがおれの存在意義、生まれた理由なんだ……!!」
ただでさえ緊迫していた場の空気が、極限まで張り詰めていく。だが、もはやこの程度で気圧される俺ではない。
「そうか。生憎だけど、俺は世界を救うために生まれてきた身でね。お前みたいなのを否定してなんぼの存在なんだ」
我ながら憎たらしい言葉を吐きながら、スゥと右手を前方に差し出す。
そして──
「──来い、『フォルテシア』!」
その銘を叫んだ瞬間、対悪魔において究極の性能を誇る剣が顕現する。爆発的な閃光と輝力を放ちながら現れたそれを、伸ばした掌で固く強く握り締めた。
どくん、と心臓が脈を打つ。
心と剣が溶け合っている。
恐ろしいほど手に馴染む。
まるで、最初から自分の一部だったかのように。
「──さぁ、悪魔退治の始まりだ」




