幾億の時を超えて
「ええと……『セラ=……』なんだっけ?」
“『セラ=ララステラプラニカーナ』”
「ごめん、やっぱメモるわ」
“早く覚えた方が良いぞ、便利じゃから”
長いうえにラが五つって……言いにくいったらありゃしない。とは言っても唱えなければゲートは開かないので、とりあえずメモをそのまま読むことにした。
「うおっ、出た! うわー本当に出るとは」
唱えた瞬間、空間を裂くように現れた穴にびっくり仰天する。これまでも何度か見たことはあるが、こんなモノを自分が出すようになるとは思ってもみなかった。
「これ、詠唱さえすれば誰でも出せるのか?」
“まさか。神性の高い者……すなわち神でなければ出せぬ。この術は輝力ではなく神性が重要なのじゃ”
「ふーん……って、え? 俺、もう神なの?」
“そうじゃよ?”
「うわー、全く実感がない。こんなに変わんないものなのか」
“いや、ちゃんと変わっておるぞ。自覚が無いのはそれだけ滑らかに神王化が進んでいるということじゃ”
「凄いの?」
“無論じゃ”
無意識のうちに眉根を寄せていることに気付いた。この感情を怒りとするか辟易とするかはまだ判別が付かないが、決してポジティブに捉えていないことだけは確信している。
つまり現時点で俺がクライア様やラランベリ様と同格、或いは既に超えている可能性もあるわけだ。たかだか半日の間に、何の努力もせず……馬鹿げているとしか言いようがない。
「……よし、入るか」
ネガティブな思考を振り払い、毅然とした面持ちで言い放つ。セラに告げると言うより、自分自身に言い聞かせる必要があったのだ。
今から俺が神域でやろうとしていることは、決して簡単なものではない。何の事情も知らない神々に自分が神王であることを明かし、納得させなければいけないのだ。しかもセラは俺以外と意思疎通出来ないから、俺が一人で頑張んないと……。
おそらく唯一事情を知っているパルシド卿の助力さえあれば何とかなるだろうが、もし彼が偶々不在だったとしたら……くっ、彼の助力無しでどうにか出来る気がしない! 頼むから不在じゃありませんように……!
“……不安なのは分かるが、身体が微動だにしとらんぞ”
「わ、分かってるよ……すー、はー……ようし! ホントに行く! 行くからな!」
俺は震える拳を握り締め、必死に自分を鼓舞しつつ穴の中に飛び込んだ。
***
とん、と。軽やかに白の大地に降り立つ。神域には何度も訪れているが、隣に誰かが居ないと妙に落ち着かない。神域では常にセツナか月ちゃんと共に行動していたからな……。
「どこだ……ここ」
ぐるりと辺りを見回す。全く見覚えのない場所に来たようだ。そもそも神域の地理に詳しくないけど。
“おぉ……神域じゃ! いやー懐かしいのぉ! 一体何年振りじゃろうか……!!”
頭の中でセラの歓喜に打ち震える声が木霊する。そりゃ嬉しいよな……神王でありながら悪魔王に仕えるなんて耐え難い苦痛だっただろうし。
“ここは神々の居住区じゃ。パルシドも何処かにいるはず……”
「適当に歩いてりゃ見つかるかな? パルシド卿に限ってそれはないか」
っと、一応セラとの会話も控えないとな。どこにどんな神がいるか分からないし、不審な行動は慎まないと。
「さて、歩くか」
「ん?」
「あ」
一歩踏み出した瞬間、空中から声が聞こえた。視線を向けた先にいたのは、
「おまえ……確か地球で……」
「デ、デザルーキ卿!」
無機質な円盤型の体をふわふわと浮かせた神──覇天峰位の一角・デザルーキ卿。クライア様と組んでシルヴァニアンを討伐せしめた神だ。
早速神と遭遇出来た、それも一応顔見知りの神だ。これはツイてる、説明がうんとし易いぞ!
“おぉ……デザルーキか。かつて儂は此奴の身体を磨いてやったことがある。前にも増して煌びやかな身体になっておるわ”
「デザルーキ卿、お時間ありますか? 少し話したいことが……」
「……いやいや、ちょっと待て。なんだぁ? この気配は。おれが知ってるお前じゃない……」
デザルーキ卿は困惑気味の声色でぐるぐると身体を回転させている。自覚は無いが、やはり今の俺は目に見えて違和感があるのか。
“此奴も随分成長したのじゃな……いやはや感慨深い”
「お前、セツナはどうした? まさか一人?」
「ええ、そのまさかなんです」
「おいおい……じゃあつまり、おれの見立てが正しいってことかぁ……」
回転していた身体にゆっくりブレーキをかけつつ、静かに発光するデザルーキ卿。何故光っているのかは分からないが、信じ難い気持ちだけは痛いほど伝わってくる。
しかし俺としては好都合だ。流石は覇天峰位と言うべきなのか神ならばすぐに判別出来るのかは不明だが、デザルーキ卿はすこぶる察しが良い。スムーズに話が進みそうで内心安堵していた。
“パルシドを探す手間が省けたな。もちろんパルシドであれば尚の事円滑だったろうが、それは傲慢というものか”
「デザルーキ卿、その件で他の神様も含め大々的に説明したい事があります」
「……神使が神に……か。前代未聞の大事件だなぁ……」
「あ、実はそれだけじゃなくて、もっとやばいことが……」
「えぇ……? まぁ分かった、とりあえず他の神がいそうな場所へ行こう」
デザルーキ卿は銅鑼のような身体を水平に倒し、地面スレスレまで沈み込んできた。
“おー、昔デザルーキに乗ってサーフィンをしたことを思い出すな。どんな波もなんのそのじゃった”
「乗っていいぞ。こっちの方が速いし、案内もしやすい」
「えっ、いいんすか!?」
「いいぞ」
恐る恐る足を乗せると、デザルーキ卿は無音でぐんぐん上昇していき、非常に滑らかな挙動で空を駆けていく。まるで魔法の絨毯だ。
“懐かしいな……昔、儂も宙を飛び回って神域を見廻っていたものじゃ。その時よく着いて回って来たのがプラニカだったのぅ……儂にとってもプラニカとパルシドの二人は特別でな……”
さ、さっきからうるさい……浸りたくなるのは仕方ないけど、頭の中で延々喋り続けられるとこうも気が散るものなのか……。
「なぁ」
「あっ、はい? 何ですか?」
「おまえ、いつからそうなった?」
「神だってのが判明したのはついさっきですね」
「それですぐ神域に? えらくスピーディだなぁ。セツナの入れ知恵か?」
「いや、そういうわけでは」
「ふぅん……ま、大変だったなぁ」
不審がりつつも労いの言葉を掛けてくれるデザルーキ卿に、俺は驚きを隠せなかった。自分勝手なのは承知だが、シルヴァニアンの件もあって俺はこの神に良い印象を持っていなかったのだ。
しかしどうだろう、俺を乗せて案内してくれるばかりかこんな風に労ってくれるだなんて。
以前セツナが「神は自尊心の塊のような存在」と言っていたから自ずと警戒してしまっているが、実際はそんなことないんじゃ……?
「と、降りるぞ。あの神殿なら誰かしら居るはず」
「はい、ありがとうございました」
“おぉ〜、オヴィゴー神殿! 懐かしい……懐かしすぎる……!!”
相変わらず頭の中でセラのはしゃぐ声が大音量で木霊する。もうそれは諦めるしかないとして……オヴィゴー神殿? いつか聞いたことがあるような。いつだったかな……。
「おい、何してんだぁ? 入り口はこっちだ、着いて来な」
「わっ、はい!」
無機質な神殿を見上げながら無機質な背中を追って走り出す。
オヴィゴー神殿……神殿と言うにはあまりに機械的過ぎる風貌だ。というか此処に限らず、この辺り一帯は目がチカチカするほどメカメカしい。俺のような地球人にとっちゃ文明レベルの疎外感を感じる。
だが、凄いか凄くないかで言えば間違いなく凄いわけで。
神殿に足を踏み入れた瞬間、自然と感嘆の溜息が漏れ出ていた。
「うおぉ……すっげぇ……」
“オヴィゴー神殿は簡単に言うとイベント会場みたいなものじゃ。何かにつけては此処で集会を開く”
「ふーん……そういえば初めて神域に来た時に聞いたかも」
「急にどうした? 大広間はこっちだぞ」
うっ、不審がられてしまった。まぁすぐに話すことになるけど……。
デザルーキ卿の背後にくっついて歩くこと一分、ついに大広間に到着する。
高潔なる威光を感じさせる大空間の中心には、一体の神がポツンと佇んでいた。
「……デザルーキに……ハル、か?」
思わず目を見開く。金色と菫色が入り混じった滑らかなボディ。不思議そうに呟くその神は、紛れもなく覇天峰位のトップ・パルシド卿だった。
神域に来た一番の目的が彼と話すこと。まさかこうも易々と会えるなんて……デザルーキ卿には感謝してもしきれない。
“お、おぉ……おおおおっ!!!! パルシドじゃ……パルシドがおる! うっはぁー、懐かしいのぉ!!”
パルシドは特別、と言っていた言葉通り、パルシド卿との再会にとても感激しているセラ。一方で俺は大きく深呼吸し、緩み掛けた気を引き締めていた。
「……パルシド卿、突然申し訳ありません。デザルーキ卿にここまで案内してもらったのはそれだけ状況が逼迫していたからなんです」
「…………ただごとではないな」
デザルーキ卿同様、彼も一目で俺の神性を見抜いたらしい。厳かな声色でそう呟くと、左手でこちらへ来いと手招きしてきた。
「……ふー」
“ちゃんと説明すれば分かってくれるはずじゃ”
「うん」
セラとの短い会話を終え、一転してデザルーキ卿を先導する様に前進していく。
そう遠くはない距離だ、すぐに目の前まで到達する。緊張のあまり乾き切った唇を湿らせながら、俺は静かに声を絞り出した。
「……パルシド卿。今の俺がどうなっているか、分かりますか」
「神になっている。それも普通じゃない、相当強力な神に」
見定めるかのような視線。セラの存在には気付いていないようだが……そこまで分かっているのなら話は早い。
「『ドゥーム』ゾフィオスは敗れました」
俺は間近でパルシド卿を見上げながら、泰然自若の様相を装って言い放った。
「なぜハルがそんなことを……」
「ゾフィオスは敗れ、肉体を滅ぼされ、魂のみとなった状態で逃げ果せたんです。しかしそのままでは自然消滅してしまう、何としても魂の器を見つけなくてはならなかった……」
「……ッッ!! ま、まさか、そんなことが……!! そんなことが有り得るというのか……!?」
パルシド卿は、全てを悟ったかのように大きく後ずさった。彼の心中は察するに余りある。
数千か、数万か。あるいはそれすら凌駕する永い年月。彼は、王の帰りをひたすらに待ち続けていたのだから。
「単刀直入に申し上げます。ゾフィオス……いいえ、『神王セラフィオス』の魂は……俺の魂と融合しています」
トン、と。自身の胸に手を置いて。
俺は、ありのままの真実と現実を告げるのだった。




