思わぬ訪問者
教会から逃げ帰った翌日。昼下がりのこと。
俺はうなだれるようにしてソファに体を沈みこませていた。
理由は単純、ひとりぼっちになったからだ。セツナは朝起きてすぐ、足早に神域へと戻ってしまった。
なるべく沢山の神様に応援を要請する、と息巻いていたが……俺の姉さんを倒すという神域中の悲願が叶いそうだというのだから無理もない。
「はぁー……どうしてこうなったんだろう」
天を仰いで思いっきり嘆く。
当然答えてくれる人はいないし、そもそも答えは求めていないのかもしれない。もう自分でもよく分からねぇわ。
「ほんのちょっと前まではなぁ……父さんと母さんにおはようって挨拶して、学校に行って友達と喋って……」
あー、もう、すぐ現実逃避しちゃうよ。何度これ言ったら気が済むんだろ、俺。
何か楽しいこと考えないと駄目だよな。ただでさえひとりぼっちで憂鬱なのに、こんなんじゃ精神的によろしくない。
楽しいこと……あまり思いつかないな。
セツナのことを……いや、楽しくはないな。
じゃあ友達のことを……いや、やっぱり寂しくなるから無理。
姉さんのことは……特に考えたくない。
――葉瑠さんっ
あ、そうだ。イヴのことを考えよう。
彼女こそ今の俺を癒してくれる唯一の存在だ。
瞳を閉じて一心不乱にイヴの顔を思い浮かべてみる。
うーん、相変わらず可愛いな。性格も愛らしいし。
まぁ、ちょっと変なことを言ったりもするけど、それはそれで彼女の良さだという気がしてきた。あれ? じゃあもう欠点なくね? 凄いなイヴ。
昨日教会に姉さんが現れた時もイヴだけは癒しオーラ全開で「ミラ様―」って……ん?
カッと瞼を開ける。
唯一の心の拠り所が無くなった瞬間だった。
いや、ただ目を逸らしていただけで、元より分かっていたことなんだけども。
「そういえばセツナ……悪魔や姉さんのことについて説明してくれたけど、イヴについては一言も言及しなかったな」
この星を終わらせた黒幕の正体は分かっても、イヴの存在だけは一向に不明のままだ。
凄い悪魔らしい姉さんがわざわざ姿を見せて庇うくらいなんだから、守るべき存在には違いないんだろうけど……二人はどういう関係なんだ? 結局イヴって何者なんだろう?
黙々と考え込んでいると、聞き覚えのある音が家全体に鳴り響いた。
「……え、今の……ウチのインターホンだよな」
当然と言えば当然だが、セツナはわざわざインターホンを鳴らしたりしない。というか彼女は玄関を通ってこの家に出入りすること自体が珍しい。
というわけで、鳴らした人物なんてイヴくらいしか思い当たらない。
「はい、どちら様ですか」
とりあえず受話器を取ってみたはいいものの、全く反応が無い。イヴなら何かしらの反応はあるだろうし、やはり別人だろうか。とはいえピンポンダッシュをするような子供はもう存在していない。
受話器を耳に当てたまま途方に暮れていると、チャイムがマシンガンのような勢いで鳴りまくった。うわうるさっ!
「あーはい、出ます出ますって」
ドタバタと走り、仕方なく玄関の扉を開けると、
「こんにちは、葉瑠くん」
姉さんが立っていた。
……………………えっ? なんで?
「イヴだと思ったかな? ごめんね、あの子も連れてきたかったんだけど、まだ調整中でね」
笑いながら何か言っているが、内容は全く頭に入ってこなかった。余りの驚きに開いた口が塞がらない。
教会で見た、漆黒の鎧を身に纏った怪物の面影など欠片もない。
黒かった髪は雪のように真っ白に、琥珀色だった瞳は血に濡れたように赤く変化してはいるが、その顔や体付きは俺が知っている姉さんそのものだった。
「少し話したいことがあるの。公園にでも行こうよ」
「えっ、えっ」
「ほら、こっち」
軽やかな足取りで歩き出す姉さん。一方動揺しまくりの俺は、今だに硬直したまま動けずにいた。
「ほーら、いこっ葉瑠くん!」
あっ。
振り返りながら笑いかけてきた姉さんを見て、思わず玄関を飛び出してしまった。付いていくのはマズイって、頭では分かっているはずなのに……。
先導する姉さんのすぐ後ろをよたよたとした足取りで付いていく俺。まるでアヒルの親子みたいだと思った。
不意に足を止め、姉さんはちらりと俺の方へと振り返った。
「私と並んで歩くのは嫌? お姉ちゃん悲しいなぁ」
ここで気の利いた言葉を言える頭も度胸もない俺としては、正直に自分の想いを吐き出すしかない。
「……分からないんだ、俺。どう反応していいのか……分からない。怖がればいいのか、憎めばいいのか、それとも……喜べばいいのか」
ぽつりと零すと、姉さんはとても悪魔とは思えない慈愛に満ちた顔で微笑んだ。
「葉瑠くんの好きなようにすればいいよ。とにかく行こう?」
「……」
好きなようにって……俺はこの姉と言う存在に、今どんな感情を抱いているんだろう。
許せない、という怒りか?
どうして、という失望か?
会えて嬉しい、という喜びか?
もう、分からない。
分からないなら、とにかく進むしかない。
どんな感情であれ、俺が自分の足で家を出た事実だけは確かなんだから……。




