凍氷絶歌 〈急〉
そのまま一切躊躇することなく、俺自身が開けた氷原の大穴に飛び込んでいく。
そして。
暗い暗い闇の中に、それは浮かんでいた。
「……なんだ、これ」
漆黒に染まる空間を淡く照らす、直径三十センチ程の透明な球体。先程まで戦っていた凶暴なレムシオラとは似ても似つかない、あまりにピュアな美しさ。
しかし、レムシオラだ。発する魔力などから鑑みても、間違いなくコレがレムシオラなのだ。
「……」
ぶるりと身体が震えた。決して寒さのせいなどではない。
心を持った一生命体の、進化の果て。それがこの姿なのか。これが最善だとでも言うのか。
到底生物には見えない。面影など微塵も無い。
生存のために生物らしさを失うなど、あまりに本末転倒ではないのか。何のために生きたいんだ。何のために生まれたんだ。一体、こいつは、何のために──
“来るぞッッ!!”
我に返った瞬間だった。透明な球体が眩く発光し、凄まじい魔力を帯びた比類なき大寒波が全方位に撒き散らされた。
「ぐ、うぅゔっっ!!」
全身から輝力を放出、それをバリアとして冷気を遮断し、何とか耐え忍ぶ。
「この、パワーはッ……!!」
生けとし生ける生命全てを嘲笑うかのような、圧倒的な凍気……! ほんの一瞬でも輝力による防御が遅れていれば、俺はたちまち物言わぬ氷のオブジェと化していただろう。
“攻撃に移れ! このまま我慢していてはジリ貧じゃ!!”
「つってもお前、こんなに輝力出し続けながら攻撃も仕掛けるとかキツいぞ!!」
“ガルヴェライザの熱波はこれより遥かに苛烈じゃぞ!!”
「っ!」
ガルヴェライザ。爆炎を従えて神域の襲撃を画策している、俺にとって目下最大の敵。
「くっそ……それを言われちゃあな……!!」
気力を振り絞って右手を前方に向け、凍気の影響を受けないほど強力な水玉の生成に取り掛かる。
凍結防止のため全身から輝力を放出しながらの生成を強いられるわけだが、正直とても難しい。一挙手一投足が重っ苦しく、全身に鉛でも埋め込まれたかのようだ。
それでも、やらなければ。
苦しくともやるんだ。何がなんでもやるんだ。
俺は神王だろう? 世界を救うのだろう?
一番の敵はレムシオラじゃない。ガルヴェライザでもない。
もっと先。その先にいる悪魔王なのだ。
そうさ、俺は、そのために……!!
「ぐっ……あぁ……弱音なんか、吐いてる暇はねぇよな……!!」
掻き集めろ……ありったけを!!!!
「うおおぉぉぉぉぉッッッ!!!!」
寒い、寒い、寒い! 実際のところ本当はありえないくらい寒い!! これちゃんと神王衣は機能しているのか!? あまりにも寒い!! 俺にも我慢の限界というものがある!!
「く……まだだ、まだ倒しきれる威力じゃない……!」
ぶっつけ本番、必死で掻き集めてはいるものの、現段階では確実に一撃で仕留める自信が無かった。力の大半は防御に割かなければならない状況で、瞬時に必殺の一撃を編み出さなければならない過酷さ! セラやミヌートはこれを当たり前にこなしているってのか……!!
「もう……少しぃ……うおっ!?」
伸ばしていた右腕に数十本の氷柱が突き立てられた。おそらく周囲の氷壁から放たれたものだろう。先の戦闘において、奴が星の氷を意のままに操れるのは把握済みだ。
「おわっ、クソ、おいおいおいっ!!」
まるで磁石に吸い寄る砂鉄のように、俺の身体目掛けてあらゆる方向から氷が押し寄せてくる。強靭な肉体と神王衣によってダメージ自体は防げているものの、煩わしいのは防げない。今はとにかくチャージに集中したいってのに……!
だが分かったこともある。あの球体レムシオラは、妨害行為は出来ても自身の移動は出来ない、ということだ。
もし今、奴に遥か彼方へ逃げ出されると、チャージに精一杯の俺は確実に追撃が遅れる。子供でも分かる自明の理だ。それでも動かないということは、今のあいつは状況を読み取る力も物事を考える力も持たない、ただ暴力的に凍気をばら撒くだけの兵器に成り下がってるんだ……!!
「なんて醜い姿だ……なんて醜い最期だよ、レムシオラ……」
バリアと水玉を全身全霊で捻出し続ける俺の身体。こちらとて化け物染みてはいるが、しかし瞳に映るあのガラス玉なんかに比べれば余程生物らしい。それが無性に誇らしかった。
さぁ……フィニッシュだ!
「砕けろ、レムシオラァーーーーッッ!!!!」
咆哮と共に、ついに完成した必殺の一撃を撃ち出した。極限まで圧縮した水玉より放たれた、彗星の如きウォータービーム──荒れ狂う凶悪な凍気をものともせず、透明な球体に鋭く突き刺さる……!!
「──硬い……!」
信じられない硬度だ……これほどの一撃すら受け止めるか!
だが手応えは充分! 放出を緩めるな、出し切るつもりでやれ!!
「うおおおぉぉぉぉぉぉッッッ!!!!」
透明な球体と、透明な水流の激突。地球ではおよそ考えられないほどクリアな光景が数秒間続き。
そして。
パシッ、と。
驚異的な硬度を誇る艶やかなボディに亀裂が生まれ、みるみるうちに広がり──
──パキィィィィンッ!
ついに、完全破壊へと到るのだった。
「──よしっ!!」
自然と渾身のガッツポーズが飛び出した。心からのガッツポーズなんて、生まれて初めてかもしれなかった。
“よくやった! よくやったぞハル!”
「ふぅー……今回ばかりは氷細工の偽物なんてこともないな」
吹き荒んでいた冷気の嵐もパタリと止み、この惑星を覆い尽くしていた邪悪な魔力の気配も感じなくなった。これでまだ生きているだなんてことになったら、レムシオラはミヌートクラスの悪魔ということになってしまう。
“うむ、間違いなく倒したな。いやはや、ご苦労じゃった。神王剣無し、神王化も不完全な状態でレムシオラを撃破するとは……途方もない戦果じゃぞ!”
「いや、でも疲れたよ……初陣にしちゃかなりハードだった気がする。事前にセラから聞いてたより強かった」
“だからこそ褒めておる。よく勝った、本当にな……”
宙に浮かびながら話すのもなんなので、とりあえず真っ暗な穴の中から飛び出し、冷たい氷原に腰を下ろした。
「はぁ……普通に寒い。元凶のあいつを倒しても星は元通りにならないんだな」
“今はな。だが、知っての通りここの管轄者であるウィーオンは生きている。いくらでも復活の芽はあるぞ”
「あぁ、なるほどな……」
とは言っても、今回のケースでは『巻き戻し』など出来やしないだろう。地球でのアレは、イヴという特殊な存在が居たからこそ成し得た奇跡だ。この星には適用されない。レムシオラに殺された命が都合良く蘇ることはない。
「この星にも、生きている命がいたんだよな……」
“もちろんじゃ。地球ほどではないが、それでも尊い生命は確かに芽吹いておった”
全部レムシオラのせいだ……なんて言うのは簡単だ。でも、それで終わらせるのは酷く短絡的で子供染みている気がした。
それもそのはずだ。何故ならば。
「悪魔というものを生み出したのは悪魔王……なんだっけ?」
“そうじゃ。まず奴は一体の悪魔をその手で創り出した。そこからはもうネズミ算式に増えていったわけじゃ”
「……悪魔王はさ、どうして悪魔を生み出したのかな」
“暇潰しじゃろ。これといって意味はないと思うぞ”
「……ハハッ、だとしたら本当にとんでもねー奴……」
静寂に包まれる、凍て付いた世界にて。
俺は勝利の余韻も忘れ、乾いた笑い声を響かせた。




