【行間 一】 強者
この世界が、思いの外随分とつまらないことに気付いた。
殺し自体は楽しいと思う。だが同時に……酷く哲学的な行為だとも思うようになった。
心を持ち、家族を持ち、仲間を持ち……様々なバックボーンを持つ生物の命を問答無用で奪い取る。奴等が生きてきた過程に意味など無いと突き付けるように。
生物とは、というよりも……弱者とは何たるか。その現実を白日の元に曝け出す。それが殺しなんだ。
総じて、弱者には共通点がある。心が弱いのだ。
無論肉体も脆弱ではあるが、おれが一番ムカつくのは精神的な部分に他ならない。
おれが目の前に立つだけで、奴等は金縛りに合ったように身動きが取れなくなる。逃げることすら出来ず、只々殺されるのを待ち構えているんだ。もはや笑えるのを通り越して呆れ果てるしかない。
だってそんなの、生物として致命的に劣っている。劣り過ぎている。そしてそんな奴等がこの世の大多数を占めているのだから、呆れる以外の感情が湧いてこない。一体どうなってやがるんだ、この世界は。
「まさかとは思うが、妙なことを考えていないだろうね」
「……は?」
自ら築いた死体の山を見上げる俺に、エメラナクォーツが釘を刺しに来ていた。知ったような口調から放たれる的外れな意見に、おれは殺意を込めて睨み付ける。
「言ったろう? 大抵の悪魔は強くなればなるほど知能が発達し、殺しから遠ざかってしまうものだと」
「おれがそうだとでも?」
「この死骸を、君は憐れだと思っただろう」
足元に転がっていた、潰れ過ぎてどこの部位かも分からない肉塊を拾い上げ、そんなことをほざく結晶野郎。
「この屑肉が、憐れだと? いいかエメラナクォーツ、テメェの目は節穴だ。そろそろ自覚しろ、鬱陶しいんだよ。二度とおれを理解したような口を利くな」
エメラナは相変わらずクソムカつく仕草で肩をすくめると、
「殺しは楽しいかい? ブラルマン」
このおれの存在意義を踏み躙るような発言を、何の躊躇もなく繰り出した。
「楽しいぜ、当然だろうが!」
「何故楽しい」
「何故、だと!? バカが、おれに殺しの意味を求めてる時点でテメェはズレてんだ! おれは何かを殺すために生まれてきた自負があんだよ!」
「そうか。それは何よりだな」
「なんだテメェ!?」
コイツ、一体何なんだ!? こうしておれをおちょくるためだけに、遠路はるばるやってきたってのか!?
「いや何、最近の君を見てると不安になるのだよ。日に日に平凡になっているような気がしてね」
「平凡……!? この実力でか? おれが一体、どれだけの神や大悪魔を殺してきたと思ってる?」
「実力の話じゃない、君は確かに強くなった。だが一方で、どうにも君はつまらなくなったね、ブラルマン」
「何ィ……!?」
何だコイツは……いつもムカつく奴だが今日は度を超えていやがる!!
「いいぜ……テメェがその気ならよぉ……!!」
おれがまだコイツの実力に届いていないことは分かってる、だが全く敵わないわけじゃねぇ! 多少無茶すりゃ殺せる……今のおれはその領域に達してんだ!!
「おいエメラナクォーツ……おれが今、何を考えているか分かるかよ?」
「僕を殺したくて仕方ないってところか」
「正解だぜ。だが花丸はやれねぇよ。いいか、おれはなぁ……テメェのうざってぇツラを粉砕したうえでぶっ殺してぇんだッッ!!!!」
背中の触手を一斉に伸ばす。無数の命を奪い去ってきた六本の触手は、圧倒的速度で奴の全身に命中し──
「──浅慮だな」
奴の声が耳に届くよりも、更に速く。虚空にて六つの結晶が顕現する。そしてそれらは自在に宙を踊り、おれの触手を完璧に受け止めた。
神すら貫くおれの一撃も、この結晶の前では衝突音すら微々たるものだ。バカみてぇな硬度と柔軟性を兼ね備えていやがる……クソが、どういう物質だ……!?
「オラァァァ!!!!」
ここで折れてはいられねぇ!! 防がれることくらい分かってんだよ、重要なのは次の行動だ!
止められた触手を潔く引き戻し、奴に向けて一心不乱に振るう。
責め立てろ、僅かでいい、隙を生み出せ!! そうすりゃ無理矢理にでもぶち殺してやらぁ!!
「どおっりゃぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
不規則かつ苛烈な猛攻を仕掛けるも、宙を舞うエメラナクォーツの結晶は完璧な精度でその悉くを凌ぎ切る。
「悪くないが、まだまだだね」
クソが……あの野郎、棒立ちしてやがる!! たかだか六つの石ころに翻弄されるだけかよ、おれぁ……!!
畜生ォ、このまま……何の成果もないままで……!
「終われるかぁぁぁぁぁぁ!!!!」
振るえ、振るえ、振るえ! 更に速く、更に強く!
エメラナクォーツをぶち殺す! 目にモノを見せてやれ!!
「無理だ、悟れ」
防がれる。防がれる。何が何でも防がれる。
オイオイありえねぇぞ、何だこれは!? 何故こうも完璧に対応される!? 冗談じゃねぇぞオイ……!!
「君の成長を見守る立場なのだよ、僕は」
「いらねぇよ死ね!」
「ならば強くなれ。道はただ一つだ」
触手と結晶の壮絶な攻防を意に介さず、エメラナクォーツがゆったりとした足取りでおれに近付いてくる。畜生……隙だらけの糞野郎に割く余力がねぇ!! このおれの全力攻撃が、こんな石ころに凌がれるなど……!!
「これは勉強代だよ。有り難く受け取ってくれたまえ」
ポイッ、と。荒ぶる触手の隙間をぬって投げ込まれた、丸い結晶。
本能的に弩級の危機を察知する。まずい、これは……!
「ごぎゃぁァァァァァッッ!!!!」
自ら発した耳障りな絶叫が辺りに轟く。そしてその絶叫も、腹の底から湧き上がる大量の血液ですぐさま呪詛染みた呻きへと変貌した。
投げ込まれた丸い結晶は、四方八方に犀利極まる棘を生やし、おれの身体の至る所を串刺しにしてしまったのだ。
「ごっ……ぶっ……おぉおぉぉ……」
結晶の棘に全身を貫かれたおれは、酷く間抜けなポーズで空中に固定された。
視界が赤い。赤すぎて何も見えない、全てが塗り潰されている。
「見誤るなよ、ブラルマン。君の現在地と、殺るべき標的との距離を」
真紅に染まる世界の中で、コツコツという足音だけが聴こえている。今更だがアイツ……殺意の欠片も持ってねぇ……おれはその程度ってことかよ……。
「君が僕を殺したいのは構わない、むしろ大歓迎だよ。だがね、力の差が天と地ほども違えば話は別だ。君の自殺に付き合う気は無い」
「げぉ……ぐぅ……ハハハ……いいね、こうでなくちゃあな……」
血反吐を吐きながら、それでもおれは口角を上げた。
虚勢では無い。ただ、純粋に──嬉しかった。
「こう、とは?」
「察しが悪ィな……がはっ……げほ……いいか、よく聞けよ。テメェは……おれが殺す。必ず殺す」
「ほぉ、この僕を? 君が?」
そう、これだ。おれに足りていなかったものはこれだったんだ。
コイツが言っていたことは、正直当たっていた。おれは近頃殺しがつまらなくなっていた。
殺しても殺しても何かが満たされない。数多の戦闘を経て強くはなる、だが満たされない。殺しこそがおれの存在理由だというのに。
なぜこうも退屈なのか。その答えは、今まさに明らかとなった。
「おれは……別に、ただ殺しをする為に生まれてきたわけじゃ、なかったんだ……」
「ほう? では何だ?」
「ゲホッ……おれは……おれは強ぇ奴と全力で戦い、勝利し、その上でぶっ殺したいんだ……それこそが……真の……」
「…………くっ、ふふふふふ……ハハハハハハッ!」
朦朧とする意識の中聴こえてきたのは、いつもの芝居掛かった胡散臭いものではなく。
心の底から笑み崩れているような、そんな笑い声だった。
「稚児のような言い分、故にこそ眩しいな。そうか、君はやはり見込みがあるようだ」
尚も笑いを噛み殺しながら、パチン、と指を鳴らす音が響く。直後、おれを貫く結晶は煙のように跡形もなく消失した。そして自ずと、全身穴だらけのおれは血溜まりの中へ墜落する。
「ぐ、お……おぉぉ……」
「僕の杞憂だった。君は他の悪魔とは違う。その純粋な殺意と向上心があれば問題はない」
コツコツ、と。またもや特徴的な足音が耳に届く。しかし先程と異なるのは、その音がおれから遠ざかっているということだった。
「僕は君の遥か上にいる。何百、何千の時を経て尚届かないかもしれない。それでも君の意思が、覚悟が、存在理由が真のものだと言うならば……必ず相見える事になるだろう。次に僕らが戦うとすれば、その時だ。それまで……」
そこから先は聞こえなかった。エメラナが去ったのか、おれの意識が沈んでいるのか。或いは両方か。
ともあれ、標は定まった。あとは我武者羅に突き進むのみだ。
全ては奴を殺すため……いいや、違う! おれの存在意義を果たす為だ!! そのためにおれは……!




