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20 溜めすぎて インストールが 終わらない(4/4)送別

 アイスをふたつ買って、僕はコンビニを出た。ひとつは黒蜜ときなこのイラストが描かれたなんかおいしそうなやつ、もうひとつは透明のカップが被せられたソフトクリームだ。


 レジ袋は断った。ポケットには小さめのエコバッグが入っているけれど、それを取りだす時間がもどかしくて、僕はそれぞれのアイスのパッケージの端っこを左右の手でつまんだまま先を急いだ。


 公園に到着し、ベンチを確認する。誰もいない。


 僕はふらふらとそこまで歩いて、腰を下ろした。


 ベンチに直接アイスを置くのはしのびなかったので、やっとエコバッグを取りだし、その中にアイスをふたつ入れて、隣に置いた。


 急に不安になる。


 霜上川さんは来てくれるだろうか。『あそこで待ってて』なんて格好つけて言ったけれど、そもそも霜上川さんは『あそこ』がここだと分かってくれていたのだろうか。たとえば駅前のファストフード店だったり、山の公園だったり、学校の教室だったり。『あそこ』の候補はたくさんある……のかもしれない。まさか下ネタだとは思ってないだろうけど……。


 ……ディスコミュニケーション。


 霜上川さんが僕と同じことを考えてくれているという驕りが、先ほどの僕にはあったのではないだろうか。


 僕はどこまでも独りよがりだ、と思う。


 でも、これも結局すべて、僕が自己憐憫の心地よさに沈むための口実なんじゃないだろうかとも思う。僕は結局、自分のことが一番好きなだけだから。


 そしてそれは、僕が霜上川さんを傷つけた一番の原因なのだ。


 鬱々とした思考が止まらなくなる。その思考が『いつものこと』なのか、それとも何か致命的なものなのか、区別がつかなくなる。


 そのとき、座って地面を見つめる僕の視界に動くものが入った。それは1羽の鳩とその影だった。


 鳩は縦に首を振りながらトコトコと僕の方に向かってきたけれど、僕が顔を上げると、その動きに驚いたのか方向転換をしてどこかへ歩いていった。


 いま、僕の目の前には霜上川さんがいる。


 霜上川さんは少しだけ肩を揺らして僕を見下ろしていた。目が合った。


 近づいてくる音はほとんどしなかった。まるで、公園まで走ってきたのだけれど、そのことを僕に悟られないようにゆっくりと歩いてきたかのようだった。


 しばらくのあいだ、ふたりとも動かなかった。風に揺れる霜上川さんの前髪だけが、時間が止まっていないことを僕に教えていた。


 僕は霜上川さんが立ったままでいることに気がつき、立ち上がる。


 霜上川さんは少しだけ驚いたような顔をして、動向を窺うような眼差しを僕に向ける。


「いや、霜上川さんだけ立たせてちゃ悪いと思ってさ」


 言い訳がましく僕が言うと、霜上川さんは小さく笑う。


「全力で走り出すのかと思った」


「いや、僕はもう逃げないから」


「……そっか」


 霜上川さんは薄い唇を少しだけ動かした。その唇の形は笑っているようでも、笑いをこらえているようでも、寂しがっているようでもあった。


「あるいは、抱きしめられるのかと思った」


「いや、そんなことしないよ!?」


「そっか~。まあ、しない方がいいよね、間違いなく」


 そりゃそうだろ。この人は何を言っているんだ。


「じゃあさ、立たなくてよかったんじゃない?」


「まあ、でも、そりゃあね。こちらから呼びつけて座ったままってのもあれだから、一度立ち上がってから霜上川さんに座っていただこうと思いましてね」


「さっきから立ち話をしているけどね、あたしたち」


「確かに」


 僕はどうやら相当に混乱しているらしい。ここ数秒の自分の発言を思い出すに、あまり筋が通っていない。


 とりあえず落ち着こう。


「じゃあさ、よかったらここ、座ってほしい。アイスもあるよ」


 僕は先ほどまで自分が座っていたところの隣を手で指し示す。


「ありがと」


 霜上川さんはそれだけ言って、ベンチに座る。いつのまにか座っていた、というくらいに軽い身のこなしだった。


「もしかして、この黒蜜ときなこのやつがあたしの?」


「いちおう、そのつもりしてたけど」


「ふふん。よく分かっていらっしゃる」


「なんか前、黒蜜のやつが食べたいって言ってたから」


「あっ、そ、そうだっけ? それは……ありがと」


 なぜか顔を赤くして霜上川さんは頷いた。


「ご馳走になっちゃっていいの?」


「もちろん」


「……そっか」


「あ、あと、よかったらこれ使って」


 僕はそう言って、先ほどコンビニでアイスと一緒に買ったウェットティッシュを差し出した。この前、一緒にアイスを食べたときに霜上川さんが使っていたことを思い出したからだ。


「えっ……すご……良いじゃん」


「そんなに動揺すること!?」


「いや、新品のウェットティッシュを差し出してくれる系男子ってなんか良いなと思って……いや、違う違う! ウェットティッシュって言葉がそもそも卑猥だと思って!」


「なんか本音をカモフラージュしようとして事故ってない!?」


「そうかなぁ……」


 霜上川さんはバツが悪そうにしながらウェットティッシュを1枚取り出す。


「ありがと」


「うん」


 彼女から受け取った袋から僕もウェットティッシュを取りだして手を拭いた。それからソフトクリームを取り上げ、カップを外す。


「いただきます」


「いただきます」


 霜上川さんもフタを開け、アイスを食べ始める。


 木製のスプーンでアイスをすくう彼女はなんとなく、すごく様になっていた。まじまじと見つめるのも悪いと思い、僕は正面を向いた。


 それからまた、無言の時間が流れた。


 確か、以前もこんなことがあったと思い出す。


 そうだ。『キスが上手いとはどういうことか』という話題で気まずい空気が流れたときだ。


 でもそのときとは、沈黙の質がぜんぜん違っていた。お互いに、お互いが何を考えているのかを探り合っているような、言ってしまえば、気まずい沈黙。


 その空気感が、うららかな初夏の午後とも口の中に感じる強い甘さとも噛み合わず、妙に非現実的なものに思える。


 だけれど唐突に僕は気がついた。


 これ、僕が話し始めないとどうにもならないやつじゃん……。


 我ながらよく気づいた、と一瞬だけ思ったけれど、そんなのは気づくまでもなく当たり前のことだった。僕が彼女を呼びだしたのだ。


「霜上川さん、ごめん」


 そうして、僕は僕がいちばん言わなければならないことを言った。


「何が?」


 霜上川さんは端的にそう尋ねる。冷たくはないけれど、当然ながら、温かくもない声音だった。


「わざと疎遠になろうとしたこと」


「そうだったの!?」


 彼女の反応には素直な驚きが滲み出ていた。あれ?


「もしかして気づいてなかった!?」


「そうかもしれないとは思ってたけどさ……分かんないよ。だって何も言ってくれないから」


「……ごめん、ほんと」


 一瞬でも、『気づいてなかったなら良かった』と考えた自分に気がつき、僕は自分のことを本当に馬鹿だと思う。愚かだと思う。醜いと思う。


 何も言われず、知らされず、何も分からないままに取り残されることの悲しみは、僕が一番、分かっているはずだったのに……。


「正直ね、今が一番ショックだよ。あたしの勘違いじゃなくて、五月雨くんが本当にあたしを避けてたってことを知っちゃったからさ」


「そうじゃ……」


 ……ない、と言いかけて、僕は口ごもった。そうじゃなく、なかったから。僕は明確に、霜上川さんを避けていたから。彼女から離れようとしていたし、離れてしまって構わないと思っていたから。


 そこで僕は、やっと、自分がもう、霜上川さんに何を言うにしても言い訳になるのだということに気がついた。


 傷つけるつもりはなかった? 馬鹿言え。


 僕も辛かった? DV彼氏じゃないんだから。


 霜上川さんのためを思って? 毒親じゃないんだから。


 説明させてくれ? そんな説明を聞く身にもなってみろよ。


 これから僕の口が発するあらゆる言葉が陳腐なものとして宙に消えてゆくだろうという予感があった。


 それでも、僕は口を閉ざしてはいけなかった。黙ってはいけなかった。どのような言葉であれ、僕は霜上川さんの前に並べなければならなかった。それだけは確かだった。


 なぜなら僕の罪は、黙ってしまったことだったから。


「ちょっとだけ、昔話をしてもいい?」


「うん、聞きたい」


 そうして僕は、先ほど月夜さんに話したのと同じ話を繰り返した。


 もちろん、完全に同じというわけじゃない。まどろっこしい細部は削ったり、思い出したことを付け加えたりはした。


 けれど大筋においては変わらない。某アプリの過疎配信者と個通するようになりガチ恋した。けれど相手は何も言わずにいなくなってしまった。要約すれば本当に身も蓋もない、今にも世界中で起こっていそうな本当にどうでもいい話。


 でもそれは、僕にとっては、やはりひとつの世界の終わりだった。


「怖かったんだ。霜上川さんがいなくなるのが。それに正直、さっきからずっと怖い。霜上川さんから拒絶されるのが。身勝手な話だけどさ」


「……ほんとに、身勝手な話だよ」


 そう呟く彼女の声は震えていた。


 僕は隣を向く。それまでずっと、正面を見ていた。彼女の反応が怖かったのだ。


 霜上川さんの瞳は潤んでいた。彼女は目だけで僕の方を見て、口を開いた。


「それでさ、五月雨くんはこれからどうしたい? あたしはそれを口に出して言ってほしい」


 そこにすべてが掛かっていた。それすら彼女にアシストしてもらわなくては言えない自分がほとほと情けなくなるけれど、それはそれで仕方ない。だから――


「これからも霜上川さんと一緒に帰りたい。これからも霜上川さんに下ネタをぶつけてもらいたい。これからも……霜上川さんと一緒にいたい」


「えっと……その……」


 僕の言葉に、霜上川さんはなぜか取り乱す。やはり嫌だったのだろうか?


 それから彼女は『んー』と思い切り目を瞑って、開いた。瞳が流れ星のように瞬いた気がした。


「『口に出して』って言い回し、卑猥だよね?」


「そんなこと確認するように言われてもさあ」


「違うの! いまのは『これからもよろしく』ってことだから!」


「ハイコンテクストが過ぎるだろ」


 とツッコんでから、僕は霜上川さんの言葉の意味について考える。


「いいの?」


「いいよ、そりゃ。あたしも五月雨くんに対してけっこう失礼なこと考えてたし。お互い様ってことにしとこう」


「え、失礼なことって何?」


 僕の疑問に、霜上川さんはあからさまに『しまった』という表情を見せる。


「なんでもないから! 気にしないで!」


「いや、めちゃめちゃ気になるが!?」


 僕の言葉に霜上川さんは目を泳がせる。


「だからその、家に早く帰っていろいろとやることがあるのかなと思ってただけ。イロイロと」


「ああ、イロイロとね……」


 僕はそれ以上、追及しないことにした。


「それはそうとだねえ、五月雨くん――」


 話題を変えたかったのか言うタイミングを窺っていたのか両方か、霜上川さんは改まった様子で言うと、ベンチに置いた片手で体重を支えて僕の方に身体を傾けた。


「送別をしよう」


◇ ◇ ◇


「どうしてこんなところまで来る必要があったわけ?」


「そりゃあもう、人目のあるところだとダメだからに決まってるでしょう」


 霜上川さんは当たり前のように言って周囲をキョロキョロと見回す。


 僕と霜上川さんは、公園からしばらく歩いたところにある一級河川の岸辺に来ていた。


 川岸は遊歩道として整備されているものの、夕方のランナーが時折通り過ぎるくらいで確かに人通りは少ない。


 人目がない、といえば嘘になるけれど、住宅街にある公園よりもいくぶん雰囲気が開放的で、多少の奇行に及んでも人の目が気にならない場所(のような気がする)。


 とはいえ僕は、霜上川さんが具体的に何をしようとしているのかまったく分かっておらず。


「それで、送別って何するの?」


「うむ……考えてたんだけどね、前例がないから、なかなか難しい。あたしが言いたいのはつまり、その人にさよならを言った方がいいんじゃないかってことなんだよ」


 その人――僕の前から姿を消した彼女のことだろう。


 確かに僕は彼女に、さよならを言うことができなかった。彼女はそれを許してくれなかった。


 だから僕はずっと、彼女によって人との接し方を規定されてきたのだと思う。


 彼女はずっと僕の中にいた、といえば聞こえは美しいけれど、それは端的に言って、一種の呪いでもあった。


「でも、ただ単にさよならって口にするだけじゃ雰囲気が出ないでしょ? だから何か、言ってしまえば、儀式的なことができればと思ったんだよね」


「つまり、お葬式的な?」


「まあ、そう……なっちゃうのかな? たぶんその人はどこかで生きてるから、縁起でもないけどね。送別会、とか言った方がいいのかもしれない。本人は不在だけど」


「それはまあ、確かにそうか……」


 頷きつつも、僕は密かに、自分で言った『お葬式』という例えに納得していた――インターネットでの別れは、時に永遠の別れだから。


 海底ケーブルや光ファイバーや電波を通して点と点でつながった僕たちはまるでブルーライトの懐中電灯を手にして助けを求める遭難者で、ひとたび相手の灯りが消えてしまえば暗闇の中で立ちつくすしかない。


「五月雨くん、なんかクラウドのストレージで使えるやつってある?」


 立ち止まった霜上川さんが、くるりと僕を振り向いて尋ねる。


「ああ、うん。登録用に持ってるメールのアカウントで、何ギガかあったと思う」


 だけどそれをどうするつもりだ?


「おっけー。あと、これはあたしが五月雨くんにいだいている非常に勝手な想像なんだけど、その人とのやりとりのあいだに共有された画像とか、下手したら通話画面のスクショとか、スマホのカメラロールの中に残ってるよね? そして3日に1回くらいは見返してるよね?」


「どうしてそれを!?」


 しかも3日に1度どころではなく毎日見返してるが!?


「残念ながら顔にそう書いてあるんだよねえ」


 不本意だ……。


 僕が若干落ち込んでいるあいだに、霜上川さんはふむふむと考える仕草を見せた。


「よし、じゃあこうしよう!」


◇ ◇ ◇


 霜上川さんが示した手順はこうだった。


 まず、クラウドストレージの奥の奥の奥の方にフォルダを作る(フォルダ名は消えてしまった彼女のアカウント名)。


 次に、僕のカメラロールにある彼女に関する画像やスクショをすべてそこに移動させる。


 そして河原でスマホを空に掲げて『さよなら!』と近所迷惑にならない程度の声で叫ぶ。


「ほんとにやるの、それ?」


 僕が躊躇っているのはもちろん、最後の工程だ。そこまでの工程はすでに終えている。


「ほんとにやろうよ。あたしも一緒に叫ぶからさ。きっとスッキリするって!」


 まあ、そうかもしれないなとは思う。ここまで来たらやってしまおうとも思う。


 けれど、ただただ、夕暮れの河原で大声を出すのが恥ずかしい。


「けど仕方ないから……やるか……」


「ちょっと待って五月雨くん! ぜんぜん意欲が感じられないよ! あたしだけ大声で叫んで恥をかくって展開はやめてね!?」


「やっぱり霜上川さんも恥だと思ってるんだよね!?」


「ぐっ……当たり前じゃん! 公衆の面前で叫んだことなんて小学校入ってから一回もないんだから!」


 それでも霜上川さんは、僕のために一緒に叫ぶ覚悟をしてくれているということか……ならばいっそう、ここで日和るわけにはいかないな……。そう自分に言い聞かせて、僕は声を上げる。


「おっしゃー! それじゃあ叫ぶ!」


「よっ! その意気だ、五月雨空!」


 霜上川さんの激励に押され、僕はスマホを空に掲げた。せーのっ!


「「さよなら!」」


 きれいなオクターヴユニゾンで、僕と霜上川さんの声が重なった。


 その送別の音色は、昼と夜のグラデーションを描く広大な色に吸い込まれてゆく。


 揺れる初夏の草、水流、遠くを自転車で走る人のシルエット、捨てられた空き缶、強い風、霜上川さんの横顔。


 目に映るものすべてが一瞬、くっきりと見える。吸い込んだ夕方の空気が、僕に未来の存在を告げる。


 スマホを持った手を垂らして、僕は肩で息をしていた。クラウドストレージの中にある、きっともう開かれることのないフォルダ。それはやはり、ひとつの墓標だった。


 消えてしまった彼女はもう、僕の前には姿を現さない。そのことを、儀式を終えた僕は当たり前のこととして受け入れていた。


「五月雨くん、大丈夫!? めちゃ泣いてるけど!?」


 霜上川さんに言われて、自分が泣いていることに気づく。しかも、本当にめちゃ泣いていた。頬に手をあてると、わりと自分でも引くくらいの号泣だ。


「ああ、うん。大丈夫。嬉しかったんだよ。やっと思えたから。この世界のどこかで、元気にしてやがれ、って」


 泣いているつもりはなくても、泣いてると泣き声になるんだな、なんて他人事のように考えながら、僕は言う。


 さよならを言うことで僕はやっと、見習い魔法使いの彼女の幸せを心から祈ることができた。誰に対しての祈りでもない祈り。強いていうなら、僕自身の名に対しての祈り。


 それを教えてくれたのは霜上川さんだった。だから僕は、彼女に言わなければならない。


「ありがとう、霜上川さん」


 そう言った次の瞬間、僕は身体に温かいものを感じた。霜上川さんがひしと僕を抱きしめているのだと分かるまでに、しばらくかかった。きっと号泣する僕があまりに弱々しく見えて、慈悲の心が動いたのだろう。情けない限りだ。


 僕と霜上川さんの身長はほとんど同じで、僕の顔はいまや彼女の肩の上にあった。僕の涙が彼女の服を濡らすのはどうにも冒涜的なことに思えて、心がざわついた。


「ありがとう。でも濡れちゃうから……」


「男の子も濡れるんだっけ?」


 何言ってんだコイツ。


「僕の涙で霜上川さんの服が汚れてしまうということです」


 僕の言葉に霜上川さんは取り乱す……という僕の予想は外れた。


「それでもいいよ」


 霜上川さんは身じろぎもせず、僕の耳元でそう囁く。こころなしか、その声はいままで聞いた霜上川さんの声のなかで一番、大人っぽい。


「ねえ、五月雨くん」


 同じく色っぽい声で発せられた言葉に僕は気が気ではなかったが、動揺を悟られないよう、極めて冷静に『何?』と問いかける。


「五月雨くんは思わなかった? あたしがすごく計算高くて押しが強くて重い女で、過去の女を忘れさせるために自分に儀式をさせたんじゃないか、って」


 その質問は霜上川さんが僕に対してひとかたならぬ思いを抱えていなければ発せられない類のものである気がしないでもなかったが、彼女の真意が果たしてどんな場所にあれ、僕が彼女に伝えるべき言葉はひとつだった。


「それでもいいよ」


「そうなの?」


「うん」


「そっか~」


 彼女は僕を抱きしめる腕に一度だけぎゅっと力を込めて、それから僕を解放した。


 僕は結局、彼女の背中に腕を回すことはできなかった。けれど深い心のやすらぎとともに、まだそれでもいい、と思った。


 つづく。

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