神と悪魔
「そう」
家に戻り、俺の姉さんのことについて聞いたセツナの反応はとても淡白なものだった。
「……驚かないのかよ」
「いえ、ミラがあなたの姉だなんて凄く驚いたけれど……それ以上に納得したわ。それなら大体の辻褄が合うもの」
セツナはばつが悪そうに目を逸らしながら、足をもぞもぞさせていた。
「あなたがこの世界でただ一人生き残り、あまっさえ生活環境も整えられていたのは、ミラ……あなたの姉が黒幕だったから。ミラほどの存在なら魔力提供も余裕でしょうからね。気にかかるのは、あなた以外の人間を……自分の両親も含めたこの星に暮らす全てを切り捨てた理由だけど。あなた以外によほど思い入れがなかったのかしら……」
セツナが大切な話をしていることは分かっているんだけれど、すんなりと受け入れることが出来ない。教会での一件が余りにもショッキング過ぎてとても冷静に状況を呑み込めない。
「……悪い夢だったらいいのに」
「え?」
「なぁ……セツナ。姉さんは、こんなことをする人じゃないんだよ。本当に優しくてさ、俺はあの人の笑顔が大好きで……もう一度会えたらどんなに良いかって……ずっと……」
「……うん」
「お、おかしいだろ……こんなの。死んだはずの姉さんがあんな怪物に成り果てて……これが悪夢じゃなきゃなんだっつーんだよ」
ポロリと涙が溢れて頬を伝った。
セツナに文句を言ったって仕方ないのに……ちくしょう、情けねぇ……。
「これは夢なんかじゃないわ。間違いなく現実よ。だから……だからこそ今は、思いっきり泣いてもいいのよ、ハル」
初めて出会ったあの日のように、優しい手つきで俺の頭を撫でて……ん!? ちょ、これ思ったより優しくないぞ!? か、髪が抜ける!
「は、激しいっての! 俺は犬か!」
「うふふ、元気付けてあげられるかなって」
ボサボサになった髪の毛を手櫛で梳きながら微笑むセツナ。うーん、やっぱり敵わないなぁこの子には。
「ハル、あなたが辛いのは分かるわ。だってあなたがシスコンなのは知っているもの。だけど踏み出さないとこの世界はどうにもならない。こんな訳の分からない状況のまま挫けて、それであなたは納得できる?」
挑発してくるような口調に、俺の心の奥がじわじわと熱を帯びてくる。
納得……ある日突然ひとりぼっちになって、最愛の姉さんが黒幕だったことに納得できるかって?
「……いいや、こんなの納得できるわけない。本当に、何もかも分からないことだらけなんだ」
「でしょ? じゃあ覚悟を決めることね」
俺はすうっと大きく息を吸い、セツナに応えるように半ば勢いに任せて宣言してみせた。
「ああ。こんなところで折れていられない」
「ん、よろしい!」
華やかな笑顔を咲かせて再び俺の頭を乱暴に撫でまわした。手櫛で整えた意味ないじゃねーか!
「さ、あなたの気がそがれてしまわないうちに講義するわよ。事態は一刻を争うんだから」
もはや慣れた手付きで紙とペンをテーブルに置く。
講義、というかしこまったワードに自然と俺の体にも緊張が走った。
「あたしが説明するよりもまずあなたの疑問点を聞こうかしら。答えられることなら答えてあげるわ」
華麗なペン回しを披露しながら自主的な質問を促してくるセツナ。確かに疑問点には事欠かないし、遠慮せずに聞いてみよう。
「イヴはともかく……セツナも姉さんのことを知ってる風に『ミラ』って呼んでたけど、姉さんは有名人……なのか?」
率直に気になっていたことを尋ねると、明らかに渋い表情になった。
「有名よ、悪い意味でね。今や神域で『大悪魔ミラ』の名を知らない者は居ないわ。正真正銘の化け物よ、あなたには悪いけれど」
吐き捨てるようなセツナの口振りを見るに、よほど悪名高い存在らしい。
あんなにも優しかった姉さんがどうしてそんな存在になってしまったんだろう。
「ミラの地位とか所業についてはあとでまとめて説明したげる。そのために紙とペンを用意しているんだから。他には何かある?」
「じゃあ、セツナの教会での行動について」
別に責める気なんてなかったが、うっ、と息を詰まらせてしまうセツナ。気まずそうに目を泳がせる姿は何だか新鮮だ。
「あれは……そうね。あの子……イヴを眠らせて捕らえてしまおうと思って。その方が安心できたし、ハルが無茶な行動をしなくなると思って……うん、ごめんなさい。あれは少し浅はかだったわね」
「いや、俺に謝られても。今度一緒にイヴに謝りに行こう」
「そうね……ってばか! 今の状況分かっているのかし!?」
「ご、ごめん、つい」
やれやれと呆れ顔で肩をすくめられる。一瞬にして立場が逆転してしまった。
「さて、それじゃ本格的な説明を始めるわよ」
セツナが手早く紙に書いて見せてくれたのは、四階層に区分されたピラミッド型の図表だった。この地上においても、様々な事柄のランク付けでよく使われるものだ。
「まず、『悪魔』と言う存在についての説明からするわ。魔力を扱う邪悪なる存在については前にも話したわね?」
無言のまま大きく頷く。ウチにだけ電力が供給されていることが判明した際、確かにそんな話をされた。
「あの時言った邪悪なる存在こそが悪魔よ。神様や神使にとっての最大の敵ね。神域に住むあたし達、そして狂界に住む悪魔達。この戦いの歴史と言ったら、それはもう長いこと長いこと! まさに永遠の宿敵よ」
そうしてセツナは、ペンの先でトントンとピラミッドの最下層を指し示した。
「悪魔にも階級があってね、上の階層に行くほど強力な悪魔という事になるわ。最下層は『下級悪魔』。この階層の悪魔は正直大した脅威じゃないわ。神使であれば簡単に倒せるし、人間でもきちんと武装すれば倒せる。この星の動物に例えるなら……そうね、ゾウくらいの強さかしら」
セツナは次にもう一つ上の階層を指し示した。
「一段上の悪魔は『上級悪魔』。ここからはもう人類が対処するのは不可能と言っても過言じゃないわ。核ミサイルをぶち込んでもほとんどダメージが無いって噂よ」
「いきなり強くなりすぎじゃね!?」
ゾウレベルから一段階上がるだけで核ミサイルも効かない化け物って……いくつ階層すっ飛ばしてんだよ!?
「いえ、確かに強くはなってるんだけれど、肉体がそれほど頑丈になっているわけではなくて、性質が変化しているのよ」
「性質?」
「そう。上級以上の悪魔は、輝力及び魔力を含まない攻撃ではダメージを与えられないのよ。強ければ強いほどこの性質は顕著になっていくわ」
輝力……そういえば姉さんも教会でそんな言葉を口走っていた。
悪魔が魔力を扱うように、セツナのような神域の住人達は輝力というものを扱うらしい。
それにしても、輝力だけでなく魔力を含んだ攻撃でもダメージを受けるというのは驚きだな。つまり、悪魔同士で殺し合いが出来てしまうということか。
「上級悪魔ともなれば神使もチームを組んで綿密に計画を練ったうえで挑まざるをえないわ。ただ、神様クラスなら余裕で撃破できちゃうけど」
性質云々言ってるが、やっぱり下級と上級の間に差があり過ぎな気がしてならない。いっそ中級なんて階層を作ったらいいんじゃないか?
「それで、問題なのはここから。一つ上の階層……『大悪魔』。ねぇハル、神様と大悪魔、どっちが強いと思う?」
「えぇ……いきなり言われても……うーん、そうだな……」
神様のことなんて詳しくは知らない。
ただ、悪魔とかそういった魔の存在を聖なる力で浄化……みたいなイメージは漠然とながらもある。
「やっぱ神様かな?」
「大悪魔よ、圧倒的にね」
間を置かずにきっぱりと言い切ったセツナに、俺は少なからず驚いた。
神の使いなんだから、誰よりも神を贔屓目に見るべきだと思うんだけど……それほどまでに差が……?
「言っておくけど、弱い神様なんて全くいないのよ? それでも一対一ではまず勝てないの。二対一でも全然無理ね。三対一でようやくダメージを与えられるかしら。四対一……そうね、四人の神様が死力を尽くしてようやく一体の大悪魔と相打ちってところね。その前提条件は……神域にとって余りにも厳しい。ただの犠牲として割り切るには、余りにも……」
俯きがちに呟くセツナに、俺は何も言えなかった。
神と大悪魔にそこまで力の差があったなんて……そんなの、神域側に勝ち目なんてないんじゃ……。
「まぁ一口に大悪魔と言っても強さは様々なんだけど、あなたの姉……ミラは大悪魔の中でも間違いなく上位に位置する。強い強い大悪魔の中でも頭一つ抜けてる存在ってこと。現状、神域では早々に倒すべき仇敵として認知されているわね」
「そ、そりゃなんで……? 他の大悪魔と比べて特に敵視しなきゃいけない理由でもあるのか?」
「ええ、もちろん。ミラが何より危険視されている理由は、異常な成長速度。たった千年という史上類を見ないスピードで大悪魔の地位に登り詰めたのよ。あたしが一万年も生きてきたことを考えれば、どれだけ異常な速さかわかるでしょ? 今でさえ滅茶苦茶な強さなのに、このまま放置しておけば一体どんなことになるのか……想像もしたくないわ」
そんな……争いなんて全く好まなかった姉さんが……ん? というかそもそも……。
「なぁ、今更だけど根本的な話して良いか? 姉さんは九年前に交通事故で亡くなったって話しただろ? 葬式もしたし、お墓だってある。いつどうやって悪魔になったんだ?」
「元人間の悪魔って大抵は死の間際にスカウトされてるらしいわよ。その憎悪を燻ぶらせたまま終わってもいいのか、ってね。そして、呼び掛けに応じたら魂を持っていかれて悪魔になっちゃう。ただ……人が悪魔になるのは意外にも珍しくてね。死してなお尽き果てない憎悪を抱えられる人って割と少ないの。人は憎しみを抱え続けるには脆すぎる生き物だから。こう言ってはなんだけれど、あなたの姉は……異常だわ。どれだけの憎悪があればミラのような化け物が生まれるのかしら……」
憎悪……?
そんなもの、姉さんが抱えているようには見えなかったが……いや、みっともない言い訳はよせ。現に悪魔となった姉さんをこの目で見たじゃないか。
あんなに好きだった姉さんのことを俺は何も分かっていなかった。それが紛れもない事実だろうが。
「まぁ、悪魔やミラのことについては大体これで説明したわね。何か質問は?」
「大悪魔の上にあと一階層分残ってるけど?」
紙に書かれたピラミッドを指差してそう尋ねると、セツナは微笑を浮かべた。
「あぁ……まぁ気にしなくていいわよ」
「そうか」
ふふっ、書き間違えたのかな?
まぁ悪魔の地位についてそこまで興味はないし、書き間違いじゃなかったとしても知る必要はないだろう。俺にとって大切なのは姉さんの情報だけだ。
「さぁ、質問が無いならこれで切り上げるわよ。今後のスケジュールを……」
おもむろにソファから立ち上がろうとするセツナの腕を、俺はゆっくりと掴んだ。何事かと目を丸くするセツナに、静かに問いかける。
「……セツナは、姉さんを殺すのか?」
「んーん、あたしじゃ敵わないから神様達に応援を要請するつもりよ?」
「やっぱ殺すんじゃん……」
ぼやくように言うと、突然胸元をがっちりと掴まれてしまう。そしてそのまま、鼻先が触れ合いそうなくらいにずいっと顔を近付けられる。
「ハル……あなたにとっては辛いだろうけれど、それでもあえて言うわよ? あなたの姉はね、どうしようもなくイカれてるのよ。数多の神使を殺し、十五もの神様を殺し……そして今回は一つの星を終わらせた。そうでしょ、ハル。あなたの友達も、両親もみんなアレに消されたんだから。あなたの知っている姉はもういない。あれは……決して野放しにしてはならない化け物なんだから」
目を伏せるしかなかった。セツナの言う通りだ。
姉さんはこの星に暮らす命を奪った。
俺以外の地上の命を残らず滅ぼした。
こんな行為、どんな理由があったって許されることじゃない。何か償いをすることで許される、というレベルを遥かに超えてしまっている。
実際俺だって、いくら姉さんのことが好きでも、大切な友達や両親を一方的に消されてはいそうですかと許してあげられるほど聖人君子じゃない。
「手荒な真似をしてごめんなさい。だけどこれだけは分かっていて欲しかったの。あなたの好きだった優しいお姉さんは、もう、この世のどこにもいないという事を」
「……ああ」
きっと、そうなんだろう。
あの頃の姉さんはどこにもいなくなったんだろう。
そう考えれば、少しは……。
──また会えたね、葉瑠くん
なら、あの時、優しく声を掛けてくれた怪物を……俺はどう受け止めればいい……?




